才事記

日本人の法意識

川島武宜

岩波新書 1967

 川島武宜は民法と法社会学の権威である。権威だが、しかるべき問題をあげてそれを説明する文章に気負いもなく、といって飛躍もなく、カマボコをぴったりカマボコとして扱うように、まことに適切に法をめぐる人間の考え方の色や形を開陳してくれる。岩波新書に本書以外にも川島の『結婚』『家庭の法律』が入っているのも、そういう記述力がもたらす好感によるものだろう。
 きっと文章を書くのが苦痛ではない人なのだ。著作集も11巻がある。本書も岩波新書のあと著作集に入ったのだが、ずいぶん手が加わっていた。あきらかに加筆訂正をたのしんでいる。日本の法学者には堅い文章しか書けない人が多いなかで、これは注目すべきことである。
 ただしぼくが川島を読むのは、その考え方に共感するためではなく、法学者が現実と法とのあいだに何を見ているのか、そのことを記述できる能力が川島に備わっているせいなのである。かつて予見的法律学で名高い末弘厳太郎の大正期の著作を読んでいたときもそれを感じたが、ぼくのような法学門外漢には、このことは欠かせぬ魅力なのである。それに、このような本のほうがは我妻民法論などを読むよりずっと参考になる。またオンブズマンふうの社会ウォッチングレポートを読むより、ずっと考えさせる。

 本書で川島が意図したことは、明治の六つの法典がドイツとフランスを規範としてつくられたときにすでに生じていた西洋と日本のズレを視野にいれて、日本人の法意識にひそむ特徴を搾って考えてみようということである。
 明治の六つの法典とは憲法・民法・商法・刑法・民事訴訟法・刑事訴訟法をいう。これらは短期間に驚くべき才能の結集によって作成された希有のものではあるのだが、ありていにいえば列強と伍するために明治の法典を“日本の飾り”にするためにつくられたものだった。そのため、日本人の社会や生活が形成してきた法意識とはかなりのズレをおこした。
 川島はまずそこに着目し、そのうえで日本の近代化が実際に進んで日本人の社会や生活に変更が生じたとき、このズレはどうなっていったのかを見る。ついで、戦後の“民主憲法”が登場したことによって、そのズレはさらにどのような特徴をもっていったのかを見る。それらを法意識の問題に限って浮き彫りできないか、そういう意図である。
 このとき川島は、法意識を「法という社会統制過程に関係する行動の心理的前提条件」とみなしたい。そのためには、法意識を法的認識と法的価値判断と法的感情の3つに分けて考えてみる。そういう提案をする。
 ぼくにはこの提案が妥当なものかどうかはわからないのだが、そのように法や法意識を法学者がハンドリングしていく手口がおもしろかったのである。川島がその手口をつかって何を浮かび上がらせたか、二つだけ紹介しておく。

 第1には、日本人には「権利」の観念が欠けているということである。
 だいたい「権利」などという言葉が江戸時代まで日本にはなかった。オランダ語の“regt”を訳したもので、それも最初から法と結びつかなかった。西ヨーロッパにおいては、言語上、法と権利は表と裏の関係にあるのに対して、日本では最初から法と権利が言葉の上でも別々になったのである。西ヨーロッパでは「権利は法によって付与された意思の力である」か、「権利は法によって保護された利益である」なのである。
 では、なぜ日本に権利にあたる言葉がなかったかというと、そんな言葉をもちいる必要がなかったからだろう。権利を主張するかわりに、相互の謙譲から生まれた判断が重視された。そう見た川島はわかりやすい例として、アメリカと日本の自動車通行のための法をとりあげる。
 アメリカには「通行優先権」というものがある。道路にもしばしば“Yield Right of Way”という標識がある。通行優先権を有する車には道を譲れという意味である。そこで狭い道から広い道に出る箇所では、広い道を通る車は優先権をもつ。それが“Right of Way”という権利なのである。ところが日本の道路交通法では、個々の規定はしているものの、車の相互の関係を言及するにあたっては「当該車両等の進行を妨げてはならない」というふうになる。
 これは、日本人には「権利本位」よりも「義務本位」が重視されていることをあらわしている、というのが川島の見方である。

 川島が日本人の法意識の特徴として第2にあげているのは、この指摘にはちょっと膝を打つものがあったのだが、日本人には理想と現実を厳格に分ける意識がすこぶる希薄だということである。
 法曹界には「たとえ世界が滅びるとも正義はおこなわれるべきである」という冗談のような格言が生きている。これは法というものが現実の対策にそぐわなくとも、その法は守られるべぎてあり、その法を執行する者がいつづけるべきであるという、やはり欧米に特有の考え方を示している。1919年のアメリカ禁酒法などはその代表で、禁酒が非現実的な政策であったにもかかわらず、むりにでもこの法の執行が完遂されようとした。
 この考え方には「法における二元主義」とでもいうべきものがあり、そのこと自体はどこか滑稽なものがあるのだが、理想は理想、現実は現実だという見方からすれば、滑稽ではないものになる。けれども、この二元主義が日本人には通用しない。神による理想と人間における現実が二つに分離されていないからだ。
 このため日本では「手心」を加えることがときに美徳となり、交通違反の取締りにさえ「交通安全週間」などという“注意書き”を加えることになる。
 これは何を意味するだろうか。日本人は法よりも「自制心」を重んじているということになる。そしてその自制心を失った者が罰せられるべきだという法意識になっているわけなのだ。

 こんな調子で川島の法意識をめぐる“裁き”ならぬ“捌き”が進む。法の“裁き”ではなく、文章の“捌き”である。その味がどこにあるかは読んでもらうしかない。
 ところで、ぼくが本書を読んだころに感じたことは、川島は必ずしもそうは書いていないのだが、日本人における法意識は結局のところは「公」と「私」の問題に帰着するようにおもわれた。以来、ぼくは日本における「公と私」の問題を漠然と考えるようになったものだった。
 ここには二つの視点がありうる。ひとつは、日本では「公のための法」と「私のための法」がはっきり区分けされないために、公私混同を明瞭にさせる法に対する態度が甘くなるということ、もうひとつは公金横領や公的資金の私的利用などがひきもきらない日本では、「公」と認められたものを任されたかぎり、そこでは「私」は私人ではなく公人であるという過剰な意識になりがちだということである。
 しかし、なぜ日本にこのような公私の問題がはぐくまれてしまったかということは、日本人の法意識の起源を明治や江戸どころか、ずっとさかのぼらせる必要があるはずである。