寺田元一
「編集知」の世紀
日本評論社 2003
ISBN:4535583463

 先だってのISIS編集学校の師範代選考会には、編集者や主婦や地域リーダーやデザイナーの顔触れに交じって、ちょっと変わった応募者がいた。
 東急エージェンシーのマーケティング・プランナー、旦那さんが高エネルギー研究所の物理学者だという食の専門家で『遊』の探求者、セキスイハイムのトップセールスマンで竹内久美子の好きな営業リーダー、東大工学部で化学エネルギーを研究していた旭化成のプラント設計技師、いろいろな病院の事務長をしている広松渉派、日本写真印刷の制作室を仕切っている篆刻技師、編集学校の教室でカミングアウトをしてしまったゲイの内科医師、水戸芸術館のプランニング・ディレクターの恩寵派、新日本石油でマネジメント・モデルをつくっているカルト映画派、各地の大型開発を手掛けてきた建築設計マネージャーで編集派、などなどである。
 面談をしながら、いよいよ編集学校も本格的に多彩になってきたと実感した。社会的にもなってきた。

 こうなると、もう、ぼくの編集工学の基本構想がどうのこうのというよりも、次々に自律的な相乗効果があらわれているのだという気がする。編集とはもともとがそういうものなのだ
 しかしその一方、そろそろ誰かが編集工学や編集的世界像をもっとラディカルに、もっと大胆に、もっと尾鰭をつけてまとめてくれたり、システム化してくれたり、ソフト開発をしてくれたりするとありがたいなという気にもなってくる。なんといっても、ぼくにも時計の針が動いている。
 すでに第671夜の米山優『情報学の基礎』がぼくの編集工学を全面展開していたことを案内したように、そうした試みはしだいに陽の目を見つつあり、ぼくが読んでもなるほどと納得できることがふえてきた。卒論に松岡正剛を選んだ学生も、知っているかぎりでもすでに9人がいた。
 言い出しっぺとしては、そうした成果がぜひとも稔って学界や思想界や、芸術分野や芸能界やメディア業界に、あるいは無名なものの群の一隅に、あたかもソリトンのごとく波及してほしいとおもうばかりである。ちょっとした親心というものか。

 本書もそうした一冊で、著者とはまったく面識がないのだが、手紙とともに贈本されてきた。
 18世紀フランスの「市民的公共圏と百科全書の知」を解読するにあたっては、どうしても松岡さんの「編集知」の考え方が必要なので、無断ではあったが使わせてもらったという手紙だった。とくに序論には、ぼくの著書からの引用とともに著者による松岡解説が試みられていて、この著者にとって「編集知」という概念がどうしても必要になっていたことが説明されている。
 ぼくより10歳ほど年下の著者の略歴は、東大で科学哲学をやったあと一橋大学とモンペリエ第三大学で博士号をとって、いくつかの大学勤務をへて、いまは名古屋市立大学にいるというものだ。奥さんが韓国籍なのだろうか、金元一(キムウォニル)の筆名もあるようだ。なかで興味深いのはマルセ太郎の芸や人物に惹かれているらしいことで、森正の『マルセ太郎・記憶は弱者にあり』(明石書店)にも名を連ねていた。
 そういえば米山優も名古屋大学である。いま最もラディカルなインダストリアル・デザイナーの川崎和男は名古屋市立大学である。先頭をきって編集学校を瑞々しい振動体にしてくれたのは名古屋の主婦の太田真千代だった。どうやらこの中部の一角には、時ならぬ編集的活火山があるらしい。

 本書の内容は一言でいえば、ディドロやダランベールの時代の知に活気があったのは、必ずしも上からの「啓蒙知」が君臨していたせいではなくて、むしろ横に広がり、縦に重なった知のクロス・レファランスをつくりつづけた「編集知」が可動しつづけたからだったということを、さまざまな史料にもとづいて証そうとしたものである。
 それをハバーマスの「市民的公共圏」の構想と松岡正剛の「編集的世界観」の見取図を軸につかいつつ、最初はサロン・カフェ・劇場に何がおこっていたかを探り、ついでそのように動きはじめた知がどのように「情報文化のメディア化」として印刷出版していったかに光をあてた。とくに重要だとおもわれたのは、そのような場面には必ず「ヌーヴェリスト」や「ギャルソン」が登場して、新たな動向の撹拌や波及に一役買っていたことである。
 こうして著者は、いったい「公論」や「世論」いうものは、そもそもが「編集知」として活性化していくものなのではないかということを力説した。加えてベンチャー的な起業活動も見落とせない。ぼくは知らなかったのだが、18世紀フランスはいってみれば最初のベンチャー・スピリットが謳歌されたスモールマネジメント時代だったのである。

 本来の「啓蒙」とは、無知蒙昧な民衆を尊大な言葉やうっとりするような意匠で刺激して、いつのまにか踊らせることなどではありえない。
 もともと「知」はどこにも及んでいるものなのだ。「知の時代」でない時代などというものもない。ヘラクレイトスの時代も明恵の時代も、朱子の時代もゲーテの時代も、レンブラントの時代も孫文の時代も、ずっと「知の時代」だったのだ。
 問題は、そういう知には最初から流行もあり凹凸もあるということと、それらの知の乗り物や運び手にはたえず著しい変化があらわれてキャリアーを交代しているということと、また、ときには劇的に近いほどのキーワードとホットワードのダイナミックな変更がおこるということなのである。
 しかしながら、これを情報編集の歴史と変遷とみれば、それらの動向のすべてには「もうひとつの編集知のアーキテクチャとネットワーク」が動いていたとも見えてくる。

 最近、ぼくは井口尊仁君の勧めによってデジタオ・リーフレット「松岡正剛編集セカイ読本」というシリーズを、毎月3冊ずつ刊行することにした(高速本・中速本・低速本に分かれている)。
 井口君らが開発したオンデマンド出版のシステムで始まったものではあるが、書店がほしがってくれるため、なかなかの話題になっているらしい。
 それはともかく、そのシリーズに『分母の消息』が入っていて、その本で、ぼくは「時代の思想」と「時代をまたぐ思想」とを、同じ分母(デノミネーター)で捉えて対角線を結ぶように記述するという試みをしておいた。詳しくは読んでもらうしかないけれど、世界史上の編集知というものは、そもそもこういう「分母の姿」をそのつど胚胎しているものだということを書きたかったのだ。その分母の動静こそが時代と時代を超えるものを結んでいくわけなのである
 それゆえこうした分母の編集知の動向に気がつくことは、単に分子で結ばれているだけの編集知を追いかけるよりも、その時代の情報をずっと痛快に読みやすくしてくれる。
 本書は編集知をもって18世紀のフランスの知を解読しているものではあるが、それがそのまま時代をまたいで、たとえばライプニッツに突き刺さり、グノーシスをひっくりかえし、空海や西田幾多郎を折り紙にしてしまってもよかったのである。それらについては、今後を期待しておくことにする。

夏の大三角形

デジタオ・ブックレット 松岡正剛編集セカイ読本
低速本 「帝塚山講義」
中速本 「本の読み方」
高速本 「分母の消息」

 われわれは、雑音の海をダイナミックに航海しつづける一槽の小舟という句読点なのである。また巨大な文脈に惑溺しそうな一個の編集子としての引用句なのである。
 しかしこれらは必ずしも孤立しはしない。また、必ずしも世界を見失うものではありえない。そこには分母の動向がぴったりくっついている。まずもって波の共有があり、風の共有がある。たしかに局所には津波が生じ、カタストロフィがおこり、波濤は逆巻くが、それらも含めて情報はひとつながりの風波となって、むしろ非局所的に伝達されるはずなのである。
 知は思いがけないところで揺さぶられ、忘れたころに書き合わされ、予想のないところで一団を形成するものなのだ。
 しかもそのような知は人格に宿っているとはかぎらない。知は、とりわけ編集知は、ときにコーヒーハウスそのものであり、ときに隣りあう帽子屋と楽器屋であり、ときにノートの片隅であって、ときに部品の集合なのである。分母の消息は、そういうところにも求められるべきなのだ。
 知を揺さぶり、知を裏返し、知を書き直していくこと、それが今も昔も本来の啓蒙であって、本来の編集だったろう。

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