第一冊目の冒頭に三原昌平の「はじめに」があって、プロダクトデザインが「売れる」「作りやすい」「クレームがこない」をめざしすぎたことの反省を語り、日本人が一度つくった制度や価値観を見直したり、組み替えることがヘタなことを指摘している。「手段だったものが目的となって居座り、あきらかに形骸化されたものでも、それを壊そうとしない国民性があります」ともある。ここまでは半分だけだが、イー・オリョンの著書を通して、ぼくが指摘したかったことに近い。
半分賛成なのは「壊そうとしない」というところである。たしかに高度成長期以降の日本人は、いったん作ったものがいかに使い勝手が悪いものでも(たとえば多目的ホールやPR誌や人事)、愛着もなくその既存フォーマットに固執する。もう半分は「手段が目的になっていく」というところで、こちらは日本人が美術や工芸や大工仕事では、むしろ得意にしていた長所なのである。蔀戸・障子・壁代・屛風などの建具の多くは、空間を組み立てる手段の工夫がそのまま自立したものなのだ。床の間はその代表だ。ただ、いつのまにかこの事情を忘れてしまった。
こういうわけでプロダクトデザインと日本人という問題は、けっこう難しい。あまり安易に扱わないほうがいい。しかしもともと、プロダクトデザインがどうあるべきかということ自体が、とうてい一筋縄では語れない。これまで十分にふりかえられてもこなかった。かつてはほとんどがレイモンド・ローウィの掛け声にあわせて、インダストリアルデザインに組み込まれたままだったのだ。
本書はプロダクトデザインに関する最初のニュートラルな案内本である。第一冊目の劈頭にポール・ヘニングセンのPHランプ、柳宗理のセロファンテープカッター、梅田正徳の可動式ユニットキッチンをおいているのだが、これらはいずれも工学的な機能の追求から生まれた有名なデザインで、本書が一応は何を狙っているかを暗示する。そこには機能こそが生んだ新しい形の美しさが、いまも息づいている。

ポール・ヘニングセン

柳宗理

梅田正徳
けれども、人間工学の追求や機能美がプロダクトデザインの王道であるかどうかは疑わしい。機能をもたないプロダクトデザインはありえないだろうものの、たとえば倉俣史朗のデザインがそうであったように、「遊び」がデザインの推進力になったっていっこうにかまわない。
プロダクトデザイン(PD)とインダストリアルデザイン(ID)との関係も難しい。かつてソニーの黒木靖夫は「生産性と市場性がないかぎり、プロダクトデザインはインダストリアルデザインにはなれない」と言ったものだ。その黒木のお眼鏡にかなったのが黒川雅之のGOMシリーズだった。
プロダクトデザインははたして一人のデザイナーのものかという議論もある。そこには、メーカーも技術者も販売力も、ときには工業試験場や消費者もかかわっている。喜多俊之の照明器具TAKOは一人の和紙職人との出会いがなかったら生まれはしなかった。美濃和紙の透過性と完全散乱がヤマギワを踏み切らせたのだった。小松誠のクリンクル陶磁器は、瀬戸の鋳込成型の技法とセラミックジャパンの杉浦社長の英断を必要とした。バタフライ・スツールで驚かせた柳宗理は「デザインはワークショップから生まれる」とさえ断言したものだ。
ふりかえってみると、かつての建築界がそうであったように、コンペでしか頭角をあらわせない時代もあった。コンペ地獄に泣いたデザイナーは少なくない。それでも日本のプロダクトデザインは前進しつづけてきた。ともかくもこのような情勢や議論をのりこえて、いま日本のプロダクトデザインが敢然と脚下照顧できるところまでやってきたのだ。黒川雅之のGOMシリーズも宮山廣との出会いがなかったら、さて、どうなっていたか。
本書にはかなりの数のデザイナーの作品と、そのデザイナー自身のコメントと、それぞれのデザイナーについての評者のコメントが掲載されている。ゆきとどいた編集構成だ。もともとはリビングデザインセンターOZONEでの展示会を母体にしている。
とりあげられたデザイナーたちの顔触れには、少数を除いて特段の遺漏はないだろう。といって、過剰もない。作り手の目と使い手の目と、そして業界の目がほどよくミックスされている。この手のものとしては気分よく読めた。全体を統括した三原昌平の力量に拍手を贈りたい。
以下、気になるデザイナーの作品を(作品か製品かという議論もあるけれど)、ごく少々ながら紹介しておく。本書は都合三冊になっているので(まだ続くのかもしれないが)、その紹介順でいく。

黒川雅之
羽田久嗣のアーキストリアルの三脚まわりの撮影機材、いわゆるユニバーサル・ガンストックは、当人が工業デザイナーであって、かつ写真家であるということが作り出した勝ち星だった。ぼくは桑沢デザイン研究所の写真科で教えていたことがあるのだが、このガンストックを初めて使ってみたときに驚いた。プロであればあるほどに好めるようになっている。釣り道具のようなのだ。
加藤孝志の時計SESSAは、この手のものとしては初めて「和」をとりこんだ。一九七〇年代初期にはまったくなかった黒と白だけの時計が出現したのである。が、時計屋はそっぽを向いた。やむなくそのころ産ぶ声を上げ始めたインテリアショップにもちこんで、やっと火がついた。コムデギャルソンの黒白の「和」と対同する成果だった。その後、加藤は三宅一生や田原桂一のショーイングでも冴えを見せた。登山と三木成夫が好きなデザイナーである。
坂井直樹と山中俊治についてはいまさら説明するまでもないだろうが、二人がオリンパスO-productを開始したころの話は忘れられない。坂井は日産自動車をやめたばかりの山中に、新たなカメラの製作を依頼したのだが、そのとき坂井は二一歳の女性をコンセプトのモデルに選んだのだ。その女性はまだ少女めいていて、まわりからは「うさぎ」と呼ばれていた。坂井はこの「うさぎ」が潜在的に欲しているカメラを山中にIDしてほしいと言った。こんなことを言い出すコンセプターは、ぼくが知るかぎり、まだ坂井しかいない。それを引き受けた山中の存在もPD業界ではあいかわらず希有である。
川崎和男については九二四夜に詳しく書いた。ここでは折り畳み式のすばらしい車椅子CARNAだけをとりあげるが、この「自分だけの必需品」のために作られた車椅子には万人が感動するものがある。不足の個人が普遍の満足に届いたのだ。アルミハニカムコアの車輪と片持ちハブ車輪の取捨選択といい、自分には握力が残っているけれどなんとか指一本でもブレーキがかけられるようにする仕組みといい、この一台の車椅子には人間がいずれ到達せざるをえない「フラジャイルの哲学」の多くが先取りされていた。一人称から三人称へ。これもおそらく今後のPDの新たな王道だ。
加藤孝志