メアリー・カラザース
記憶術と書物
中世ヨーロッパの書物文化
工作舎 1997
ISBN:4875022883
Mary Carruthers
The Book of Memory 1990
[監訳]別宮貞徳/翻訳:柴田裕之・家本清美・岩倉桂子・野口迪子
読むとは、記憶を動かすことである。
記憶するとは、自然や社会や出来事や思考や心情を、
「読めるようにしておく」ということである。
そのように記憶と読書が対応するように
中世の書物はつくられ、その書物が活用されてきた。
書くことと読むことは、同じ作用だったのだ。
そこには、読み書き両用の編集法と用語法と注意法が
つねに用意されていた。
それを基礎付けているのが記憶術である。
記憶と書物をめぐるアルス・コンビナトリアは、
IT検索社会の今日にこそ、勇躍、蘇るべきだろう。

 何度も書いてきたことなのでいささか気がひけるけれど、ぼくは記憶力はさっぱりなのである。その人の名、いっさいの電話番号、あの人物の顔、あのときの服装、映画のストーリー、一度通った道筋、読んだ本のこと‥‥。ほとんど憶えられないタチなのだ。
 えっ、そんなことはないだろう、とくに「読んだ本のこと」なんて、あんなに憶えているじゃないか。そういう厭味な謙遜をするものじゃないと言われそうだが、いや、初験の記憶はほんとうにさっぱりなのだ。
 たとえばぼくと長らく仕事をしてきた渋谷恭子はめっぽう記憶力がよくて、フォトグラフィック・メモリーに長けている。彼女に聞いてもらえばわかるけれど、一緒に何かをしていて(たとえば町を歩いていて)、5分前や1時間前に通りすぎた店のイメージをお互いが言いあうなんてことは、ぼくにはまったく不可能なのだ。一緒に映画を見ていて、初めのほうに出てきた人物の顔を憶えていることもムリである。ところが、彼女はその大半をみごとに思い出す。
 けれども、これではぼくも仕事にならないので、いろいろ工夫をしてきた。たとえばその夜に就寝する前に、その日の印象に残したいことをざっと思い出す。本を読んだのであれば、その本を思い出す。それでも思い出せないことが多かったので、その本をまたざっと見る。読んでいるときにマーキングをする。そのマーキングをあとでもう一度見る。そういうことを繰り返してきたのだ。それが数十年続いてきただけなのだ。

 博覧強記の者を前にすると、人はよく「あんたのアタマの中を覗いてみたいもんだ」と言いたがる。ぼくもときどき、そういうふうに言われることがある。この投げやりな称賛には、しかし記憶と再生とのつながりが見えていないように思われる。
 博覧はディレクトリーがよくできていることを、強記はそれをブラウンジングするしくみがよくできていることを言うのだろうが、実はもっと大事なことは、その博覧と強記との二つのあいだには、思いもよらない「つながり」があるということだ。
 ぼくは何かを憶えていたいとは思っていない。知っていることなど、できるだけ放出してしまいたいし、どちらかといえば耄碌に憧れてきた。けれどもあまりに何も憶えられないタチなので、その記憶と再生のしくみを工夫するしかなかっただけなのだ。そのうえで、さまざまな本を読むうちに、多くのことがつながっているだけなのだ。本は、ぼくの救世主だったのである。
 トマス・アクイナスが『黄金の鎖』にいう「カテーナ」(鎖 catena)とは、その「つながり」のことである。カテーナは、もともと聖書のなかの特定の語句を鎖のようにつなげて記憶したり再生したりすることをさすのだが、そのうち複数のカテーナの組み合わせそのものがカテゴリーを動かしていると考えられた。

縁どりに用いられた真珠と宝石
その真珠の連なりは“記憶”を貴重な宝石にたとえたもの
キリストの英知の再生を表している

 古代ギリシアでも、ある哲人に多くのことがしっかり記憶されているときは、しばしば「世界がアタマのなかに書きこまれている」と言っていた。「世界が書きこまれている」! そうなのだ、すでにプラトン(799夜)は「想起」とは何かということに言及して、それは「頭のなかに書かれた絵を見ること」だと喝破した。

 中世、まさに書物はそのように「頭のなかの絵を見ること」のために作成されていた。そこでは、記憶は実践なのである。執筆は読書であり、読書は記憶であり、記憶は執筆なのである。
 ちょっと口はばったいことを言わせてもらうけれど、それにくらべると、近ごろのわれわれは、テクストばかりを大事にしぎるようだ。おそらくはポストモダン思想が蔓延しすぎたからだろうが、そうでなくともごくごく一般的に、読書とは著者の文章をできるかぎり忠実に読むことだと思いすぎている。あるいは著者の思想を汲みとることだと思いすぎている。
 そんなことはない。書物を読むということは、そのなかのテクストを、テクストに書かれた内容を、その順に汲みとることではない。そんなことをしても、ぼくにはそれを再生することは不可能だ。小説はまだしも、それ以外のものを読むんだったら、この手の読み方にはかなり限界がある。そう思っていたら、中世の文人たちこそ、今日に蘇るべき読書法を開発しきっていた。
 中世、書物に接するということは、テクスト以前とテクスト以降との、テクスト内部とテクスト外部との、その両方を読むことだったのだ。たとえば12世紀の初めのサン・ヴィクトルのフーゴーは、若い学生たちが写本のページのレイアウトや装飾とともに書物を読むことを奨めた。リテラトゥーラ(書かれたもの)はメモリア(記憶)の図形配置だったのである。

サンヴィクトルのフーゴーの『編年史』

 このメアリー・カラザースの本は10年ほど前の翻訳書であるが、一読、たちまちぼくの読書法のための虎の巻のなかの一冊となった。1941年のインド生まれ、ニューヨーク大学の英文学部教授で、中世ルネッサンス研究所のディレクターだった。
 よくぞ翻訳してくれた。工作舎の十川治江が着目し、C・H・ハスキンズの『12世紀
ルネサンス』(みすず書房)を訳した別宮貞徳(べっく・さだのり)に翻訳を頼み、これを石原剛一郎が編集した。
 石原君はぼくがかつて無料の「遊塾」(ゆうじゅく)をたった1年だけ開講したときの受講生で、その後に工作舎に入ってきたのだが、「匂い」に格別の知覚能力をもっていて、たとえば通学途中や通勤途中の各駅の特徴を匂いだけで識別できるという特技の持ち主だった。渋谷恭子も、これには腰を抜かしていた。その後、その特技がどんな方面で生きたかは事情聴取していないけれど、その好奇心が『記憶術と書物』のような出版物に向かえたということは、一種の匂い察知力の効用だったのだろう。
 本書にも紹介されているように、記憶とはそもそもが場所(ロキ)と表象(イマーギネス)とをつなげることなのである。それを音楽用語では「ソルミゼーション」ともいうのだが、そのソルミゼーションをグイード・ダレッツォのように音感にあてれば声楽や楽曲の楽譜が、それを石原君のように嗅感にあてはめれば駅の嗅譜や町の嗅譜がつくれるわけなのだ。
 それはそれ、本書においてメアリー・カラザースが見せた努力はたいへん好ましい。いっこうに思想ぶっていないのに思想としても充実しているし、観察が精緻でちっともでこぼこしていない。中世の知の歴史に分け入ってそこに停滞せず、つねに“読書の現在”に出入りしようとしている。中世の書物のみによって記憶と再生を関係づけるしくみがどのように組み立てられてきたかを言及したのが、かえってよかったのだ。ポストモダン思想なんかを引用しなかったのが、よかったのだ。
 たとえばジャネット・ソスキースというケンブリッジ大学神学部に女性の学者がいて、『メタファーと宗教言語』(玉川大学出版部)という奮(ふる)った表題の研究書を書いているのだが、これは期待に反してポール・リクールだの、マックス・ブラックだのにとらわれすぎた。カラザースにはそのとらわれがない。
 それでいて、たんなる歴史文化の解読にもおわらなかった。石原君がつくった帯のコピーにもあるように、本書がフランシス・イエイツ(417夜)の名著『記憶術』(水声社)を継ぐもので、かつイエイツよりも徹底して比較構成的になりえた所以であるだろう。
 それゆえ一言でいえば、カラザースは本書において記憶術の秘法を数多く紹介したというより、書物の意義の本来を告示したというべきだ。書物は、それが書物であるということによって、すでに記憶術そのものだったからである。

 この数年、ぼくが最も期待をこめたいと思っているヴィジョンは「書物の可能性」の上にある。
 ぼくはもともとすべての「方法」に関心があるわけで、その方法はまとめていえば「アルス・コンビナトリア」(ars combinatoria)にあるのだけれど、それは中世の書物にも最近の書籍にも、またコンテンツ・コンピューティングにも出入りする。そうした方法を点検すればするほど実感することは、多くの方法は書物から生まれ、たとえ途中にどんなメディアを通過しても、またまた書物に戻っていくということだ。
 この方法の意義を、どうか頼むから訳知りなマーケッターやおバカな脳科学者のように、「脳の可能性」とか「創造性の秘密」などと呼ばないでもらいたい。ぼくの関心はあくまで「書物の可能性」であり、仮に最大に広げたとしても「意味の作用」ないしは「メディアの変遷」というものなのだ。
 だから、ぼくにとっては方法の重要性と書物の可能性は、記憶力がからっきしだったせいもあって、とっくの昔からぴったり重なっている。いまさらそんなことは説明するまでもないはずなのだが、どうも世の中、そうではないらしい。パソコンが普及すると活字離れを警戒し、ウェブ社会が広まると書物の後退が噂され、みんながケータイをもつとケータイのクリックこそがページネーションだと思いこむ。
 またまた口はばったいことを言うけれど、これはかなりまちがった発想だ。書物のことがわっていないし、電子メディアのこともわかっていない。いや、脳のことも、意味のことも、わかっていない。脳とか意味って、もっともっとおぼつかないものなのだ、だから「つなぎとめておく」ための何かの工夫が必要なのだ。

ライムンドゥス・ルルス『アルス・マグナ・ウルティマ』
相互に交換可能にして結合可能な対角線の統合術

 13世紀にガーランドのジョンがいた。ジョンはとても具合のいいしくみによって、世界を解読する方法をつくったと自負していた。それは、ごくおおざっぱにいえば、場所(locus)、状況(tempus)、数字(numerus)を組み合わせれば、どんな学習も理解も発表も可能になるだろうというシステムだ。
 いや、難しいことではない。これは、ちょっと考えてみれば見当がつくように、いまでも企業や学校やパソコンでマスターさせようとしていること、そのものだ。日経新聞が毎日やっていることだ。5Wを明示して、出来事の前後を状況として記述して、そして数字をくっつける。会社で仕事をしてきた者なら、こんなことはとっくにやってきたことである。
 もっとわかりやすくいえば、これはリチャード・ワーマン(1296夜)の「マジカル・インストラクション」そっくりだ。そうなのである。ワーマンの方法は千年前に確立されていたことなのだ。
 しかし、ただ一点において、ガーランドのジョンは今日の仕事屋とかインストラクターとはまったく異なっていた。彼は、その方法によって「読んだことをしっかり縒り合わせること」(alligare lecta)ができると考えた。場所と状況と数字を「書物の中の世界」と結びつけたのである。いいかえれば、書物を読めば世界の再現が可能なように、そのような書物との関係を打ち立てたのだ。
 残念ながらワーマンはそこまでは進めない。どうもわれわれは、千年近くにわたって最も重要なことを忘れていたようなのだ。

ヨハネス・ロンベルヒ『記憶術集成』
修道院を使った記憶の体系

 中世、記憶と再生と創造のために発案され、工夫されてきた方法は、ほとんど記憶術と書物術をめぐっている。。
 何をどのようにどこに記憶し、それによってできあがった知の配置をどのように保持し、引っ張り出せばいいのか。それらをどういうときに変形させ、そして、すべての知の作用をどんな「カテーナ」(鎖)で繋げればいいのか。そしてそれらを、重ね合わせ、動かしあい、相互に延長させていくには、どうすればいいのか。中世ではそのさまざまなしくみが工夫され、試され、そのほとんどが書物に体現されていた。
 これらを仮にコード・システムとファイリング・システムの多重化というなら、このしくみは中世以前には、カラザースによればもっと厳密には1220年以前にはほとんど試みられていなかったものなのだ。それまでは、キケロやクインティリアヌスのような修辞学の天才たちでさえ(1020夜)、文章をコロン(cola)とコンマ(commata)とピリオド(piriodo)でしか読まなかったのである。
 それが中世になると、セビリアのイシドルスが「区分記号」(notae sententiarim)と名付けたような、意味単位の区切りがついた。たんなるテクストのディヴィジオ(分割)ではなく、なんらかの記憶と再生のための分節化だった。かれらはテクストを読むことを、テクストを再構成するように読んだのだ。これを「アルス・ノタタリア」(編集記号術 ars notataria)といった。ソールズベリーのヨハネスの『メタロギコン』はこの区切り術の効用を書いている。
 つまり中世では、「意味」(sententiae)とは、そもそもがテクストを意味の単位に区切って“読む"ということだったのである。
 ついで、索引と検索のしくみが工夫された。しかし今日の読者やユーザーにとっての索引や検索は、電話帳か本の巻末についている索引ページかグーグル検索かを思いつくだけだろうが、また、それらはたんに便利な補助システムだと思っているだろうが、それもまちがっている。初期の索引検索システムは、どんな言葉や用語を目印にするかということではなかったのだ。どんな「意味の単位」によって、どのように「アタマの中に目印を打てばよいか」ということだったのである。

ボカッチョ自筆『テセイダ』
意味の区分を本文と注の書体の違いであらわした例

 索引用語や検索記号は今日の書物やパソコンのように、最初から書物の巻末やパソコンの別欄に表示されるものではなかった。アタマと書物の“中”に同時に記されるべきものだった。
 そのため、章や節に番号をふること、テクストをグリッドに分けること、重要な最初の文字を彩色すること、朱書きすること(rubricare)、文中にアーチや柱のしるしをつけること、そのほかさまざまな工夫が試された。ぼくはこれを本に書きこむマーキングとしてずいぶん時間をかけてエクササイズしてきたが、セビリアのイシドルスたちは、とっくにこれを「アルス・ノタタリア」にしていたのだった。

「詩編」頭文字

アウグスティヌスの『エンキリディオン』欄外の表象
犬の頭部と旗じるしのあいだに「正しき希望とは何か」という表題を記す

 これをこそ“quote”(クォート)というのである。クォーテーションやクエスチョンのQのことだ。それは、「区切った跡を活用して、意味を動きやすくしていく」というはたらきを示していた。しばしば「メモリア・アド・レス」(要旨の記憶)とも言われた。そして、このQが多くのA(アンサー)を引き込み、そのAかららまた多くのQが引き出されたのである。

 本書が示した記憶術と書物の関係とは、そういうものだった。パソコンやケータイのディレクトリーに慣れた者には思いもかけないことだろう。今日の書物の“死蔵的プロダクト”からしても、瞠目すべきことである。
 もともと意味を分節化できるということは、アタマに意味が入ったり出たりするその作用に応じて、文章を書き、言葉を活用するということである。少なくとも中世では、意味と言葉と分節化と書物化とは一緒のことだった。
 ラヴェンナのペトルスは、言葉をすばらしく操れる者を称賛するにあたって、「それはまるで、本文と注釈を両方載せた立体的な書物のようなものだ」と言っている。これでも見当がつくように、中世人にとっては、索引がつくということは、アタマの中をその索引によって検索できるようにしておくということだったのだ。

 1235年から7年ほどをかけてのこと、イングランドのフランシスコ会のロバート・グロステストによって『索引』(Tabula)という記念碑が颯爽と出現した。
 グロステストはこれを作成するにあたって何を準備したかというと、あらゆる書物に“書きこみ”をした。ぼくのようなたんなるマーキングではない。そこにはさまざまな主題別・用法別の「印」(ノータエ)とともに、いくつもの不可読文字(littera inintellgibillis)が使われた。
 索引とはそういうものなのだ。索引を作るということは、中世においては書物をなんらかの方法で自分のものにするということだったのだ。
 もっとも、このような作業は一人でするとはかぎらない。ぼくは読書においては、今後はおそらく「共読」こそが重要な作業になると、先だっての『多読術』(ちくまプリマー新書)に強調しておいたけれど、グロステストもアダム・マーシュらとこの作業に協同で当たったようだし、それが『神学大全』のトマス・アクイナスともなると、そうした「共読」的な作業軍団をずらり引きつれていた。
 本書によると、トマスにはつねに3人か4人の秘書団がいて、トマスが読みたいような書物の読み方をマスターしていたらしい。そのためたえず、トマスの口述コンテンツを記録していたらしい。興味深いことに、その記録は一種の速記術と略号で綴られてもいたらしい。そのため現代著名な古文書研究者として知られるアントワーヌ・ドンデーヌでも判読が不能だったのである。

 トマスは『異教徒反駁大全』の草稿を、独特のノータエ(符号的略語)で綴り、それを書記の一人に再生読み上げをさせ、そして清書させていたようだ。書記がくたびれると別の者が代わった。
 「共筆」「共記」「共読」が一緒になっている。もっというなら、これは「共憶」だったのかもしれない。
 またまた個人的な話を挟むことになるが、ぼくはずうっと、この「共憶」をひそかな理想としてきたようなところがあった。一人で何かを憶えなければいけないなんてつまらないと思ってきた。一人で何かを表出しなければ創造的ではないだなんて、つまらないと断じてきた。もっと基本的な学習さえ、ヤノマミやプエブロの御一党のように、協同的であるべきではないか。

 考えてみると、いま、このような作業を代行しているのがコンピュータというものだ。コンピュータはじっとしている書物とちがって、見るからにたいそう強力だ。
 いや、グループウェアの道具としては、いささか共憶的で、共習的である。しかしながら強力なコンピュータではあるのに、そこにはトマス・アクイナスほどの記憶と再生と創造の「あいだ」がない。それだけでなく、カテーナ(鎖)のすべてをコンピュータがことごとく代行してしまうので、その鎖がナマの人間の認識や表現にどんな影響と効果をもたらしているのかが、まったくわからなくなってしまっている。
 なぜそうなったのかといえば、著者も指摘しているように、これは、まわりまわっては西洋の近現代文化が外在的で記述的な「記録文化」に頼ってきたのに対して、古代中世の文化が口承的で身体的な「記憶文化」に依拠してきたことと深く関係がある。おおざっぱにいえばそういうことになるけれど、それでも、これを取り戻すことはいくらでもできたはずである。
 そもそも人間の認知と表現の「あいだ」にあるのは、言語か書物かコンピュータか、さもなくば画像か映像か音響をともなう諸メディアなのだから、IT社会がここまで定着してきた世の中であればこそ、コンピュータと人間とメディアの関係をもっとおもしろくすればいいはずなのである。
 けれども、本来は相互に活性すべきマン・マシン・システムは、いつのまにかついつい「マン<マシン」システムになってしまった。作業ロボットが革新されていくと、この不等号「<」は、もっと右に向かって開いていくことになる。

 一方、書物は昔も今も、自分からは何もしないデクノボーのようにじっとしているシステムに見える。まるで黙りこくっているようだし、どんな応答もしてくれない。
 しかしほんとうは、現代人がそのようにしか書物に接することができなくなったというべきなのだ。すでに述べてきたように、中世ではそうではなかった。書物があれば、それを猛獣のように獰猛にもできたし、天体のように煌めかせもできたし、病人のように憂鬱にもさせられた。
 中世では、書物と人間の関係は「マン≒マシン」システムとしての威力を発揮したのだ。ジョン・ノイバウアーが『アルス・コンビナトリア』(ありな書房)で指摘したのは、その威力は近世や近代でも、たとえばノヴァーリス(132夜)やマラルメ(966夜)には継承されていたということだった。
 なぜ、そんなことが可能であったのか。「考えようとすること」(consideratio)が「書かれようとしたこと」(literatura)と対応していたからだ。いや、そのように「書くこと」と「読むこと」とが有機的に立体的に交差していたからだ。

 書物の中にあるもの、その大半はテクストであろうと思われている。しかしながら、世の中の書物を見ればすぐわかるように、テクストは書物の隅から隅までを埋めつくしてはいない。表紙があり、表題があり、見出しがあり、レイアウトがあって、余白があって、段落がある。
 中世人にとっては、書物とはこれらすべての関係の実現のことだった。書物こそがノートだったのだ。したがってそのような書物を体験する読書とは、このすべてを自分の知覚や身体に対応させることなのだ。テクストは、これらとの関連をもった「テクスチャー」や「テキスタイル」(織物・組織)の一部だったのである。

法令集の1ページ
複数の読者が加えた注釈のなかに様々な図柄が見える

 意外なことと思われるかもしれないが、ギリシア語には「読む」という動作をあらわす動詞がない。そのかわりに古代ギリシア人がつかっていた「アナギグノスコー」(anagignosko)という動詞は、「再び知る」とか「想起する」という意味だった。
 またラテン語にも「読む」という動詞はなく、その意味につかわれていた“lgo”は「まとめる」「あつめる」という意味だった。つまり古代中世では、読書とは全知覚を総動員することだったのである。
 かくて古代人や中世人が書物に向き合うときは、当然に最も重視したことがあった。それは判断(doxis)は記憶(memoria)であって、記憶は実践(praxis)であろうということだ。そして、書物は黙りこくったオブジェや孤立したシステムなのではなくて、いつも躍動を待ちかまえている「記憶という書物」であろうということだった。
 書物はそもそもが記憶計画であって、そもそもが認識原型になっているということなのである。
 これはいまさらながら、アリストテレス(291夜)が『記憶と想起』においてすでに見抜いていたことだった。考えることが想起であって、本を読むことも想起だったのである。あらためて言うけれど、すでにプラトン(799夜)は、想起は印章を捺印したように、記憶に押印された「アタマの中の絵柄」を見ることだと言っていた。

 中世を代表する文人の一人であったアルベルトゥス・マグナスは、アリストテレスの『記憶と想起』に注釈をつけた天才である。そのマグナスは、追想や想起は記憶をなぞることではなくて、「取りのけておかれたもの」(obliti)を、記憶を通して「記憶によって見つけだすこと」(investigatio)だと喝破した。

記憶の劇場、ないしは倉庫
想起するためには何かを加えねばならない記憶の空き部屋
ジョン・ウィリス『記憶法』

 ぼくはこの指摘に降参する。脱帽する。これは、コンピュータによる機械的コピーやマッチングとはまったく異なっている。われわれはいくらコンピュータを使っても、自分のなかの記憶の配置をそれによって組み替えてはいない。コンピュータでできあがったことは、コンピュータの中だけでできあがったことなのだ。だから、何かがわからなくなればコンピュータを開けばいいと思いすぎている。
 しかし古代や中世では、「なされたこと」(facta)は「かたられたこと」(dicta)なのである。読書をすればアタマの中まで変わるべきだったのである。だからこそ、これらの方法の基礎には記憶術(ars memorativa)があるとみなしたのだ。
 こうして本書が一貫してあきらかにしたことは、「記憶の技法」とは「想起の技法」であるということだ。この二つの行為の「あいだ」には同一的もしくは近似的な動的なスキームがあるということなのだ。メアリー・カラザースがまことに豊富な事例で紹介した記憶術とは、このスキームに肉薄することだった。

 15世紀にヨーロッパを「紙」が席巻するまで、多くの中世人は「蝋引き書字板」をつかって言葉をしるしていた。かれらにとって、これが中世のパソコンであり、古代のワープロだった。
 この蝋引き書字板は、まずはそれ自体が「場所」(topos)であって、記憶と表現のための「座」(sedes)であった。ということは。中世人のアタマはこの蝋引き書字板の上にあったか、あるいはその書字板にアタマの中のものを移せるものだった。
 しかし、書字板はせいぜい50字か100字か300字を載せられる程度のものなので、そこで、もっと記憶容量の大きな書字板にあたるものを何か想定する必要があった。ここでパソコン世代なら、PCを買い替えるか記憶容量をふやすかという機械的な処置をほどこすだけだろうが、そこが中世ではまったく異なっていた。
 中世の文人たちは書字板に対応する「想像上の記憶書字システム」を工夫した。これが記憶術や記憶法を媒介にした“宇宙大・世界大の中世的システム思考”となっていく。
 このとき、これまたぼくがすっかり感心していることに、中世人たちはアタマの中に「背景」(ロキ)を残すということに留意した。すでにキケロは有名な『ヘレンニウス修辞書』で背景と書字板の格別な関係に言及しているのだが、それは、「背景が記憶の中に残るようにしておくこと」だった。キケロは記憶と言葉が双子の姉妹であるとも見抜いていたのだ。

アーゴスティーノ・デル・リッチオ『場による記憶の術』
記憶が場所のカテゴリーに対応すことを示す図

 それに対して、うたかたのような表象(イマーギネス)は「文字」のように出入りする。漢字ならばそうではないのだが、ヨーロッパの文字は音標文字だ。そのため表象だけを記憶や思考の対象にしていると、つねに背景のないものになっていく。それゆえ、表象は背景によってしっかり繋ぎとめられるべきだった。
 かくて中世の“宇宙大・世界大のシステム”の背景は、情報の「地」(ground)であり、表象のほうは情報の「図」(figure)として動きまわれることになったのである。

 中世の思考や推断や表現にとって、ロキ(背景・地・舞台・世界)とイマーギネス(表象・イメージ・図・アイテム)の関係は、記憶術や読書術の根本である。
 そこでは、さまざまなカテーナ(鎖)が使われる。ロキとイマーギネスの関係は対応していなければならないが、それとともにロキはイマーギネスをしっかり引きとめ、イマーギネスはロキを自在に動けなければならなかったのだ。それをカテーナがたくみに操作した。

蜜蜂と花の縁どり
読者は蜂が蜜を集めるように読書の華を集めるという比喩

硬貨の縁どり
記憶を硬貨のように金庫にしまうという教訓

 東洋思想であれば、このカテーナがさしずめ「ヨーガ」なのである。ヨーガとは、もともと牛を繋ぎとめるための紐を繋いでおくという意味であるけれど、そうだとすれば、ヨーガにおいては牛が耕す耕田がロキであり、その牛に乗る牧童がイマーギネスだったのである。
 ヨーロッパ中世では、そのロキとイマーギネスの関係を保証しているものは何だったのか。それが「書物」というものだった。それゆえ記憶術は書物術であり、読書術が記憶術だったのである。だからこそ初期ルネサンス最大の文人となったペトラルカは、読書こそが、読書だけが、レクティオ(勉学)の根本になりうると確信した。
 ペトラルカは本を読みながら、ロキとイマーギネスを動かした。また、そのために山にも登った。山はペトラルカのロキだったのだ。ペトラルカはこうも言う、「山に登り、本を読むことが、自分になることなのである」。

 こうした中世の「記憶と書物のあいだ」をめぐるラディカルな工夫を見ていると、今日のわれわれがいかに横着な読書をしているのかということに、いまさらながらに気がつかされる。
 今日の読書は文字面ばかりを追いすぎて、また執筆者のご機嫌や気まぐれを追いすぎて、あまりにも知のモデルを欠きすぎたのだ。
 これは「書くこと」と「読むこと」とを分離しすぎたせいである。書くモデルと読むモデルとが本来的に相同的であったことを忘れてしまったせいだ。“読み書き”(リテラシー)とは、読むときも書くときも一緒の活動作用だったと思うべきだったのだ。しかし、そのことを忘れてしまった。
 本書があきらかにしたように、そもそも思考というものは次のような一連の手続きを前提にしていた。まずは古代中国ふうにいうなら、「興」があったのだ。これが古代ギリシアや古代ローマなら「想起」にあたる。ヨーロッパ中世ではインベンション(創案 invention)というものだった。こうして記憶が呼びさまされた。
 中世では、次にはインベントリー(在庫目録 inventory)を点検した。点検するだけではいけない。自分が創出したいと思っている思考の行く先にむけて、意味を寄せあつめた。古代中国なら「風・雅・頌」「賦・比・興」になる。六義六法だ。ぼくの『白川静』(平凡社新書)を読まれたい。
 こうしてアタマの中に意味を「書きしるす」(authoring)ということがおこる。意味の繋がりを自分の体の外に持ち出して、文字の綴りにしていくことだ。これはまさにオーサリング(執筆・著作)である。しかしそれは、自分の思考の行く先を何かによって「認められるものにする」(authorizing)ということなのである。つまりオーサリングはオーソライジングだったのである。
 オーソライジングは権威化ということではない。オーソリティとは権威ということではない。オーサリングによって、その意味が「公然となる」(認められたものになる)ということなのだ。
 アウグスティヌス(733夜)はこのような一連の行為を“colligere”というふうに言った。この言葉には「貯める」と「読む」という二つの意義が重なっている。ペルージャのマッテオルは、この一連を「精神の口述」(mentis dictatio)だとも言った。フォルトゥナテスアヌスは、これは「記憶の形成」(similitudines)であろうと見なした。いずれにしても、読むことは書くことであり、書くことが読むことなのだ。問題は、その読み書きをどのモデルに積極的に仮託して思考したのかということだ。

 ところで本書を読んだあとも、ずっと考えていることがある。それは「音読と黙読」のことだ。
 ぼくも長らくそのように思ってきたのだが、古代中世ではもっぱら音読(clare legere)だけがおこなわれていて、黙読(legere tacite)するようになるのはかなり後世になってからのことだと思われてきた。ところがマリア・カラザースは、古代中世においても音読とともに黙読が平行していたのではないかと見た。さあ、これは、どうなのか。
 カラザースは当初から二種類の読書法があって、ひとつは意味を内外で掴むためにしっかりと声を出入りさせて読む方法だが、もうひとつは呟くように低く読む方法があって、この後者のほうには、ときに黙読が含まれていたのではないかというのだ。
 なるほど、これはありうることだろうと思う。古代人や中世人がまったく黙読ができなかったというのは、たしかに変だ。
 しかし、いわゆる今日にいう黙読がおおっぴらにされていたのかといえば、やはりそうでもないだろう。もしも黙読法があったとすれば、それはかなり特別な方法だったのではあるまいか。人目を憚り、自身の内なるものを他者から途絶するための方法だったのではあるまいか。
 そのようなものに何があったかといえば、瞑想があった。あるいは黙祷があった。古代や中世の学校でのレクティオ(勉学)では音読が重視されていた。しかし修道院などのメディクテーオ(瞑想)では、ひょっとすると初心者たちは聖書をこっそり黙読せざるをえなかったのである。
 サン・ヴィクトルのフーゴに「瞑想的読書の三段階」がある。それによると瞑想者は、まず言葉の事例に集中し、次にそれを心(アタマ)で真似て、仕上げでそれわ体にめぐらすという。これは、必ずしも書物を黙読したということではない。そのように心身に言葉がゆきわたらせることが苦手な者が、こっそり聖書を“目読”したのであったろう。ぼくはそのよう推理する。この点について、ちょっとカラザースの結論に保留をつけておきたかった。

 それでは最後に、中世の驚くべき“指南”についてふれておくことにする。これは、カンタベリー大司教でもあったトマス・ブラドウォーディンが残した「指南書」で、『人為的記憶法』というものだ。
 ブラドウォーディンは1325年から10年間ほどオックスフォードのマートン学寮で数学と神学の指導にあたっていて、そのとき、さまざまな記憶法や学習法を考案した。のちに聖パウロ聖堂の尚書係やリンカン尚書院長ともなって、万巻の書物に精通した。ぼくは未見だが「思索的算術」「思索的幾何学」といった著作もあるらしい。ダグラス・ホフスタッターあたりにこそ読んでもらいたいような本である。

ブラドウォーディン「聖アウグスティヌスの福音書」
グリットのボックスに未完の背景と人物像を収めたの余白のある記憶

 ごくごくめぼしいところだけを紹介するが、ブラドウォーディンは、記憶のためには、まずもって自分が使いやすい「場所」をいつでも取り出せるように思いついておくことを奨める。
 その場所は光がよくあたるオープンスペースがいい。大きすぎても小さすぎてもいけないし、注意をそらす装飾があってはならず、教会や市場のような人が集まる場所もよくない。まったくの想像上の場所ではなく、自分でときどき訪れた場所がよく、いつでもそこへ行けるような場所ならもっといい。
 おそらく「庭」や「中庭の歩廊」のようなスクウェアなところがいいだろう。しかし、その場所にはわかりやすい時間的な変化があったほうがいい。だからたとえば「畑」などがわかりやすい。そうすれば、その場所は、①荒れ地、②翠したたる庭、③主格を迎えた畑、④切り株だけが残っている畑、⑤焼けた畑、というふうに5段階に変化する。うーん、なるほど、これは凄い。
 しかし、ここまではまだ初級なのである。次にもう少し発展させて、この場所に構造性や階層性をもたせる。たとえば建物だ。1階からしだいに上のほうに積み上がっていく構造を想定したい。ただし、これらのフロアの特徴に対して、自分が距離と角度をもって眺望できる(distancia)という、オムニシエントで、かつオムニプレゼントな“視点”を確保することが必要だ。そして、それぞれに眺望ができる中点を、アタマの中にしっかりと置くようにする。これで、「建物の中に次々に変化する畑」ができたはずである。

ダンテ『神曲』地獄の構造

 以上の準備ができたら、この変化する場所に、記憶すべき用語・出来事・イメージを、さらにテクストを、対応させる。ここで注意すべきなのは、「言葉の記憶」(メモリア・ヴェルポールム)と「内容の記憶」(メモリア・アド・レス)とを区別して処理することだ。ぼくならば「単語の目録、イメージの辞書、ルールの群を区別しなさい」というところだ。
 しかしブラドウォーディンは、まったくぼくが気がつかなかった方法にも注意を向けた。これがいよいよ上級の指南になるようだが、要旨記憶(sententialiter)と逐語記憶(verbaliter)とを峻別できるようにしていきなさいというのだ。そして逐語記憶には、音声や音節による記憶を伴わせるといいだろうと奨めた。なるほど、なるほど、これまた脱帽だ。
 こうしてブラドウォーディンは、以上のことを文章を書くときやスピーチをするときにも応用できるように訓練しておくべきだと付け加えた。すなわち、書くときにも自分がその内容を書きうるような場所を設定し、スピーチをするときにもスピーチをしやすい場所を想定するといいと指南した。これはブラドウォーディンが思考というものを「約束に従った場所」に依拠させることで発展できると確信していたことを、象徴的にあらわしていた。
 そのほか、ブラドウォーディンは「言葉のもじり」や「人形劇の舞台」なども記憶世界モデルの候補としてあげている。ぼくのミメロギア的編集術にも、アバターによるコンピューティング・システムにも匹敵するものだった。
 いやいや、おそれいりました。諸君、ときには「観念の中世」に戻るべきである。書物が誕生していったその中世に。できれば、世阿弥(118夜)の『花伝書』とともに、戻ってみるべきである。

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