フョードル・ドストエフスキー
カラマーゾフの兄弟
岩波文庫 1927
ISBN:4003261496
Fyodor Mikhailvivh Dostoevskii
Bratya Karamazovy 1880
[訳]米川正夫

 高校時代、3つのショックがあった。
 ひとつは、浅沼稲次郎が「七生報国」の鉢巻きを締めた山口二矢に壇上で刺殺された翌日、上級生の親友に「おまえは昨日の事件を悲しく思わないのか」と言われたことだ。大変な事件だとは思ったが「悲しくないのか」と言われると、言葉に窮した。親友は、「これで日本の革命は10年は遅れる」とさえ言った。
 日本? 革命? こいつは何を言っているのか。日本の10年後のことまでこいつは考えているのかということがショックだった。とくに高校生にとって10年後なんて、ないも同然だった。
 次のひとつは、ひそかに恋い焦がれていたIFが上級生たちと肌を交えて遊び戯れていると聞かされたときだ。IFはこの学校でいちばんの純真な女生徒だった。その彼女が男と酒に溺れているとは想像することなどまったくできず(高校生がキスやセックスをするなどということすら思いもよらなかった)、ぼくは何も咀嚼できないままになっていた。
 そしてもうひとつ、これはクラスメイトで一番親しい友に問われたことなのだが、「大審問官の問題をどう思うか」というものだ。「何、それ?」と聞き返して、なんだ、カラマーゾフを読んでいないのか、話にならないなと突っぱねられた。読んでいないのだから、これは最初からお手上げだ。それまで『罪と罰』しか読んでいなかった。
 それから半年ほどたって、『カラマーゾフの兄弟』を読んだ。胸の中をぐさぐさに掻きまわされた。ショックというより、深刻な麻酔を打たれたようなものだった。

 3つとも難問だったが、その後も最大の難問となったのが大審問官の問題である。
 浅沼稲次郎やIFは、日を追うごとに理解の幅も広がった。が、ドストエフスキーはそうはいかない。神はあるのか、ないのか。いや神があると思ったほうがいいのか、どうか。その問題だ。二つに一つの問題だ。
 別の理由もあったのだが、これを機に飯田橋の富士見町教会にも通い始めた。神様を俎上にのせるなんて、それをドストエフスキーの罠に嵌まって考えるなんて、高校生にとっては大問題なのだ。禅堂にも通った。
 ただし、『カラマーゾフの兄弟』をそこに絞って読むということを、その後はしだいにしなくなっていた。広げたくなっていった。

 理由ははっきりしていた。『悪霊』『白痴』『貧しき人々』『虐げられた人々』という順だったと思うけれど、ドストエフスキーを読みすすんでみて(いずれも深刻な麻酔がますます効いてきたけれど)、ドストエフスキーを語るということは、世界の始原や神の沈黙を語るに等しいということが見えたからだ。
 さらにその後は、ドストエフスキーだけを語るということもやめてしまった。これにも理由がある。ひとつは文学者たちによる文学論に関心が薄れてきたからだが(小林秀雄や埴谷雄高のドストエフスキー論もその後は深化していなかったし、唯一、新鮮だったのはミハエル・バフチンのポリフォニックなテキスト論だけだった)、もうひとつは、ドストエフスキーが抱えた問題は、ドストエフスキーにだけでなく、多くの類似的争鳴の裡において共通して見ていきたくなったからだ。実際にも、ぼくの実感では、そのほうがずっとドストエフスキー的なのだ。

 たとえば「千夜千冊」に採り上げてきた思索者や表現者をあげるだけでも、そこにはドストエフスキーの沈思を孤立させなかった者たちがいる。
 それは、アウグスティヌスが三位一体において(733)、パスカルが幻覚の中で(762)、スピノザがマラーノとして(842)、そしてノヴァーリス(132)、ヴォルテール(251)、ブレイク(742)、ボードレール(773)がそれぞれ着床させたことであり、また、ヴァレリーがテスト氏をもって(012)、ジッドが隘路に分け入って(865)、W・B・イエイツがアイルランドの黎明を負って(518)、D・H・ロレンスがプロテスタンティズムに拮抗して(855)、グルジェフが神秘伝承の血をもって(617)、それぞれの内奥に挑んだことであり、同時にデュメジル(255)、マルティン・ブーバー(588)、アリスター・ハーディが神の生物学のほうへ(313)、沈潜したことでもあったはずだった。
 そればかりか、エミール・シオランが涙によって(023)、J・G・バラードが時の声によって(080)、グレゴリー・ベイトソンが精神生態学によって(446)、クロソウスキーが身体と意識の乖離をものともせず(395)、フィリップ・K・ディックが自ら繋がりあった巨怪ネットワークに侵入することで(883)、異端冒険的に提示してみせたことでもあり、それはわが内村鑑三(250)、大杉栄(736)、武田泰淳(071)、埴谷雄高(932)が、そしてつい10年前までは中上健次(755)によっても異様に試みられたことでもあったはずである。
 ドストエフスキーは、決して再生演奏が不可能ではない極限コード進行のポリフォニー楽譜として、傑出した東西の精神のあれこれに地響きたてて巣食ってきたというべきなのだ。

 しかしいまは、かのクラスメイトの親友のために大審問官についての遅すぎたコメントをしてみたいと思う。
 この親友は40代で癌で急死してしまったため、ぼくは彼が掲げた宿題に応えられないままになっている。だからいつかは以下のようなことを書いておかなければならなかったのである。
 加うるに、いま、大審問官の問題にコメントするにふさわしいと思われる一つの符牒があるようにも思われる。それは今日の日本で、幼児虐待が頻繁におこっているということだ。こういう日本のどこかで、いったい誰がいま、イヴァン・カラマーゾフが雄弁に語った幼児虐待の話を思い出しているだろうか。
 では、かの長身痩躯の大審問官に向かって、ぼくもしばらくカラマーゾフシチナ的なるものに対して、いささか頭(こうべ)をめぐらしてみたい。

 カラマーゾフ家を仕切っているのは父親のフョードルである。旧ロシアを代表する地主で、手に入るものなら何でも手にしてしまうという物欲の権化、そのくせヴォルテール派の啓蒙思想にかぶれ、横柄な無神論を通してきた。
 フョードルにとって金銭や快楽は極上のものである。人間とか神とか未来などというものは、いいかげんに扱っていさえすればそれですんだ。けれどもその肉体はこのところ著しい衰えを呈していて、そのためフョードルの魂の空隙をときおり「何かしら未知の恐ろしい危険なもの」が通り過ぎていく。それがずいぶん昔の異教的なるものでないかと思うと、フョードルはぞっとする。
 そのフョードルはいずれ物語の中で殺される。父親殺しを企てたのが誰か、物語がかなり進むまで誰かはわからない。なぜ殺されたのかもわからない。
 しかしフョードルが「神様なんてあるのかい?」と嘯いていたことが許せない者がいたらしい。その犯人は、フョードルがたえず「カラマーゾフというのは淫蕩、強欲、奇癖ということにあるんだ」と言いづけていたことも我慢ならなかったらしい。
 そのフョードルのカラマーゾフ家に、3人の兄弟がいた。

 長男ドミートリイは軍隊から帰ってきたばかりである。もともと放蕩無頼ではあるが、異様に粗暴なロシア的情熱が溢れる。いっときも安定など望まない。
 そのくせ図太い情熱をそこそこ完遂できるのかというと、8割がたは猛進してきたのだが、どうにも野望が燃えきらない。これはまさにスラブ・ロシアの歴史そのものであって、ドミートリイにも欠陥はいたるところにあるものの、どこか巨大なものを呑みこむことを辞さないところがある。他方、無垢な女性に対してはめっぽう意気地のない憧憬があって、ときおり一片の神性さえ覗かせる。ようするに詩情をもっているのに、粗野なのだ。
 『カラマーゾフの兄弟』はドストエフスキーの最後の作品で(擱筆ののちわずか数十日後に亡くなった)、未完のままとも言われるのだが、それまでドストエフスキーはこのドミートリイのような人物を一度も描けてはいなかった。そういう意味では、ドミートリイを作り上げることが、ドストエフスキーの最後の造型的目標だった。

 次男イヴァンは、神秘などいっさい認めない徹底した背神論者というべきで、複雑に分裂したデモーニッシュな情念の持ち主でありながら、心がけていることはその逆で、ひたすら透明な理性を磨き上げようとしている。
 不死の可能性や良心の起源などに迷うことなく、ひたすら超人的な驀進をつづけるその獰猛な理性は、ほとんど人間性の到達しうる荒涼悽愴な極北に達したかと見えるほどである。
 それだけにイヴァンは、たえず真理の選択と対決に立ち会うことになる。イヴァンにとっては自身の論理がやすやすと理解されることのほうが堪えがたい屈辱であって、スメルジャコフ(後述)のようにイヴァンを狡智に解釈する者が出現することは意外な痛手なのである。
 しかしイヴァンにとってもっと劇的な止揚を焦らざるをえなくなるのは、長老ゾシマとの対峙がまさにそれにあたるのだが、世界に対する肯定と否定とが一瞬にして等価になってしまうときだった。
 イヴァンはドストエフスキーが得意とするヨーロッパ理性に対抗しうるロシア的論理の貫徹する人物で、すでに『罪と罰』のラスコーリニコフや『悪霊』のスタヴローギンにその原型を描いていた。イヴァンこそは典型的なドストエフスキー“文学”的な人物である。

 高校時代、この想像を絶する病的神学のような、狂気の哲学のような、それでいて全篇が聖なる告示のような物語を読み始めたときに感じていたことは、それにしてもイヴァンがわずか24歳だというような些細極まりないことで、なぜこんな青年が人類史最大の課題であるような神の問題をこんなに深く考察できるのか、とうてい信じられなかった。
 誰もがそういう体験を一再ならずしていたと思うのだが、ぼくも、小説の人物たちをつねに自分にあてはめて読んでいた青年にすぎなかったのだ。
 けれどもイヴァンだけはどう見ても、ぼくの回路のどこに尋ねてもアプリケーション不能の青年だった。

 敬虔な修道者で純真を求める三男アリョーシャは、その魂そのものがロシアの未来を抱擁的に確信してやまないような存在として描かれる。スラブ・ロシアの民の赤く爛れた精神を癒し、その煩悩や苦悩をこの身に引き受ける単一な覚悟さえもっている。
 そのぶんアリョーシャには、二人の兄のような強烈な個性がほとんど見られない。これは「アリョーシャの無力」としてこれまでも多々議論されてきたもので、すでにドストエフスキーは『白痴』のムイシュキンにもこの無力を結晶させようとした。
 しかしムイシュキンの無力に対して「アリョーシャの無力」は、カラマーゾフの血を浴びてイヴァンとアリョーシャの間隙に佇む世界観の欠陥の有無を問い返す。
 このような純朴なアリョーシャに、生涯の伴侶を約した少女リーザは心底憧れる。アリョーシャに人間性の最も澄んだものを見る。
 しかしながらドストエフスキーが「悪魔の子」というふうに文中で指摘したように、リーザには霊的なアリョーシャの優しさでは埋めつくせない狂気の血が流れていて、そこに兄イヴァンの悪魔的な魅力が関与すると、この可憐な少女はアリョーシャの神とイヴァンの悪魔の悲劇的な相克に引き裂かれてしまうのだ。

 この父と3人の兄弟に加えて、『カラマーゾフの兄弟』にはフョードルの私生児とおぼしい陰質なスメルジャコフと、あくまで陽朗な長老ゾシマが特異にカラマーゾフシチナを彩っていく。
 スメルジャコフはイヴァンにとっての影のメフィストフェレスであるらしく、イヴァンはこの対蹠性だけを苦手とする。このためスメルジャコフはカラマーゾフシチナの思想を複相化させるだけではなく、父親フョードル殺しの犯人像としても異彩を放つ。
 長老ゾシマは、ドストエフスキーが『悪霊』のチーホン僧正や『未成年』のマカール老人このかた描こうとしてその深化に戸惑っていたロシア正教の荘重きわまりない人物で、教会や聖典にこだわることなく、その明晰玲瓏な心境の吐露のみによってその存在を輝かせる人物である。
 かつてぼくはイヴァンとゾシマの空中戦のごとき対決の場面をこそ、ぞくぞくして堪能したものだった。

 物語は、このような、まったく一致点を見ないような異常な3人の兄弟がばらばらに各地で成長し、あるときカラマーゾフの「家」(カラマーゾフシチナ)に戻って一堂に会したとき、そこに深い亀裂が生じていくという息詰まるような構造をとる。
 ミハイル・バフチンはみんながみんなドストエフスキーの登場人物の肩をもちすぎていると言うが、やはりカラマーゾフシチナを語るにはそこからしか突破口はない。
 かれらは、かれら自身が亀裂を好む炸裂大地そのものなのだ。
 とくに父親フョードルが明日は殺されるという前夜、イヴァンがアリョーシャに語っていく予想外の展出に、その亀裂はとんでもない深淵を覗かせる。それが大審問官の問題になる。

 大審問官の問題とは、イヴァンがアリョーシャに語って聞かせた自作の劇詩のことをさしている。
 「反逆」の章で、イヴァンはアリョーシャと話しているときに、世の中でおこなわれている数知れない幼児虐待の例をあげ、もし未来の永遠の調和のためにこの幼児たちの苦しみが必要だというのなら、自分はそんなに高価な犠牲を払って入場しなければならない未来社会の入場券など突っ返したいときっぱりと言う。
 幼い受難者のいわれなき血を必要としている神など、絶対に容認するわけにはいかないとも言ってのけるのだ。
 アリョーシャはこのイヴァンの背神的無神論に対して、「お兄さんの考えられることもわかりますが」と言って、仮にそのような問題があるにしても、それでも赦される唯一の存在というものがあって、それこそがキリストなのだと優しく反論する。
 しかしイヴァンはふたたび断乎と反論して、自分でつくりあげたレーゼドラマ『大審問官』を聞かせたい。イヴァンはキリストその人をその後の歴史舞台に引っ張り出してしまったのだ。

 このレーゼドラマは、15世紀か16世紀のセヴィリヤを舞台にしている。宗教裁判の炬火が日ごとに異教徒を焼き殺しているさなか、そこにキリストらしき男が訪れるという設定になっている。
 姿を変えているにもかかわらず、セヴィリヤの民はそれがイエス・キリストの再来であることを感じ、しだいにその教えに従っていく。どうやら死者らしき者も一人蘇っているようだ。その一部始終を見ていた背の高い90歳に達していようという老人が、毅然として「この者を捕らえよ」と命じた。
 セヴィリヤの大審問官である。衛兵たちはキリストを捕縛し、牢獄につなぐ。
 こうして、暗く暑く、桂とレモンの香りだけが漂う息絶えたかのようなセヴィリヤの夜の獄房に、暗い影のように大審問官が訪れて、キリストを相手に話を始める。

 最初に大審問官はじっと眼を見て「おまえがイエスか」と問うた。イエスは黙って答えない。そこで「返事はしないでいい」と言う。
 大審問官としてはキリストの正体などどうでもよく、またかつてキリストが語ったことなどすでに隅々までわかっているのだから、いまさら何かを語れるはずはないとみなしたのである。この「キリストの沈黙」こそは、ドストエフスキーが全ヨーロッパ社会の歴史の総体に問うてみせた一撃である。しかし、この獄房の男がキリストかどうかも、実はわからない。
 かくて大審問官の長い独白が始まる。
 ここを読んでいるときっと誰もがそうなるのだろうが、われわれは神を使って事態を進めるか、それとも神などなくて歴史の先に進んでいくか、これは二つに一つであるしかないのではないかという決定的な岐路に、しだいに追いこまれるようになっていく。

 大審問官の言葉はどこまでも高潔であって、該博な知性をゆくりなく配慮する態度は、真に道徳的ですらある。しかし、その口元から発せられる言葉は神の眼光がまじっているかというほどに鋭く、その提示する問題は途方もなく大きい。
 問題は、最終的には「パン」と「奇蹟」と「権威」という3つの扱いになっていく。
 いったいこの3つは人間の歴史にとって必要なのかどうか。もし必要であるならば、そのために神にいてもらう必要があるのか。その問題である。大審問官は歴史上のイエスが採った3つの方針を問うたのだった。
 それを男は黙りこくったままに、聞く。アリョーシャも、われわれも、ただその強靭な独白を聞かされる。

 パンについては、イエス自身は人はパンのみに生きるものではないと明言したものだった。
 しかし、キリストのその一言のためにどれほど多くの者が貧窮に喘ぎ、泥棒に走り、わが子の間引きをしたことか。パンこそは犯罪と戦争の根本原因ではないのか。イエスはパンの生産を手伝わなかったともいえる。のちにクロポトキンはイエスの方針をかなぐり捨て、パンの略取をこそ叫んだものである。
 奇蹟については、イエスは悪魔がそこから飛び降りて奇蹟を見せてみよと唆(そそのか)したことを避けたくせに、自分がかかわれるような、たとえば眼病を治すような奇蹟だけはおこしてみせた。ところがこの勝手なサンプリングされたようないくつかの奇蹟によって、民衆はイエスがすべての奇蹟をおこせると信じてしまったのである。大審問官はこれはひどい話ではないかと詰(なじ)る。
 3つ目の権威とは、誰が地上の権威になるのかという問題である。悪魔が「おまえは地上の王者になればいいではないか」と唆したとき、イエスはこれを拒んで結局は火あぶりになった。火あぶりになったからいいようなものの、もし生きながらえていたら、イエスには社会を治める方法など、何ひとつなかったのではないか。
 つまりは、イエスはキリストとして地上の王国を治める能力もなく、かつてのユダヤの王たちが失敗したように、いたずらに理想を失墜しつづけたさせただけなのではないか。それゆえにパウロは十字架上で早死したイエスを“地上の王”ではなく、“天空の王”としてのキリストに仕立てられたのではないか。

 大審問官の問いは完璧である。
 アリョーシャは兄の物語を聞くうちに、この話がばかばかしいほど「外からの説明」であることに気づくのだが、どのように反論していいかはわからない。
 それにしても、ドストエフスキーはこの究極のレーゼドラマを観念の闘争の激越な仕上げとして思いついたのだろうか。そんな程度の観念劇であるわけがない。ドストエフスキーは、このセヴィリヤの夜に匹敵する体験を、何度もくぐり抜けてきたはずだった。

 ドストエフスキーの父親が殺されたことを忘れてはいけない。これはこの文豪の個人史の内奥に突き刺さった最初の事件なのだ。
 また、ドストエフスキーがニコライ1世の社会にいたことも忘れてはいけない。これはこの文豪の社会史の面貌に突き刺さった抜けない棘だった。
 1825年のデカブリストの乱、1830年のポーランドの乱を制圧弾圧したニコライ1世が、1848年のフランスの二月革命を警戒して、そのころペテルブルクの唯一の自由サークルだった「ペトラシェフスキー会」の会員39名を一斉検挙したことは、とくにドストエフスキーの生活思想を極限に追いやるに決定的だった。
 その会員だったドストエフスキーは8カ月をペトロパヴロフスク監獄ですごしたのち、20名の仲間とともに死刑を言い渡されたのだ。ところが死刑執行の直前になって皇帝の恩赦によって判決が変更され、ドストエフスキーは死を免れた。ニコライ1世が仕掛けた残酷な芝居だった。
 しかし、それによって、ドストエフスキーは自分の死の数分前の恐怖をたえず思い出すようになる。その壮絶な記憶の再生は『白痴』の一場面にも描かれたことである。
 1862年に2カ月半、1866年からは4年にわたって、ドストエフスキーがヨーロッパを旅行したことも忘れるわけにはいかない。ドストエフスキーはこのときにヨーロッパ文明に対する疑問と不信を決定的に確信したはずだ。
 ローマ・カトリック教会が編み上げた全史に対して、ひそやかな反撃を試みるようになるのは、このときからなのである。
 いや、ここではこれ以上のドストエフスキーの体験をあげていくのはやめておく。それこそは小林秀雄が『ドストエフスキーの生活』で帰したことだった。
 ぼくは高校時代の親友に答えなければならないことだけを、いまは書く。

 大審問官の問いは、イヴァンが綿密周到に用意した歴史に対するアンチテーゼだったのである。イヴァンはここではアンチキリストをめざしているわけなのだ。
 この歴史はイエスが荒野をさまよっていたときの悪魔の誘惑に、イエス自身が打ち克つために、たまさか覚悟した3つの方針から生まれたものだった。しかし、その、たった3つのことが全世界の未来を決定づけたのだ。
 イヴァンは大審問官にそこを詰問させた。それはアリョーシャにとっては目をまるくするような、とうてい答えられない解釈の衝撃を秘めていた。イヴァンもまた、弟の放心を見てそれ以上の追い打ちを遠慮する。こうしてドストエフスキーは、この思想劇をこの場面では収拾せずに、さらにもうひとつのステージを用意する。
 問題はいよいよのっぴきならないものになっていく。大審問官の完璧な問いかけを崩せる者がいったいありうるのかという、さらに難解な、さらに超然たる問題になっていく。
 ここでドストエフスキーが組み上げたのが、長老ゾシマの陽性な倫理的澄明というものだ。
 イヴァンはゾシマとの対決を迫られる。ドストエフスキーはついにロシア正教の核心に入っていく。大審問官の問題は実はここからが本番のドストエフスキーなのである。

 イヴァンの主張は、「いったいこの世界に他人を赦す権利をもっている者などいるのだろうか」という一点に集約できる。
 イヴァンはインチキ教祖まがいの「赦す者」がいたとしても、そんな者の軍門に屈服するくらいなら、むしろ贖われざる苦悩を享受することによって世界を生き抜きたいと考えている。そして、そのような方法でしか人間の自由は獲得できないではないかと主張する。
 これに対して、ゾシマはいまは隠者だが、すでに苦悩しつづけて仙境に到達しつつある老人である。
 小柄で痩せてはいるが、その眼はいつも輝いている。猫背で唇は薄いけれど、その言葉は澄んだ知性を響かせる。神の引力は、そもそもが悪魔の斥力をいかしながら絶対肯定をなしとげるしかないものだということを、すでに幾多の体得によって理解している者である。
 ドストエフスキーはこのゾシマにおいて、『カラマーゾフの兄弟』の主題が「神愛」(ポゴフィーリ)と「抗神」(ポゴフォーブ)の対照にあったことを最終的に証そうとする。その対照は、作品の終盤にさしかかるにしたがって、沈黙するのは神愛ではなくて、ほかならぬ抗神であるという、劇的な転回を見せていく。

 物語は終局にさしかかる。イヴァンの抗神はゾシマの神愛に包まれて、もはや議論の発展を一歩たりとも踏み出せない。
 それは、大審問官がイエスとおぼしい男に長々と語り終えたとき、その男が黙ったまま立ち上がって大審問官の唇に静かに接吻したときの感触に似て、イヴァンはゾシマがそこに存在するという感触を越えられなくなっていく。ゾシマは、イヴァンと対決したのではなく、イヴァンをも包んだのである。
 ドストエフスキーは神の存在を唯一の絶対的存在から解き放ったのだ。ローマ・カトリックの絶対神の呪縛から、ロシア正教の痩せこけた老人にその担い手を移すことによって、キリストを拡散させたのだ。

 一見、最も難解な形而上哲学による“神学崩し”に見えかかった大審問官問題は、15世紀のセヴィリヤのキリストと19世紀のロシアのアリョーシャという二つの沈黙と屈服を得て、逆に、長老ゾシマの包摂によってロシア的に解消された。
 では、以上のことが何を意味していたかというと、ドストエフスキーが生涯にわたって抱えた「ロシア人は神をどのように扱うか」という大問題が、カラマーゾフの兄弟たちの背中にぴったりくっついていたということなのだ。
 そして、もしそうであるのなら、すでに書いておいたように、『カラマーゾフの兄弟』は『悪霊』や『白痴』とともに、いくら読みこんでもロシアのドストエフスキーに回帰することになって、われわれはそのような読み方から離れて、むしろシオランや中上健次とともにドストエフスキー的なポリフェニックな楽譜を拡張するほうを選んだってよかったということなのだ。
 いや、もうひとつ、ぼくなりにドストエフスキーから学んだことがある。それはユダヤ・グレコローマン・キリスト社会においても、スラブ・ビザンティン・ロシア正教社会でも、神は結局は唯一人の存在であって、われわれにはそこが当初から、つねに多神的で多仏的であるということだった。
 これはどう見ても、同じ問題を考えるのに信仰背景の光輝が異なりすぎている。われわれはそのことをついつい忘れて、むしろ“われわれの内なる日本”を見失ったかもしれなかったのである。
 これがぼくが、ドストエフスキーを日本の問題として読み変えたいと思っている最後の理由になっている。

 さあ、これでどうだろうか、安田毅彦よ。
 カラマーゾフを読んでないなんて話にならないと告げた安田よ。早々に癌を背負って、さっさと八ッ岳の地霊となって消えたいった友よ。
 これでぼくはイヴァンにもゾシマにも、アリョーシャにもならずに済んだだろうか。ともかくも、これでおまえが大審問官でありつづけなければならなかった仮の役割は、やっと終ったのだ。ここまで待たせてしまったこと、謝りたい。

コメントは受け付けていません。