才事記

忘れられた名文たち

鴨下信一

文芸春秋 1994

 著者は『ふぞろいの林檎たち』『高校教師』などの、いわゆるトレンディドラマの演出家で、かつ舞台演出家。もともとは東大美学科出身のTBSのディレクターである。
 その鴨下さんがおもしろいものを書いた。ここに集められ、評定されたのは、よくある文章教室や作文教室に出てくるような名文ではない。つまり作家のようなプロが書いた名文ではない。そうではなくて、たとえば野球解説者の文章、囲碁将棋観戦者の観戦記、グルメ探訪の文章、さらにはマニュアルの文章や身の上相談の文章なのである。いわば"実用名文"を採りあげた。後半になると歌人・俳人・画家の文章や翻訳ものなども案内されているが、ともかく従来の文章術案内の殻を破った。
 ただし、ひとつひとつの紹介や分析は短い。例文もギリギリに選びきってはいない。そのかわり、多様性に富んでいる。舌を巻いたのは、ともかくいろいろなものをよく読んでいることと、その分野や領域(将棋観戦や映画批評などの)の文体変遷をよく知っているということである。

 そう、そう、そうだった、と膝を打つものも少なくない。ぼくはそれくらい忘れていた。
 野球もので近藤唯之が登場したときは、ぼくもその野球に関する意外なデータを清新な文体で叩きつけてくる文章に感じたものだったし、田村竜騎兵の囲碁解説、菅谷北斗星の将棋解説にも頷いてきた。たしかに世の中はこうした文章がどれくらいイキがいいかで動いてきたのである。が、忘れていた。
 どんな文章かというと、往年の名観戦記者・倉島竹二郎の例でいえば、次のようなもの。

 木村先生あと二時間です。下平六段が声をかけたが、木村は無言。が、やがて胸を反らすとスッと音をたてずに4五歩と仕掛けた。
 一局の運命を賭した重大な挑戦だけに、いつもなら激しい駒音が跳び上がるところだが、音のせぬのがかえって無気味だった。4七金を木村はノータイムで指し、ジロリ盤上を一瞥してから静かに立ち上がって厠に出かけた。

 木村義雄が塚田九段から名人位を奪取したときの観戦記のごくごく一部であるが、ピーンと張りつめた二人の鬼気が読者に迫る名文になっている。
 鴨下さんはこうした文章を、映画評、劇評に拾い、斎藤緑雨から天声人語までの日本的短文の構成法をさぐりつつ、細川忠雄の「よみうり寸評」にひとつの完成体を見る。ぼくも細川の文章にはかなり唸ってきた。
 ついで画家・俳人・歌人に入って、名文を堪能する。小出楢重や中川一政や山口誓子や石田波郷らが次々に出てくる。次に中国食談の青木正児、天文学の山本一清や野尻抱影ホームズものの翻訳者の菊地武一、『小公子』の若松賤子、ダンセイニの松村みね子に注目が移る。
 そのほか内藤湖南、長尾雨山、森銑三のような明治の名文にまで目配りされているのは、本書の最初の調子からは予想外の展開で嬉しくなったが、瀧澤敬一、大内兵衛、市河三喜から、ついに岡本文弥まで出てきたのは驚いた。まことに広い。
 が、ここらあたりまではどちらかというと、本好きならば誰だって気がつく渉猟なのである。
 鴨下さんがのちにトレンディドラマの名人になったのは、このあとの名文拾いの感覚による。それが「サークル内言語」「身の上相談」「漫画家」や「幼児擬態文」「改行多用文」「読点多用文」などにあらわれる。これは演出家ならではの読み取りだった。
 まず富田英三と近藤日出造の漫画家の文章をあげたのが憎い。安藤鶴夫の読点が多い文章、永六輔の改行の多い文章にもちゃんと目をつけた。もっと膝を打ったのは、殿山泰司の三文役者シリーズの文章が「幼児擬態文」の先駆であったという指摘だった。そうか、なるほどと思った。こういう文体である。

 しかしオレは同じニッポンの、名もある金もある一流のゲイジュツカを沢山友だちに持っている。オレの友だちは、オレを友だちに持っていることで不幸かも知れないが、オレは幸せである。(中略)オレはこの間、友だち諸兄に、この地上にオトコとオカマがいればオンナは要らないのではないかと、提案したのであるけど、オレの友だちはみんな助平とみえて、オレの正しい提案は一笑に付されてしまった。

 たしかにこの文章が、のちに椎名誠から町田康までを派生させた原点だったのかもしれない。こういう文章にも原点があるのだから、すごい原点である。
 しかし、おそらくはこのような文章の原点のそのまた原点は、久保田万太郎であろう。万太郎については鴨下さんも別のところで採り上げているが、殿山泰司の奥にいた元祖だとは気がつかなかったようだ。
 まあ、ともかくも、この本の狙いには脱帽だ。誰もこのようには「隠れた名文」を列挙したことがなかった。もうひとつ気にいったのは、このような案内をするにあたって、鴨下さん自身が自分の文体を気取らなかったということだ。これは、案外できるようでできない。これまでの名文紹介者たちは、ついつい自分の文章にこっそり磨き粉をかけていたからである。