谷内六郎
北風とぬりえ
マドラ出版 2001
ISBN:4944079273

 ぼくの周辺には小さな谷内六郎が何人もいる。そういう絵を描いたり、そういう写真を撮ったり、そういうオブジェをつくる。ぼくの日々の近くにいるごく親しい者たちだ。
 そのことをおもうと、これまでの生活の仕方も悪くなかったとおもえるほど、このことにホッとする。
 しかし、本物の谷内六郎にはやはりかなわない。そこでときどきは谷内六郎の絵を見る。すると、もっとホッとする。シャガールではこうならないし、ムーミンでもこうならない。けれども、谷内六郎の少年時代そのものを覗いたことはなかった。そうしたいとはおもっていたが、そういう機会がなかった。
 本書でそれが果たせてホッとした。本書は谷内六郎が自分の少年期を思い出して絵と文を書いているからだ。いつもホッとするためだけに谷内六郎に出会っているようだが、もう少し深い共感も少なくない。

 本書には『虫郎物語』と『北風とぬりえ』が収録されている。いずれも少年期の記憶にもとづいて少しずつ描き、少しずつ綴ったものらしく、これまでまとめて発表されていなかった。
 『虫郎物語』は「びんの色」で始まる。お使いで酒屋でビールを買って帰るとき、ビール瓶に目をくっつけてあたりを見ると、風景が赤茶けて江戸時代のように見え、草むらには勤皇の志士がうごめいて見えたり、関東大震災のような恐ろしい光景にもなるという話である。
 そういう話が1話120~140字ずつ綴ってあって、それに一枚ずつの絵がついている。モノクロで描いたものに本人がのちに着色したのだという。
 床屋で見た雑誌の中の大杉栄虐殺のニュース、兄がつくるカルメ焼が待ちどおしい話、サーカスのクラリネットに聞いたこと、向かいの西洋館で感じた幻想、言葉でいえないほど華やかだった正月の記憶、日だまりの匂いのする日光写真、人さらいに脅えた思い出、そういうことが次々に紙芝居のように描かれる。

 『北風とぬりえ』のほうは、ひとつひとつの文章が長い。それに1枚ずつのファンタジックな絵がついている。
 主人公はやはり虫郎で、谷内自身である。少年時代の幻視の光景がそうとうに詳細に綴られている。
 柱時計だけがボーンぼーんと鳴る部屋で、ボール紙の中に入れたおもちゃの汽車が壊れかかっているのを見ているうちに生まれてくる幻想。そこへやってくる小さな坑夫たちや大工さん。その汽車のついている窯から出てきそうな蒸気。いつかやってきた富山の薬屋さんが話してくれた汽車とラッパの話。その汽車が結局は柱時計の中に入ったりする幻想。そういう話が次から次に思い出されている。
 風呂屋に行くと、時代劇のポスターや映画館や洗濯屋さんや薬屋さんのプレートや張り紙が貼ってある。それを見ているとその中に入っていってしまう。風呂屋からの帰り道には月も踊っているし、豆屋のそばの池にはブリキ製のボンポン船がローソクにゆらめている。どこにだって物語が待っていた。
 虫郎は貧しい家に育っている。母親は造花の内職をしていた。その造花はケーキの上に飾るというもので、それを想像するだけで虫郎にはいくつもの御伽噺が仕上がった。その造花の仕事を頼んできた西田さんというお金持ちからは、ときたまいい匂いのする飲み物が運ばれる。きっとソーダ水のようなものなのだろうが、虫郎はその色を見ながら恍惚となる。そしてかつて遊んだシャボン玉とソーダ水がどこかで一緒になっていく。

 小学校を出ると、近所のブリキ建ての工場に働きに出る。電球工場である。ここにもたくさんの冒険と恐怖が待っていた。電球の中のフィラメントはティンカーベルであり、ガラス球は天体そのものだし、電気そのものが魔法であった
 それでも貧しいので虫郎は豆屋でパラフィン紙の袋をつくることになった。そのパラフィン紙が美しい。ともかくなにもかもが夢なのである。谷内六郎という人、その夢をいつまでも憶えている。そして、それをそっくり絵にできた。
 絵は好きだった。町角のペンキ屋に奉公に出たこともあった。泥絵具をニカワでといて、立看板の絵を塗りたくる。5円の給金は安かったので、賞金10円の漫画募集に応募することにした。似顔絵にも応募した。ときどき賞金が入ってきたが、画用紙と絵具を買えるぶんを残してお母さんに渡した。そのうち絵を送った浅草橋のオモチャ問屋が虫郎の絵を使うと言ってきた。児童用のカバンの絵付けに使うということだった。
 虫郎はそのオモチャ屋の問屋の屋根裏に住みこむことにした。「ぬりえ」がいっぱい倉庫に眠っていた。戦争が間近い16歳のころのことである。

 谷内六郎の絵と文は、時代を少しずつ進むようで、どこかで折り返してしまう。たいていは16、7歳で折り返しがやってくる。そこまでが谷内の少年時代なのである。
 そこから先は、ない。
 このこと、とてもよくわかる。ぼくの場合は少年時代は中学3年までである。そこまでの話はたしかに何度も折り返しがあり、折り畳まれてはまた開かれ、また何度となくそのうえに色が塗られている。そこで思いついたシュルレアルな幻想は、その先まで発展していったマックス・エルンストやアンドレ・マッソンとはちがって、その時点のままに折り紙になっていく。
 それが谷内六郎なのである。ぼくは中学3年をすぎて東京に出てしまい、そこで未熟な大人になっていった。そしてドストエフスキーなどに出会うことになる。折り紙は潰れた。けれども虫郎こと六郎は、折り紙をつくりつづけた。

 谷内六郎はイディオ・サパンではない。「少年」の幻視を描きつづける才能の持ち主なのである。下町のヒルデガルトであって、ぬりえの宮沢賢治だった。
 その谷内六郎に「週刊新潮」がおもいのたけだけ夢を見てもらおうと決断したのは、日本のメディア史上の画期的な英断だった。考えられるかぎりの最高のギャラリーだった。おそらく大半の日本人はその不思議な絵の世界に共感をおぼえたにちがいない。そこには「日本の少年」というものの決定的な原型があったからである。
 けれどもその谷内がどんな少年期を送ったかは、おそらくは知られていない。本書はそれを知る唯一の「よすが」ではないかとおもう。ぼくは泣いてしまった。

参考¶本書はごく最近に刊行された「谷内六郎文庫」の1冊で、ほかに『旅の絵本』『遠い日の歌』(いずれもマドラ出版)がある。珍しい絵も少なくない。むしろ岸田劉生の壮年からの回帰とつなげて考えたいものもあった。

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