ジェームズ・パウエル
白亜紀に夜がくる
青土社 2001
ISBN:4791759079
James L. Powell
Night Comes to The Cretaceous 1998
[訳]寺嶋英志・瀬戸口烈司

 シーザーは「ブルータスよ、誤りはわれわれの星にはない。われわれ自身にあるだ」と言った、とシェイクスピアは書いた。この本の主人公のアルヴァレス父子は「誤りは恐竜にはなく、星にあったのだ」と言っている。
 父のルイス・アルヴァレスはとんでもない経歴をもったノーベル賞受賞の物理学者である。エノラ・ゲイ号が広島に原子爆弾を落とすときに、その横の観測機から原子爆弾の破壊効果を一つの都市の熔融消滅とともに測定していた。ケネディが暗殺されたときは記録フィルムを詳細に検証して、弾丸がケネディの後ろから入った衝撃によってケネディの頭がガクッと後ろに傾くことはありうると証言して、“謎の弾丸前方発射説”を覆した。
 もっともノーベル賞をとったのは大型液体水素泡箱の開発によるもので、アルヴァレスの技術の才能を示していた。そのほかずいぶんいろいろの発明をしていて、とくに地上誘導着陸方式は旅客機が視界のきかない豪雨のなかでも安全に着陸できるシステムを世界にばらまいた。
 息子のウォルター・アルヴァレスは地質学者で、この業界では有名な北イタリアのグビオでイリジウムの含有調査とイリジウム時計の異常値仮説で名をあげている。
 この二人が恐竜絶滅仮説に挑んだのである。本書はその挑戦のドキュメントになっている。

 では本書の著者は誰かというとやはり地質学者で、ロスアンジェルスの自然史博物館の館長をしている。
 これではテーマもテーマだし、著者も著者だから、そうとうに堅いか、変に片寄った本になりそうなのだが、おまけに恐竜の話はほとんどなくて、かの偉大な大スター、ティラノザウルスすらちょっとしか登場しないのだから、退屈な本になりそうなのだが、とんでもない。たいへんに稠密で、しかもスリルに富み、かつ科学者のありかたを考えさせて深い読後感をつくってくれた。
 ひとつにはぼくが地質や鉱物のドラマが好きだということもあったろう。また、恐竜絶滅を隕石の衝突で片付ける仮説には、いまどきはだれだって関心をもつということもあるだろう。加えて、アルヴァレス父子の話は実は松井孝典からも丸山茂雄からも聞いていたし、ぼくも監修者として参加した高校理科基礎の教科書の親分だった上田誠也大先生からもアルヴァレスとアタマの堅い地質学者や古生物学者との闘いを聞いていたということもある。なにしろ上田大先生は日本におけるプレートテクトニクス理論の最高の権威者なのである。
 そういうこともあって、たしかに本書には面倒な物理学と地質学の細部がくまなくはりめぐらされているわりには、ぼくはあっというまに読めたのだが、実際にはこの著者に説得力があり、表層と中層と低層を上下しつつ展開される話の回し方がまことにうまかったせいで楽しめたのだとおもう。もうひとつ、翻訳もよかった。一字一句をまるで化石に棲む有孔虫類のように生きた日本語にしてくれていた。

 地球の歴史には中生代とよばれる時間がある。古いのが三畳紀、次にジュラ紀で、ここが恐竜が栄えたジュラシック・ステージにあたる。おっちょこちょいのマイケル・クライトンとスティーブン・スピルバーグの“再現”以来、いま、この時期のDNAをさがすのが新たなブームになっている。
 ところがその次の白亜紀で、恐竜はすっかり絶滅してしまったのである。恐竜だけが絶滅したのではなく、地球上のすべての生物種の約70パーセントが絶滅してしまったのだった。これはあらゆる古生物学者が認めてきたことである。では白亜紀に何かがおこったのか。何が原因だったのか。
 白亜紀の次は第三紀で、ここから新生代が始まる。そして第四紀になって、やっと人類の祖先たちが出現する。
 しかし、問題は白亜紀か、その終末にある。白亜紀(K)と第三紀(T)の境界を地質学ではKT境界という。アルヴァレス父子はこのKT境界で劇的で大規模な地磁気逆転がおきたのではないかと仮説した。本書のタイトル『白亜紀に夜がくる』は、白亜紀に地球にとっても生物にとっても“長くて暗い夜”がやってきたことを示している。
 ある日、ルイス・アルヴァレスは息子がグビオから持ち帰った岩石とその調査資料を見て、どうも何かがひらめいたようだ。「ここで地球に異変がおきたにちがいない」と。
 こうしてアルヴァレス仮説がスタートを切るのだが、これを科学者たちに認めさせるのが大変だった。本書はほとんどがその摩擦と乖離と毀誉褒貶を描いていて、そこが読ませるのだが、ここでは結論だけをいうと、アルヴァレス仮説はおおむねこういう順で、こういうことを証明しようとしたものだった。

 第1に、6500万年前に隕石が地球に衝突した。
 第2に、この衝突によってKT境界に異常がおきた。
 第3に、その異常は必ずや岩石中のイリジウム異常値に示されるはずである。
 第4に、このイリジウム異常値は隕石によってもたらされたものなのではないか(この仮説がこれ以前とこれ以降の仮説をつなぐ決定的なブリッジになった)。
 第5に、もしそうだとしたら、このイリジウム異常値はかつての地球に衝突した隕石クレーターの跡からこそ検出されるのではあるまいか。
 第6に、隕石衝突クレーターの跡からはイリジウム・スパイクだけではなく、コーサイト、スティショバイト、テクタイトに似たスフェルールなどの“衝突マーカー”が境界粘土層に見いだせるはずである(実際にもこれがたくさん見つかった)。
 ところで第7に、このような衝突の後遺症は案外数百年ないしは数千年にわたってつづくのではないか。
 そうであれば第8に、恐竜たちはこの時期、すなわちKT境界の影響が地球上に吹きすさんでいるあいだに、死に絶えていったのであろう。

 むろん、いくつもの大立者から新人の研究者にいたるまで、アルヴァレス仮説には反論が巻き起こる。その一方で、そこを本書は克明に書いているのだが、地質学にまったく新たな研究課題が一挙に噴き出てきて、それに従事する研究者や研究センターが次々にできていった。
 最大の難点もあった。いったいそうした隕石が衝突したのだとしたら、巨大隕石のはずで、それなら地球のどこかにそうした巨大な衝突跡があるはずなのに見つからないではないか、もし小さくても大量の隕石がいっせいに襲ってきたのだというのなら、その跡がなさすぎるではないかというものである。
 しかし、このような最大の難点があったにもかかわらず、1980年に突然に発表されたアルヴァレス仮説は、地質学を変えてしまったのである。仮説が衝撃的だったというよりも、そこに提示された研究調査の多様性が地質学の本質にことごとくぴったりしていたからだった。トマス・クーンの言葉でいえば、まさにパラダイム・シフトがおこるように、アルヴァレス仮説はできていったのだった。
 こうして、各地で、各大学で、各研究所で、一斉に新たな地質学パラダイムのための調査や研究が連打されることになる。たとえば衝撃力をどのようなインディケーターで見るかとか、強大な衝撃によって石英などが変成をうけたとすると、その変成作用を何で認知するかとか、KT境界時代にはほかに何がおこったと仮説できるかとか、たとえばインドでおこった巨大な火山連続活動から何を報告すべきなのかとか、ジルコンという物質が注目を浴びてきたのだが、そのジルコンと地球の歴史にはどんな因縁があったのかとか、ともかく信じがたいほどの数と質の“おつり”が生まれていったのだった。

 こうして、ついに決定的な符牒があがってきたのである。
 それは、最初こそ巨大隕石が落ちたのは北米アメリカだろうという程度のものだったのだが、それが多くの研究者の報告が多重交差することによって、たちまちにしてその巨大隕石の衝突現場がユカタン半島に絞られ、さらにはチチュルブであろうということになってきたのだった。
 いま、巨大クレーターがチチュルブにはないと見る研究者はほとんどいない。アルヴァレス仮説はついに最後の“現場”にまでその仮説を運んできたのだった。ぼくがアルヴァレス仮説の話を聞いたのは、チチュルブを天文学者や地質学者や古生物学者がやっと注目しはじめたころだった。
 隕石衝突説はかくて科学の檜舞台に躍り出た。では、それまではどういう仮説がこの独自の見解を押しのけていたのかというと、それを恐竜絶滅原因説で分類すると、次のようなものとなる。並べてみると、おもしろい。

1)恐竜は椎間板のすべりなどの身体上の大きな障害、あるいは流行性の疾患によって絶滅したのだろう。
2)恐竜は老化性の過剰特殊化によって進化的浮動に突入したにちがいない。
3)恐竜は他の動物、とりわけ哺乳類との競争に破れた。
4)きっと恐竜にとって不適切な植物相が繁茂したのであろう。
5)いや、恐竜はあまりに急激な気候変動についていけなかったのだ。
6)恐竜は気候変動には驚かなかったが、酸素の濃度の急上昇か二酸化炭素の濃度の急低下に対応できなかったのである。
7)白亜紀に海洋が後退したことはわかっているのだから、北極海から大量の冷淡水が大西洋に流れこみ、旱魃を引き起こしたために、恐竜は耐えきれなかったにちがいない。
8)火山活動が激しくて、噴出した煤や火山灰が恐竜を致死に追いこんだのだろう。
9)もし、以上の原因のいずれもが妥当ではないとしたら、もや原因は地球外の超新星爆発や彗星接近に求められることになるのだが、そんなバカげたことはありそうもない。

 みんながキリング・ストレス(殺戮圧)をいろいろ想定し、みんなが隕石衝突説ほどには多様な研究課題を突きつけられなかったのである。
 いま、アルヴァレス仮説は「白亜紀に夜がやってきた理由」のすべてではないことがわかりつつある。その後、またまた1ダース以上の仮説が出され、ぼくはなんとも判定しがたいが、そのいずれもがなかなか魅力に富んでいる。炭酸ガス飽和水説、台地玄武岩噴出説、地球深層メタン説、フルテキサイト細菌説、みんなぞくぞくするような名前をもっている。
 いまでは白亜紀と第三紀のあいだのKT境界期だけではなく、少なくとも5回にわたる大絶滅事件が地球上の生命を襲ったことがわかっていて、そのいずれに対しても仮説が提出されるにおよんでいる。仮説は目白押しなのだ。太陽系が銀河面を通過する周期と絶滅が関係しているという仮説も知られるようになった。
 しかしながら、と本書はトマス・クーンの有名な言葉を引きながら結ぶ。学問や科学が新しいパラダイムを迎えるのは、若い世代が仮説を提出しつづけるか、旧知の領域から新たに別の分野に参入した者による仮説が凱歌を売るかの、二つにひとつなのである、というふうに。
 広島に落ちつつある原子爆弾を観測していた父と、岩石狂いの息子の二人によって地質学が変わったとはおもいたくはないのだが、本書はそのようにしてしか科学は革新されないのではないかと告げていた。

コメントは受け付けていません。