ゲオルグ・グロデック&野間俊一
エスとの対話
新曜社 2002
ISBN:4788508141

 おととい買って、さきほどとりあえず読み終えた。
 グロデックについての関心をいっこうにもたない日本で、やっと本格的なグロデック批評の書物があらわれたので、書店で目にしてすぐに入手したのだが、グロデックのドイツ語論文の抄訳(わかりやすい名訳だ)と気鋭の精神病理学者の野間俊一の解説が、時をまたいだ絶妙なコラボレーションのようになっていて、ぼくなりの意を得た。
 ゲオルグ・グロデックとは「エス」を”発見”した異能の精神医学者であって、マッサージや温泉治療に率先してとりくんだヒーラーである。フロイトはこの「エス」に興味をもって『自我とエス』を書いた。

 またグロデックには「名状しがたい現象」にはたらく独得の勘のようなものがあって、それが言葉にも及んで表現者としても一風変わった異能を発揮し、哲人グラフ・カイザーリングの「知の学校」に参加したり、「サタナリウム」「方舟」といったハイパーコミュニティ・マガジンを編集した実績がある。「サタナリウム」とはサナトリウムにサタンを混ぜた造語である。
 だいたいグロデックの主著『エスの本』のサブタイトル「ある女友達への精神分析の手紙」にしてからが、ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが『生物から見た世界』(ぼくが大好きな本である)につけたサブタイトル「ある女性への生物学の手紙」をそっくり共鳴させていた。さらにグロデックは『魂の探求者』という小説すら書いた。精神分析小説と銘打ったもので、おかげでグロデックは学界から白眼視されるにもおよんでいる。このときグロデックを擁護したのがフロイトだった。

 このグロデックを、いまどのように受けとめればいいのかというのが本書の内容になる。
 もともとグロデックは1885年にベルリン大学医学部に入って、エルンスト・シュヴェニンガーから「医者がかかわるのは疾患ではなくて患者なんだ」という姿勢を教えられた全人的医療者である。そのシュヴェニンガーはつねづねラテン語の「自然が癒し、医師が治療する」(Natura
Sanat, Medicus Curat)と言っていたそうで、グロデックはそのラテン語のイニシャルをとって「ナサメク」というへんてこりんな言葉をつくり、市民向けの医療講演にもその名をつかった。
 つねにこういう趣向を好んだグロデックなのである。
 その後、グロデックはいよいよ「エス」(es)をおもいつく。人間の精神や意識の奥にはたらくものがエスで、フロイトは別に「無意識」とか「イド」(id)とよんだものである。が、これは正確な説明ではない。グロデック自身が「エスは曖昧な概念だからこそいい」「Xなどというよりいい」と言っているように、実はエスには明確な定義はなされていない。あえてしなかった。しかもフロイトはエスを否定的な意味でつかったのに対して、グロデックはエスをあくまで肯定的なものとみなしていた。グロデックにとってのエスは、生命が成立するうえでの根本的な動向をさしてもいるし、われわれが「生きられている」ことを支えているものでもあり、われわれがそれを安易に「これだ」などと指摘するわけにはいかないものなのでもある。

 グロデックのエスはフロイトによって評価され、また多少とも批判された。しかし1917年、グロデックはフロイトと出会い、フロイトはさっそくエス仮説をとりこんで自身の理論化をさらに飛躍させるようになっていった。
 グロデックの治療法やエス仮説を評価したのはフロイトばかりではなかった。時代が重なるオットー・ランク、エルンスト・ジンメル、カレン・ホーナイ、エーリッヒ・フロム、ルー・アンドレアス=ザロメもグロデックを評価した。かれらはグロデックが実際に患者に施した治療効果もさることながら、グロデックが病気にひそむ象徴性(意味論)に着目したことに驚いたのだ。おそらくグロデックの先駆性はかれらが等しく驚いたように、「病気と心と意味」とを初めてつなげたことにある。
 また、フロイトもその見方をもっているのだが、精神治療には治療者と患者のあいだに「転移」がおこるとみなしたグロデックの先見性にも評価が集まった。この「転移」の発見は、いまでも精神医学界の“常識”になっている。

 しかし、グロデックにはかなり風変わりなところもあった。先にグロデックがアナグラムめいた言葉づかいや小説すら書いていたことを紹介したが、どうもそれ以上の才能というのか、奇妙な癖のようなものがある。
 本書には合計8本のグロデックの論文が翻訳されているのだが、とくに冒頭に掲げられた「身体疾患に対する精神の関与と精神分析療法」には目を剥いた。文章の全体が比喩や連想に富んでいて、自身の疾患や体験の話を説明のなかにとりこんで、しかもそれをそのまま精神分析の方法としてしまっている。まるでギョーム・アポリネールの詩かルネ・マグリットの絵のようなのだ。
 ぼくはとりわけ「シャルロッテ→シャルラッハ」という連想が気にいった。「シャルラッハ」は猩紅熱という意味なのだが、そこから「シャルロッテ=猩紅熱」というメタストリームがあらわれている。実はぼく自身が中学生のときに猩紅熱に罹って隔離病棟での日々を送ったのだが、このときの体験はなんとも奇妙な連想に満ちたものだった。そんなことが思い出され、これはなんら学問的な評価とつながらないのではあるけれど、グロデックに対する親近感がさらに増してしまったのである。

 本書はこうしたグロデックの論文のあいだに、著者による明快な精神医学の変遷史を含む“グロデック思想”の解読が差し挟まれて進んでいくという叙述スタイルになっている。つまらぬ精神医学史を読むよりよほどわかりやすく、またさまざまな示唆に富む。
 とくにヤーコプ・フォン・ユクスキュルの環境世界論を足場に、マックス・シェーラーの「世界開示性」やハイデガーの「世界内存在」がグロデックの思想と関連があることを述べるくだり、また、ヴィクトーア・フォン・ヴァイツゼッカーが提案した「ゲシュタルトクライス」(形態環)やメルロ=ポンティの知覚論との比較をするくだりは、のちに“心身医学の父”とよばれたグロデックの今日的な位置を説いて十全である。
 著者はこうした分析を通して、グロデックのエスがゲーテの「神なる自然」(Gottnatur)に起因していると結論づけた。さもありなん。たしかにグロデックのエスにはゲーテやハイゼンベルクのウルマテリアの雰囲気がある。

参考¶ゲオルグ・グロデックの著書は『エスの本』(誠信書房)しか翻訳されていない。それも1991年のことである。日本におけるグロデック軽視の事情が反映されているのだろうか。ちなみにグロデックについてはスーザン・ソンタグの『隠喩としての病い』(みすず書房)による批判があって、グロデックの物活論的な傾向と隠喩を多用する性癖が攻撃されている。しかしソンタグ自身にぼくがグロデックのことを聞いたときには、「私も実はグロデック的なエスに見舞われているのよ」と笑っていた。

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