ヘルマン・ワイル
数学と自然科学の哲学
岩波書店 1969
Hermann Weyl
Philosophy of Mathematics and Natural Science 1927・ 1950
[訳]菅原正夫・下村寅太郎・森繁雄

 ぼくが数学的思考に多少の自信をもっているとしたら、その前提の大半はヘルマン・ワイルのおかげである。
 ひそかに『遊』の準備にかかっていた26歳のとき、ぼくの課題は物理学と民俗学を両手で同じような質感をもってハンドリングすることだった。民俗学はともかくも折口信夫全集に没頭すればよかったのだが、物理学のほうは何から何まで自分で標的を決め、それをひとつずつ読み干していくしかなかった。
 ポアンカレアインシュタインマッハド・ブロイハイゼンベルク、ディラック、シュレディンガー、ボームなどを片っ端から読んでいくなか、ぼくはゲッチンゲン大学というとんでもない資質の牙城にぶつかった。
 最初はフェリックス・クラインである。これについては『遊』創刊号にクラインの多様体論を素材に「エルランゲン・プログラム事件」を書いた。つづいてリーマンにぶつかって、ここで初めてロバチェフスキーやガウスに戻る非ユークリッド思想の洗礼を浴びた。次にはヒルベルトにぶつかった。これはいわゆるヒルベルト問題と第133夜にも紹介した『直観幾何学』との出会いとなった。
 そして、最後に打ち止めのごとくにヘルマン・ワイルにぶつかって、武者奮いしたのだった。ワイルは「編集的数学者」だったのである。

 ワイルはヒルベルトの数学的な弟子にあたる。ワイルはまた哲学的にはフッサールの弟子にもあたっている。
 数学の父をヒルベルトに、哲学の母をフッサールにもったワイルの資質は、その思索力と表現力において他の追随を許さないほど抜群なもので、しかもワイルは平気で自分の研究領域を拡張し、物理学や生物学にさえ踏みこんだ。
 ぼくが知るかぎり、かつてこういう数学者はいなかった。もしホワイトヘッドを数学者に入れるなら、ホワイトヘッドがそういう深度と仰角をもっていたけれど、ふつうは数学列伝からは外されている。ワイルは数学基礎論を骨格に、連続体論、群論、数論などの領域ですべて革新的な研究を発表し、そのうえで量子力学に、シンメトリー論に、相対性理論に対して次々に数学的検証を加え、いちいち次世代における展開を予測した。
 しかし一方、ワイルにはすばらしい哲学的なセンシビリティが満ちていて、フッサールの論理学や現象学をいちはやく捕捉しただけではなく、ついではフィヒテを、さらにはマイスター・エックハルトを掘り下げて、これらの系譜には何か決定的なものが不足していることに気がつくと、最終的にはライプニッツの自然哲学に向かっていったのである。
 この逢着である。連続体を追いかけ掘りこんで、エックハルトからライプニッツに行き着くという、この逢着だ。

 ワイルの思索の特徴は「構成」を重視したことにある。重視どころではなかった。「構成的方法」こそが数学だった。
 ワイルはまた、科学の対象は素朴な「実在」なんぞではなく、すべからく「志向的対象」(intentional Object)であると喝破していた。この見方はフッサールの『イデーン』にすでに提唱されている見方の拡張ではあるが、ワイルが「構成」と「志向」とを串刺しすることによって、数学が向かうべき編集的方法論に注目していたことをあらわしている。
 なぜなら、かつての数学はすでに「志向」が終了してからのちの記号による「操作」から始まると考えられていたのに、ワイルはそうではなくて、数学の発端がすでに志向対象のうちに萌芽しているだけでなく、そのような「直前のプロセス」を「直後の数学」のフォーミュレーションが明示化しうることをあきらかにしていたからだった。
 すなわち、考え始めること、その直前のプロセスがすなわち直後の数学の潜在なのである。ぼくはこれでやっと数学的思考というものがどこから胚胎しているか、ワイルによってそのおおよその合点に至ったものだった。

 ワイルの著作は本書を最初に読んだ。
 冒頭の第一行目から「哲学について著述する科学者は、全的に無事に脱れ出ることはめったにないような良心の争闘に直面する」とある。これで武者奮いしない科学者や数学者はおバカさんだろう。 構成は第1部「数学」、第2部「自然科学」、「付録」に分かれている。第1部は数学的論理学から公理論へ、数と連続体の問題から直観数学に移っていく。調子が高まるのは第3章「幾何学」の第13節で自己同型とは何かを問うたあとに相似性に向かうところで、「すべての知識は直観的記述から出発するが、記号的構成の方へ向かうものである」とあって、しかしながら「次々に呼び出すことができる有限個の点からなる領域を扱っているうちはまだしも、点場が無限なとき、とくにそれが連続体であるときに事態が重大になる」と予告される。ワイルは座標系の選び方を問うたのだ。
 こうして第14節「合同と相似、左と右」では、得意の「合同から相似へ」の証明にかかっていく。ここは、最後の著書となった『シンメトリー』(紀伊国屋書店)に新たな装いをもって披瀝されているところでもあって、ぼくはワイルの相似性議論からカイヨワの反対称議論にすすみ、そこで自分なりの「相似律」の展観を試みたものだった。
 さらに調子が高まるのは第2部で、第1章「空間と時間、超越的外界」なんて涙が出てきた。しかもその直後が第2章「方法論」なのだ。いま思い出したのだが、ぼくが「主題から方法へ」ということを感じ始めたのは、どうもこの第2部第2章を読んだときからあたりだったのかもしれない。

 しかしそのころ一番の衝撃をうけたのは、付録Eの「物理学と生物学」の第1行目を読んだときだった。そこには、こう宣言されていた。「自然の最も奥深い謎の一つは死んでいるものと生きているものの対立である」!
 なんという指摘であろうか。ぼくはこの指摘をその後、何度もつかわせてもらった。
 それにしても、さきほど20年ぶりか30年ぶりにこの論文を読んでみて、やはりこれはよほどに図抜けて示唆に富む先駆的論文であったことを再認識させられた。言葉が稠密で加速力に満ちていることはワイルのもともとの資質だとしても、次の「物理的世界の主要な特徴:形態と進化」を読むともっとラディカルに鮮明なように、ここにはワイルの統知覚的な自然像と生命像の重なりがぎりぎりに省かれて突出しているのである。
 この「省いて突出させる」というところが、ワイルでなければできない科学感性なのである。アーウィン・シュレディンガーの『生命とは何か』(岩波新書)とともに、数学物理的感性がもたらした比類のない二つの生命像であったというべきである。

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