カート・ヴォネガット・ジュニア
プレイヤー・ピアノ
ハヤカワ文庫 1975
Kurt Vonnegut, Jr.
Player Piano 1952
[訳]浅倉久志 [協力]矢野徹 伊藤典夫 エルワード・トロイヤー
装幀:和田誠 
われわれは表むきに装っているものこそ、われわれの実体にほかならない。だから、われわれは何かのふりをするか、あらかじめ慎重に考えておかなくてはならないんだ

こんにちは、赤ちゃん。地球へようこそ。
この星はまんまるくて、濡れていて、人でいっぱいだ。
『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』

 今夜はカート・ヴォネガットのことを好きに喋ってみようと思う。うろおぼえのこと、たとえばヴォネガットに薫陶を受けてデビューしたはずの『ガープの世界』や『ホテル・ニューハンプシャー』(新潮文庫)のジョン・アーヴィングが「師匠から教わったことは?」と尋ねられて、何も批判的なことは指摘されなかったよ、僕がセミコロンが好きだってことを見て、カートは「いまいましい、あんな両性具有者ども!」と言っても舌打ちしていたことくらいかなと言ったとか言わないとか、そういううろおぼえばっかりなので、あっちゃこっちゃな話になるかもしれないが、今夜はそんなことを含んで、カート・ヴォネガットなのだ。
 今夜というのは、この国が新型コロナウイルスの感染圏に浸ってそろそろ1シーズン(4カ月ほど)を経て、多くが自粛と開放のまだら模様のなかでどっちつかずにいるままの、その中途半端な事態が靡満している今夜という意味だ。
 国によってはPCR検査をするにもスーパーマーケットに入るにもIDや許認可証が必要になっている。そうかと思うと、この国では俗称「自粛警察」なるものも徘徊するようになった。取り締まったり、取り締まられることに慣れっこになること、これはヴォネガットが一番嫌ってきた「セカイ事情」というものだ。
 ぼくのまわりもリモートワークだらけになって、何をするにもアカウントを取り交わしてばかりいる。リモートワークってけっこう集中できますね、ときどき皿洗いなど挟むといい気分転換になるんですという感想も多い。ほれほれ、それが危ない。
 いやいやリモートワークがまずいのではない。われわれはずっと以前から手紙や電話やスマホでリモート・コミュニケーションをしてきたはずで、これは東浩紀くんが「郵便的」とか「誤配的」とかと言って説明もしてきたことだ。もっと言うなら「書くこと」や「読むこと」がそもそもリモートワークなのである。読書はリモート・アソシエーション(間接的連想系)なのだ。
 それをお上(オカミ)の自粛要請に柔順になってから、鬼の首をとったかのように一人ごちしてしまうのは、ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを、なのだ。
 あまりに世の中の趨勢にあわせて技術のベンリに乗った自己発見などにかまけていると、実はセカイは「あべこべ」や「ちぐはぐ」になることのほうに本来の特色があることを、ついつい忘れてしまいかねず、それが危ない。

登録には、腹の立つほど複雑で長ったらしい書式への
記入が必要だった。それは彼の氏名と
これまでに得た最高の職種番号から始まり、
彼が恩寵を失った理由を訊きただし、
彼の友人親族の名をたずね、
最後をアメリカ合衆国への忠誠でしめくくっていた。
『プレイヤー・ピアノ』

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カート・ヴォネガット・ジュニア(1922-2007)
ニューヨークの自宅にて。1980年ごろに撮影。

 2017年の冬、ぼくは『擬=MODOKI』(春秋社)という本の冒頭に、蕪村の「いかのぼりきのふの空のありどころ」の一句の、「きのふの空」という俳諧的フェーズ(相)が秘めるメッセージの解読とともに、「ちぐ」と「はぐ」、および「あべ」と「こべ」について書いた。
 大工用語で「鎮具」は金槌のことを、「破具」は釘抜きのことをいうのだが、これをまちがえると「ちぐはぐ」になる。そうすると、まわりが笑う。「アハハハ、あいつ、あんなことをまちがえている」。「あべ」と「こべ」というのも「彼辺」と「此辺」のこと、むこうとこっちがわからなくなる。そうすると、まわりが揶(からか)う。「おい、あべこべだよ。取り違えているよ」。
 これは失敗や矛盾がおこったというのではなく、道理がおかしくしか伝わらなくなって、それがセカイの問題から自分のまわりの疑似発見に連動してしまっているということだ。世の中というもの、ずっと取り違えを冒してきたのに、むりやりそれを制度化してきたのだ。
 ピーター・パンの作者が解明したことでいえば、「ほんと」と「つもり」の区別などもともとなかったのに、それを世の中がこれみよがしに付けるようになってから、自分もすっかりそのセカイの一員のつもりになってしまったのである。
 今夜の気分でいえば、ウイルス・プラネットが何たるかがあまりに見えなくなっていると、手元での鎮具と破具の使い方にばかり気をとられていることに、気が付かないままになるよということに当っている。
 世の中はつねに「ちぐ」と「はぐ」、「あべ」と「こべ」がすれすれに交差してきた。ふだんはそのことをすっかり看過してしまっていて、それが緊急事態になると過剰に前面に出てくる。前面に出てくるのはリスクヘッジを焦るからで、この、上からのリスクヘッジがいつのまにか自己弁護のリスクヘッジに流用されるのだ。そこには「きのふの空」が継承されていないのだ。
 それでもリスクヘッジをしているのだから、体制は変更されないと思いこんでいるのは、いかにもおめでたい。新しいセカイ(ニユーノーマル)が来たのかなと思いこむのは、もっとおめでたい。そんなことはありませんよ、世の中、実はいつだって「ちぐはぐ」「あべこべ」で、その二つの使い方でセカイはもんどり転倒するんだよというのが、ヴォネガットが書いたことだった。
 平時のときからリバース・モードでセカイを見たほうがいい。そういうふうに見て、ヴォネガットは小説を仕立てた。ヴォネガットの主題はいつだって「もどき」の痛打だったのである。

めぐりあわせ、運のよしあしは、
けっして神の御業ではない。
めぐりあわせは、神が通り過ぎられてから永劫ののちに、
風が渦巻き、塵が落ちつく道なのだ。
『タイタンの妖女』

『擬−「世」あるいは別様の可能性』(春秋社)
世の中の本質を「擬(もどき)」とみなし、古今東西の歴史、文化、科学をまたぎ、これまで松岡が手掛けたエディトリアルワークも絡めながら、「ほんと」と「つもり」を分けない編集的相互作用の重要性を説く。肺癌手術を経た松岡が、編集的世界観を表現するための新しいスタイルに挑戦した一冊。

 ヴォネガットはしばらくカート・ヴォネガット・ジュニアを名のっていた。本名だ。1970年代、いちいちカート・ヴォネガット・ジュニアはねと言うのは長すぎるので、ぼくの周辺では「カボジュニ」で通っていた。本人がジュニアを取って著者名をカート・ヴォネガットにしたのは、54歳のときの『スラップスティック』(1976)からだ。なぜそうしたのかは知らない。
 カボジュニの家系は工学屋さんである。父親もヒーおじいさんもMITを出た。カボジュニはコーネル大学に入ったときは生化学を選んでいたのだけれど、在学中にアメリカ陸軍に徴募されたときに(1922年生まれだから、ちょうど日米戦争が始まっていた)、カーネギー工科大学とテネシー大学に転校させられて、機械工学を学んだ。
 だったらそれでヴォネガット家お得意の工学方面に進んだのかというと、そうでもない。ああだこうだなのである。大戦後の1945年に除隊すると幼ななじみのジェーンと結婚し、シカゴ大学の大学院に入って人類学にとりくんだ。これはカボジュニの一番の関心領域だった。とりくんだのだけれど、修士論文が「キュビズムの画家と19世紀末アメリカンインディアンの類似性」というようなへんてこなもので、これが担当教授たちにはまったく理解されない。
 それで「ああ、そうかよ」と思ってニューヨークに出てGE(ゼネラル・エレクトリック)に入社した。広報部に配属された。兄貴がGEのエンジニアだったので、その伝(つて)だったろう。カボジュニは工学系としては採用されなかったが、兄貴の技術能力はすごかったようだ。雨を人工的に制御しようとしていた。当時のGEの自慢にもなっていた。
 カボジュニは、長続きはしないものの仕事をすることは嫌いではなかった。広告づくりもしたし、GEのあとはサーブの全米初の販売店の店長もしているし、「スポーツ・イラストレイテッド」の編集もした。競馬の担当だ。
 そんな渦中でSFまがいの短編を手元で書きはじめ、それからケープコッドに書斎をかまえるとむずむずしてきて、満を持したかのように『プレイヤー・ピアノ』(1952)と『タイタンの妖女』(1959)という長編を発表した。カボジュニは戦争時代にドイツに入り、ドレスデンで爆撃を受けた攻撃が忘れられないものになっていて、そういう戦争に人類の技術が集中的に投下されていることに失望していた。だから人類学をやってみたかったのだ。
 兄貴の「雨の制御」も、よくよく考えるとモンダイがある。自分のエンジニアリングは人類学ふうなものに向かいたい。そう思って技術過信の社会を風刺的に書いたわけだ。まあ、ハクスリーやオーウェル風だ。ただ、うんとスラップスティックの趣向を盛りこんだ。
 そういうことを書こうとしたのだが、二つともほとんど評判にならない。『プレイヤー・ピアノ』は3万部以上刷って3600部しか売れず、ハードカバーの『タイタンの妖女』は2500部しか刷られなかった。カボジュニはこれはひょっとして才能がないのかなと思った。
 とんでもない。才能はあった。大ありだ。ただし、スラップスティックが「文学」としてこういうスタイルをとりうることを、50年代のアメリカの文壇や読者に理解させるには早すぎた。話を追っていくうちに、みんな混乱してしまったのだ。SF仕立てに見えたので、パルプフィクション同然とも断じられた。たしかに要約不能なのである。

これまでにあったすべてのことが、
これからもありつづけるだろうし、
これからあるだろうすべてのことは、
これまでにもつねにあった。
『タイタンの妖女』

ショートリッジ高校時代のヴォネガット
構内新聞の編集者で、クラスの人気投票では2位だった。

1940年代初頭、アメリカ陸軍時代のヴォネガット

GE(ゼネラル・エレクトリック社)広報部員として来賓の訪問中にメモを取るヴォネガット(左から3番目)
のちに「ゼネラル・エレクトリック社こそがSFだった」と語っている。

『プレイヤー・ピアノ』と『タイタンの妖女』の原著

 このへんで作品の話にしたいのだが、『プレイヤー・ピアノ』がどういう話だったのかはあとで紹介することにして、『タイタンの妖女』のほうは時間と空間をまたいで遍在する男たちが出入りするというハチャメチャな話になっている。
 主人公は一応はマラカイ・コンスタントというハリウッドの大富豪で、火星に旅をしているうちに記憶を消される。そうなったのは、ウィンストン・ナイルス・ラムファードと飼い犬が「時間等曲率漏斗」なるものにとびこんでしまって、時空の波動現象と化していたからだ。このラムファードが神をもおそれぬ能力でセカイを動かす。とくに宇宙人のサロから貰いうけた「そうなろうとする万有意志」なるものを駆使する。これですっかり「ほんと」と「つもり」が行ったり来たりする。
 もう、このあたりで要約も破綻してくるのだが、話はさらに土星の衛星タイタンにとんで、そこでもスラップスティックがスペースオペラチックに展開する。こうなると、いささかワケがわからない。2500部しか売れなかったのも頷ける。
 むろんカポジュニは落ちこんだ。ところが、気分を一新して5年ほどたって書いた『猫のゆりかご』(1963)が急に当たって、おやおやと思いなおした。

作家がみんなゼネストに入って、
人類の迷いを悟らせるというのを考えているんだけど、
どうだい参加しないか。
『猫のゆりかご』

『猫のゆりかご』の原著

 『猫のゆりかご』は、どんな液体も氷結して固体にしてしまうという画期的な発明品アイス・ナインをめぐる大騒動の話で、荒唐無稽ながらも深刻な顛末にもなっていて、それなりになかなか凝っている。
 語り手のジョーナが、原爆を落とされた日本の一日を本にする準備をしているところから始まって、原爆開発者の息子がアイス・ナインを開発していると聞き込み、そのことを追ううちにアイス・ナインを積んだ飛行機が墜落して海という海が凍ってしまい、多大な有事が広がるなか、ある文書が残されていたというふうな展開になっている。途中、カリブ海に浮かぶ孤島のサンロレンゾ共和国で過熱して異端宗教ボコノン教が異様な触手をのばしてくる。
 あいかわらず多元セカイが重なって進む話になってはいるが、冒頭に、メルヴィル(300夜)の『白鯨』の語り手イシュメールと旧約聖書のヨナ(これを英語読みするとジョーナになる)のことが出てくるので、この物語は文学界にも読者にも、ようやく解読可能になった。
 そのあとの『スローターハウス5』(1969)はさらに大評判になった。時間をまたぐ痙攣的時間旅行者ビリー・ピルグリムの戦争体験を通して、主としてはいったい自由意志とはどういうものか、その行方をめぐる話だ。戦時中のヴォネガットのドレスデンでの爆撃体験がふんだんに投入されていて、そのことも話題になった。もっとこのことを書いておけばよかったのだ。ノーマン・メイラー(1725夜)のように。
 こうして『プレイヤー・ピアノ』も『タイタンの妖女』も、その後は広く読まれるようなったのである。とくに若い層にウケた。
 ちなみに、バクモン(爆笑問題)の太田光は学生時代に読んだ『タイタンの妖女』にぞっこんで、のちに事務所の社名を「タイタン」にしたほどだ。文庫『タイタンの妖女』に太田が綴った一文はまことにおもしろく、一見ばらばらな現象をプラネタリウムの星座のようにつないで連想世界を思い描くことを、ヴォネガットに教わった、ヴォネガットはそういうふうに読めばいいんですということを書いている。
 ついでながら、太田くんはかつてぼくの仕事場を訪れてNHKの番組収録したときは、カポーティ(38夜)の『冷血』の話をしていて、このヴォネガット→カポーティ戦線が彼の奈辺の大事にあたっているらしいことは、この男のセンスを感じさせたものだ。

国に対して感情を動かしたりしないんだ。
不動産に興味はないからね。
これはわたしの大きな欠陥だけれど、
国境を土台にものを考えられないんだ。
『母なる夜』

ドイツ南部の街、ドレスデン
1945年2月半ば、3日間におよぶ空襲のあと。ヴォネガットはバルジの戦いで捕虜となり、この街に連れてこられていたが、地下の食肉貯蔵庫に避難していて無事だった。

仲間とともに捕虜になっているヴォネガット(左から2番目)
ヴォネガットからみて左側で背中をみせているバーナード・オヘアは、『スローターハウス5』をはじめ、いくつかの小説に登場している。

映画『スローターハウス』(1972)
監督ジョージ・ロイ・ヒルが映像化。時間旅行者、ビリー・ピルグリムが過去や未来へと渡り垣間見た凄惨な戦争風景や幸せな結婚生活などを断片的に描いていく。グレン・グールドのゴルドベルク変奏曲などが劇中音楽として使用されている。

『タイタンの妖女』(ハヤカワ文庫SF)
爆笑問題の太田光が帯文と解説を寄せている。

 さて、やっと『プレイヤー・ピアノ』のことになるけれど、これはGEをモデルに借りながら、高度な技術文明がリアル=ヴァーチャルをどんなふうに「ちぐはぐ」させていくかということを描いた「まっこう勝負」の作品だった。
 舞台は第三次世界大戦後の架空都市イリアム。北西部には管理者と技術者のエリート地区が、南部には機械技術に仕事を奪われたホームステッドが配されている。
 物語は、この未来社会の管理指導者ポール・プロテュースをめぐるメインプロットを下敷きにしながら、妻のアニータとのいきさつの話、旧友エド・フィナティーとの交流の話、コルフーリ教の指導者のブラトブール・シャーの話、ポールとフィナティーが酒場で出会ったジェイムズ・ラッシャーの話などが縦横に絡んで、ポールがしだいに超あやしげな「幽霊シャツ党」に巻き込まれていくというふうに進む。
 随所に、機械技術が人間っぽい仕事を蹂躙していくプロセスが挟まれていて、最近の話題でいえばAIによるシンギュラリティが近づいてくるような物語になっている。それで「セカイはプレイヤー・ピアノになってしまった」というのだ。
 プレイヤー・ピアノとは自動ピアノのことである。勝手に機械が演奏する。だからピアニストがいらない。失敗もないが、ちぐはぐもない。それなら世の中がプレイヤー・ピアノのようになって、手仕事や感知や親切の仕事がなくなっていったらどうなるのか、かえって取り返しのつかないあべこべがおこる。ヴォネガットは最初の長編にそういう歪んだ社会を「まっこう勝負」で描いたのだ。
 のちの作品群にくらべるとわくわくするようなところやハチャメチャなところが少ないが、そのぶん、ヴォネガットの創作意図の原点があらわになっている。ヒューモアはまだ足りないが、ニヒルな感覚は突き通してある。とくにAIやIoTが侵蝕してきた今日こそ、読んでみるといい。

たぶん革命家たちが第一にしたがることは、
IQ110以上の者をみな殺しにすることじゃないだろうか。
もしわたしがあんたらの立場なら、
知能指数の原簿を隠して、橋を爆破するね。
『プレイヤー・ピアノ』

ヴォネガットがイラストを描いたAbsolut Vodka(1995)の広告
絵画への関心が高かったヴォネガットは、作家業のかたわら数々のイラストを残している。1980年には初の個展も開いた。

ヴォネガットのイラストをつかってデザインしたDell社版の装幀

 ヴォネガットについては、さんざんいろいろなことが言われてきた。SF作家の列に入れこむ手合いも多いけれど、ブライアン・オールディス(538夜)が「ヴォネガットはガソリン代が手に入ったとたん、さっさとこの分野から出ていった」というのが当たっているだろう。
 アメリカではしばしば「現代のマーク・トウェイン」と呼ばれていたが、これはどうか。たんにヴォネガットにトウェインを読み耽った経験があったという程度の話だろう。無神論であることを喧伝する向きも少なくないが、そこを強調しても、あまり合点がいかない。ヴォネガットがヒューマニストであるのはまちがいないけれど、ヒューマニズムには関心をもってはいまい。
 ブラックユーモアの作家と言うのもあったけれど、こちらはほとんど当たらない。パロディを極めたというのでもない。ミメーシスとアナロギアをまぜたパロディだから、ミメパロギアなのである。
 ヴォネガットは一貫して技術文明に痛罵を投げかけてきた。それはそうなのだが、『スローターハウス5』や晩年の『ガラパゴスの船』(1985)でも、実はおシャレな技能にはけっこう敬意を払っている。だから旗印をアンチ・テクノロジストで括るのは合わない。
 ときに「ポストモダン作家第1号」なんて評判もたったことがあったけれど、そこに「うがち」が入っていることを忘れてはいけない。ポストモダン派は「うがち」や「やつし」が足りなすぎるのだ。結局、「笑う終末予言者」あたりが可もなく不可もなくて、ちょうどいい呼び名であるように思う。
 大江健三郎は早くからヴォネガットに傾倒していて、なかなかおもしろい二人の対談記録も残っている。大江は「炭鉱のカナリア」としてのヴォネガットをずいぶん尊敬していた。まさにヴォネガットは「炭鉱のカナリア」の役割を自覚していたようなところがある。ただし実は、カナリアに見えるオウムやインコだったのである。
 もうひとつ、大江はヴォネガットが「無垢(イノセンス)を失った時」に敏感になっていることを指摘して、そこに注目していたけれど、これは炯眼だった。無垢なる者たちこそ「ほんと」と「つもり」の哲学の持ち主であるからだ。
 ヴォネガットの評伝では、やっぱりチャールズ・シールズの『人生なんて、そんなものさ』(柏書房)がいい。とくに目からウロコが落ちるほどではなかったものの、ほかにこの手のものが少ないから参考になる。原題は“And so it comes”なので、『で、それでどうなの?』くらいでもよかった。

人生について知るべきことは、
すべてフュードル・ドストエフスキーの
『カラマーゾフの兄弟』に書いてある。
だけどもう、それだけじゃ足りないんだ。
『スローターハウス5』

チャールズ・J・シールズのヴォネガット評伝『人生なんて、そんなものさ』(柏書房)

 日本のヴォネガット熱は、十分なほど過熱してきた。伊藤典夫・浅倉久志という翻訳名人がいたことが大きい。半世紀以上も前のことになるが、「SFマガジン」の福島正実に『プレイヤー・ピアノ』と出会ったときの衝撃を話してもらったことがあるのだが、ぼくがうっかり「ブラッドベリとくらべると、どうですか」と言ったら、「はい、真剣度がちがいますね」だった。冗談度ではなく真剣度なのだ。
 これには唸った。それでピンときたのだが、日本人はヴォネガットから俳諧性を読み取ってきたのではないかと思う。ヴォネガットは「うがち」や「やつし」にこそ真剣なのだ。2007年に「SFマガジン」がヴォネガット追悼特集号を組んだとき、池澤夏樹・沼野充義・若島正・川上未映子・香山リカ・太田光らがオマージュを捧げていたが、それらをパラパラ読んでいたときも、たしか「これは俳諧だな」と感じたものだ。
 巽孝之が日本のヴォネガット・フェチをゆさぶった功績も特筆すべきだろう。アメリカ文学のことを現在日本で語るには、巽くんを抜いたら腑抜けなのである。その巽と伊藤優子が組んでまとめた『現代作家ガイド―カート・ヴォネガット』(彩流社)は、いまのところとてもセンスのいい一番のガイドブックになっている。YOUCHAこと伊藤優子のヴイジュアルなあしらいが愉快だった。

「カート・ヴォネガット追悼特集」SFマガジン 2007年 09月号

『カート・ヴォネガット 現代作家ガイド』 (彩流社)
監修:巽孝之 編著:伊藤優子

ヴォネガット作家交遊録と家系図
イラスト:YOUCHAN(伊藤優子)
『カート・ヴォネガット 現代作家ガイド』 p212-213

左から筒井康隆、巽孝之、ヴォネガット
第47回国際ペン大会会場にて。
『カート・ヴォネガット 現代作家ガイド』 p84

 ところで去年は『カート・ヴォネガット全短編』(早川書房)が完結した年でもあった。98の短編が8つのテーマに分けてずらり勢揃いした。監修に大森望が立ち、デザインを川名潤が手掛けた。不ベンキョーなぼくにはたいへんありがたかった。
 なんだか、COVID19とヴォネガットにかこつけて腹いせを綴ってしまったような忸怩たるところがあるけれど、まあ、今夜はこれでいいだろう。では、ぼくが最も気にいっているヴォネガットの次の言葉で責任のがれをしておきたい。こういうものだ。
 「われわれが表むきに装っているものこそ、われわれの実体にほかならない。だから、われわれは何かのふりをするか、あらかじめ慎重に考えておかなくてはならないんだ」。

『カート・ヴォネガット全短篇(全4巻)』(早川書房)
没後10年を経て、ヴォネガットが生前に遺した98の短篇を「戦争」「女」「科学」「ロマンス」「働き甲斐VS富と名声」「ふるまい」「リンカーン高校音楽科ヘルムホルツ主任教諭」「未来派」という8つのテーマに分類した短編全集。監修:大森望、カバーデザイン:川名潤。

カート・ヴォネガット記念図書館
ヴォネガットの故郷、インディアナポリスに2011年に公式オープンした。

インディアナポリスのマサチューセッツ・アベニューにあるヴォネガットの巨大壁絵
カート・ヴォネガット博物館と家族の建築会社によって設計された。
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タバコを燻らすヴォネガット
(図版構成:寺平賢司)


⊕『プレイヤー・ピアノ』⊕

∈ 著者:カート・ヴォネガット・ジュニア
∈ 発行者:早川浩
∈ 発行所:早川書房
∈ 印刷所:中央精版印刷株式会社
∈ 製本所:株式会社川島製本所
∈ 装幀:和田誠
∈ 発行:1975年10月31日

⊕ 著者略歴 ⊕
カート・ヴォネガット・ジュニア(Kurt Vonnegut Jr.)
1922年アメリカ生まれのエッセイスト、劇作家であり、現代アメリカ文学を代表する作家の一人とみなされている。人類に対する絶望と皮肉と愛情を、シニカルかつユーモラスな筆致で描き人気を博した。代表作は『タイタンの妖女』(1959年)、『猫のゆりかご』(1963年)、『スローターハウス5』(1969年)、『チャンピオンたちの朝食』(1973年)など。ヒューマニストとして知られており、American Humanist Association の名誉会長も務めた。20世紀アメリカ人作家の中で最も広く影響を与えた人物。

⊕ 訳者略歴 ⊕
浅倉 久志(あさくら ひさし)
1930年生まれ、1950年大阪外国語大学卒。SF作品の翻訳で著名であり、カート・ヴォネガットのほか、フィリップ・K・ディック、ウィリアム・ギブスンの作品を多く翻訳している。また、同業者の伊藤典夫とともに、R・A・ラファティ、コードウェイナー・スミス、ジェイムズ・ティプトリー・Jr.といった異色の実力派作家を日本に紹介した。日本SF作家クラブ会員。

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