才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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ヤクザと原発

福島第一潜入記

鈴木智彦

文藝春秋 2011

編集:未詳
装幀:石崎健太郎

原発の過酷労働には
そもそも多くの働き手が必要だった。
そのため原発現場の仕事は二次・三次~五次の
下請け労働者が担ってきた。
そこに原発ジプシーもいたし、ヤクザもいた。
なぜヤクザが原発にかかわってきたのか。
それが大きなシノギになるからだ。
しかし、ヤクザ(暴力団)と原発の関係は、
その実態がほとんど明るみに出ていない。
本書がやっとその突端をこじあけた。

◆鈴木智彦『ヤクザと原発』(2011・12 文藝春秋)

 3・11から2週間がたったあと、2Fの敷地に住吉会系の右翼が突入した。2Fは福島第二原発のことを、1Fは福島第一原発をさす。けれどもその後、任侠系右翼は原発反対の声を上げなかった。
 当然だろう。原発は国策のプロジェクトであって、任侠系右翼は庶民の代弁者ではなく、国家の味方なのだ。このことはそのまま暴力団にもあてはまる。暴力団は自分たちが寄生する“日本の矛盾”を払拭しようとする改革を毛嫌いする。だから先だっての大阪のダブル選挙では暴力団はことごとく反橋下派だった。2Fに住吉会系の右翼が突入したのは例外だったのだ。
 原発と暴力団はどうかかわっているのか。むろん原発計画やその運営にかかわっているわけはない。そうではなくて、全国の“原発労働”に人手を供給していた。そのことは以前からかなり噂は立っていた。
 フクシマでも同様だ。ある暴力団は100人近い連中をフクシマに送りこもうとしたらしいし、「フクシマ50」の中に暴力団員が少なくとも2名、おそらくは数名入っているのは公然の事実のようだ。Jヴィレッジのそばの広野火力発電所にもかなりの数が入っていた。
 本書はそういう噂をあれこれ聞きこんでいた“暴力団専属ライター”である著者がなんとか1Fへの潜入を試みたルポである
 鈴木は1966年札幌生まれのB型。日大芸術学部写真学科除籍のあと雑誌カメラマンをへて渡米し、帰ってきてからは「実話時代BULL」編集長をしたのちフリーになった。その後はこわもてジャーナリストで鳴らした。著書に『我が一家全員死刑』(コアマガジン)、『潜入ルポ ヤクザの修羅場』(文藝春秋)、『潜入ルポ ヤクザの修羅場』(文春新書)、『極道のウラ知識』(宝島文庫)などがある。

 本書は去年の暮れに刊行された。すぐ読んだ。これはきっと話題になるだろうと思ったが、アテがはずれて読書界はしばらくシーンとしていた。それが、明けて今年の1月末になって急に話題になりはじめた。鈴木に早くから注目していた「週刊ポスト」に登場し、CS朝日の「ニュースの深層」にも出演した。テレビで見ると、こわもてというわりには可愛らしい。
 ぼくはこの著者のものだけでなく、ヤクザものはできるかぎり目を通してきた。とくに猪野健治(152夜)さんからはいろいろ話を聞いてきただけでなく、ぼくの主宰する会合に呼んでヤクザ社会の話を何度もしてもらった。そういうとき、みんな興味津々になる。
 そもそもジャーナリストが筋金入りかどうかは「裏側」に入っていけたかどうかにかかっているのだが、とりわけヤクザ社会に詳しいジャーナリストやライターのものは、思いがけないヒントをもたらしてくれる。アナーキーな社会をずっと追いかけていた朝倉喬司(810夜)はわが大学時代の新聞部の同僚だし、元祖「裏側」ルポライターの竹中労(388夜)からも多くの切れ味を教えてもらった。二人ともいまはもういない。
 その後も気になって、たとえば山平重樹の『ヤクザ大全』『ヤクザ伝』、正延哲士の『伝説のやくざボンノ』『最後の博徒』などの幻冬舎アウトロー文庫をはじめ、宝島社が繰り出す「裏側」ドキュメントはだいたい欠かさず読んできたのではないかと思う。

 で、いったい本書が何をもたらしたかといえば、日本の中枢にニクロム線のように走ったままの何本もの襞や亀裂を示したのである。
 この襞や亀裂はフクシマ以前から走っていたものだが、それらは「裏側」から辿ることがしにくいものだった。むろん新聞・テレビはお手上げだ。週刊誌の出番になる。けれども、「裏側」の取材にはそれこそウラを取る必要がある。
 ヤクザに詳しいのに、それでも原発との関連が見えていなかった鈴木は、当初はヤクザ・ジャーナリストとしてその関連を確認したいと思っただけだった(本人がそう書いたり、発言したりしている)。だから、とりあえずは無謀な潜入を試みただけだったのだが、それがはからずも現在日本の最前線の「裏側の亀裂」に一条の光を当てることになったのだ。

 読後感としては、ドキュメントとしての文章はあまり組み立てがなく、フクシマ潜入に前後しておこった事態もしばしば記述が前後していてやや錯綜ぎみなのだが、そのぶん実感値と臨場感があった。線量計ひとつの装着をめぐってのドタバタも、鈴木が強引に選んだ潜入ルートによってのみ得られる体と目と言葉でなくては伝わってこないものがあった。
 しかし、なんといっても本書の真骨頂はタイトル『ヤクザと原発』がそのすべてを語っているというべきだ。
 いま、実はヤクザという言葉はめったに使われない。すべて「暴力団」として一括される。とくに2011年は3・11の年であり、「アラブの春」の年で、ユーロ危機勃発の年であったけれど、また「暴力団排除条例」の年でもあったのだ。それなのに著者は暴力団ではなくて、あくまでヤクザと原発の関係を追った。だから、本書刊行後は各方面からタイトルに「ヤクザ」を選んだことに対するクレームが殺到したという。
 が、それがよかったのだ。著者はヤクザの親分(実名はあかされていない)に頼みこんで、ついにフクシマ潜入を敢行したのである。本書を読めば、これがたんなる原発ルポでも暴力団ルポでもないことが、よおっく伝わってくる。

「週刊ポスト」2012年2月3日号
「POST Book Review 著者に訊け!」鈴木智彦

◆溝口敦『暴力団』(2011・9 新潮新書)

 ついにヤクザという用語が死語になりつつある。何がなんでも「暴力団」と言うことになった。けれども、社会学的な「暴力」についての規定や考察からしても、ヤクザを暴力集団とのみ見るのはおかしなことだった。
 猪野健治の『やくざと日本人』(152夜)がさんざん証したように、「ヤクザ」という呼称は、「博徒」や「渡世人」や「無宿者」や「極道」と同様のれっきとした歴史用語であって、そんなものを安易に消してはいけなかったのだ。強引に消したいというのだとしたら、それは差別的な“言葉狩り”に近い。
 2011年10月1日、東京都と沖縄県で「暴力団排除条例」が施行された。略して「暴排条例」という。ボーハイと書く。その後、たちまちすべての自治体でボーハイ条例を適用することになった。これで暴力団の組員はそこいらのアパートを借りるにも保証人がなければならず、「暴力団の組員ではない」に○をつけなければ借りられないことになった。
 それだけならまだしも、一般市民の側も組員と親しくすれば取り締まられることになり、組員やその関係者とカンケーをもったというちょっとした証拠でも上がれば、即刻「勧告」を受け、ついでその事実が「公表」されることが決まった。
 そんなバカなことはあるまいと思っていたメディアや一般市民も、大相撲の維持員席に暴力団組員がからみ、琴光喜(ことみつき)らの野球賭博事件で力士廃業者が出て、本場所が中止になったこと(NHKさえ中継を中止した)、さらには続いて人気絶頂のカリスマタレント島田紳助が急転直下の引退会見をしたことなどを知って、うーん、これは本気の処置なのだと感じた。
 もっともこういう事件は“密接交際者”とみなされてのことなのだが、ボーハイはそれにとどまらず、暴力団関係者にアパートを貸したり、クリーニングを受けたり、墓所を提供したりしても俎上に上がるらしいということになって、なんとも落ち着かなくなってきた。

 いったい暴力団とは何か。本書はその概要を記す。著者は『ヤクザ崩壊:侵食される六代目山口組』(講談社)や『山口組動乱!』(竹書房)などの著書もあるが、『食肉の帝王』(講談社)で2003年に講談社ノンフィクション賞を受賞したノンフィクション作家。『池田大作:権力者の構造』(講談社)といった宗教ものもある。
 そもそも暴力団という用語が広がっていったのは、1992年(平成4)3月1日の「暴力団対策法」(暴対法)の施行からである。略してボータイ法という。このボータイ法の上にボーハイ法が乗っかったわけである。
 何が“対策”されるべき暴力団だとみなされたかというと、ボータイ法の第2条2号にわけのわからぬ定義らしきものがある。「暴力団 その団体の構成員が集団的に又は常習的に暴力的不正行為等を行うことを助長するおそれがある団体をいう」というものだ。
 どうもよくわからない。「その団体の構成員」のところにはカッコがついていて、「その団体の構成団体の構成員を含む」と付記される。Aという親分がA組をもっていて、その中のBという子分がB組をもち、その中のCがC組を、さらにその中のDがD組をもっているばあい、そのすべてを暴力団とみなすというのである。
 ともかくも、この定義らしきものにあてはまる組織を「指定暴力団」という。当時は25団体が指定された。ヤクザの親分たちは動揺した。違憲ではないかと騒がれもした。山口組の宅見勝若頭や住吉会の西口茂男会長も強烈に反対意見を延べた。しかし官憲は徹底的に指定暴力団の解体にとりくみ、かなり成功していった。こうしていまや、暴力団はボーハイ法でかなり追い詰められつつある、というのが本書の判定だ。

 ではどこの何が指定暴力団なのか。これは知っているようで、知られていない。2011年の段階では22団体が指定暴力団と認定されている。次のようになる。

  四代目旭琉会 那覇市・花城松一・210人
  沖縄旭琉会 那覇市・富永清・300人
  四代目小桜一家 鹿児島市・平岡喜榮・100人
  四代目浅野組 笠岡市・森田文靖・130人
  道仁会 久留米市・小林哲治・850人
  三代目福博会 福岡市・長岡寅夫(金寅純)・280人
  九州誠道会 大牟田市・浪川政浩(朴政浩)・380
  四代目工藤會 北九州市・野村悟・630人
  七代目合田一家 下関市・末広誠(金教煥)・160人
  五代目共政会 広島市・守屋輯・280人
  三代目侠道会 尾道市・池澤望(渡邊望)・170人
  大州会 田川市・日高博・180人
  六代目山口組 神戸市・司忍(篠田建市)・17300人
  二代目東組 大阪市西成区・滝本博司・180人
  八代目酒梅組 西成区・南喜雅(南與一)・80人
  六代目会津小鉄会 京都市・馬場美次・410人
  二代目親和会 高松市・吉良博文・60人
  稲川会 東京港区・清田次郎(辛炳圭)・4500人
  住吉会 港区・西口茂男・5900人
  極東会 豊島区・松山眞一(曹圭化)・1100人
  松葉会 台頭区・荻野義朗・1200人
  双愛会 千葉県市原市・塩島正則・230人

 数字は組員数をあらわす。合計すると約36000人になる。ただしそのほか準構成員がざっと42600人いると算定されているので、全体では78000人になる。約8万人。このうち山口組、稲川会、住吉会を警察庁は「広域団体」とする。代表者の名は「通り名」や「稼業名」もある。
 以前は、これらの組織を博徒系・テキヤ系・愚連隊系に分け、稲川会や酒梅組を博徒系、極東会をテキヤ系としていたが、いまはすべて指定暴力団に一括された。ざっと数字を見てもらえばわかるとおり、山口組系が圧倒的に大きい。
 ちなみに博徒系にはかつては「関東二十日会」という連絡組織が1972年に結成されて、稲川会、國粋会、東亜会(東声会の後身)、交和会(北星会の後身)、義人会、住吉会、松葉会、二率会、双愛会の9団体が入っていたが、義人会が解散、交和会が稲川会に、國粋会が山口組に吸収されるなどして、いまは5団体になっている。またテキヤ系には1984年「関東神農同志会」があって、いまは極東会の傘下に入っている。

 いったいヤクザ≒暴力団とはどういうものなのか。かつてはヤクザについては「バカでなれず、利口でなれず、中途半端じゃなおなれず」と言われていたけれど、これではよくわからない。
 現在の組織的な実態はよくわからないことが少なくないが、最近の山口組を例にして概括すると、きわめて統括的なシステムになっている。まず山口組本家というヘッドクォーターが君臨している。その本家のトツプが組長で(現在は6代目の司忍が組長)、組長のもとに6人の「舎弟」と約80人の「若衆」がいる。舎弟は組長の弟分で、若衆は組長の子供だから、ここには擬制的な血縁関係が想定されている。
 若衆のなかの長男にあたるのが「若頭」(わかがしら)で、これが組織のナンバー2にあたる(いまは高山清司が本家の若頭)。これは政党でいえば幹事長に相当する。稲川会ではトツプは会長、若頭は理事長という。山口組ではこの若頭を7人の「若頭補佐」が支え、総本部長が事務局長役をこなしている。
 以上が執行部で、この執行部にいずれ入る資格がありそうなネクストたちを「幹部」という。10人くらいらしい。顧問や舎弟は第一線からは退いている者たちの総称である。
 舎弟と若衆は「直系組長」あるいは「直参」とも呼ばれ、北海道から熊本まで各地に本拠地をもって二次団体の組長になっている。山口組では関東・北海道ブロック、中部ブロック、大阪北ブロック、大阪南ブロック、阪神ブロック、中国・四国ブロック、九州ブロックなどと分かれる。中部ブロックを仕切っている弘道会はいま山口組の直系のなかで最も力をもっている。弘道会には十仁会という秘密部隊があるともいわれる。ヒットマン(鉄砲玉)がここから輩出してくるらしい。
 直系組長たちは本部に会費を納める。若衆で月額80万円、若頭補佐などの役付きで100万円くらい。そのほか月々30万円ほどの積立金を納め、さらに6代目以降はペットポトルの水、歯磨き、洗剤、文具どの日用品を共済組合的な費用として月50万円ほど加算させているので、直系組長の月負担額は200万円をこえる。
 直系組長になるときは開設資金がいる。5代目の渡辺芳則が組長だった時代は当座で5000万円必要だった。その二次団体の直系組長にも組員たちから月20万~30万円ほどが集まってくるわけで、組織も資金もあくまで全容は小型ピラミッド型吸い上げ方式なのである。
 ちなみに島田紳助が付き合っていたのは、本家でいえば若頭補佐にあたる橋本弘文で、直系組長としては極心連合会の会長を張っている人物だった。

 だいたいはこういう組織のしくみになっているのだが、ではどんなふうにシノギ(仕事・稼ぎ)をしているかというと、最近の暴力団は以前とはかなり変わってきた。
 1989年の時点での警察庁による暴力団の年間収入調査では、覚醒剤収入が4535億円、賭博・ノミ行為収入が2200億円、繁華街でのみかじめ料が1132億円、民事介入暴力(事件仕事)が950億円、総会屋などの企業対象暴力が442億円、企業経営によるビジネス収入が1288億円だった。いっときはこれに「地上げ」などが絡んでいた。
 しかしその後、暴力団も解体作業や産廃業務に手を出すようになり、原発労働下請けを含めた労働者派遣をふやしてきた。みかじめ料もかつては用心棒代だったが、いまでは“保険料”である。フーゾク経営やそのエージェント機能もはたすようになった。さらには御時世で金融業がふえた。それも脅しだけのナニワ金融道ばかりでなく、金利は高いがそれなりの暴力デリバティブめいている。
 こうして本書では、暴力団を「負のサービス業」だと位置付けた。オモテ経済に対するウラ経済を仕切っている過去のヤクザ稼業ではなく、オモテ経済に出入りする裏側の「負」だと見ている。
 これは最近の暴力団の性格をよく言い当てている。裏がオモテにめくれ上がっているわけだ。ヤクザは裏街道を渡世するのが男気というものだったのだが、暴力団はオモテでシノギをやってみせるのである。
 そのうえ、ここに暴力団に所属はしていない、いわゆる“半グレ集団”によるシノギが加わってきた。オレオレ振り込め詐欺、出会い系サイトの運営、偽造クレジットカードの使用(その下請け)、ネットカジノの運営、覚醒剤などのドラッグのネット販売、ペニーオークション(落札価格が異常に安いが入札手数料がかかる)、イベント・サークル活動などだ。
 “半グレ集団”は20代・30代が中心で、かつてはグレン隊などと呼ばれていたが、いまではかなり多様になった。暴力団に上納金など収めなくともすむのでかなり勢いが広まっている。組員ではないから、ボータイ法にもボーハイ法にもひっかからない。有名なのは西麻布で海老蔵事件をおこした関東連合OBなどだが、ほかにも群小集団がふえてきた。暴走族、ヤンキー、チーマーもここに連なる。当然、かれらはどこかで暴力団に関与することになる。
 広く見ればこれらすべてが「負のサービス業」なのである。コンプライアンス社会を徹底しようとすればするほど、こうした「負」の業界が滲み出てくるわけなのだ。結果、原発業界もこのアンダーグラウンドルートを使うようになったのである。

◆夏原武『反社会的勢力』(2011・12 洋泉社)

 もう一冊、去年暮れに刊行された「暴力団もの」を紹介しておく。ただし、本書は広く「反社会的勢力」とグルーピングされつつある動向を案内したもので、溝口敦の『暴力団』より視野が広い。
 こちらはかつて『極道のすべらない話』(宝島社)、『現代ヤクザに学ぶ最強交渉・処世術』(別冊宝島・宝島社文庫)などで名を馳せた夏原武が書いた。溝口の『暴力団』といくぶん重なるところもあるが、ボーハイ法によってかえって「共生者」がふえていくことを指摘しているところが特徴になっている。
 共生者の代表は「フロント企業」である。これはボータイ法以降、暴力団であることを隠して設立された企業のことで、金融業、土木業、建設業、不動産業、風俗営業、飲食業、人材派遣業、産業廃棄物処理業など、かなり多岐にわたっている。
 こうしたフロント企業は代紋などは掲げない。一見、ふつうのビジネス・カンパニーに見えるようになっている。山口組三代目の田岡一雄が「ヤクザは正業をもて」と指示したことも、フロント企業をふやすことになった。
 かつては稲川会の石井進会長が仕切っていた北祥産業や北東開発などが有名だったが、東京佐川急便事件で数千億円もの巨額保証融資を受けていたことが明るみに出て事件化してからは、運営や経営もそうとう巧妙になってきた。とくに大学の就職先にフロント企業が入ることがダメージになるため、大学側がそうとう神経質になり、フロント企業側もこれをカバーするべくいろいろ広報活動を変えてきたのである。
 一方、新たな共生者として浮上してきているのは、「社会運動標榜ゴロ」と「特殊知能暴力集団」だった。
 社会運動標榜ゴロは、政治運動や市民運動やボランティア運動を装っているため、かなり見分けがつきにくい。最近ではNPOの肩書をもつ共生者もあらわれた。なにしろ立てている旗印が「社会福祉」なのである。実際にも被災者支援には勇敢な活動を見せる。詳しくは夏原の『震災ビジネスの闇』(宝島SUGOI文庫)などを読まれるといい。
 特殊知能暴力集団は、たとえば仕手株のアレンジの先頭を切ったり、インサイダー取引すれすれをやってのける集団をいう。ポルノサイト運営を筆頭とするネットビジネスにも、スキマーを駆使した偽造クレジットカードにも長けているし、架空口座の設営にも長けている。むろん名簿売買や名簿流出もお手のものである。
 さらに「戸籍ブローキング」とか「ネームロンダリング」という知能犯罪の手口も広まっている。戸籍や住民票の売買なのだが、ユーザーには他人の戸籍を入手できて別人になりすますというメリットがある。これは選挙にも使われることがあるらしい。こういう特殊知能暴力集団がボーハイ法をくぐり抜けて広まりつつあるようなのだ。
 ついでながら、ここにはイベサー族の異名をとるイベント・サークル族も含まれる。ディスコやクラブを貸し切ってイベントを開き、カネと女を男たちと強力に結びつける若手ビジネスだが、これは合コンとネットで育った大学生ですら手がつける特殊知能犯罪になっている。
 かくして、ボーハイ法はかえって共生者を周辺にふやしていく。「反社会的勢力」は「社会」と見分けがつきにくくなっていくというのが、本書の結論だ。これらは仮に日本がさらに移民や流民を受け入れていくようになると、かなり広範囲に広がるビジネスだとも想定されている。

『原発とヤクザ』
著者:鈴木智彦
2011年12月20日 第一刷発行
発行所:株式会社 文藝春秋
装幀:石崎健太郎

【目次情報】

序章 ヤクザの告白「原発はどでかいシノギ」
第一章 私はなぜ原発作業員となったのか
第二章 放射能 VS. 暴力団専門ライター
第三章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘
第四章 ついに潜入! 1Fという修羅場
第五章 原発稼業の懲りない面々
終章 「ヤクザと原発」の落とし前

【著者情報】

鈴木智彦(すずき・ともひこ)
1966年北海道生まれ。日本大学芸術学部除籍。雑誌・広告カメラマンを経て、ヤクザ専門誌『実話時代』編集部に入社。『実話時代 BULL』編集長を務めた後、フリーライター。週刊誌、実話誌を中心にヤクザ関連の記事を寄稿している。主著に『潜入ルポ ヤクザの修羅場』(文春新書)、『ヤクザ1000人に会いました!』(宝島社)、『極道のウラ知識』(宝島文庫)ほか。ジャーナリストでは初めて作業員として福島第一原子力発電所に入った。

【帯情報】