アルバート・アインシュタイン
わが相対性理論
白揚社 1973
Albert Einstein
Uber 1916
[訳]金子務

 ボルツマンは「優美にすることは靴屋と仕立屋にまかしておけばいい」と言った。
 これを踏襲して、アインシュタインは本書では叙述をあえて優美にしなかったと「まえがき」で断っているのだが、どうしてどうして、この本にはアインシュタインのエレガントなセンスが行間に染み出していて、かつて陶然となった。とくに「空間は物質によって制約されている」というメッセージをストイックに、しかし断固たる口調で、ちょっとヒューモアを調味して記述している個所にさしかかるたび、陶然とした。
 37歳のときのアインシュタイン自身による相対性理論の解説である。最終エディションでは、アインシュタインはこう書いた。「物理的対象は空間の内にあるのではなく、これらの対象は空間的に拡がっているのである。こうして“空虚な空間”という概念はその意味を失う」。

 ぼくが最初にアインシュタインを読んだのは春秋社の「世界大思想全集」の第48巻で、ここにマックス・プランク『エネルギー恒存の原理』『物理学的展望』とともに「アインスタイン『相対性理論』」が入っていた。昭和5年の石原純の訳だった。
 学生時代に読んだのだが、くらくらした。ついで矢野健太郎訳の『相対論の意味』(岩波書店)にとりくんだかとおもうが、これは途中で挫折した。さきほどその本を書架から取り出してみたら、ところどころに力んだ文字で熱心な書き込みがあった。
 それからもアインシュタインを読むことは、あたかも熱いお湯に浸かりたくなるようなもの、しばらく入っていると出たくなくなるといった読み耽りをたのしんできたが、それでも共立出版の「アインシュタイン選集」全3巻が刊行されるまでに、ぼくのアインシュタイン探索はノート5冊をぎっしり埋めた。

 誰もがそうだったように、ぼくも特殊相対性理論の理解から入って、一般相対性理論すなわち重力理論の汲めども尽きぬ魅力に取り憑かれていった。
 ロバチェフスキー空間、リーマン幾何学、ミンコフスキーの時空連続体モデル、ローレンツ変換式、マッハの原理、ガウスの曲率、宇宙定数λ、重力場方程式、シュヴァルツシルド半径、ブラックホール‥‥。いま思い出すと、有名な「双子のパラドックス」などよりも、こうした厳密で大胆なフィジカル・イメージを相手に格闘していた自分が懐かしい。
 そのうちアインシュタインその人にも関心をもって、ずいぶんの数の評伝やらアインシュタイン論を読んだ。フィリップ・グラスの「アインシュタイン・オン・ザ・ビーチ」など何度聴いたことか。もはやホワイトヘッドやカッシーラやガードナーのアインシュタインものを二度と読むことはないだろうものの、いつか新たな「アインシュタイン遊び」を工夫してみたいとも思っている。とくに子供たちに“物理親父アインシュタイン”のことを話してみたい。

 アインシュタインの出発点は、高校生のときに「光と同じ速度で走ってみたとしたら、光はどんなふうに見えるのか」と考えたことにあった。
 光が電磁波の一種であって、光が進むというのは電場と磁場の振動が空間を伝わっていく現象だということ、その電磁波が横波だということは当時から知られていた。電磁波が横波だということは、電場と磁場の振動の方向は光の進む方向と直交しているということで、そうすると光の進む方向に同じ速度で走ってみると、電場と磁場はそれとは垂直になるので、電場と磁場の振動は止まっては見えないにちがいない。光速の列車から光を見てもやはり光は走って見えるはずである。高校生アインシュタインはこう考えた。
 しかし、これはちょっとおかしいかもしれない。時速200キロの列車から時速200キロの列車を見たら、止まっているように見えるはずである。ぼくも高校時代の通学の京浜東北線で何度もこの観察を体験した。では、なぜ光速度で走ったまま観察しても相手の光は止まって見えないのか。
 ここから特殊相対性理論が誕生するまではだいぶんステップはあるけれど、一言でいえばこのような状況下で「光の正体」とは何なのか、「光と空間の関係は何なのか」という問題が、相対性理論の基礎になる。

 ガリレオにも相対性原理というものがあった。時速200キロで走る新幹線を時速100キロで走る車から見れば、新幹線は引き算をすればわかるように、時速100キロに見える。これがガリレオの相対性原理で、速度の合成則を成立させている。
 しかし、アインシュタインがのちに定義したように、光速度は秒速30万キロで一定の速さをもっている。光速度一定である。このような光を光速で追いかける観測者が見ても、光の速度はやはり30万キロに見える。3マイナス3は、まだ3なのである。
 ここには新たな速度の合成則がある。このアインシュタインの合成則はいまでも簡単に確認できる。加速器で二つの荷電粒子を衝突させると、光速に近い中性パイ中間子という素粒子をつくることができるのだが、この中性パイ中間子はすぐに二つの光に壊れる。中性パイ中間子はほぼ光速で運動しているのだから、ここから放たれた光は速度が上乗せされて、秒速60万キロに近くなるはずである。が、やはりその光は秒速30万キロになっている。
 ガリレオの相対性原理はニュートン力学を前提としている。その法則にあてはまらない現象があるということは、ニュートン力学ではない力学がおこっている物理世界があるということである。
 こうして、アインシュタインの力学世界が予想外に巨きい顔をあらわした。新たな運動方程式の登場である。そこからが特殊相対性理論の世界になっていく。

 特殊相対性理論は運動の速度が光の速度にくらべて無視できないほど大きくなる物理現象を扱っている。完全無欠と見えていたニュートン力学による運動の法則が、どうも光の運動については成り立たない。
 光が走りまわっている世界近くの観測者にニュートン力学が成り立たないとすれば、宇宙空間にはそうした「世界」がいくらでもあるということになる。しかしアインシュタインは空間そのものの捉え方を変えなければ、これ以上の説明はつかないのではないかと考える。空間にはそれぞれ「世界」の性質が付着しているのではないかという考え方だ。
 こうしてユークリッド空間が破棄される。ロバチェフスキー空間やリーマン空間が導入された。それらの空間では光がまっすぐ進まない。平行線は交わるか、ないしは永遠に別れ別れになっていく。しかし空間がそんなものだとしたら、時間も変わってくるのではないか。時間の捉え方も変えるべきなのではないか。

 たとえばエレベーターの箱の上下に鏡を取り付けて、その鏡を往復する光の運動単位を1とする。
 このエレベーターの箱を水平方向に移動して、この光の運動を箱の中と箱の外から観測すると、箱の中にいる観測者にはあいかわらず光は鏡を上下するだけだが、外の観測者には光は斜め上に進んで鏡に当たり、ついで斜め下に進んで床の鏡に向かうように見える。つまり外の観測者には光は長い距離を動くと見える。光の速度は一定なのだから、これは外の観測者にとって「時間が長くなって見える」ということなのである。
 このことは、光速に近く走っている時計を止まっている観測者が覗けるとすると、時間がゆっくり進むということをあらわす。有名なアインシュタインのウラシマ効果物語、いわゆる「遅れる時計」と「縮む時計」の話である。
 しかし、時間の伸び縮みより空間の歪み(曲率)のほうがぼくには衝撃だった。このことが発想されるには、先にミンコフスキーの四次元時空連続体モデルの理解が必要なのだが、いっときぼくはミンコフスキー・モデルに嵌まって、ハイデガーの存在学をすらこの
モデルで解こうと考えたものだった。

 等速直線運動を基準系とした特殊相対性理論を加速度系に拡張したものが一般相対性理論である。
 ただし「一般」というネーミングがわかりにくい。これは時空間と物質と重力の関係の理論だといったほうがいい。この理論の核心は、物質の質量が周囲の空間の性質を変えて重力場をつくるということにある。
 重力理論はもともとニュートンが確立していた。ニュートン力学では重力(引力)は波として伝わるのではなく、無限の速さで伝わるとされた。したがって重力を信号に使えばどんな信号でも無限の速さで伝わるということになり、どんな遠方であっても“時刻合わせ”ができるということになる。そのためには宇宙のどこでも時間が一定でなければならない。
 特殊相対性理論はこのニュートンの絶対時間を採用しなかった。では、その重力と時間はどのように関係するのか。もっとちゃんといえば、重力と時空はどう関係するのか。特殊相対性理論ではこれには応えられない。そこでアインシュタイン自身が10年をかけて、この考え方に新たな解決を与えたのが一般相対性理論である。本書もこのあたりのことをいちばん熱心に書いている。
 そこには「加速度と重力は似たようなものだ」という驚くべき発見があった。

 ぼくがエレベーターの中にいてリンゴを持っている。突然にエレベーターのワイヤーが切れ、ぼくはびっくりしてリンゴを放した。そういう状況を仮定する。これでエレベーターもリンゴも同じ加速度運動をする系が想定できたことになる。
 エレベーターの中にいるぼくにはリンゴはどう見えるか。エレベーターとともに自由落下するリンゴは止まっているかのように宙に浮いているように見えるはずである。もうちょっと深い認識をしてみると、もしぼくがエレベーター落下という事実を知らなければ、ぼくは自分やリンゴにはたらいていた重力が突如として消えたと感じるにちがいない。“存在の裏地”とでもいうものが奪われたと感じるにちがいない。
 この思考実験は、加速度運動によって重力を消してしまうことが可能だということを暗示する(これを利用したのが、宇宙飛行士の疑似体験で、高速で上昇したジェット機のエンジンを切って自由落下すると無重力が少しだけ生まれるという実験である)。ということは、ひょっとすると重力は「見かけ」の力かもしれないということになる。もしそうならば重力の運動方程式を、重力がはたらいていない時空での加速度運動として記述できることになる。が、はたしてそうなのか。

 そこで今度は自由落下するエレベーターで、ぼくが2つのリンゴを両手で同時に手放したとする。
 2つのリンゴはやはり宙に浮いたままだが、実は厳密に観測してみると2つのリンゴは少しずつではあるが、近づいていることがわかる。リンゴが地球の中心(重力中心)に向かって落下しているので、この方向のわずかなズレがあらわれたためである。もっと正確にいうと、これは地球の重力の強さが一様でないためにおこる現象なのである。
 この「重力の強さと方向のズレ」にアインシュタインは着目して一般相対性理論という名の重力理論をつくりあげた。そして「重力の強さと方向のズレ」は実は「時空間の歪み」であり、それはその時空にどのように物質が詰まっているのかということのあらわれだとみなしたのだ。これがすごかった。

 空間の中に物質があるのではない。物質の詰まりぐあいが空間なのである。
 その空間は空間として単独にはいない。空間は時間に連続し、重力の性質をつくっている。重力の分布こそが空間であって時間なのである。光はこれらの時空の性質に沿って動き、そして時空の特異点のなかで幽閉される。
 アインシュタインが提示した世界観は、このように破天荒のものだった。ここから先、一般相対性理論は重力場の理論をあきらかにし、重力波を予告し、中性子星の宿命やブラックホールの特異な性質を予測した。
 いま、アインシュタインの著書とそれを解釈しようとしたさまざまな研究書や解説書を読んでみると、いかにアインシュタインが提示した世界観によって従来の自然像や物質観が揺らいでいったかがよくわかる。日本でこれを紹介したのは、冒頭に紹介した石原純なのだが、どうもその解説は相対性理論の本質をついているとはいえないものに終わっている。
 それだけではなく、相対性理論はその後の科学者の踏み絵にすらされた。実際にも、この理論をめぐる解説書ほど、世界でたくさん出版されたものはないといっていいだろうが、その7、8割はむしろ読まないほうがいいというようなものばかりなのだ。ということは、アインシュタインは長きにわたって誤解されつづけてきた天才だったということになる。

 ぼくはかつて、古ぼけてレトロきわまりない京大花山天文台の宮本正太郎台長をインタビューしたことがある。
 そのときのことは忘れられない。ぼくがそのころ「富松解」とよばれていた重力場方程式の特異解をもちだしたところ、宮本天文台長は憮然として言ったものだ、「君ねえ、宇宙はアインシュタインの言ってるようにはなっていないんだよ」。
 1975年くらいのことだったとおもう。そのころ、まだ日本を代表する天文学者がこんな感想をもっていたのである。

 本書の第3部「全体としての世界の考察」で、アインシュタインは控えめだが、まことに示唆に富む一行を示してくれている。それは「われわれは宇宙は世界について“箱”と“空虚”という考え方をもちすぎたのではないか」というものだ。
 たしかにそうである。相対性理論をちょっとでも理解したいのなら、世界を眺めるにあたって、まず“箱”というイメージをなくしてしまうことだ。それには、自分のアタマの中で去らないどのような形の“箱”であれ、それを構成している“仕切り”や“厚み”をまず消してしまうことである。そしてその次に、その“仕切りのない箱”は実は別の理由でそこに“置かれている”ように感じただけだと、あるいはそこに“投影されている”ように感じただけだと思うことである。
 かつて、このように説明して相対論的宇宙論の入口に入ってもらおうとしたことがあったものだが、多くの人々が“仕切りのない世界”や“厚みのない世界”に抵抗を示した。しかたなくジョージ・ガモフの説明に切り替えたものだった。
 こういうことが多いので、相対性理論は数学から入ったほうがわかりやすいということになる。しかし、アインシュタインのフィジカル・イメージとの壮絶な闘いこそを、ほんとうは理解すべきなのである。

 では最後に自慢話をひとつ。
 ぼくは自分が科学にまったく携わってこなかった者としては、いちはやくアインシュタインの相対性理論を理解できた数少ない一人だったのではないかと思っている。これは湯川秀樹博士とのちょっとした蜜月が支えになったからなのだが(このことについてはまた書くことにするが)、明けても暮れても相対性理論に集中した濃厚な日々も役立っている。
 ずっとのちになって、当時、大阪大学理学部教授だった内山龍雄さんが岩波新書に『相対性理論入門』(1978)を書くことになったとき、内山さんから「どういうふうに書こうか悩んでいるんで、相談にのってよ」と言われ、二人であれこれそのシナリオを練ったことがあるのだが、そのとき内山さんは「君はどうしてそんなにおもしろく相対性理論のことが考えられるの?」と聞かれた。正確ではないが、こんなふうに応えたのではないかとおもう。
 「アインシュタインがおもしろそうに考えたということばかりが気になってましたから」。

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