ヴォルテール
歴史哲学
法政大学出版局 1989
ISBN:458815012X
Voltaire
La Philosophie de l'histoire 1765
[訳]安斎和雄

 本の書名というものはけっこう妖しいものである。
 人を鼓舞もするが、人をたぶらかしもする“知の蝶”のようなところがある。誰もが一再ならず経験していることだろうが、思わせぶりな書名や気取った書名にくらくら眩惑されて、何度も失望したことは、世界中で数知れなくおこっているにちがいない。
 むろんぼくも何度も騙された。そこでわがパーソナルメディア「一到半巡通信」に「今月の失望」というコラムを連載したこともあるほどだ。まあ、だからこそ著者や編集者は書名づくりにイノチを賭ける。
 けれども書名が内容をあらわしている保証など、どこにもない。クーラー「霧ヶ峰」とか自動車「クラウン」という商品名が商品の性能を何ひとつあらわしていないように、書名は本の中身からはみ出して立てられた目のつく看板なのである。

 書名だけではなく筆名も妖しい。いや怪しい。読者はこれにもいろいろ騙される。
 イザヤ・ベンダサン著『ユダヤ人と日本人』。大ベストセラーになったこの本は、書名も怪しいが、筆名はそれに応じて急造された架空の人物名だった(いまでは山本七平さんだったことがわかっている)。こういうこともよくあると思っていたほうがいい。
 筆名は読者をたぶらかすためにあるわけではない。作家は筆名によって自分すら騙している。三島由紀夫自身が書いていたが、彼が本名の平岡公威のままであったならば、あれほどの傑作を連打できなかったかもしれない。なるほど、そういうことはかなりありうることだろう。もっともぼくは三島が本名のままだったら、きっともっと早く夭折していただろうともおもう。筆名というもの、傍若無人の公私から繊細微妙な公私を守るのだ。
 ついでにいえば、実名と筆名を使い分けるのも少なくない。岩田豊雄と獅子文六など、とうてい同一人物とはおもえないが、この人はその同一人物とおもわれなさそうなことを、この二つの名前でうまく書き分けた。逆に、尾辻克彦と赤瀬川原平などは最初は別居していたはずだったのに、いつしか同棲するようになっている。そういうこともある。エラリー・クイーンや藤子不二雄は二人で一人、二人羽織だった。

 それで、ここにとりあげたヴォルテールの『歴史哲学』だが、ぼくはここではこの本を刺身のツマに、「ヴォルテール的作書術」ともいうべきものを浮き彫りにすることにする。作書術とは「本の作り方」といった意味。なぜそんなことを書くかという理由は、すぐわかる。
 実は、この本は書名が妖しいのである。とうてい歴史哲学とはおもえない。それなのに『歴史哲学』という書名になった。ヴォルテールがそうしたのだった。
 だいたいこの本は古代民俗誌とも古代風俗誌ともいうべき内容を扱った饒舌な報告である。けれどもヴォルテールは世界史を再構成する野心をもっていた。そこで歴史哲学などと銘打った。ようするに看板に偽りがある。
 ヴォルテールはそういうことをする。ヴォルテールはそのように本を作りだすことによって、フランスを変えたのである。が、フランスが変わったのは結果であって、最初はヴォルテールも見栄っぱりな動機から作書術を始めた。少なくとも『歴史哲学』では、ヴォルテールが甘えたシレーのシャトレ夫人を念頭において綴ったことに関係がある。そのシャトレ夫人に向けて「私めが歴史の真実を語りかけているのだぞ」という“こわもて”をしたかった。最初はそういう不純な動機だったろう。

 ヴォルテールはもうひとつ仕掛けをもっていた。ヴォルテールという名前が筆名だったのだ。
 フルネームではなく、単にヴォルテール。いわば「タモリ」とか「つんく」といった名前なのだ。諸説があってはっきりしないのだが、ヴォルテールは「ヴォロンテール」(意地っぱり)という小さい頃からの徒名(あだな)をもじったということになっている。また一説では、本名の綴りのアナグラムだということになっている。どちらにせよ、やっぱり妖しくて、怪しい。
 本名はフランソワ・マリー・アルエという、なかなか優雅な名前である。1694年のパリに生まれ、豊かな少年時代をおくった。ルイ14世の最晩期にあたる。ただフランソワが長じるにつれ、フランスは落ちこんでいく時期に入っていった。
 こんなぐあいだから、どうもヴォルテールという人物はふつうに評価しにくいところがある。教科書にあるような「フランス革命を準備した啓蒙思想を代表する一人」などというのはいちばんいいかげんな見方で、とうていこの範疇に収まらない。
 たとえば、である。フランソワ・アルエはその名にふさわしく、青少年期によく恋愛事件をおこしている。両親の知り合いで“サロンの女王”と騒がれたニノン・ド・ランクロ嬢にかわいがられ、書籍購入費として2000フランをもらった。かなり恵まれていた。甘ったれていた。ところがその裏ではかなり鼻っ柱が強かった。いろいろ魂胆をもっていた。
 そんなフランソワだったから、ルイ14世が死にオルレアン公の摂政期になって、フランスがしだいに政情不安定になってくると、自慢の鼻を砕く鉄槌が落ちた。1716年、フランソワは筆禍事件にまきこまれ、バスチーユに投獄される。その後も、決闘事件でバスチーユに保護されている。誇りが高すぎるか、奢りが高すぎたのだろう。
 これでやっとフランソワは変身を決意する。それがヴォルテールという捩れた筆名の誕生だった。ヴォルテールは本を作りだすことにした。おそらく筆禍事件がフランソワをヴォルテールに変えたのだろう。

 バスチーユを出たヴォルテールはいったんイギリスに行って、再起の準備を整える。作書の準備である。あのドルリー・レイン劇場でシェイクスピアの芝居をたくさん見ている。作劇を学んだ。そして、本を用意した。
 これがまんまと功を奏した。『哲学書簡』はこのときの随筆である。この書名もなんともおおげさで、読むと「哲学」とはいいがたい。中身は英国通信ともいうべきものだった。しかし、それを「哲学」と名付けたところが、新しかった。
 ちなみに書名にヴォルテール流のハッタリはあっても、この本はやたらに役に立つ。ロンドンの株式取引所、当時のクェーカー教徒の動向、フランシス・ベーコンの正体、ニュートンの光学をめぐる噂、哲人ジョン・ロックの受け取られ方、アレキサンダー・ポープの社会感覚。こういうことを、ぼくはこの本で実感できた。
 そうなのだ、ヴォルテールは読者を実感させることにやたらに長けていた。ヴォルテールが啓蒙的であるとすれば、そこである。情報を集めて新たな衣裳を着せる。あるいはそこから新たな文脈を浮き彫りにする。それがヴォルテールの啓蒙的な能力なのである。ただしそれは、本によってのみ成立したものなのである。
 たとえばヴォルテールはプロシアのフリードリッヒ2世に招かれて1750年にベルリンに入り、ポツダム宮殿で帝王と話をする日々を送るのだが、ベルリン・アカデミーの院長モーペルチュイにたちまち正体を見破られて、まるで石もて追われるごとくベルリンを去っている。ヴォルテールは作書術の中だけで生きていたというべきなのだ。
 実名者フランソワを研究し、筆名者ヴォルテールを偏愛する串田孫一は、そんな二重者ヴォルテールのことを愛情をこめ、「卓越するデマゴーグ」とさえ呼んだ。

 それでもヴォルテールは看板を出すことには自信をもっていた。本の世界で「哲学」の意匠を纏うことにも自信があった。そこは懲りてない。
 そこで手を出したのが、自称“哲学小説”である。ドーミエに挿絵を描かせた『ザディグ』、カンディドが社会の悪に次々に翻弄されるという筋書をもつ『カンディド』、感覚を描写する『自然児』等々。これらはプレヴォーの『マノン・レスコー』に触発されて対抗したというが、やはり小説とはいえない。哲学でもない。あいかわらず看板に偽りがある。
 けれども、読んでみると妙な味がある。ぼくは『カンディド』の狙いには、今日の日本の現代小説よりはずっと冒険的な実験性があるとおもっている。

 こうしてヴォルテールが次にあげた看板が「歴史哲学」だったのである。
 さきほど書いたように、この本は歴史哲学書ではない。それなのに、この用語はヴォルテールが初めて使った言葉であって、それゆえその後の学者たちはヴォルテールのこの用語をつかって歴史哲学という領域を継承していった。皮肉なことである。ヴォルテールの看板から“知の蝶”が飛び出したのだ。

 本書は旧約聖書を攻撃しユダヤ思想の表現に疑問をもつところから始まる。
 そう書くと、ヴォルテールがいかにも宗教批判をしているようだが、そうではない。ユダヤ教が示した内容は異教徒たちが書く内容とそれほどの大差がないということを指摘した。それを多くの民族文献と細かく突き合わせて比較した。これはいまでいうならテキスト分析というもので、もっとわかりやすくいえば文化人類学的な比較文化研究である。このへんは、ヴォルテールは近代学問の先駆者になっている。
 ところが、ヴォルテールの本書における記述のしかたは、これのどこが学問的なのかというほどに情緒的である。デカルトのような省察の切れはなく、パスカルのような推理の飛びもない。志しはライプニッツの予定調和を崩すところにもあるのだが、ライプニッツの論理の綾もない。
 それでも本書はおもしろい。古代エジプト人や古代ギリシア人のことがまるで見てきたように活写され、遠いインド人や中国人ですら通りを横切っている。つまりは本書は、作書家ヴォルテールが勝手につくった「世界」というものなのだ。そのように読むべきなのである。そして、そのようなヴォルテールの方法は、実はヴォルテールだけではなく、当時の大半の“啓蒙思想家”がやっていたことだったのである。本日は、そのことだけを言っておきたかった。

 ところで「ヴォルテール的作書術」に関しては、ヴォルテールが参考にしただろう年表の先行に注目しておきたい。たとえばサン・ピエールの『政治年表』やエノーの『簡約フランス編年表』などである。こういったクロニクル編集が先行していて、これらが示した活字の表組が示す時空間のスコープに、ヴォルテールの“看板見立て”の能力がおおいに触発されていっただろうからである。
 こういうことは、『情報の歴史』などをつくってきたぼくとしては、どうしてもヴォルテールに先立つ先行者たちの功績として、指摘しておきたいところなのである。

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