ロープシン
蒼ざめた馬
世紀書房 1951 現代思潮社 1967 晶文社 1980
[訳]工藤正弘

 ヨハネ黙示録第六章第八節に、「見よ、蒼ざめたる馬あり、これに乗る者の名を死といひ、陰府(よみ)、これに随ふ」とある。ロープシンの物語の標題はここから採られている。
 ロープシンは革命家であり、名うてのテロリストだった。本名をボリス・ヴィクトロビッチ・サヴィンコフという。サヴィンコフとしての『テロリスト群像』という著書もある。

 サヴィンコフの生涯はつねに死と隣接した激変の中にある。
 学生時代にペテルブルグで革命運動にふれ、1903年にはエスエル(社会革命党)に入党する。さっそく頭角をあらわして秘密戦闘部員となると、すぐさま内相プレーヴェや皇族セルゲイ大公の暗殺をたくみに先行指導した。その後、1906年に逮捕されて死刑を宣告されるのだが、処刑直前に劇的な脱走を企て、『蒼ざめた馬』や『無かったもの』などを執筆する。が、それは余技、ふたたび革命運動に戻っていく。
 時代はロシア革命まっさかりである。すでに戦闘団は解体していたが、サヴィンコフはそのことが許せない。なんとか革命の高揚と戦闘とをむすびつけようと画策をする。そしてついに1917年の二月革命のときはケレンスキー臨時内閣の陸軍次官をつとめるにおよぶ。ところが時代と何かがあわず、なかなかうまくいかない。そこで密かにコルニコフの反乱に加担し、自軍を率いてキエフの占領を企てて進軍をする。けれども、これはみごとに敗北。ついに党を除名された。
 やむなくパリに亡命して、ひそかに『漆黒の馬』などを書きつつ、十月革命後は今度は反ソ活動に転じて、ヤロスラヴリの反乱などを工作する。が、これらも、ことごとく失敗する。
 こうして1920年、ついに決してポーランドで白衛軍を結成、4年後に暗殺団をつくってソ連への潜入を計画するのだが、これまた国境であえなく逮捕され、そのまま投獄されてしまう。しかし、もはやそのような自身の境涯に納得がいかず、獄中でひらりと身を躍らせて投身自殺した。

 これがサヴィンコフの生涯である。
 ロシア革命の只中につねに身をおきながら、そこから弾かれていった男であった。しかし、そのような男はロシア革命の周辺にはごまんといた。なんといってもトロツキーその人がそうだった。けれども、サヴィンコフはロシア革命の“正史”には絶対に出てこない。サヴィンコフは右からも左からも、上からも下からも、葬り去られた男なのである。
 では、作家ロープシンはどうなのかというと、実はサヴィンコフそのままなのだ。『蒼ざめた馬』はまさにサヴィンコフの自伝的小説そのものなのだ。

 ぼくがこの本を読んだのは早稲田の学生時代のこと、、粘っていると珈琲を一杯だけサービスしてくれる坊主頭のマスターがいた喫茶店での夜明けのことだった。
 あっというまに読めたように記憶する。構成が日付順になっていて、文体も平明だったせいによる。ただし、内容はニヒト(虚無)が滲んでいて、いかにもやるせない。読みおわって疲れてしまったことを憶えている。当時はそれこそトロツキー著作集に惹かれ、アイザック・ドイッチャーの『裏切られた予言者』にまで手を出していたので、ロープシンの本も熾烈なテロル幻想に富んでいると予想したせいでもあった。おまけにメルロ=ポンティの『ヒューマニズムとテロル』を読んだばかりだったので、本物のテロリストがいったいどんな回想をしているのかと、そればかりが気になっていた。
 が、ロープシンは、ぼくのそうした邪まな興味を一蹴して、革命と死と愛と神とが同時に語れることを告げたのだ。これは、当時のぼくには疲れることだった。

 1970年の暮近くになって、もう一度『蒼ざめた馬』を読む気になった。この年は三島由紀夫が市ケ谷で自決した年だった
 全共闘が水煙の中で崩れ落ちていった年でもあった。ようするに、ぼくの多くの知人たちが「あるひとつの幻想」を追い求めて、潰えていった年だったのである。その幻想は、いまおもうと、はたして本当にそういうものだったのかという気もするのだが、やはり「革命」という幻想だった。
 そういう年の瀬に読んだロープシンは、その一行一行が結露のように光っていて、パテェ・フィルムの上映のようにカチカチ音がした。

参考¶ロープシンの『蒼ざめた馬』は日本では意外に早く、大正9年(1920)に翻訳されている。青野季吉の翻訳で『蒼ざめたる馬』というふうになっている。牧野信一が出版社をしていた時期のことである。当時は、すぐにもう一冊のロープシン、すなわち『黒馬を見たり』も出版されている。日本がロシア革命後の動向に目を凝らし、耳を澄ましていた唯一の時代だった。

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