エミリー・ブロンテ
嵐が丘
講談社文庫 1978
ISBN:4102097031
Emily Bronte
Wuthering Heights 1847
[訳]田中西三郎

 斎藤勇は“Wuthering Heights”をよくも「嵐が丘」と訳したものだ。こういう翻訳力は近頃はとんとない。
 念のため、「嵐が丘」は物語が進行するあいだ、たえず凄まじい悲劇に見舞われるアーンショーン一族の大きな館の呼び名であって、土地の名前ではない。「二百十日閣」とか「野分ハイツ」とか、近江に移せば「比良八荒屋敷」といったところであろうか。
 ワザリング(wuthering)は、物語のなかでも「嵐のときにこの丘のようなところに吹きすさぶ風の怒り騒ぐさまを形容した、たくみなこのへんの方言である」と説明されているように、風の様態のことをさす。ケイト・ブッシュの「嵐が丘」はその風の吹くさまをよく唄っていた。日本でいえば宮沢賢治が採用した越後地方の「風の又三郎様」であろうか

 この屋敷を舞台にエミリー・ブロンテがものすごい物語を展開する。これ一作しか書かなかった痩せた女性の手になるものとはとうてい思えない。
 姉のシャーロットが書いた『ジェーン・エア』に触発されて、妹のアンの『アグネス・グレイ』と競って書いたということになっているが、どうして、信じがたいほどに深い構築力と想像力である。サマセット・モームは世界の十大小説に入れたし、エドモンド・ブランデンは『リア王』『白鯨』と並ぶ英語文学屈指の三大悲劇とさえ絶賛した。まだ『嵐が丘』が発表されてまもないころのラフカディオ・ハーンも「凄みのある想像力」とほめた
 たしかに、この物語は想像力が生んだ傑作である。すでに夥しい数の研究書が出ているが、そのいずれにもエミリー・ブロンテがほとんどモデルをつかわなかったこと、参考資料が極端に少なかったこと、誰のヒントももらっていないこと、エミリーにはこの物語のどんなエピソードにあたる体験もなかったろうことがあげられている。つまりこれは「経験の産物」や「調査の勝利」なのではなく、ひたすらに「想像力の飛翔」だけで生まれた物語なのである。

 ぼくがこれを読んだのは高校時代で、それも憧れていた岩崎文江という小さくて美しい女生徒に、「えっ、『嵐が丘』を読んでいないの?」と言われてのこと、2週間くらいかかってぶっつづけに夜をつぶして読んだ。
 ほとんど息が詰まるおもいがしたのは、エミリー・ブロンテの用意した構造のせいばかりではない。岩崎文江嬢がいったいキャサリンなのか、ぼくをヒースクリフと言っているのか、冒頭からそういうよこしまな見立てで読んだからだった。しかし、物語がすすむにつれ、そんな気分は吹き飛んだ。あまりに構造が複雑で、人間の不吉な宿命と苛烈な意志のようなものが鋼線のごとく錯綜していたからである。

 その後、『嵐が丘』についてどんな友人も話題にしないので訝っていた。男が読む小説ではないのだろうか?
 それが唐十郎に会って、焦眉がひらいた。唐十郎は『嵐が丘』の熱烈な愛読者だったばかりか、彼の芝居の根底にはいつもヒースクリフとキャサリンが配してあった。
 そういうところへ、モームやブランデンのお墨付きがあることを知るようになって、今度は岩崎文江嬢の手前読んだという体験では、これは薄すぎたかと思わざるをえなくなった。おまけにウィリアム・ワイラーがローレンス・オリヴィエにヒースクリフを演らせて撮った『嵐が丘』を見て、唸った。見終わってしばらく立ち上がれなかった。それから3度は見ていようか。
 ともかくも、話の大筋だけを年代記ふうに書いておく。あまりに輻湊しているので、さすがにざっと読みかえしてみたが、いささか怖くなった。物語を読んだことがない読者は、以下の粗筋だけで打ちのめされることだろう。

 この話は“ぼく”がこの地方を訪れたときに、ネリー・ディーン夫人が語ってくれた物語である。ネリーはこの物語に登場する最初の主人公たちと同じ年頃のころから、一緒に“嵐が丘荘”で育った仲の家政婦だった。
 1765年のこと、ヨークシャーのヒースの生い茂る一角の建物の奥で、キャサリン・アーンショーが生まれた。明るくて、よく笑いよく喋る、ちっともじっとしていない元気のいい女の子だった。
 キャサリンが6つになったとき、老父アーンショーがリバプールで出会ったジプシーの孤児を“嵐が丘荘”に連れて帰る。髪が黒く、顔には血の気がなくて、屋敷の壁の色のような少年だった。言葉数が少なく、気難しくて辛抱強く見えるのは、たぶん虐待されても耐えてきたせいだろう。キャサリンより3、4つ上らしい。ヒースクリフという名がついた。しかし、ここにはすでにキャサリンの兄ヒンドリーがいた。

 これだけで嵐が丘は恐ろしい葛藤の渦中に巻きこまれる。
 まず老母アーンショー夫人が死ぬと、ヒンドリーは父親の愛情と自分の特権をヒースクリフが盗むのではないかという危惧にさいなまれた。老父は何かというとヒースクリフをかばい、キャサリンもヒースクリフとばかり遊びたがるのである。
 ついで、ヒンドリーが大学に進学してまもない嵐の夜、老父アーンショーが炉端の椅子に坐ったまま死んだ。みんなハツカネズミのように押し黙っていたが、葬式の日、ヒンドリーは大学で知りあったらしい花嫁フランセスを連れてきた。ヒンドリーが父親に黙って交際していたらしいフランセスは、屋敷に来ると最初こそ誰にも愛想をふりまいたものの、病弱も手伝ってやがて塞ぎがちになり、とくにヒースクリフを恐れて嫌うようになった。
 いまや嵐が丘の主人となったヒンドリーは、ヒースクリフに敵意をもち侮辱をしはじめる。が、妹キャサリンはヒースクリフの野生の魅力に惹かれていく。けれども浮浪児にすぎない青年などというものは、18世紀のこの時代はあいかわらず差別の対象でもあったのである。そこでキャサリンの恋はしだいに現実を遊体離脱して幻想の中の牙城に入っていく。

 1778年、フランセスはヘアトンを生み、急死してしまう。それからというものヒンドリーは神をも人間をも呪う者となって放蕩にあけくれ、息子ヘアトンを野獣のようにかわいがる一方、ますますヒースクリフと敵対するようになる。ヒースクリフは誓った。「ヒンドリーに復讐をするなら何年でも待とう。その前に奴が死なないことだけを神に祈りたい」。
 そんなおり、キャサリンはエドガー・リントンから婚約を申し込まれ、その話をネリーに打ち明ける。キャサリンは自分の聡明な額とふくよかな胸の両方を指さして、「魂がこのどちらにあるかは神様しか知らないことだけど、私が愛しているのはヒースクリフだけです。でも私がヒースクリフと一緒になれば、二人は乞食になるしかないのです」と言う。そして「私のエドガーへの愛は森の枝の葉のようにうつろうものだが、ヒースクリフへの愛は地底の巌のように永遠なんです」と語り、「私はヒースクリフです!」と叫ぶ。
 実はこの話をヒースクリフは立ち聞きしてしまう。

 その夜、雷鳴が轟き稲妻が走り、北欧伝説の暴風神のような嵐がやってきた。東側の煙突に大きな枝がバキバキと倒れたころ、ヒースクリフは密かに嵐が丘を出奔する。
 失踪を知ったキャサリンは狂ったようにヒースクリフを探しまわるが、見つからない。疲労困憊したキャサリンは家政婦とともにリントン家に運ばれもてなしをうけるものの、地獄の処女のように陰気になってしまう。これでは蝋人形である。
 やがてキャサリンは熱病に罹り、手厚い治療をうけるのだが、かえってリントン夫妻が感染し、二人はあいついで死ぬ。

 1779年、キャサリンは18歳でエドガー・リントンと結婚をする。
 ところがその年の秋、ヒースクリフが突如として嵐が丘に帰ってきた。3年の失踪中になんだか理知的になり、逞しくなっている。
再会したキャサリンはヒースクリフをじっと凝視した。ほんの少しでも視線を動かそうものなら、そのままヒースクリフが消えていってしまいそうだったからだ。それをかいま見たエドガーは、この世で最も不快なものを見たような気がした。
 キャサリンはあきらかにアイオーンの永遠という幻想世界にふたたび入ってしまったようだった。熱病の後遺症のせいか、しばしば錯乱状態にもなった。しかしヒースクリフはキャサリンと密会を重ね、生きた心地がしないほど激しく抱きしめ、そのうえでキャサリンを責めた。「なぜ、おまえは俺を捨てたのか」。キャサリンはきっぱりと言う、「私がまちがっていたとしても、私はそのため死んでいくのです」。
 ここから物語は、ヒースクリフの蛇蝎のような復讐計画の実行に移っていく。

 1784年、ヒースクリフはエドガーの妹イザベラを誘惑し、これを誘って逃亡を企て、ついに結婚をする。キャサリンはほとんど狂ったままで、娘のキャサリンを生む。同じキャサリンという名前なのである。そして失意のままに死ぬ。埋葬されたキャサリンの墓をあばくヒースクリフの形相には悪鬼と見神が棲んでいた。
 ヒースクリフ夫妻は嵐が丘に住み、ヒースクリフとヒンドリーは互いに殺意を剥き出しにした険悪な日々を続ける。嵐が丘はいよいよ地獄と化したのである。イザベラもヒースクリフから逃げ出したいと決意して、馬車に乗ってロンドンへ身を隠す。数カ月後、男の子が生まれリントン・ヒースクリフと名付けられた。
 一方、ヒンドリーはますます荒んだ生活に堕して博打に凝り、その賭金と借金がふくれあがり、ついに所有の土地のすべてを抵当に入れる。しかし、その抵当の預かり主はヒースクリフの名になっていた。悪魔はほくそ笑んだのである。ヒンドリーは悶絶し、嵐が丘はヒースクリフのものとなる。

 ところがヒースクリフの復讐はまだ終わらない。ヒンドリーの息子ヘアトンを召使同然にこきつかい、無知と野蛮の奈落を味あわせるようにした。
 1797年、イザベラが死ぬと、リントンは最初は伯父エドガーに引きとられる。すでに病気がちになっていたエドガーは娘のキャサリンと東洋の隠者のように暮らしていたのだが、それがヒースクリフには気にいらない。息子リントンを我欲の計画にしか利用する気がないヒースクリフは、まもなく息子を嵐が丘に移し、キャサリンとの交際を強制しはじめた。エドガーは娘がリントンと交わることを堅く禁じていたが、ヒースクリフは二人を“嵐が丘荘”に閉じこめ、ついに結婚させる。
 1801年、エドガー・リントンも衰弱したまま死んだ。遺言状はすでにキャサリンの相続人ヒースクリフによってコントロールされ、ヒースクリフはアーンショーとリントンの両家のいっさいの財産を掌握した。キャサリンもヘアトン同様の召使となり、労働の日々に落とされる。

 その10月、“ぼく”がリントンの屋敷を1年契約で借りることになり、家政婦にはネリー・ディーン夫人を雇うことになった。
 “ぼく”はネリーから嵐が丘の恐ろしい物語を聞き、屋敷を訪ねて一夜をあかすことにした。その夜、キャサリン・アーンショーの幽霊が出た。”ぼく”は恐怖にかられて帰宅し、そのまま病床についた。
 1802年、“ぼく”はロンドンに戻り、ネリーも嵐が丘に戻っていった。しばらく見ないうちに、ヒースクリフは猫のように歩きまわる男になっていて、なぜか4日にわたる断食をはじめ、ついに不眠のまま死んだ。その前夜は嵐で、ヒースクリフの死体の全身がぐしょぐしょに濡れていた。
 ヒースクリフは死んだ。物語はすべて大団円を迎えたはずなのである。しかし、なんとも不気味なことに、ヘアトンとキャサリンとは互いに愛しあうようになり、しかも二人はキャサリンとヒースクリフそっくりになっていくのである。

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