田中美穂
苔とあるく
WAVE出版 2007
編集:飛田淳子 写真/伊沢正名 協力/西村直樹
 装幀:松田行正・日向麻利子・相馬敬徳 装画/浅生ハルミン
「私は屋根裏の借部屋で唖であっても、また一本の苔であっても差支えないような日々を送っている」。「私は枯れかかった貧乏な苔です」。こんなことを書ける少女は一人しかいない。小野町子こと尾崎翠だ。小野町子を主人公に仕立てた『第七官界彷徨』では、町子の兄に「みろ、人類が昼寝のさめぎわなどに、ふっと蘚(こけ)の心に還ることがあるだろう」といったセリフも吐かせている。

 「私は屋根裏の借部屋で唖であっても、また一本の苔であっても差支えないような日々を送っている」。「私は枯れかかった貧乏な苔です」。
 こんなことを書ける少女は一人しかいない。小野町子こと尾崎翠(424夜)だ。小野町子を主人公に仕立てた『第七官界彷徨』では、町子の兄に「みろ、人類が昼寝のさめぎわなどに、ふっと蘚(こけ)の心に還ることがあるだろう」といったセリフも吐かせている。この兄は「じめじめした沼地に張りついたような、身うごきならないような、妙な心理だ。あれなんか蘚(こけ)の性情がこんにちまで人類に遺伝されている証左でなくて何だ!」とも言う。
 尾崎翠の実際の三兄が東京帝大の農科で肥料研究をしていたのである。翠は鳥取県の岩井(現在の岩美町)の生まれ育ちで、その名も不思議な面影小学校などの学校や女学校を出たあとは代用教員などをしていたのだが、この兄(史郎)を頼って上京すると、渋谷道玄坂の下宿に入って文章を書き始めた。そして昭和8年には『第七官界彷徨』をひっそりと世に問うた。
 「蕗のような女」なら一葉(638夜)がいた。長谷川時雨(1051夜)は「蕗の匂いと、あの苦み」というふうに、樋口一葉を形容した。ぴったりだ。けれども「苔のような少女」はなかなかいない。尾崎翠がひとり先駆した。翠は、苔たちが一斉に胞子を飛ばして「遂ニ其ノ恋情ヲ発揮スル」という幻想的大胆な様子すら綴ってみせた。
 尾崎翠のような感性の女性はめったにいないだろうな、もう再来しないんだなと思っていたら、いっとき戸川純に苔少女の風を感じた。けれども、この「玉姫様」や「蛹化の女」などを聞かせてくれた天才歌手(もしくは作詞家もしくは女優さん)は、いつのまにか歌わなくなっていた。
 ところがところがだ、ごく最近になって苔少女ならぬ苔ガールがあらわれてきたようなのだ。

尾崎翠の第七官界
『第七官界彷徨』の中で、町子の兄の二助は「苔の恋愛」を研究している。装丁にも、少女の儚げで不思議な感覚があらわされている。
『第七官界彷徨』野中ユリ装釘(創樹社1989)
『尾崎翠全集』創樹社 (創樹社1979)
加藤幸子『尾崎翠の感覚世界』(萬書房2015)

映画「第七官界彷徨―尾崎翠を探して」予告編
『尾崎翠の数奇な半生と『第七官界彷徨』のドラマ、そしてそれらを観る現代の三部構成。白石加代子が尾崎翠を演じた。

樋口一葉『たけくらべ』(日本近代文学館2006)
大正7年刊の初版本の複刻版。一葉の筆跡で読むことができる。

勝本みつる『study in green 緑色の研究』
布や毛皮など、身近な素材からオブジェをつくる女性美術家・勝本みつる。苔にインスピレーションを受けた作品が多数。

 本書は『苔とあるく』という。その75ページの左上に、デレク・ジャーマン(177夜『ラスト・オブ・イングランド』)の庭のコケを撮った小さなカラー写真が載っている。
 ドーバー海峡に程近いダンジェネスの、あの家だ。稀代の映像ホモセクシャルらしく、大きな鉄鍋のような容れ物に多肉植物やら石ころやら雑草やらとともに、ついでに苔たちも「飼っている」ふうだった。
 本書はれっきとしたコケボン(苔本)である。苔の育つ日々を丹念にフィールド観察している心優しい本であって、初心者にもわかりやすく苔に親しむ手立てがルーペ片手にいろいろ綴られている。微小な苔を見つめる鮮やかな写真も多い。そういう苔観察の本にデレク・ジャーマンの妖しい生態趣味を示す写真がこっそり載っているのが、気にいった。
 この著者はそういうことができる苔ガールなのだ。この人には本はネコで、ネコはコケなのである。ついでにコケはカメで、カメは本なのだ。「本=ネコ=カメ=コケ=本=デレク・ジャーマン=コケ」という式がつくれる人なのだ。

デレク・ジャーマンと、本書P75に掲載されている彼の庭の苔
映画監督デレク・ジャーマン(1942−1994)は園芸家でもあった。筆者のお気に入りのこの写真は苔、地衣類、多肉植物、石のワイルドな組み合わせ。

デレク・ジャーマンの庭
チェルノブイリ事故のあった1986年、デレク・ジャーマンのHIV感染が判明した。彼は原発にほど近いイギリス南部ダンジェネス村に移住。砂漠のような場所に庭をつくり、庭についてのノートを死の1994年まで書きつづけた。

本書P28-29
ルーペをつかった苔の観察法が丁寧に説明されている。ルーペで苔を見ると、苔の森をさまよう小人になった気分になれる。

本書のカバーと装幀
(ブックデザイン:松田行正・日向麻利子・相馬敬徳)

ピンク色のカバーに覆われたモスグリーンの表紙。カバーのウラには・・・。

本書のカバーの裏は、苔とネコ
著者いわく「散歩中に見かけると、つい触りたくなるのは猫と苔」だそう。ふわふわ、もこもこ。

 この人は、倉敷の町で「蟲文庫」(むしぶんこ)という小さな古本屋をやっている田中美穂である。蟲文庫だなんてそれこそ戸川純か、さもなくば虫めずる姫君や蟲術や大友克洋クン(800夜)が監督した『蟲師』を思わせる店の名前だが、本人にとってはちょっと不思議な名前という程度のネーミングらしい。
 きっかけがあった。「彷書月刊」の編集長の田村治芳がやっていた古本屋の風情をがテレビの画面で偶然に見て、何かに打たれて付けたのだという。「なないろ文庫ふしぎ堂」という古本屋だ。この感覚を店のお名前に頂戴したかったようだ。まさにこのあたりが小野町子を受け継ぐ苔ガールっぽいところだろう。「彷書月刊」はぼくもときどき愛読してきた小雑誌で、かつて「遊」についての原稿を書いたこともある。

戸川純
『蛹化(むし)の女』(1984)は近年、映画『ヘルタースケルター』の挿入歌に起用された。「月光も凍てつく森で 樹液すする私は虫の女」という歌詞は衝撃的。

田村治芳『彷書月刊編集長』(晶文社2002)
神田神保町「なないろ文庫ふしぎ堂」店長の田村治芳(1950−2011)が自ら『彷書月刊』創刊以来の歩みを綴った一冊。

『彷書月刊』(1986-2010)
古書目録をつけた本の情報誌。全く知識がなく古本屋を始めた著者の田中氏は、『彷書月刊』を読んで、世の中にはどんな古本があって、どんな値段がついているのかを学んだという。

 その「なないろ文庫ふしぎ堂」の映像は、出久根達郎の仕事を特集している番組に登場した。田中さんは大いに感じ入リ、これがきっかけでわさわさと古本屋を始めた。
 その後に大原美術館の近くの古民家を借り、かなり「好きずくめ」の古本屋に仕立てていった。ネコもカメもしっかり同居した。そんな古本屋づくりの決意と苦労の一部始終は『わたしの小さな古本屋』(洋泉社)に書いてある。あまり儲かっていないようだけれど、「意地をもって維持する」というつもりでやっているらしい。
 ちなみに出久根達郎は直木賞作家でもあるが、杉並の古本屋「芳雅堂」の店主として名高い。中卒の集団就職で上京して月島の古書店に勤めたのが病み付きになって、その後は古本に関する含蓄と洒落に富んだ著作を次々に綴っていった。『古書彷徨』『古書法楽』『古本綺譚』(中公文庫)をはじめ、『本のお口よごしですが』『佃島ふたり書房』(講談社文庫)など、出久根本を一度読んだらどうしても古本屋をやりたくなるようなエッセイだ。きっと女性たちには『本があって猫がいる』(晶文社)や『半分コ』(三月書房)など、とてもじっとしていられまい。

出久根達郎氏と著作『佃島ふたり書房』
出久根達郎氏(でくね・たつろう 1944−)は、1993年にこの作品で第108回直木賞を受賞した。

『本があって猫がいる』(晶文社2014)
『半分コ』(三月書房2014)

『本があって猫がいる』は、懐かしい本やことばや愛猫との暮らしを綴ったエッセイ。『半分コ』は、人生半ばを迎えた主人公たちが、何気ない言葉やしぐさに心の内を垣間みる、どこか懐かしい16の小さな物語。

 ぼくはまだ「蟲文庫」を覗いていない。この十年、倉敷に行く機会は何度かあったのだが、うまく立ち寄れなかった。けれどもウェブや写真で見るかぎり店の雰囲気はたいへん好もしい。編工研の小西静恵は訪れていた。
 倉敷市役所に勤めてイシス編集学校の師範代をやってくれている香西克久クンの話では、いまや倉敷では知る人ぞ知るのお店で、友部正人・あがた森魚・杉本拓らのミニライブも粛々とやってきたようだ。そういう店主のそこはかとないセンスに女性読者や若いファンが誘われているのだという。だったらこの店の片隅にデレク・ジャーマンの本があるのは当然だろうし、コケボンにイギリス苔の写真が紛れ込むのも当然だったのである。
 慌てて訂正しておくが、この人は妖しい本ばかりを綴ったり売ったりしているのではない。さっきも書いたようにこの人のもともとのネイチャーは「本=ネコ=カメ=コケ」なのだから、『亀のひみつ』(WAVE出版)という愛(いと)しい著書もある。ネコとカメとホンとコケ。この4つ揃えセットで暮らしを営んできた。こういう人のコケボンだから、ぼくも千夜千冊に摘まみたくなったのだ。

蟲文庫
倉敷・美観地区の外れにある蟲文庫。店舗は古民家を改装したもの。

蟲文庫の看板

蟲文庫・店内
ところどころに顕微鏡や地球儀が並んでいる。

蟲文庫の看板猫、ナド(左)とミル(右)
店内にはこの他に看板亀のサヨイチがいる。

 なぜだかは知らないが、最近になって急にコケに関する本がふえてきた。こんなことは初めてだ。いい兆候である。
 ぼくのセーショーネン期は、せいぜい保育社の文庫サイズのカラーブックスとちょっと大きな厳(いかめ)しい植物図鑑くらいしかなかった。文庫サイズは長田武正の『こけの世界』(保育社)で、カラーブックスには同じ著者の『人里の植物』ⅠⅡなども入っていた。あとは植物図鑑の蘚苔類のページを時計職人のように凝視するしかなかったものだ。あのころの図鑑というと、岩月善之助・水谷正美コンビの『原色日本蘚苔類図鑑』(保育社)か井上浩の『日本産苔類図鑑』ⅠⅡ(築地書館)とかだ。
 盛口満さんの『シダの扉』(1476夜)を千夜千冊したときに書いておいたように、ぼくは元来の「シダ派コケ党」だ。20代半ばまではどこかの林や森に入ると、たいていシダかコケかを引っこ抜き新聞紙に包んで持って帰ってきた。でも、詳しく苔調べをするようなことはしなかった。

原色日本蘚苔類図鑑(岩月 善之助・水谷 正美 保育社 1972)
著者の田中美穂氏も愛用しているもの。

シダ植物
花を咲かせず種子を形成しない。コケと同様に、胞子によって増える。

アートイベント「The Mirror」(2014)
2014年の秋に、銀座にて行われたアートイベント「The Mirror」では、名古屋商工会館の一室に松岡正剛の「屋根裏BOOKWARE」が出現。ガーデンプランナーの塚田有一氏によって、床にはシダ植物が敷き詰められた。

 そのうち気がつくと、新しいコケボンが目に付くようになってきた。定番となった井上浩の『フィールド図鑑・コケ』(東海大学出版会)や秋山弘之の『コケの手帳』(研成社)が出回っていて、便利になってきたからだろう。
 とりわけ2004年に秋山さんの『苔の話』(中公新書)が登場したときは、これで地べたが好きなコケミン(コケ派の市民)がだんだん出てくるだろうなと思わせた。超マジメに蘚苔植物学を案内した本なのだが、新書になっているのが新しい。
 それでもその程度だったのだが、この数年はコケボンが目立ってふえてきた。樋口正信の『コケのふしぎ』(SBパブリッシング)、このは編集部の『コケに誘われコケ入門』(文一総合出版)、モコモコ・うるうる感覚でコケ浸りを誘う大石善隆の『苔三昧』(岩波書店)、はては戸津健治・佐々木浩之の『苔ボトル』(電波社)なんていう卓上に苔を飾るための案内書などなどが、書店に並んだ。苔もついにアイドルになったのである。
 田中さんも『苔とあるく』の次に『ときめくコケ図鑑』(山と渓谷社)を上梓した。山と渓谷社の「ときめくシリーズ」の中の一冊で、この人にしてはとてもオーソドックスな一冊だったけれど、やはりのこと伊沢正名のすばらしい写真がふんだんに載っていた。

アイドルになった苔たち
ボトルに苔をつめて小さな森を表現した「苔テラリウム」(左)と、植物の根本を苔で覆った「苔玉」(右)。小さなスペースでグリーンを取り入れられるアイテムとして、どちらもインテリアとして人気が高まっている。

『ときめくコケ図鑑』(山と渓谷社 2014)
田中美保氏の「コケ本」第2弾。

『ときめくコケ図鑑』
伊沢正名による美しい写真がふんだんに盛り込まれたコケ図鑑になっている。

 さて、苔はどこがカッコいいかというと、これは議論の余地なんかない。「やたらに小さい」「万事万端、水っぽい」「みんなで暮らしている」「光を取るくせに光を避ける」「地球史を知っている」。こういうところがカッコいい。
 苔のしくみもかなりユニークである。まずは根がない。かりそめの「仮根」だけがある。だからすぐに土から抜ける。根だけでなく維管束もクチクラ層もない。一般的な植物とはそこが違っている。仮根は水分や栄養分を吸うためではなく、土やコンクリートにへばりつくためのものなのだ。こんな根っこのない植物なんて、めったにない。独創的だ。
 そもそも陸上植物は、海中のシアノバクテリアに始まった藻類が古生代シルル紀で陸上化してシダ植物になっていったのが、すべての発端だった。このシダ植物時代のどこかから、地面にへばりつくような蘚苔類が分岐した。シダとコケがなかったら陸上植物はなかった。

ゼニゴケの仮根
コケの裏側に毛のように生えているのが仮根。これで岩にへばりついている。

光を取るくせに光を避ける
「コケは暗いところが好き」と思われがちだが、緑色をしているからには光合成が必要。一日のうち数時間だけ日光が指すような場所やこもれ日の指す半日陰を選んで生息している。

 そういうふうに登場してきたコケだから、育ち方も妙である。一個の胞子が水と光で発芽すると糸状の原糸体を伸ばし、これが何度も分枝をくりかえして地面に広がっていく。この原糸体のとこどころに芽がはえて小さな茎になる。
 茎が成熟してくると生殖器官ができて、造卵器には一個の卵が、造精器には多数の精子が用意される。精子は鞭毛をもって水の中をちよちよ泳いでいく。のちに発達する種子植物ならば花粉が精子の役割を担って空気中を飛んで交配が進むのだが、コケの精子は水中をちよちよ泳ぐだけ。コケが水分のある地面を這うようにしか繁茂しないのは、このせいだった。
 受精した卵は細胞分裂しながら胚になる。胚は成長して胞子体になり、その先端をふくらませて「蒴」となって胞子嚢をつくり、そこで育った胞子たちが原糸体をつくり、そこからまたコケの芽が出てくる‥‥。こういう循環のくりのかえし。なんだかとても立派だ。
 こうしたプロセスの中で、いったい蘚苔類はどうやって栄養をとっているのかが気になるが、どうやら水以外の養分には無頓着なのだ。田中美穂は「霞を食っている」と言いあらわしていた。なるほど、それならコケ仙人だ。たしかに根がないところも、霞を食うところも仙人じみている。こんなふうに考えていると、老壮思想こそコケにふさわしい。

苔の生殖活動
蒴で育った胞子たちが原糸体をつくり芽が生え茎となる。生殖器官で生成された卵と精子が受精し、成長した胚が胞子体となり、その先端をふくらませて蒴となる。

真っ赤に染まって広がる苔の蒴

タマゴケ
長さ1センチぐらいの柄の先に丸い蒴がついているコケの群落。

苔の蒴(胞子体)
雨の滴が小さな苔全体を包み水滴を湛えている。

 わが家はときどき法然院(京都・東山)で法事や句会をしていた。冬なら椿の落ちているのが目を奪ったが、ふだんは緑の苔がめっぽう美しい。母が「スギゴケとかオキナゴケと言うんよ」と教えてくれた。スギゴケは感じが掴めたがオキナがわからなかったのでキナコのようなものかなと思っていたのだが、のちに「翁」のことだと知った。正式にはホソバオキナゴケという。
 オキナゴケ(翁苔)めいたものは苔寺こと西芳寺にもびっしりうねっていた。こんなに美しく波打つ植物群はほかにはないことを初めて知った。京都にいた頃はちゃんと見ていなかったので、大学時代に銀閣や青蓮院や詩仙堂などともにとっくり眺めた。尾崎翠ではないが「恋情」が一斉に地面に降りてきた。
 虚子(1597夜)はそんな苔寺で「禅寺の苔をついばむ小鳥かな」と詠んだけれど、たいした句ではなかった。句にならなかったのではないか。虚子ならまだしも「水打てば沈むが如し苔の花」か。実際には苔には花はないが、「苔の花」は季語にもなっている。蒴が「苔の花」に見えたりするのだ。
 苔寺のような「苔庭」に棲息しているのは大半が蘚類(せんるい)である。そのなかでもスギゴケが多い。今日、新たに苔庭をつくろうとする作庭師たちもほとんどの場合、オオスギゴケかウマスギゴケを使う。

法然院(京都市左京区)
青もみじと苔のさわやかな緑が美しい。

「苔寺」として知られる西芳寺(京都市西京区)
庭園内を約120種類の苔が覆い、まるで緑のじゅうたんを敷き詰めたよう。1994年には「古都京都の文化財」の一つとして世界文化遺産に登録された。

 コケは植物分類上は蘚苔類に属して、菌類・藻類・地衣類と区別される。キノコやカビの菌類は「菌糸」という糸状の細胞からできているが、光合成はしないから従属栄養体だ。シダやコケは独立栄養体なのである。
 藻類は見かけがシダやコケに似ているように見えても、大半が単細胞で、多細胞で胚をもっているコケとはちがう。同じく胞子で繁殖するコケとシダのちがいは、シダが維管束をもっているところが大きく異なる。これが蘚苔類だ。
 蘚苔類は「蘚類」と「苔類」(たいるい)と「ツノゴケ類」に分かれる。蘚類にはスギゴケやオキナゴケやハマキゴケや、町の中でもよく見るハイゴケなどがある。苔類を代表するのはゼニゴケやウロコゴケやジャゴケや、ちょっとファンタジックなコマチゴケなどだ。ゼニゴケはこびりつくような印象なので評判が悪く、母も庭のゼニゴケには警戒していた。
 ツノゴケ類はあまり名前が知られていないが、ひゅるひゅるっとマッチ棒のようなツノ(胞子体)が出ているのですぐわかる。よく見ると、ツノは成長してくるとねじれて、そこから胞子が外出する準備をする。
 蘚類は胞子体のちがいによって、苔類は体制のちがいによって特徴分類されてきた。一つの胞子から複数の茎葉体が仕上がっていくのが蘚類で、「弾糸」がなくて「帽」がある。そこにちょっと立ち上がっていくタイプと、匍匐していくタイプとができた。苔類は弾糸があって葉緑体がない。分類には茎葉体と葉状体の形のちがいが決め手になってきた。

シダ植物と苔に覆われた鎌倉妙法寺の石段

スギゴケ科(ウマスギゴケ)
(『ときめくコケ図鑑』より、撮影:伊沢正名)
日本庭園で一番よく見かける苔。比較的大型で、群生する様子が杉の木立に例えられた。

コマチゴケ科(コマチゴケ)
(『ときめくコケ図鑑』より、撮影:伊沢正名)
やわらかく、女性的で美しい姿から小野小町にちなんだ和名がつけられている。

ツノゴケ科(ニワツノゴケ)
(『ときめくコケ図鑑』より、撮影:伊沢正名)
蘚類からも苔類からも独立しているツノゴケ類。蒴が動物の角のように長くのびる。

 日本にはざっと1700種ほどのコケが棲息している。世界にはこの10倍の18000種が分布する。とくに亜熱帯から熱帯にかけてはモッシー・フォレスト(蘚苔林)が繁茂していて、ネジクチスギゴケをはじめ巨きなコケが波打っている。日本なら屋久島だろう。
 いま、ぼくが住んでいるのはマンションの1階の角で、北と東に面したL字の幅庭がある。白梅、サルスベリ、カエデ、椎の木、モチの木などが植えられている。とくに苔むしているわけではないが、それでも調べてみるとギンゴケ、ホソウリゴケ、北側にはタチゴケやウロコゼニゴケなどが着々と生きている。なぜか3匹の猫たちは、この苔のところにはほとんど立ち寄らない。猫派の苔ガールの田中さんは、この苔が苦手の猫たちをどう見るのだろうか。

屋久島のモッシーフォレスト
『もののけ姫』の舞台にもなった屋久島の白谷雲水峡は苔むす大自然に覆われている。屋久島には600種類もの苔が生息すると言われている。

ネコとコケ
田中さんの愛猫ナドは、苔ベッドでお昼寝。

 ところで、やや異色な本ではあるが、ぼくがこれまで読んだ苔本のなかで最も瑞々しい体験をさせてくれたのは、ロビン・ウォール・キマラーの『コケの自然誌』(築地書館)だった。
 この著者はニューヨーク州立大学の環境森林科学のセンセイで、学生たちに植物学を教えている。ポタワトミ族の出身でもあって、アメリカ中の都市生活に混じっているネイティブ・インディアンの末裔たちの習慣生態と交流しつづけてきた。だからどんな植物にもどんな野生自然にも強いのだが、そのキマラーが一番ぞっこんなのがコケなのである。
 キマラーの「苔学」はたいへん興味深い。なかでも二つの観察態度が貫徹するところがとびぬけている。ひとつは「苔は看るのではなく聴くものだ」という態度、もうひとつは「岩から入って苔に至る」という視点だ。これがめっぽうおもしろい。日本ふうに言うのなら「岩清水の苔学」ともいうべきフィーリングなのだろうが、キマラーの苔はこの見方に徹した「苔学」なのである。
 しかも文章がやたらにうまい。『コケの自然誌』は19章になっているけれど、いずれもが珠玉の短編小説のようなノンフィクションなのだ。

環境森林科学者ロビン・ウォール・キマラー

ロビン・ウォール・キマラー『コケの自然誌』
『コケの自然誌』は、キマラーの自然科学者としての視点、ネイティブアメリカン・ポタワトミ族としての視点、母親としての視点など複層的に描かれている。

 アメリカにはヘンリー・ソローやラルフ・エマソンこのかた、「ネイチャーライティング」(nature writing)という確固たる文芸分野がある。
 これは自然観察文学ともいうべきもので、長らくトランセンデンタルでロマンチックな文芸としての伝統をもってきた。この分野に関するトーマス・ライアンの『この比類なき土地:アメリカン・ネイチャーライティング小史』(英宝社)という案内本もある。日本では『たのしく読めるネイチャーライティング作品ガイド120』(ミネルヴァ書房)などがカバーする。
 名だたる文学賞もある。有名なところではアメリカ自然史博物館が1926年以来、ジョン・バロウズ賞を贈ってきた。最近の受賞作ではソーア・ハンソンの『羽』(白揚社)やマイケル・ウェランドの『砂』(築地書館)などがよかった。存分に知と心をゆさぶってくれた。キマラーの『コケの自然誌』も2005年度のジョン・バロウズ賞の受賞作だった。
 ついでながら『沈黙の春』のレーチェル・カーソン(593夜)は『われらをめぐる海』(ハヤカワ文庫)などの、『本を書く』のアニー・ディラード(717夜)は『ティンカー・クリークのほとりで』(めるくまーる社)などの、アメリカン・ネイチャーライテイングの代表者の一人だった。環境哲学は、やはりシダやらコケから始まったほうがいい。

ヘンリー・ソロー『ウォールデン 森の生活』
アメリカ・マサチューセッツ州出身の作家、思想家、詩人、博物学者。代表作『森の生活』をはじめ、人間と自然との関係をテーマにした作品で知られる。学生時代に熟読した『自然』のラルフ・エマーソンらと親交を結んだ。

ラルフ・エマソン『自然について』
18歳でハーバード大学を卒業し、ハーバード神学校に入学。牧師になるものの、自由信仰のため教会を追われ渡欧、ワーズワース、カーライルらと交わる。帰国後は個人主義を唱え、アメリカの文化の独自性を主張した。

ジョン・バロウズ協会のHP
毎年4月に、ジョン・バロウズ協会が主催し、アメリカ自然史博物館にて「ジョン・バロウズ賞」が表彰され、もっとも優れたネイチャーライティング作品に与えられる。
http://www.johnburroughsassociation.org

▽ジョン・バロウズ賞(2000-2016)
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2000| Bernd Heinrich
『Mind Of the Raven』
 
2001| David M. Carroll
『Swampwalker's Journal』
2002| Ken Lamberton
『Wilderness and Razor Wire』
2003| Carl Safina
『Eye of the Albatross: Visions of Hope and Survival』
2004| Ted Levin
『 Liquid Land: A Journey Through The Florida Everglades』
2005| ロビン・ウォール・キマラー
コケの自然誌
2006| Donald Kroodsma
『The Singing Life of Birds』
2007| Ellen Meloy
『Eating Stone: Imagination And The Loss Of The Wild』
2008| Julia Whitty
『The Fragile Edge: Diving and Other Adventures in the South Pacific』
2009| Franklin Burroughs
『Confluence: Merrymeeting Bay』
2010| マイケル・ウェランド
2011| エリザベス・トーヴァ・ベイリー
カタツムリが食べる音
2012| Edward (Ted) Hoagland
『Sex and the River Styx』
2013| ソーア ハンソン
羽―進化が生みだした自然の奇跡
2014| Kathleen Jamie
『Sightlines』
2015| Sherry Simpson
『Dominion of Bears: Living with Wildlife in Alaska』
2016| Sharman Apt Russell
『Diary of a Citizen Scientist: Chasing Tiger Beetles and Other New Ways of Engaging the World』

⊕ 『苔とあるく』⊕

 ∈ 著者:田中美穂

 ∈ 写真:伊沢正名
 ∈ 編集:飛田淳子
 ∈ 装画:浅生ハルミン
 ∈ 協力:西村直樹
 ∈ 装丁:松田行正・日向麻利子・相馬敬徳
 ∈ 発行者:玉越直人

 ∈ 発行所:WAVE出版

 ∈ 印刷・製本:萩原印刷

 ⊂ 2007年 10月 13日 第1刷発行

⊕ 目次情報 ⊕

 ∈∈∈ はじめに
 ∈ 1 探索
 ∈ 2 観察
 ∈ 3 研究
 ∈ 4 採集
 ∈ 5 整理
 ∈ 6 啓蒙
 ∈ 7 実用
 ∈ 8 遠征
 ∈∈∈ あとがき

 ∈∈∈ 参考文献

⊗ 著者略歴 ⊗

田中美穂(たなか・みほ)
1972年、岡山県生まれ。倉敷市内の古本屋『蟲文庫』店主。岡山コケの会、日本蘚苔学会員。シダ、コケ、菌類、海草、海岸動物、プランクトンなど「下等」とくくられる動植物が好き。猫2匹、亀5匹とともに、店の帳場に張り付いて暮らしている。将来の夢は「古本屋のコケばあさん」。