レーニン
哲学ノート
白揚社 1932 大月書店 1964 岩波文庫 1975
В.И.Дeнин
ФИДОСОФСКИЕ ТЕТРАДИ 1929
[訳]松村一人

 本書には二つの読書体験の思い出がある。ひとつは文字通りレーニンの思想哲学の書としての読書体験である。ただし、レーニンを読んだというなら、1には何といっても『国家と革命』があがるだろうし、2にもマッハと四つに組んだ『唯物論と経験批判論』が忘れられず、3にやっと本書か、記念すべき『帝国主義』がくるというところなのである。
 が、もうひとつの読書体験が忘れられない。本書はレーニンの読書に関する書き抜きノートそのものの翻訳で、そのため岩波文庫版ではレーニンが施したアンダーラインやメモや括弧やコメントがそのまま復元されているのだが、そのレーニンのメモやマーキングを読むことが大きな愉しみだったのである。

 見てもらえばすぐわかるのだが、本書には随所に「注意」「すばらしい!」「適切で深い言葉だ!」「正しい!」「マッハ主義と比較せよ」「こっけいだ!」といった書きこみから、大事な文章を囲んでいるところ、線・二重線・波線をつかいわけて強調しているところ、そして夥しい量の注解や見解のようなものが書きこんであるところが、ほぼ全面的に活字組で再現されている。
 つまり、レーニンの筆跡こそ再現されてはいないものの、レーニンがどのように本にマーキングをしたかはだいたいわかるようになっている。また、どんなノートをつくっていたかということもほぼ完璧に伝わってくる。こんな本は珍しい。むしろロラン・バルトこそこのようなノートを公表すべきだったとおもわれるような、それほどにユニークな本なのである。
 しかもぼくは、この本で初めて、世の哲人や学者や革命家たるものがマーキングをしながら本を読んでいるのだということを知ったのだった。
 それまでぼくは本に線を引いたりすることはしなかった。父が俳句全集の気にいった句にマーキングをしたりしているのを見ると、むしろ邪魔なものを感じて不愉快だったのだ。読書ノートも日記に書きつけることを含めていくつか書いていたが、これもできるだけマメに、またキチンと書こうとしていた。
 それがレーニンの『哲学ノート』でふっきれた。開眼したのである。なんだ好きなようにやればいいんじゃないかという爽快を得たようなものだった。これ以来、ぼくは図書館に通って本を読むときは別にすると、自分で本を入手して、好きに書きこむことを愉しむようになっていく。
 のちにぼくは工作舎から『遊学の話』という対談集を「すでに書きこみがある」というサブタイトルをつけて刊行することになるのだが、そんなアイディアを実行する気になったのは、やはりレーニンの『哲学ノート』のせいだった。

 さて、本書に収録されているレーニンが読んだ本とは、ヘーゲル『論理学』『歴史哲学講義』と『哲学史講義』、ラッサール『エフェソスの暗い人ヘラクレイトスの哲学』、アリストテレス『形而上学』、フォイエルバッハ『ライプニッツ哲学の叙述・展開および批判』、そしてマルクスとエンゲルスの共著になる『神聖家族』である。
 このうちノートはヘーゲルの『論理学』についての抜き書きとメモがいちばん多く、約半分を占めている。だいたいは第一次世界大戦下の1914年からスイスのベルンに亡命していた2年間ほどのノートであった。
 このころのレーニンは第二インターナショナルの裏切りにあっていたころで、妻のクルプスカヤの『レーニンの思い出』によると、ベルンにきてすぐに『グラナート百科事典』のカール・マルクスの項目の執筆にとりくんでいる。それを了え、ヘーゲルの論理学にとりかかったようだ。
 もともとレーニンが読書に異常に熱心だったことはよく知られている。革命のさなかはともかくとして、1905年のジュネーブ亡命のときはマルクスとエンゲルスの全集を図書館に通って片っ端から熟読しているし、1909年にパリに亡命したときは、国立図書館までの距離が遠く、自転車で通うには危険が伴ったにもかかわらず、毎朝8時に起きて図書館に通い、いつも2時に帰ってきた。むろん自宅でもずいぶん読書に時間を費やしている。
 自宅では手元に本があったのであまりノートをとっていないようだが、図書館に通っているときはたいていノートをとっていた。本書に収録されている本も、そのほとんどがベルン図書館蔵のものだった。

 いまとなっては、本書でおもしろいのはヘーゲル論理学に関するノートよりも、むしろヘーゲルがギリシア哲学を論じた『哲学史講義』のノートや、アリストテレスやライプニッツにふれた後半部分のノートであろう(岩波文庫では下巻)。
 弁証法ならびに唯物論によって哲学を読むということが、これほど手にとるように見えてくるものはないといってよい。
 その後、ぼくは三枝博音の著作集(中央公論社)で、日本の江戸時代の思想史を唯物論として読む方法を学習することになるが、その先例は、唯一、レーニンの読書ノートが教科書だったのだ。

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