ドナルド・リチー
イメージ・ファクトリー
青土社 2005
ISBN:479176207X
Donald Richie
The Image Factory 2003
[訳]松田和也
何が「かわいい」の?
この20年、
日本が陥った「かわいい」病。
いったい日本人はいつから
思考なき意匠が好きになったのか。
新たな風来ストリートは、
どこからおこるのか。

 クール・ジャパンとかジャパン・クールというらしい。ちょっとした「和」のブームをかっこよく言い直した用語のようだが、どうにも擽ったい。
 クール・ジャパンとは、日本の伝統と「かわいさ」とがまぜこぜになって、ファド(流行)をおこしつつあるものをいう。たんなるヒップ(先端)なのではなく、そこに「日本というスタイル」がかわいい刷り色になっているものをいう。そもそもスタイルとは、チェスターフィールドがとっくに定義していたように「思考の意匠」であるはずなのだから、クール・ジャパンは現在の日本を象徴する日本という国柄(ステート)のスタイルなのだ、ということになる。
 が、そういうことで、よろしいのか。
 日本に日本らしさを求めてやってきた観光客をはじめとするガイジンたちの多くが、決まって不満に思うことがある。とくに知識人には不満は決定的である。不満は、バーナード・ルドフスキー(486夜)からスーザン・ソンタグ(695夜)まで、ほぼ一致する。それは、日本に来るとつねに「新奇なもの」ばかりに取り巻かれてしまうということだ。おかげで石庭と五重塔を見た帰りにダッコちゃんやポケモンに出会い、歌舞伎座と浅草に寄った帰りに竹下通りやアキハバラに走り、そこにも名状しがたい“変な日本”があることを見いだすことになる。
 いや、ガイジンが不満なだけならまだしも、いまやこの現象に日本の知識人がお手上げなのだ。それどころか大方が、クール・ジャパンでいいんじゃないかとさえ思い始めている。
 が、それでほんとうに、よろしいか。それって「日本という方法」の成果なの? ジャパン・アズ・ナンバーワンの焼き直しじゃないの?

 おとといの1月27日の土曜日、「連塾II・絆走祭」として〈風来ストリート〉と銘打った半日を、自由学園明日館で催した。ぼくはナビゲーターのような役で、6人のゲスト(ゲストとはいえ、これまで連塾の聞き役として参加した連衆から選ぶ。これを「客主」と称んでいる)を、次々に舞台に呼んだ。

 舞台というのは、フランク・ロイド・ライトと遠藤新が大正10年あたりから昭和2年にかけて仕上げた、いかにもライトらしい木造の講堂のことをいう。講堂は見ればわかるが、その構造と細部のすべてがいまでは悉くセピアな懐古のなかにある。
 その講堂での当日の光景は、ざっとかいつまむと、冒頭、ぼくが「風」と「ストリート」の日本芸能文化の話をし、そこへ大倉正之助の大鼓(おおかわ)に送られてオートバイ・デザイナーの石山篤が人機一体のエロスとタナトスを語った。ついで、明日館の講堂に「黒い花道」を造作したハイパーダンサーの田中泯が、拍子木に送られ、誉田屋源兵衛の鯉をあしらった衣裳で構造を解体する舞に耽り、五輪真弓の『恋人よ』で飄然と去った。
 3人目は写真家のエバレット・ブラウンである。「日本」を撮った写真140枚を連打して、それぞれにコメントを加え、静かな語りで「こういう日本でいいのですか」と問うた。ここで休憩を挟んで、東京新聞の120回にわたる連載最終回を「日本という方法が必要だと私もやっと気がついた」と結んだ福原義春が、資本主義過飽和の日本に含蓄のある警鐘を鳴らし、入れ替わって高橋睦郎が自身の幼なごころの原郷に何が盤踞していたかを、独特の語り口で髣髴とさせた。失われた日本を告知するに、絶妙の語り部となってくれた。
 最後は小堀宗実の「遠州好み」の御披露で、それはそれは存分に茶の湯の趣向とは何かということを堪能されるものだったのだが、一番の場面は、ぼくが「現在のお茶ブーム、これでいいんですか」と聞き、家元が間髪入れずに「全然ダメですよ」と言うところだったろう。
 もう、許された手持ち時間はなかったが、ぼくは最後に西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」を持ち出し、そこに井伏鱒二徳川夢声のフィルムを映し出し、80歳をこえる日本人の語りをだぶらせた。

会場にディスプレイされたオートバイに乗る石山篤さん

客席の通路に設置した「黒い花道」で舞踏する田中泯さん
(岡崎浩幸さん撮影)

 ざっとこんなふうだったのだが、鈴木清順・井上鑑・植田いつ子・コシノジュンコ・緒方慎一郎・山口智子さんほか、参加者の多くが「やっぱり凄いプレゼンテーションだった」と感想を伝えてくれた。プレゼンテーションだというのは、連塾が「日本という方法」の提示になっていると思ってもらえているからだろう。
 そこでさて、今夜の一冊になるのだが、以前からとりあげたいと思っていたドナルド・リチーの『イメージ・ファクトリー』にした。〈風来ストリート〉のあとにふさわしいと、ふいに思ったからだ。
 リチーは長く日本に滞在して、日本のあれこれを熟知する「ニューヨークタイムス」や「ワシントンポスト」のジャーナリストであって、かつまた映像作家であって美術評論家。すでに『小津安二郎の美学』『黒澤明の世界』『日本の五十年』『素顔を見せたニッポン人』などを書いてきた。
 そのリチーが本書では「日本×流行×文化」のサブタイトルのもと、日本という国柄のなかでは、スタイルは「思考の意匠」というより「イメージ」だけを追求しているようだけれど、これはいったい何なのかということを突いた。現代文化では思考よりもイメージが雄弁であることはどんな国にもあてはまることではあるものの、それが日本においては極端なほどに「思考なきイメージ」の氾濫が大手を振っているという観察だ。『イメージ・ファクトリー』というタイトルは、そういうイメージ主義の日本のことをあらわしている。

 リチーは、まず、こういうことを前提にした。アメリカではコカコーラのTシャツを着ることは、「私はコカコーラなんて制度的にも習慣的にも受け入れていない」という意味で、ミュージシャンがアメリカ陸軍の放出品を着ることは、ベトナム戦争やイラク戦争に反対か無関心であることを表明するのだが、日本ではどうもそのようなアイロニーがないのではないかということだ。
 日本は海外文化は受け売りのまま、もっというなら無批判な現代文化屋になっているではないかというのだ。では、日本人はどうして海外のファド(流行)を、その思考のコンテキストから切り離して受け入れるのか。
 たとえば日本の青少年がアメリカン・ヒップホップのだぶだぶファッションが大好きであるのは、アメリカの黒人の子供や若者たちがスポーツウェアを着て、パンツを下げ、野球帽を逆に被ってあらわすメッセージとなんら関係がない。だいたいアメリカでは黒人以外はこんな恰好を絶対にしない。なぜならあれは部族的アイデンティティであるからだ。あえてそれをする者がいたとしたら、そのことによってメッセージにアイロニーをもたせるミュージシャンやアーティストたちで、それも、その恰好でメッセージが伝わらなければ、すぐやめる。それを日本ではまるで群衆の旗印のようにその真似が大流行してしまう。
 リチーはそこで、日本は少なくとも輸入ファッションについては、あきらかに「文盲である」と断定した。その文盲はおばさんのシャネル・エルメス・グッチ現象まで肥大する。輸入ファッションだけではない。スターバックスにもガーデニングにもM&Aにも文盲になってきた。

 海外の文化に文盲であることは、べつだん羞かしいことではない。それを自分のコンテキストにすれば、それでいい。どこの国だって“海外もの”はおもしろく、それを自分のものにするために文化をつくりだしてきた。ドイツがクレヨンをつくったのはフランスのプチ・ロココやプチ・ロマネスクが入ってからのことだった。
 かつての日本もそういうことをした。それも、どこにも真似ができない「日本という方法」で。
 たとえば江戸時代、「粋」や「通」と言われたスタイルの多くは海外からの「渡りもの」に触発されてのことだった。一例をいえば、「縞」が粋だとみなされたのは、最初はジャワや東南アジアの異質な染め物に目を見張ったからで、それゆえそういうものを「島渡り」と言った。ただし、江戸の流行はそれをただ受け入れたのではなかった。それらを徹底して工夫した。浮世絵という海外にない情報印刷文化スタイルのなかで練磨させ、浄瑠璃や常磐津を好む芸者たちが、婀娜(あだ)な着物に仕立てて徹底して着こなした。それが「縞」である。その「縞」は財布や煙草入れや野良着にまでなった。
 これは文字をもっていなかった日本人が中国の漢字を受け入れ、それを仮名にし、カタカナにし、さらには散らし書きや分かち書きにしていった歴史このかた、日本人がむしろ得意にしていたことだった。そのはずだった。
 ところがシャネル・エルメス・グッチは、買えば、そのままなのである。応用がない。着なくなればクローゼットに吊るしっぱなし。エルメスのスカーフは煙草入れにならないし、シャネル・スーツはシャネル・スーツのまま、決して野良着にはならない。ヒップホップ・ファッションも黒人そのままなのだ。

 いったい、どうしてこんなふうになってしまったのか。きっと理由はいくつもあるだろうが、リチーは、この奇怪な現象の背後に一つのおぞましい言葉が君臨していることを突き止めた。「かわいい」という言葉だ。

 説明するまでもない。この20年間というもの(いつから流行したのかは知らないが)、どんな物品の出来栄えやどんなアイドルの印象についても、「それって、かわいい」「かわいいから、いいわよ」「かわいくなーい」で万事が片付けられてきた。「かわいい」は、そう言いさえすれば便利なのか、無責任でありたいせいなのか、実は何もあらわしていないのか、それともすぐには思いつけない何かのテイストを代弁しているのか、よくわからない。それにもかかわらず、すべての短絡力を発揮する言葉なのである。
 たしかに「かわいい」は、エルメスからフィギュアまで、家庭用ロボットからメイドカフェまで、帯留から安室奈美恵まで、現代アートから小料理屋の小鉢まで、片っ端からなぎ倒していった。ようするに、どんなスタイルにもテイストにもあてはまってきた。意味は、ない。いつかの時点で女性たちが言い出した言葉なのだろうけれど、それなら、それに代わる「思考の意匠」をあらわす言葉がつくられたかといえば、マスメディアも男性陣も何ひとつもたらせなかったのだ。そしてやっと、「かわいい」がクール・ジャパンになったのだ。
 「かわいい」は何を隠蔽してきたのだろうか。クール・ジャパンは何を「かわいい」から引き取ったのか。何も引き取ってはいない。

撮りおろしの写真で“日本”を問いかける
エバレット・ブラウンさん

ユーモアを交えつつも“日本”に鋭い警句を発する
福原義春さん

 連塾の〈風来ストリート〉には、「かわいい」ものは何もなかった。むしろ「こわいもの」だけがあった。ラディカルだけが去来した。
 石山篤はオートバイのデザインの根底に曼陀羅や観音があることを強調し、田中泯は自分の踊りが村祭りのお囃しに始まると言った。高橋睦郎は子供時代に聞いた北九州の婆さまたちの怖しげな語りのなかにこそ詩歌の発生があったことを証した。
 日本の風来とは、そういうものなのだ。エバレット・ブラウンはそういう日本を求めて、一方で首相専用機のなかの小泉純一郎や稽古場の琴欧州を撮り、他方で奥の細道や熊野古道を歩き、その二つの光景の「あいだ」にひそむ日本を伝えようとした。そのプレゼンテーションはみごとだった。小堀宗実は、「なぜブラウンさんのようなメッセージを日本人が発してこなかったのか」と言った。
 リチーも、竜安寺の帰りにポケモンを買うという両極にあえなく股裂きになった日本の「あいだ」を探る。そして、日本中のテーマパークがスペイン村やオランダ村といった“外国”になってしまうこと、パチンコ屋とカラオケ屋がいっこうに廃れないこと、フィギュアやコスプレが現実の少女よりずっと現実感をもつという倒錯があいかわらずおこっていること、週刊誌が深刻なニュースとポルノまがいの“グラビア”をいまなお同時に飾り立てていることなどの特異な現象をあげつらい、そういうことが流行してきた理由をなんとか探そうとする。
 そのうえでやっと仮説してみたことは、ひとつには日本はいつしか「神」を喪失し、その喪失したものをまったく取り戻せていないだろうということ、もうひとつには、そのぶん何もかもを「かわいい」で埋め尽くしているのだろうということだ。

自著の本とともに“幼なごころの原郷”を語る
高橋睦郎さん

「遠州好み」の茶器を披露しながら和やかに話す
小堀宗実さん

 リチーの仮説は半分くらいは当たっている。パチンコやカラオケが廃れないのは、戦後の日本人が「忘却」を遊戯の本質としたからであり、週刊誌が社会告発とポルノまがいの“グラビア”で埋まるのは、戦後の日本人が自分の国のあれこれの「あいだ」を可視化できなくなっているからなのである。 
 きっと日本人はあえて何かを喪失したかったのだ、忘れたかったのだと言わんばかりの分析だ。が、これは半分当たっていよう。
 いつからか(むろん敗戦後あるいは日中戦争以降だろうが)、日本は「神」だけではなく、「あいだ」も失った。日本人って曖昧だね、中間的だね、イエス・ノーがはっきりしないよと言われるうちに、「あいだ」を見る力を失ったのだ。それでどうなったかといえば、これはリチーが名付けた用語だが、一億総現在主義になった。どんな残虐な犯罪も、どんなに不幸な災害も、せいぜい3カ月か7カ月くらいしか話題の座にいられなくなったのだ。記憶のない日本人になったのだ。そのかわり、何が継続しているかというと、入れ替わり立ち代わり、「かわいい」の連発で“ものごと”が通りすぎていくだけなのである。

 かつてロラン・バルト(714夜)は、20世紀後半に語られるイメージは、「見かけとそれ自体を同一視すること」になりさがったと指摘した。

 当初、この「イメージの堕落」を最もスキャンダラスに体現したのはテレビであった。ロバート・マクニーは早くから、テレビの本質が「咀嚼しやすさ」「複雑さの排除」「洗練からの逸脱」「視覚的刺激の連打」「言葉をアナクロニズムとして扱うこと」などにあると見抜いていた。まさに、その通り。
 しかし、事態はテレビにはとどまらなかったのだ。とくに日本においては。
 まったく同じことが、いや、それ以上の刺激性をもって、マンガに、テレビゲームに、合コンに、吉本芸人に、フィギュアに、一挙に流れていった(同じことがおっつけ、ブログやミクシィを埋め尽くすだろう)。これはいったい何がおこっているのか、なかなかその傾向にひそむものを掴めなかったリチーは、あるとき「イメクラ」という言葉が「イメージ・クラブ」の略であったことを知って、膝を打つ。なんだ、日本人が言う「イメージ」って、そういうことなのか。
 そうなのだ。コナミが売り出した「藤崎詩織」が、ホリプロがモーションキャプチャーででっちあげた「伊達杏子」が、日本人の言う「イメージ」なのだ。だから日本人は、オランダではなくてオランダ村へ、ペテルスブルクではなく新潟のロシア村へ、コペンハーゲンではなく登別のアンデルセンのニクス城へ、漱石のロンドンではなく修善寺のブリテン・ランドへ、「イメージ」を求めて出掛け、「わあっ、かわいい」を連発したら、もう二度と行かなくなっていく。

 中学生のころか高校生のころ、ぼくは「女性自身」や「週刊女性」が金髪の外人モデルばかりを表紙にしているのにうんざりしていた。それが原因かどうか、最初に海外に出たパリで、あまりに金髪が多いので落ち着かなくなったほどだった(パリで最初に惚れたのは友人の妹の黒髪のパリジェンヌだった)。
 けれどもそんな話すらもはや遠い昔日のこと、日本中のどこかしこでも茶髪や金髪が流行し、いつしか、教師が茶髪を申請すれば、校長はこれを許可するしかないと東京都教育委員会が“認定”するようになっていた。金髪が流行しただけではない。日焼けも流行し、ガングロも流行し、韓流も流行した。その流行はいまだ止まらない。
 以上のことと、ヒップホッパーまがいのファッションが巷に溢れたこと、小顔が「かわいい」になったこと、安倍晋三が「美しい国」を標榜することとは、同じイメージ現象なのである。リチーの言いぶんなら、日本という国柄がそういうイメージ・ファクトリーになったということなのだ。

 まあ、今夜の話はこれくらいにしておこう。リチーがあと半分で何が言えていなかったかということも、付け加える必要はないだろう。推して知るべし。
 少々、補充しておけば、クール・ジャパンという言葉は、アメリカのエコノミストのダグラス・マックグレイが、2002年の「フォーリン・ポノシー」誌上で、日本はGNPではもはや大国でも何でもないが、GNCから見れば世界一の大国だと書いてから、広まった。
 GNCとは「グロス・ナショナル・クール」の略で、マックグレイはふざけて国別のクール度(かっこいい度)を持ち出したのである。つまりはマックグレイは、「日本はクール生産高に賭けているんですね」と揶ったのだ。もっともトニー・ブレアのようなおっちょこちょいは、それとはべつに「クール・ブリタニカ」を言い出した。「クール・ジャパン」や「ジャパン・クール」はそのおこぼれだった。いつまでも取りすがらないほうがいいだろう。
 どうしても追いかけたいなら、このあたりについては奥野卓司が『日本発イット革命』で、クール・ジャパンがいかにアジアに広まっているかを報告しているので、参考にするといい。
 ぼくが知らないだけかもしれないが、「かわいい」問題のほうは、実はその後もたいして“研究”されていない。たとえば「をかし」や「あはれ」や「粋」や「伊達」の流行と、「かわいい」流行が何が根本的に異なるのか、そこまで踏みこんだものも、まったくない。いま流行しているのはむしろ「かわいい」の増産エッセイの乱舞であって、それが「萌え」や「うざったい」の支流にまで至っている。たとえば大泉実成の『萌えの研究』などを見られるとよい。
 もう一言、加えておこう。世間から差別語が退治されるようになってから、世の中に「かわいい」が氾濫した。そういう符牒もある。その結果かどうかは知らないが、日本はそれをきっかけに物差しの目盛が粗い、棒読みの世の中になっていったのである。

附記¶ドナルド・リチーは1924年生まれで、GHQとともに日本にやってきたジャーナリストだった。早くに『熱海ブルース』『死んだ少年』などで映像的才能を発揮して、三島由紀夫に「黒いユーモアの極致、無法きわまるファルス」の賛辞をぶつけられた。一方、ずっと日本文化を抉る著書をものし、『素顔を見せたニッポン人』(フィルムアート社)、『十二人の賓客』(TBSブリタニカ)などを書いた。
 文中に紹介した奥野卓司『日本発イット革命』(岩波書店)、大泉実成『萌えの研究』(講談社)のほかに、日本のポップカルチャーを肯定的に褒めたり持ち上げたりしている本はゴマンとあるが、ぼくが知るかぎりは残念ながら、98夜に紹介したロバート・ホワイティングの『東京アンダーワールド』(角川書店)や、ハルミ・ベフの『イデオロギーとしての日本文化論』(思想の科学社)といった、ガイジンによる著書が一番である。ちょうど「連塾」のときのエバレット・ブラウンのように。
 ちなみに「連塾」は中間法人「連志連衆會」(代表・福原義春)が主催する。会員になるには03(3587)9201に問い合わせ、申し込んでいただくとよい。2月末までの入会者には、松岡正剛特製のクール・ジャパンな(ふっふっふ)記念品が提供される。

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