ウィリアム・バロウズ
裸のランチ
河出書房新社 1965・1992
ISBN:4309462316
William Burroughs
The Naked Lunch 1959~ 1990
[訳]鮎川信夫

 お待たせしました。バロウズだ。
 ウィリアム・シュワード・バロウズ。1997年に83歳で死んだときは、何人もから「バロウズが死んだの、知ってました?」と言われた。バロウズとは、そういう語られ方をする“存在タントラ”なのである。マントラではない。誰もが知っているようで、誰も知らないタントラだ。カリスマなのだろうしカルトでもあろうが、といってそんなこと知っちゃいないという超存在だ。
 いま思い出したけれど、埴谷雄高が死んだときも「埴谷さん、亡くなったの知ってました?」と言われた。

 バロウズの数ある作品のうちで『裸のランチ』を選んだのは、これがなんといっても超有名な代表作だからであって、この23のエピソードからできている作品を“解説”するつもりはない。
 この作品は筋もないし、イメージはハレーションをおこすばかりで、いったいどのように読んだか(河出の「人間の文学」シリーズの中の一冊だった)、正直いって、そのころのことがほとんど思い出せない。最初はトリスタン・ツァラを、ついでネルヴァル、バタイユ、ルーセルその他いろいろの唐突が去来し、ついでブリティッシュ・ロックやグラム系ロックのシーンがさかんに浮かんで、やたらに眩めいただけだった。
 きのう、久々にざっと流し読みしたが、当時同様、やっぱりこちらはこちらで勝手にイマジネーションを膨らませて読むしかなかった。といってカットアップ(これについてはあとで説明する)ばかりの文章とも思えなかった。けれども、やっぱりすばらしい。何かがダントツだ。
 ちなみに当時の「人間の文学」版も、この河出完全版も鮎川信夫の訳なのだが、完全版のほうは日本のバロウズ研究を独走している山形浩生が細かく手を入れている。このことは本書の「あとがき解説」にも、山形の『たかがバロウズ本』(大村書店)にも書いてある。ついでにいうと、『たかがバロウズ本』は、いまのところバロウズを知るにはもってこいのもので、かなりの圧巻だ。

 それでは、なるべく遠いところから話してみよう。
 祖父はバロウズ計算機の創業者。父親はガラス屋か製材屋、母はロックフェラー財団のプレスエージェントの娘。二人がセントルイスで1914年に生まれたウィリアムを育てた。ウィリアムはロスアラモスの寄宿学校に入って、そこで同性愛を知った。ウィリアムはその後もずっと女嫌いではあったが、ゲイの半分以上がそうであるように、多少はバイセクシャルだった。
 バロウズの同性愛については、いろいろ噂が飛び交ってきたが、本人は「同性愛では、相手の人間になりたいということが大きな衝動になっている」というようなことを書いている。
 1932年、ハーバード大学に入る。英文学だ。が、行儀のよい文学にはすぐに愛想をつかした。一転、1937年にウィーンに行って医学校に入った。そこでユダヤ系のイルゼ・クラッパーと知り合い、彼女の国外逃亡を幇助するため偽装結婚をした。変なことをするものだ。医学にもたいして関心をもてなかったらしく、その後はハーバード大学院で考古学を学んだ。どうやら考古学には一番惹かれた模様だが(これも予想のつくことだが、バロウズはいつだって稠密な学問に対しての学習意欲が高い)、それもむろん続かず、しきりにシカゴ、セントルイス、ニューヨークなどを遊行した。
 ニューヨークでギンズバーグ(第340夜)、ケルアック、キャシディと出会ったのが運のつきで、完全にビート・ジェネレーションの洗礼をうけた。洗礼はうけたが、すでに意識は飛んでいて歪んでいたし、誇り高き孤高も保った。世間にも友人にも落とし前もつけたかった。
 そういうところがバロウズなのである。たとえば、男友達へのあてつけに小指を自分で切り落としたりしている。

 作家として順風満帆だったことはない。だからといって職業など一定しているわけもなく、陸軍のパイロット訓練生、コピーライター、バーテン、害虫駆除員、故買屋など転々とした
 私立探偵や俳優にもなっているのは傑作だが、決定的なのは故買屋をしているうちに、扱い品のモルヒネに手を出したことだ。麻薬中毒者バロウズの誕生である。そのことと関係があるのかどうか、ルイジアナに移って、そこでジョーン・アダムスを妊娠させて同居を始め、内縁の妻とした。
 1949年になると、『ジャンキー』を執筆しつつ、バロウズの人生にたびたび出てくる“ヤーヘ”(イェージ)を思慕して南米に旅行する。この同性愛旅行がどういうものであったかは、のちの『おかま』(ペヨトル工房)にあからさまな筆致で綴られている。
 このころ、バロウズはいったんドラッグを断ったらしいのだが、そのぶんアルコールを浴びた。1952年、バロウズは妻ジョーンを射殺してしまった。酔って“ウィリアム・テルごっこ”をしているうちに、誤って撃ち殺したことになっている。むろん逮捕された。殺人容疑で逮捕される作家というのは珍しい。もっとも逮捕の数というだけなら、ジャン・ジュネやティモシー・リアリーにはかなわないし、のちのルイ・アルチュセールのことなどを思うと、バロウズのこうした“犯罪性”は時代をそうとうに“先駆”していた。

 さすがのバロウズも夫人殺害容疑はこたえたようだ。保釈中にはまた南米に遁れ、ギンズバーグと交信をかわした。これが『麻薬書簡』である。バロウズはギンズバーグにも懸想したのだが、ギンズバーグは応じなかったようだ。
 このあとバロウズがタンジールに移住したことは、文学史上においても特筆すべき「タンジール異種混合文化事件」ともいいたくなるような、エキゾチックで劇的にアナーキーな出来事なのだが、これについてはぼくの年来のタンジール趣味と絡めて、「千夜千冊」では別の本をもって案内したい。
 で、バロウズはこのタンジールで一人の重要な男と出会う。ブライオン・ガイシンだ。
 ガイシンはバロウズに「カットアップ」や「フォールドイン」を吹きこんだ人物で、画家であって、モロッコの山岳民族ジャジュカの音楽に傾倒していたホモの変人だった。ジャジュカの演奏を聞かせる「千夜一夜」(!)というレストランも経営していた。その絵は和風イスラミックな書道っぽくて、いっときぼくは驚嘆して画集を取り寄せたことがある。ローリングストーンズのブライアン・ジョーンズ、刺青でも評判になったジェネシス・P・オーリッジらも、ガイシンの絵にぞっこんである。

 さて、このガイシンが「文学は絵画より少なくとも50年は遅れている」と言って教えたカットアップやフォールドインは、バロウズを喜ばせた。
 これは一言でいえば超編集術である。カットアップというのは、新聞や雑誌や書物から適当なセンテンスやフレーズやワードを切り取って、これを前後左右縦横呑吐に並べていく“言語上のカット&ペースト”の手法をいう。ガイシンによると、この手法をつかうとわれわれの無意識情報やサブリミナル情報がその文体中にメッセージとしてエピファニー(顕現)してくるという。
 フォールドインも似たようなものだが、これはカット&ペーストもせずに、いきなり新聞・雑誌・書物・カタログの1ページをそのまま折ってしまう。つまりフォールド(折る)してしまう。「対角線を折る」わけなのだ。そうするとまったく関係のなかった単語や言い回しや文章がそこに奇妙に突き合わされ、新たな文体光景を出現させる。それをそのまま“文学”に採りこんでいく。
 これらは、モンタージュやフロッタージュやデカルコマニーからすれば、たしかに美術家はずっと以前から気がついていた手法だった。ガイシンはそれをバロウズに示唆し、バロウズは(おそらくはその程度のことは気がついていたのだとはおもうが)、より偏執的な熱情を注いでこの手法に没入していった。
 こうしたカットアップやフォールドインが、とくに英語の文章には効果的であると指摘したのは山形浩生である。カットアップの途中で主語をちょんぎられた文章は命令文に見えるため、そうやってできあがってきた文章は強いメッセージ性を発揮するというのだ。なるほど、なるほど、これは膝を打った。

 バロウズは決して小説を唾棄したり、軽蔑しているような男ではなかった。そうではなくて、バロウズにはバロウズ独自の文学理論があった。
 そのひとつは、現実はあらかじめ録音された出来事や思考過程を再生しているように見える、という理論である。この考え方自体はそれほど奇矯なものではないが、バロウズはそれならば、過去の記録を並べ換えたり、組み替えたりしてみれば、おそらくそうやって構成された「表現された現実」はまったく新しい相貌をもって見えてくるのではないかというふうに、突っ込んでいった。バロウズの作品がいつも、誰も見たことがない超絶的現実を見せつけるのは、このためである。
 もっとも、こういう考え方を押し進めていくと、極端にアナーキーな作劇法とでもいうべきものができてきて、キリなく人工現実の再生や再々生や再々再生が可能になってくる。事実、カットアップをウェブにとりこめば、いくらだって現実を作り替えられることになる。それは音楽においてサンプリングやリミックスを駆使することに似て、駆使しすぎればどこまでもリミックスは終わらなくなっていく。
 ここは一言言わせてもらうことにするが、だからこそ、編集上の「香ばしい失望」もまた、必要なところなのだ。
 ところで、しばらく前からウェブ上には「ドクター・バロウズ」というキラーソフトが出回っている。EV/細馬宏通が開発したもので、よくできたカットアップ・ソフトになっている。文体リミックスの編集術に関心があるのなら、ぜひ試みられるとよい。

 タンジールの話から横滑りしてしまったが、『裸のランチ』がタンジールで完成されたことも言っておかなくてはいけない。ということは、ここにはすでにカットアップが入りこんでいたということなのである。
 このあとバロウズは、ブライオン・ガイシンが店の経営に失敗してほとんど無一文になったので、二人でパリに行って共同生活を始める。『裸のランチ』がパリのオリンピアプレスから出版されたのは、この事情とともにある。
 これを読んでそのぶっ飛んだ感覚に驚いたのがティモシー・リアリーで、なんとかバロウズをアメリカで“開花”させたいとおもうのだが、バロウズはどうもそういう興味がない。またパリやロンドンに戻って(ちょっとだけだが、ニューヨークにも住んで)、『麻薬書簡』『ソフトマシーン』『ノヴァ急報』『爆発した切符』を発表した。あとの3つがカットアップ3部作にあたる。
 このころからである、日本でウィリアム・バロウズの名が囁かれ始めたのは。曰く、「トマス・ド・クィンシー以来の革命的麻薬中毒者の天才が出現しているらしいねえ」。

 ぼくはもうちょっとでバロウズに会いそこなっている。ソーホーでナムジュン・パイクが「松岡さんも、バロウズには会いたいね」と言うから、飛び上がって「是非に、是非に」と頼んだが、そのときはロンドンにいるらしく、機会を逸した。
 すでにローリー・アンダーソンが「ミスター・ハートブレイク」にバロウズの朗読を取り込んでいた。カート・コバーンもバロウズの朗読とのコラボをしていたろうか。少なくとも、ミック・ジャガー、デヴィッド・ボウイ、ルー・リードたち綺羅星が次々にバロウズ詣でをしていた。そういう噂はつねにバロウズには付きまとっていた。そんな時期だから、ぼくもミーハー気分になっていた。
 それにしても、こんなふうに文学者の声が音楽のトップシーンに“前衛引用”されたというのはおそらく初めてのことだろう。日本では現代音楽に北園克衛の詩が入りこんできたことはあったが、詩人の声が直接に“出演”することはなかった。
 ロックとドラッグが近かったことも影響していたにちがいない。ロックミュージシャンたちは、バロウズの言葉がトリップしきった音楽に聞こえたのだろう。ともかくもバロウズの世間を無視したような独特の生き方と表現性に、みんな参っていたのだ。
 もしもそのころにシュタイナーグルジェフやクロウリーがいたら、かれらはそちらにも傾いただろうが、そういう神秘主義的なカリスマは、もういなかった。バロウズはいわば唯一無比の第六禅天魔として迎え入れられたのだ。
 いずれにしても、バロウズとロック・ミュージシャンの関係は音楽史にとっても文学史にとっても、格別に異様なものだった。のちにはスロッピング・グリッスルやキャバレー・ヴォルテールもバロウズの影響下に入っていった。こうしたバロウズ・サブカル事情はヴィクター・ボクリスによる編集の『ウィリアム・バロウズと夕食を』(思潮社)に詳しい。

 最後に『裸のランチ』について一言だけ、感想を加えておく。ここで撒き散らされた哲学は、どんな人間も麻薬中毒者だということであるとおもう。
 が、それだけなら、ド・クインシーやボードレールやコクトーも気が付いていたことだ。バロウズはその「どんな人間も麻薬中毒者と同じだ」ということを、『裸のランチ』の全ページを費やして、すべての行を費やして、言葉のつながりの中にことごとく再現してみせたのである。そこが前例のないことだった。バロウズにはコンセプトなどなかったのだ。すべてが顕在化したエディトリアリティの放列だったのである。
 そんなことは誰もやったことがない。ボリス・ヴィアンもフェルディナンド・セリーヌもアンリ・ミショーも、知らないことだ。バロウズだけが、麻薬感覚の一切合財を言葉のジャンクの中にジャンキーに入れたまま、これを文学の領域にもちこんだ。
 これは何に似ているかといえば、ロックが人間感情の一切合財を電気ビートによる音楽領域にナマに運びこんでしまったことと、似ていた。ウィリアム・バロウズは、意識と下意識のリミナルな領域にいつづけた電漏的半巡通信者なのである。

 なおバロウズの映像化はクローネンバーグの『裸のランチ』をはじめ、いくつも試みられているが、どうもいただけない。バロウズの最後の日々はショットガン・ペインティングを見せ、ナイキのコマーシャルに最後の勇姿をあらわして、1997年にギンズバーグとともに死んでいった。

コメントは受け付けていません。