ジョーゼフ・コンラッド
闇の奥
岩波文庫 1958
ISBN:4003224817
Joseph Conrad
Heart of Darkness 1899
[訳]中野好夫

 ときに読書は上田三四二のバラストである。バラストは船の底荷のことをいう。これに対応しているのはマストだ。
 むろんマストの読書もある。目印がはっきりしている読書だ。が、バラストとしての読書は自分の傾きかけた精神や心情や勇気のイナーシャを、思い切って他方の極に振ってくれる。ぼくにはそうした著者や作家が何人もいる。英語文学ではたとえばE・M・フォースター、トマス・エドワード・ロレンス(アラビアのロレンス)、フォークナー、ヘミングウェイらがそのバラストにあたる。今夜のコンラッドもその一人。日本文学でいうなら中島敦牧逸馬、香山滋、山之口漠、金子光晴もそういう作家や詩人だ。
 ぼくは自分の甲羅に似せて土を掘る蟹ではありたくないので、好んでかれらを種痘のように接種する。読書の種痘はふつうの種痘よりかなり痛みをともなう。バラストは底で動くからだ。しかし、ぼくになんらかの思想的な免疫や芸術的な免疫があるとすれば、一にかかってかれらのおかげなのだ。

 ジョーゼフ・コンラッドは筆名である。本名はテオドール・コンラード・ナレツ・コジェニオフスキーという。なんとなく見当がつくかもしれないように、この名はポーランド人の名だ。船乗りだった。航海をしているうちに20歳のころにイギリスに入り、英語をおぼえ、イギリス船員として16年を海上ですごして、陸上に戻ったときはイギリス人になっていた。
 コンラッドがポーランド人で、1857年にいまはウクライナに近い田園地方に生まれたということは、コンラッドを読むには無視できない。ポーランドはたえず分割の宿命を歴史的に背負わされた国で、コンラッドが生まれた地方では母国語すらまっとうにつかえなかったという。ポーランドを分割したのはロシア、プロシア、オーストリアである。
 コンラッドの宿命はポーランドを背負ったにとどまらない。父親のアポロ・コジェニオフスキーはポーランド独立運動の急進派で、1862年に政治秘密結社の摘発をうけて、一家全員が北ロシアの極寒の地ヴォロガダに流刑された。母親は結核を患って32歳で死に、父親もその4年後にやはり結核で死んでしまった。少年コンラッドはロシア、プロシア、オーストリアを憎み、祖国ポーランドに属せない日々をおくった。この幼い日々に刻まれた民族的感情は『密偵』『西欧人の眼に』などとして、のちに浮上する。
 12歳で孤児となったコンラッドは母方の伯父に引き取られ、クラクフで大学進学までを用意されるのだが、そんなお定まりの方針には従えない。15歳でドイツ・スイス・イタリアを旅行して、ヴェネツィアで初めて海を見てたまげた。17歳でマルセイユに行ってフランス船の船乗りになり、20歳で恋愛が決闘につながるのを知って、21歳でイギリス船に移った。コンラッドには大地がなかったのだ。揺れるバラストだけが人生だった。

 コンラッドを海洋作家とみるのはまったく当たっていない。ヘミングウェイや香山滋を読みちがえるのと同様の禍根をのこす。たしかに海の描写はすばらしい。その表現は豪宕(ごうとう)ですらある。しかしコンラッドは「負のポーランド」を通して、つねに大地を描こうとしていたといったほうがいい。その極致が『闇の奥』なのだ。
 この作品はアフリカの奥地を描いた。そこに死んでいった男を描いた。そんな文学はかつてなかった。舞台はリヴィングストンやスタンリーのアフリカ探検が世界のトップニュースに乗った1890年代、主人公は青年船長で、そこからもわかるように多分に自伝的である。数年前、ぼくは木宮直仁さんが訳した『コンラッド自伝』を読んで、よくそのことを了解した。
 コンラッドは33歳のときに自身で運動をおこして「コンゴ上流開拓会社」の船長になり、暗黒大陸アフリカに入ることを決意する。目的は象牙採集の実態を見ることにあった。奥地には代理人のクラインという男がいた。これが『闇の奥』のクルツであるが、コンラッドはコンゴの奥地を探検するにつれ、異様な興奮をおぼえていく。『闇の奥』ではそれをマーロウ(これがコンラッド)がクルツを救済する出来事に変えている。しかし救済は容易ではない。悪夢のような出来事が次々におこる。文明の斃猫に犯されたマーロウには、この悪夢とみえる出来事こそがアフリカの闇の奥のアクチュアリティであることがわからない。

 クルツという人物は『闇の奥』を異色に飾る登場人物だというだけでなく、20世紀を迎えようとするヨーロッパの暗部を象徴する存在学だった。これはあまりに有名な話だが、T・S・エリオットが『荒地』に「クルツが死んだ!」の一行を入れたことは、20世紀文学が「内なる闇」をどう抱えるかという方向を暗示した。
 コンラッドはクルツを描くことによって、“20世紀のフローベール”の幕をあけたのだ。しかし作品にはクルツの実在の姿はまったく描かれない。クルツを語る暗黒アフリカに蠢くものたちの言葉や感情や畏怖が描かれるだけなのだ。それが読む者にかえって訴える。都会文明に所属する者の想像力をいっさい否定する存在学がここにはありうるのだという衝撃を、一挙に立ち上がらせる。
 つまりコンラッドは「文明の衝突」を描いたのである。その衝突が人間の悪ではなく良心を露呈させることを描きたかったのだ。自然の猛威や文明の狂乱のなかで既存の価値観と経験が危機にさらされるときに、ついに精神が腐食する寸前に立ち上がるバラストとしての倫理のきらめきを描きたかったのである。

 コンラッドの作品にはアウトローアナキストテロリストもしばしば登場する。『内通者』はロンドンに巣くうロシアのアナキストの動向を扱った。主人公はヴァーロック、事件らしい事件をおこす必要に迫られて爆弾テロをおもいつくのだが、手違いで妻の連れ子を爆死させてしまうという話になっている。ヴァーロックがその妻に刺し殺されるという結末は、亡命者にすら真剣なバラストが稀薄であることを突き付ける。
 また『西欧人の眼に』では、主人公のロシアの大学生ラズーモフがテロリストの友人のハルジンに亡命の幇助を求められるのだが、それを裏切って警察に売りわたすという前段が描かれ、ついで後段で、その行為が誤って伝えられてスイスで亡命者たちに歓迎されるというアイロニーになっていく。のみならずラズーモフはハルジンの妹から兄の恩人と慕われ、愛される。ラズーモフはこの背信にしだいに耐えられず、いっさいを告白するのだが、テロリストたちの制裁をうけ、電車に跳ねられて不具者になる。ヒロイズムにひそむ絶望を暴くその描写方法はあくまで静かで、あくまで澄んでいる。

 ところで、『闇の奥』はながらくオーソン・ウェルズが映画化の構想をもっていたのだが、実現されなかった。そこでスタンリー・キューブリックがその実現をはかったのだが、それも叶わず、『2001年宇宙の旅』の後半部にこれを翻案してとりこむにいたった。よほどアフリカの闇を描くのが困難だったのであろう。

『2001年宇宙の旅』HALとの対決

映画『2001年宇宙の旅』HALとの対決

 さらにフランシス・コッポラはなんとか『闇の奥』に着手しようとするのだが、やはりできず、思いなおして全面的に翻案し、舞台をベトナム奥地の戦乱に移し替え、『地獄の黙示録』として映画化に成功した。『闇の奥』はオーソン・ウェルズ、スタンリー・キューブリック、フランシス・コッポラに継がれて、なお原作の映画化を頑なに拒絶しつづけているのである。

映画『地獄の黙示録』

映画『地獄の黙示録』 闇夜の眼差し

 ちなみに1900年の作品『ロード・ジム』は1925年にはヴィクター・フレミングによって、1965年にはリチャード・ブルックスによって映画化された。
 もうひとつ付言しておかなくてはならないことがある。それは夏目漱石がコンラッドの愛読者であったということだ。すでに『二百十日』や『坑夫』に影響が認められるという研究者の指摘があるし、「コンラッドの描きたる自然に就いて」「小説に用ふる天然」などという一文もある。漱石が偏愛したのはやはり『闇の奥』だった。平成の日本人がバラスト読書としてのコンラッドを読まなくなっただけなのだ。

附記¶ジョーゼフ・コンラッドの作品は次のものが入手しやすい。『西欧人の眼に』『密偵』『青春』(岩波文庫)、『文化果つるところ』(角川文庫)、『ロード・ジム』(講談社文芸文庫)。前半生を綴った『コンラッド自伝』(鳥影社)は、コンラッドの言語にかかわる姿勢がよく見えて興味深い。

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