クルト・コフカ
ゲシュタルト心理学の原理
福村出版 1988
ISBN:457121023X
Kurt Koffka
Primciples of Gestalt Psychology 1935
[監訳]鈴木正彌
なぜ曖昧図形はおもしろいのか。
そこに何がおこっているのか。
なぜメロディは、移調しても転調しても保存されるのか。
それを仮にゲシュタルトと名付けるとすると、
これらは印象なのか、形態認知か、心の問題か、
何かの要素の統合なのか、特別な知覚行為なのか。
そもそもゲシュタルト知覚を、
科学的心理学で説明できるのか。
あまりに先駆的な役割をはたしたがゆえに、
いま顧みられなくなったゲシュタルト心理学。
しかし、ここには見捨てられない仮説が渦巻いている。

 いまは認知科学として大きく一括りされている“知覚の心理学”についての研究成果を、ぼくはたしか20代そこそこでグレゴリーの『インテリジェント・アイ』(みすず書房)を手にしたときから、舞い散る小雪を遊びながら追いかける犬のように、ちらちら追ってきた。
 その後はフロイト(895夜)ユング(830夜)に関心が傾いたときもあれば、ジョージ・バークリーの『視覚原論』やメルロ=ポンティ(123夜)やユージェヌ・ミンコフスキーの『生きられる時間』のほうにピンときたときもあるし、天才デヴィッド・マーの論文に執心したときもあり、またサイモン(854夜)からミンスキー(452夜)におよんだ人工知能論を堪能したときもあった。
 むろん認知科学からはいろいろ影響もうけてきたのだが、実は心理学全般ではなかなか納得できないもののほうが多かった。その理由がどこにあるのかは、まだ検証していない。現代心理学というものの本質的なちゃらんぽんさが納得できていないのかもしれないし、その成果をもってすぐに患者の心を治療をしようとする臨床心理の自信ありげな姿勢に疑問があるのかもしれない。
 それはいまはさておくとして、ところで、もうひとつぼくにとって気がかりだったのは、「フロイト以前」ということだった。

クロニクル(1780年~1920年)

 そもそも「心理」というものを心理学者が特定する以前から、心理なんてものは原始にも古代にも中世にもあったわけで、世界宗教に律せられているキリスト教・仏教から大半の宗教にいたるまで、宗教はまさに心理を問題にしてきたわけだ。
 また哲学だって、古代から近代にいたるまで、たいていは心や意識や精神や幻想や憂鬱を相手にしてきたわけである。そうであるなら、これらをわざわざ心理学として特定してしまうのはどうなのか。何かが抜け落ちてしまいはしなかったのか。おそらくは「心理の科学化」をはかりたかったのだろう。けれど、それにしてはフロイトやユングの心理学はいささか科学理論とは言いがたい。そうだとすると、いったい「フロイト以前」にはどんな心理をめぐる学術的動向があったのか。20代後半のころ、ぼくはそれが気になっていた。
 こうして出会ったのが生理学者のヘルマン・フォン・ヘルムホルツと、物理学者であって知覚学にも鋭い分析をもたらしたエルンスト・マッハ(157夜)だった。ヘルムホルツを教えてくれたのは杉浦康平(981夜)さん、マッハには自分でぶつかっていった。
 それで何を感じたかというと、結論だけいえば、ひとつは「フロイト以前」はフロイト以降の心理学とはまったく異なる実験精神に溢れていたということだ(いまは実験心理学という分野もある)。もうひとつは、「フロイト以前」のほうがむしろ「面影」や「様相」のようなものを追求していたということだ。
 ここで「面影」とは、ゲーテ(970夜)やロマン主義が重視していたあの面影や様相のことで、さらに正確にいうのなら絵画や音楽や舞踊として表現されてきたもののなかに感じられる「面影と様相を動かす心理」というものだ。たしかに心理というもの、人間の心の内側にあるだろうけれど、実はそれらの一部(あるいはけっこう多くのもの)はずっと形や色やダンスや歌になってきた。そこには面影や様相の動向があるはずだ。「フロイト以前」は、まだそのあたりのことを実験の俎上にあげようとする研究姿勢があった。
 そしてこのとき、ぼくはほぼ同時にゲシュタルト心理学にめぐりあう。なんだ、こういうものがあったじゃないか。ユングは心理学に絵画や箱庭や錬金術をとりこんだけれど、それともちがっていたじゃないか。そういう新鮮な逢着だった。一言でいえば、この心理学にはモダリティを抽出しようとする意欲を感じたのだ。
 ところがそれからしばらくして見えてきたことは、このゲシュタルト心理学の系譜が、今日の現代心理学や認知科学にはほとんどいかされていないという不幸だった。もっとも、そういうふうになってしまう理由もあった。

 なぜかゲシュタルト心理学者は文章がうまくない。論文や書物を読んでいると、苛々することがよくおこる。翻訳のせいかとも思ったが、すべての本の翻訳がヘタなわけはないだろうから、そうでもない。
 マックス・ヴェルトハイマーもヴォルフガング・ケーラーもクルト・レヴィンも、そしてクルト・コフカもどうも明快でなく、比喩もヘタなのだ。その記述のヘタなところにゲシュタルト心理学の限界がある。その理由を適確に取り出すことは難しい。しかしその難しさはまた、きっとゲシュタルト心理学の本質なのである。そのぶん知覚の正体としての「面影の動向」を実験によって突きとめたい意欲と、それにもとづく予想力が旺盛であるからだ。
 他方、ゲシュタルト心理学が実用と行動を重視するアメリカに拠点を移してしまったことにも、不幸があった。これはドイツで生まれ、ドイツで育てたゲシュタルト心理学の提唱者たちがナチスの鉈にふりまわされて、アメリカに次々に亡命したことによっていた。
 ともかくもゲシュタルト心理学は、こういった、ややとっつきにくい性格で、かつ不幸な進捗に苛(さいな)まれた学問なのである。ぼくはそのことを感じつつも、しかしこれを見捨ててはならないという気分にもなっていた。数ある心理学のなかでもぼくには相性がよかったのかもしれない。考えてみれば、なんといってもぼくは、「意識の加速度」が大好きなマッハ主義者でもあったからだ。

 ゲシュタルト(Gestalt)とは「形づくられたもの」とか「形態」とか「形態素」といった意味のドイツ語で、もともとはエーレンフェルスらのグラーツ学派が「ゲシュタルト質」(形態質)という言い方をしたのに端を発した。
 当初は音楽における「メロディ」のようなものがゲシュタルトだと考えられた。メロディは音の一つ一つによって成り立ってはいるが、要素を分解したのでは取り出せない。全体に醸し出しされているのがメロディだ。だからメロディは、移調や転調をしても保存されている。そういうものがゲシュタルトだとみなされたのだ。まさに「面影」や「様相」である。モダリティである。ただ、エーレンフェルスらは、このようなものは「きっと要素に何かが加わっているからだろう」と解釈した。
 これに対して、いや、メロディに象徴されるモダリティは、要素に付加されているせいで生じているのではないと言ったのが、ヴェルトハイマーだった。ヴェルトハイマーはエーレンフェルスを受け継ぎつつも、できるかぎりゲシュタルトにおける要素分析の残滓を払拭していった。「全体にあらわれる特性は、部分の総和ではあらわせない」というふうに仕切り直した。全体は全体、部分は部分の役割があるというものだ。

ュラー=リエル錯視
「〈要素〉は、それらの要素全体がもつ固有の条件によって、部分として存在しているのであり、そういう全体と相対的関係にある〈部分として〉、理解されなければならない」
(ヴェルトハイマー)

 このことをヴェルトハイマーが論文にしたのは1912年だった。すでに流行しつつあった「キネマ」がヒントになった。映画もまた要素的部分をこえた全体によって成立するからだ。そして、この論文をきっかけにベルリン・ゲシュタルト学派が結成された。ベルリン学派ともよばれる。
 ヴェルトハイマーについては、ぼくは本多修郎さんの『魔術から科学へ』の付録に訳出されていた『自然民族の思惟について』から入った。これがおもしろく、数はそれ自体で成り立っているのではなくて、「数形象」(数ゲシュタルト)を背後にもっているという見方があることを知った。そこで、「遊」10号の「存在と精神の系譜」にヴェルトハイマーをとりあげ、これを当時のスタッフだった戸田ツトム君に主著『生産的思考』を含めて解説文章を書くように勧めた。その後の戸田君がいかにヴェルトハイマー主義者になったかは、彼のさまざまなコメントを読めば一目瞭然だ。ぼくのヴェルトハイマーについての早書きの文章は『遊学』Ⅱ(中公文庫)に入っている。
 ところで、フロイト以前になぜこのようなゲシュタルト仮説が登場してきたかというと、それについてはさらにさかのぼって、ヴントのガンツハイト心理学とティチェナーの構成心理学のことを少々知らなければならない。

 心理学は、フランス革命が「理性の革命」によって成就しながら、その後に「恐怖の社会」をもたらしたことをもって、その前哨戦を開始したといっていい。19世紀のヨーロッパの大きな特徴は、ナポレオンとロマン主義とナショナリズムによってつくられたのであるが、これらすべての社会と哲学と文学と美術の動向が、実のところは“心理学のゆりかご”を用意したと見ていいだろう。
 この点についての詳しいことはまだ誰も解読していないと思うけれど、そのごくごく一端については、ぼくも『世界と日本のまちがい』(春秋社)に少々は触れたので、それを見てもらうとして、では、それでどうなったかといえば、ウィルヘルム・ヴントのガンツハイト心理学が登場した。
 心理学史では1879年を心理学の創立記念日にする。これはヴントが心理学の基礎を確立したことを記念しているのだが、それをガンツハイト(Ganzheit)心理学という。英語でいえば「ホリスティック心理学」といった意味になる。全体的心理学だ。フロイト以降のように患者の心因を分析するものではなかった。

ントの『枝分かれ図式』
ヴントは主語(S)と述語(P)を分類・構成する、
まとまりのある観念連合を、
「全体としての心的形態」(Gesamatvorstellung)と呼んだ。

 それまで、心の探求は宗教や哲学の領分だった。たしかにそうなのだが、実はそこには形而上学の魅力と魔力がつきまとう。また自然主義もつきまとう。しばしば唯物論にもなりかねない。そこでヴントは実験的方法によって検証しうる心だけを対象にするべきだとして、なんであれ身体の反応に対応する心理を取り出そうとした。実験的方法はヘルムホルツに学んだ。それゆえガンツハイト心理学は、生理学的心理学なのである。しかしそれはまた意志主義でもあって、統覚によるホーリズムといった特色に彩られていた。
 このヴントのガンツハイト心理学を、まずエドワード・ティチェナーがアメリカにもちこんだ。ここで感覚や知覚が経験したすべてのことが要素的なものだというふうにみなされるようになってしまった。ティチェナーは、心というものはそれらの要素を構成し、統合しているのだと考えた。心理学史ではティチェナーの「構成的心理学」とよばれる。実証主義といってもいい。いかにもアメリカ受けのする心理学だった。
 ところが構成的心理学は、心に“感性原子”のようなものを想定したともいえるわけで、はなはだ原子論的な心理学をはびこらせることになった。構成的心理学では、被験者に三角形を見せると「3本の線がある」というふうにならざるをえないのだ。それでは三角形という「形」と「空間」が外へはじき出されてしまう。
 そこでクリスチャン・エーレンフェルスが3本の線を三角形にしている要因としての「ゲシュタルト質」(形態質)を、言い出したわけなのである。実験もした。エーレンフェルスは暗室で交互に点滅する光点を被験者に見せ、点滅の間隔が0・2秒以上のときは二つの光点に見えるのが、点滅の間隔を0・2秒以下にすると二つの光点がたえず動いているように見えることを確認した。このことは原子論的な要素をあげつらうだけでは、見えてはこなかったものだった。

2カ所の光点から交互に棒に光を当てる実験
スクリーン上に交互に棒の影を投影させた場合、
光点の点滅が一定の速度を越えると
2つの影が一連の動きとして認知される

 この運動知覚をともなう実験があれこれ積み重ねられ、ヴェルトハイマーがゲシュタルト心理学の鮮烈な燭光をともした。しかしこれ以降、多くのゲシュタルト心理学者がアメリカ亡命をはたししため、その鋭い骨格はしだいに実用主義や行動主義のなかにまみれていった。だいたいは、そういう前史であった。

 そもそも感覚や知覚は、さまざまなモダリティ(知覚様相)とともにある。知覚と知覚像とが切り離されることはない。
 眼の機能と視覚像は分かちがたく結びつき、耳の機能そのものが音響像を支えている。だからそこに、さまざまなモダリティが生じてくるのだが、そのモダリティが一番わかりやすく特色されるのは、刺激が視覚にきたのか、聴覚にきたのか、それとも触覚にきたのかという受容器官の差異がつくるときである。それによって四角形を感じたり、メロディに惹かれたり、縫いぐるみの感触が忘れられなくなる。
 それはそうなのだが、もっと大事なモダリティが、あと二つある。ひとつは、同じ視知覚刺激が得た視覚像がどのようなものかによって、知覚の経験に意外な効果がフィードバックされていくということだ。
 一般的な任意の図形というものは、図形だけで成立しているのではなく、多くは「地」(グラウンド)と「図」(フィギュア)の関係をもっている。「図」が「地」からとびだしてくる。そうであるからこそ、そこには知覚行為にともなう「意味」が自立する。しかし、お婆さんに見えたり若い娘に見えたりする曖昧図形がその好個な例であるが、「地」と「図」がいりくんで相互的になっているような図形もあって、そのばあいは、そのような視覚像に対して知覚はたいへんな努力をする。フィードバックとフィードフォワードとを強引におこす。そこでは「意味」も行ったり来たり動くのだ。お婆さんになったり、若い娘になったりする。それでは、その知覚編集的努力では、いったい何がおこっているのだろうか。これがゲシュタルト心理学が課題にしたことだった。

「若い女/老婆」
ドイツの絵はがき 1880年

単語「men」を含む図形

 もうひとつは、今夜はふれないが、いわゆる「共感覚」(シネスシージア)ともいわれる複合知覚がもたらすモダリティで、その一部については「千夜千冊」ではシトーウィックの本を紹介して説明しておいた(541夜)。視覚と聴覚、聴覚と触覚とがまざっている感覚だ。しかし複合知覚はシネスシージアだけでは解けない。たとえば、ぼくの以前からの友人の藤原和通さんが研究開発している「音きのこ」プロジェクトでは、音像と触覚と振動の同時的体験がもたらすハイパー・ゲシュタルトすらおこっているからだ。
 というわけで、モダリティとゲシュタルトの関係はいまなおすこぶる興味深い靄のなかにあるといっていい。しかし、その靄のなかになにやら重大な秘密がひそんでいることを最初に指摘したのが、ゲシュタルト心理学であり、今夜のクルト・コフカの『ゲシュタルト心理学の原理』や、またヴォルフガング・ケーラーの『ゲシタルト心理学入門』(東京大学出版会)やクルト・レヴィンの『社会科学における場の理論』(誠信書房)だったのである。

 本書は邦訳書で800ページをこえる大著だ。大著であるうえにさっきも書いたように文章がまわりくどいか、あるいはヘタなので、論旨はわかりにくいのだが、しかし、そこに予言されたかのような視点には、ゲシュタルト心理学の登場以降に、フロイト心理学からAIをへて認知心理学におよんだその後の成果がずらりと目白押しになったにもかかわらず、それらの隙間になおひそみつづける課題を言い当てて、あいかわらずかなり光るものがある。
 ごくごく要約していえば、本書でコフカが立ち向かったのは、第1には、生命と心と自然のあいだに分割線を引くような哲学や科学に、決然と反論するということである。これはデカルト批判といっていい。そうだとすると、最初のデカルト批判はゲシュタルト心理学がもたらしたのだ。
 第2に、自然に「見えない力」を想定して、それが心や意識に何かのいちじるしい効果をもたらしているという、いわゆる「生気論」にも反意を示した。ここには「宗教が語ってきた心理学」になんとか決別して、新たな心理学を打ち立てようとする姿勢がある。
 第3には、デカルトとはちょうど反対に、生命と心と自然をすべてごちゃまぜにしすぎて、そこに統一的能動原理を発見しようとするような科学からも、断乎として離別しようとした。
 これらによってゲシュタルト心理学が何をめざそうとしているかということは、あきらかだろう。「知覚と環境と行動」を分離もせず統合もせず、連続的に、かつ連動的に扱おうということだ。これを一言でいえば、一方において「アフォーダンス理論」(1079夜)を予言したということ、他方においては心理を初めてダイナミックな平衡と非平衡の関係でとらえようとしたということになる!

 ゲシュタルト知覚には、いくつかの仮説的な法則がある。わかりやすい順に並べると、ひとつは「近接の法則」(law of proximity)だ。プロクシミティとよばれる。適当にビー玉をばらまくと、そこには必ず疎密があらわれるけれど、知覚はそこに必ず特別の“かたまりぐあい”を発見する。それが面影と様相としてのプロクシミティである。

「近接の法則」(law of proximity)

 このことは「言葉」や「意味」にもあてはまる。われわれは言葉をばらまいている空間座標をもっていないけれど、それを仮設的にもちさえすれば、プロクシミティはさまざまな応用がきく。ぼくの編集工学はそこを応用している。
 ひとつは、「類同の法則」(law of similarity)だ。知覚には似たものを発見しようとする努力がおこる。自動車のフロントやコンセントに「顔」を発見したり、雲の形を何かに見立ててしまう知覚のことをいう。また、多様な現象や図形や言葉のなかから似たものを括っていくことをいう。いまさら説明する必要もないと思うけれど、このことはまさに「アナロジー」のすべてに適用できることで、それをいいかえれば、ゲシュタルト心理学にはそもそも「アブダクション」(1182夜)についての予想があったということになる! ただしアメリカのゲシュタルト学者たちはチャールズ・パースの研究には気がつかないままだった。

「類同の法則」(law of similarity)

 ひとつは、ヴェルトハイマーが「共通運命の法則」(law of common fate)と名付けたもので、観察している現象や形状に「近接の法則」や「類同の法則」がはたらいているばあいは、それらは同一の動き(運動)をしているように知覚されるというものである。これは、その後のゲシュタルト心理学が運動知覚を重視したエンジンになっている。

「共通運命の法則」(law of common fate)

 さらに、「連続の法則」(continunity)、「結合の法則」(connectedness)、「閉合の法則」(closure)、「相称の法則」(symmetry)なども想定されている。なかで特筆すべきは「閉合の法則」だろう。

「閉合の法則」

 すでに察知しただろうように、ゲシュタルト心理学は視覚システムの解明に長けていたのだが、その長所のひとつに、「知覚は何かを囲みたがっている」という見方をしたことがあげられる。これをゲシュタルト知覚としての「囲みの要因」(facter of surrondness)という。境界をつくる知覚傾向というものだ。
 この「囲み知覚」のおもしろいところは、知覚がランダムな現象や形状に何かの囲みをつくろうとしているということと、その一方で、われわれはどんな環境にいても「何に囲まれているか」ということをたえず知覚しようとしているということ、この二つに注意を向けたことにある。
 前者の「囲み知覚」は、われわれが境界を認知することによって文明と文化をつくってきたというような、壮大な認知パースペクティブにいたるもので、今夜はこのことについては加上しないことにする。
 後者の「囲み知覚」はまさにアフォーダンスともつながることであるが、このことをかんたんに実験することはそんなに難しくない。窓も床も傾いた部屋に被験者を入れてみれば、その被験者は脳によって「既存の部屋にいる」という「囲み知覚」を継続させるため、実際の窓や床の歪みによって態勢を崩すわけである。
 これを運動知覚のほうからみると、ここには「誘導知覚運動」(induced motion)がおこっているということになり、そもそもこのようなことがなぜおこるかという視点からみれば、人間の運動知覚はもともと「体制化」という傾向をもっていて、知覚者がどこかの新たな環境に入っても、しばらく自分が体験してきた「体制」のうちの最も親しんできた体制を選択するという傾向をもつということになる。
 これをゲシュタルト心理学では「プレグナンツの原理」(priciple of pregnanz)と言ってきた。体制選好度のようなものだ。
 もっとも、ゲシュタルト心理学はこのプレグナンツの原理を深く理論化しなかったため、このユニークなはずの視点もその後の認知心理学ではあまり発展しなかった。残念である。残念ではあるが、ここにあらためて「囲み知覚」に戻ってその探求をしおせば、きっとさまざまな有効な仮説が生まれてくるはずなのである。

 ところで、今夜の時点でもう一点、付け加えたいことがある。それは本書にも縷々述べられてはいるけれど、もっと劇的にはレヴィンの『社会科学における場の理論』が提案している見方についてのことだ。
 レヴィンはもともと知覚行為には欲望や欲求が関与していて、そのためその知覚によって侵犯性や代償性や解消性がいちじるしくおこりうることについての研究、また、そこには“トポロジー心理”あるいは“ベクトル心理”とでもいうべき「変換の作用心理」がはたらいているということなどを研究していたのだが、やがてこれらを「場の理論」に求めようとした研究者だった。
 レヴィンの関心は「意志」にある。その意志は「欲望」や「欲求」をトリガーとする。しかしそれだけではない。そこには、そうした意志がほしがる「場」というものが出入りしていると考えたのだ。

供(上)と成人(下)の自由運動の場の比較
こどもの自由運動の場は1~6の狭い範囲に限定される
成人には運動領域の拡大が見てとれる
また成人の場合1と5の場における運動が
社会的タブーとされる

 ふつう、人間の知覚や行動はその場にはたらく合成力(resultig force)のようなもので事をはこんでいると考えられる。横断歩道を渡るとき、レストランで食事をするとき、会議に出席しているとき、われわれはたいていこの合成力のお世話になっている。しかし、それらの知覚行為がすすむとき、いったい何がおこっているのかといえば、一般的には運動要素の結合がおこっているというふうに判断されてきた。たとえばロボットに作業をさせるときは、そのような運動要素の結合をめざして設計がすすみ、実験がすすむ。
 しかしレヴィンは、実はそこには「場」が関与していることのほうが重要で、もっというなら、場と行為は安易に分けられないのではないかというふうに考えていったのである。そして、この「場」を最初は「生活空間」(ライブ・スペース)というふうに呼んだ。われわれはどんな知覚行為をしているときも、このライブ・スペースとともにあり、したがって、そこに生ずるゲシュタルトも「場と知覚の相互関数」になっているはずたどみなしたのである。そしてそこから、知覚と行為におけるリアリズムの高揚や低下を、またアクチュアリティの吸収と弛緩を、法則として取り出せないかと考えていったのだ。

 その後、1950年代になってからのことであるが、レヴィンはここにはたんなるライブ・スペースとしての「場」があるのではなくて、「場」を好ましい場に変えていくような心理と行動が同時に絡まっているはずで、したがってそのようなダイナミックな場は、つねに「誘発場」としてとらえられるべきであって、そうだとすればゲシュタルト心理学が求める場は、いわば「もっともらしい場」(plusible space)を心理と結びつけるようなものとして、さらに研究されるべきだと考えたのだ。
 この指摘はたいへんにおもしろい。しかし残念ながら、レヴィンの研究はここで終わってしまった。また、正当に継承している者も少ないように思われる。
 その理由は、レヴィンの著述にラフなところがありすぎるからであろうが、ぼくはこれまた見捨てないほうがいいのではないかと思ってきた。そこには芽吹きにすぎないのではあるけれど、スカラー解析やベクトル解析の応用までは進捗しているところもあった。
 といったわけで、ゲシュタルト心理学の提起した問題は、きわめて先駆的なところを多々含んでいながらも、なにもかもが中途半端になったままなのである。そろそろ、ここに介入して、新たなリメークをする研究者が登場してほしい。

附記:ちょっと注を付けておく。
(1)心理学の誕生がロマン主義の波及と軸を一にしているとは、ロマン主義がニュートン・デカルト的な世界記述では捨象されてしまった「見えないもの」に向かっていったことと関係がある。ウィリアム・ブレイク(742夜)の「情動」、カントの「悟性」、ショーペンハウアー(1164夜)の「意志」は、そういう意味で“心理学前夜”なのである。
(2)「フロイト以前の」心理学が生理学的実験性をもっていたことについては、さかのぼればクロード・ベルナール(175夜)の『実験医学序説』にいたる。その近代化を担ったのはヨハネス・ミュラー(1801~1858)の感覚運動的生理学であり、そこからヘルムホルツ(1821~1894)と、そしてぼくが昔から大好きだったグスタフ・テオドール・フェヒナー(1801~1887)の精神物理学が踊り出た。フェヒナーについては『遊学』Ⅰ(中公文庫)を見てほしい。
(3)今夜はふれなかったが、「フロイト以前」にはさらにダーウィニズムから派生したハーバード・スペンサー(1820~1903)の適応心理学がある。スペンサーには『心理学原理』の著書もあった。
(4)ゲシュタルト心理学の4人組は、ヴェルトハイマー(1880~1943)、ケーラー(1887~1967)、コフカ(1887~1941)、レヴィン(1890~1947)である。ケーラーについてふれなかったが、彼も1921年にベルリン大学心理学研究所の主任教授になった時点で、ベルリン派の中心人物になった。すでに『物理的ゲシュタルト』『類人猿の知恵をめぐる実験』を書いていた。しかし、1930年代からはハーバード大学で記念講演をしたのをきっかけに、二度とドイツに戻らなかった。ゲシュタルト心理力学者といったおもむきがある。

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