才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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隠される原子力

核の真実

小出裕章

創史社 2010

編集:小原悟・野村保子
装幀:安斎徹雄

今夜は『鯨と原子炉』『ヤクザと原発』に続いて
【番外録】原発問題シリーズ第5弾として、
原子炉開発側の工学者や技術者の見解を紹介する。
あえて詳しい科学論議は案内しなかったが、
原爆と原発が同床異夢であることは、
以下の6冊+3冊で十分に伝わると思う。
それにしても「理念なき政治」「労働なき富」
「良心なき快楽」「人格なき知識」「道徳なき商業」、
そして「人間性なき科学」はしょせん徒花なのである。

◆ジョン・ラマーシュ&アンソニー・バラッタ『原子核工学入門』上下
 (澤田哲生訳 2003・6 ピアソン・エデュケーション)

 原子核には陽子と中性子がつなぐ結合力がある。この結合力を爆発的に解放させるのが核分裂で、このエネルギー解放の原理のしくみの研究から核兵器も原子炉も生まれた。
 解放とは言うけれど、実はエネルギー誘導の原理と言ったほうかがいい。人類はその誘導に成功したマンハッタン計画によって禁断のルビコンの河を渡り、原子核にエンジニアリングの手を入れてしまったのである。
 そのエンジニアリングをまとめて原子核工学という。
 原子核工学は、原子物理学と原子核物理学を基本に、放射線および放射性物質を何らかのエネルギー・システムにいかすために探求されてきた。それゆえこの領域の入口は原子核物理における質量とエネルギーの関係をはじめ、核物理のイロハに理論的にもとづいているのだが、ということは、ここには「原爆と原発」という“双生児の原理”が必ず説かれているのだが、しかし本書がそうであるように、ふつうは原子核工学のメインになっているのは原子力発電の基本原理の技術化を詳述することにある。
 どんな原子炉を設計し、どのように管理するかということが、原子核工学の長きにわたった目的だったのだ。これはアイゼンハワーの「平和のための原子力」という方針を受けたものでもあった。

 この本は1975年の原著初版の第3版2001年版の翻訳で、すぐれて専門的な原子核工学者に向けられてきた。
 ニューヨーク大学およびニューヨーク工科大学で教鞭をとったジョン・ラマーシュには、この分野のエンジニアの誰もが通過する定番の教科書『原子炉の初等理論』上下(吉岡書店)があるけれど、本書はその拡張姉妹版としてラマーシュが手掛け、その改訂の途中で倒れたたため、死後にペンシルヴァニア大学のアンソニー・バラッタが綿密な加筆編集を加えた。

 ところで、ぼくはこの本を自分で買い求めたのではなかった。訳者の澤田哲生が送ってきた。澤田さんは東工大の原子炉研究所のセンセーで、この人の顔と名は3・11直後のテレビや週刊誌にたびたび引っ張り出されていたので、あるいは知る人も少なくないかもしれない。もっともそのときのコメントが楽観的だ、曖昧だというので文句が寄せられてもいた。これには本人も困っていた。しまったとも思っただろう。
 澤田さんはもともとは京大出身の物理学者である。原子核工学を専門にしているが、その専門領域を離れて、ぼくの日本文化論にひとかたならぬ関心をもって「連塾」や「椿座」に何度も足を運んでくれていた。
 10年ほど前に東工大で湯川さん(828夜)やボーム(1074夜)の話をしてほしいという依頼があって、それがきっかけで「連塾」に顔を見せるようになったのだったと憶う。
 けれどもぼくは、その澤田さんと本書の中身にかかわるような話をまだ本格的にしたことがない。いずれ詳しいことを聞こうと思っているうちにフクシマの原発事故がおきた。そして澤田さんの顔がマスコミを賑わした。
 ぼくにはこれまで原発関係の知人がほとんどいないので(細野大臣とはいくぶん親しいけれど)、近いうちに澤田さんと腹を割った話をしてみたい。本音も聞いてみたい。本書を紹介しながら、そのことを思っていた。

◆和田長久&原水爆禁止日本国民会議編『核問題ハンドブック』
 (2005・2 七つ森書館)

 原子核工学や原子炉をとりまいて、核問題が技術的にも社会的にも大きく広がっている。もともとは原水爆をめぐる議論からスタートしたのが日本における核問題で、そこにはいまや原発事故から放射能汚染問題まで含まれる。
 世界で唯一の被爆国となった日本の核問題の歴史と展望については、当然ながらいろいろ類書があるが、公平にみて本書が最も広いテーマをわかりやすく、かつ一貫した思想によって扱っている。執筆陣も原水禁の和田長久・宮崎康男、高木仁三郎(1433夜)がつくった原子力資料情報室の西尾漠・勝田忠広・澤井正子をはじめ、小出裕章・今中哲二・小林圭二らの“熊取組”などが顔を揃えて、ていねいな解説を試みた。

 第1部で「原子とは何か→核分裂と核融合→ウランとプルトニウム→放射線→放射性崩壊と半減期の意味→核燃料サイクル」という順に基本が解かれ、第2部で核兵器の大半の現状が説明され、第3部ではアメリカ・ロシア・中国からインド・イラン・パキスタンの核開発戦略のあらましが、第4部で原子力発電のしくみのABCがプルサーマル問題にいたるまで解説されている。
 類書よりも詳しいのが、第5部の原発事故にまつわる問題群と、第6部の核軍縮をめぐる活動と社会性の総覧である。ぜひ目を通されるといい。ともかくも「原爆と原発」のことでわからないことがあったら、まずは本書を開いてみられることを薦めたい。
 ぼくの実感からすると、最終ページに日本被団協や広島原水禁の代表を務めた森滝市郎の核絶対否定論がとりあげられているのが象徴的だった。

核燃料サイクル(非再処理ケース・再処理ケース)
『核問題ハンドブック』和田長久,原水爆禁止日本国民会議編(七つ森書館 2005)より

◆榎本聰明『原子力発電がよくわかる本』(2009・3 オーム社)

 この本の著者は1965年に東京電力に入ったのち、中越地震のときに事故をおこした例の柏崎刈羽原発の所長を1995年から2年間務め、その後は東電の原子力本部長になったという経歴をもつ。これでわかるように、著者はあきらかに原発推進派の中心人物の一人なのである
 だからといって、この本が原発まるごとの安全宣言をしているわけではない。むろん危険だという警告をしているのでもない。何が起これば危険で、だからこういうふうに制御するのだということを技術のほうに寄りながら、ぬらくらと、しかし平易には書いている。安全と危険が隣り合わせであることも、あまり熱心ではないけれど、とくに隠しだてもせず書いてある。
 どこかで原発推進派の啓蒙書ともいうべき本を読んでおこうと思って物色したもののうち、この本が最も平均的に感じられたのでざっと読んだのだが、件の広瀬隆(1448夜)のものなどまったく読んだことがない読者がこの手の本を読めば、原発がとてもマイルドなプラントのように感じられてしまうように書いてある。原子力発電の問題を、巧みに溝にはまらないように、また言いまわしも意図的にエレガントに扱っているのである。
 おそらくは東電の幹部エンジニアとしてバランスよく鍛えてきた人物なのだろう(それともゴーストライターがいるのだろうか)。ま、いずれにしても原発問題というもの、反対派のものばかり読んでいては見えなくなることも少なからずあるということ、本書はそれなりに伝えている。だから反面教師として読むなどという意固地な読み方ではなく、一度はその道を走る自動車になったつもりで、アクセルやハンドルを動かしてみるといい。

代表的BWRのアクシデントマネジメント策
『原子力発電がよくわかる本』榎本聰明(オーム社 2009)より

核活断層の分布
『原子力発電がよくわかる本』榎本聰明(オーム社 2009)より
◆柴田俊一『新・原子炉お節介学入門』
 (2005・3 一宮事務所・エネルギーフォーラム)

 上記の榎本聰明『原子力発電がよくわかる本』は、いわば安全と危険のレベルを巧みにホゾを合わすように書いていたのだが、つまりグレーゾーンを巧みにすり抜けていたのだが、本書は原発設計者がはっきりと「原子炉は本来が危険なものであってあって、安全ではない」という立場を貫いている点に最大の特徴がある。
 とくに、原発は「安全になっている」のではなく、「安全にできるようにしてある」にすぎないと言っている姿勢がいい。だから、著者はこう言うのだ、「原発ではできることをしないかぎり、いつだって安全ではない」。
 ほぼ専門レベルの話がぎっしりつまっているのに、妙におもしろかった。かつての京都大学原子炉実験所長で、KUR(京大炉)の設計責任者だった著者が、当時をふりかえってかなり縦横無尽に原子炉談義をしたもので、月刊「産業とエネルギー」という雑誌に連載されたエッセイをまとめた。前身が『原子炉お節介学入門』(2000・11)で、本書はその新版だ。

 談義はあくまで原子核工学ふうなのである。一応はエッセイ調になってはいるのだが、内容はかなり細部にわたる。だから大小の技術論が400ページに及ぶ大半を埋めているのに、すらすら読めて妙におもしろい。
 おもしろいというと誤解を招くだろうから言い換えておけば、原子核工学のみならず、工学の深部のツボを十全に心得た本になっている。本人は、事故はたいてい「つまらないこと」でおきるものだが、本書はその「つまらないこと」をできるだけ多く説明しようとしたと書いている。
 とくに「危険の兆候は決してデジタルにはやってこない」ということを、さまざまな例を通して繰り返しのべているあたり、この著者の真骨頂があった。いったいどんな御仁だったか知りたいものだが、巻末に人物評を寄せた内田岱二郎はたんに「とにかく口の悪い人だった」と言っているだけで、なんの参考にもならなかった。
 おそらくは観察眼がめっぽう鋭く、つねに自分がその対象やしくみにかかわったときは何をすればいいかを考え続けてきた御仁だったのだったろう。わが編集工学的にいえば、つまりは「お題をたてる名人」だったのだろうと思われる。

京都大学原子炉建屋(左の白い建物)と京都大学臨界実験装置建屋
『新・原子炉お節介学入門』柴田俊一(一宮事務所 2005)より

 一例を紹介しておく。
 過日、著者がベルギーのモル研究所を訪れてBR-2という高中性子束の材料照射用原子炉を見学したと思われたい。2000人ほどの所員をかかえる研究所だった。
 当時のBR-2は軽水減速の炉心が6万キロワットほどの大出力炉で、その減速材の中に照射用ループを設けて、高速炉の燃料の照射試験をしていた。この燃料は自身の核分裂のため高温になっていく。そこで冷却しなければならない。モル研では高速炉と同様にナトリウムを流していた。著者はこんなものを炉水の中に入れるのは大変だろうと推理して、きっとループ構造に工夫があるのだろうと思い、そのことについて質問してみた。0・6ミリの薄肉のステンレス管で作ったという。
 では、当然、溶接しているのだろう。そのころの日本では0・6ミリを溶接したものをこの手の複雑きわまりない設備に使える技術はない。「よく二重管を溶接できましたね」と褒めたら、「いや、一重管です」という答がかえってきた。衝撃的だった。
 柴田は気をとりなおして重ねて聞いた。どのくらい照射するのですか。「わからない」と言う。質問の英語が悪かったのかと思いまたまた聞いてみると、「燃料が壊れるまで照射する」のだと言う。ここで柴田はギャフンとなった。
 二重管ならばそのあいだに漏れ検出のためのセンサーを設けないといけないだろうが、炉心からの水と内部からのナトリウムの両方の漏れをチェックできる検出器を管の中に設置するのは不可能だという判断が、モル研にはあったのである。そう言って、担当者は「ねえ、そうでしょう」とニヤッと笑った。著者はこの笑えるほどの警戒と自信がどこから出てくるのか関心をもった。
 帰国後、さまざまな実験をした。炉心容器の円筒は内側が軽水で、外側は重水である。こちらは水漏れセンサーを一番下方に設ければいい。ナトリウムのループ管を作っていろいろ試みると、漏れが部分的な欠陥から噴水状に出てくることがわかった。モル研ではこれらのことをすべて試したうえで一重管でいけると確信したのだったろう。
 著者はあらためて考えた。これらのことをクリアするには、これらのことを組織全体が認識できていなければならない。われわれは、そのような組織をつくりあげるために、つねに工学的な問いを発し続けてきたのだろうか、と。

 機械は責任をとらない。スイッチを入れるのもオフるのも人間なのである。原子核工学といえども、献身的な努力とそれに見合う組織対応がないかぎり、機械を動かすことにはならない。それでも事故がおきたときは、すべての責任を人間と組織がとるべきなのである。
 フクシマの原発事故にかぎらず、事故のほとんどは人災なのである。それを誰も言い逃れすることは許されない。

京都大学原子炉
『新・原子炉お節介学入門』柴田俊一(一宮事務所 2005)より

京都大学臨界実験装置
『新・原子炉お節介学入門』柴田俊一(一宮事務所 2005)より

◆小出裕章『隠される原子力』(2010・11 創史社)
◆小出裕章『原発のウソ』(2011・6 扶桑社新書)
◆小出裕章『原発はいらない』(2011・7 幻冬舎ルネッサンス新書)
◆小出裕章『原発のない世界へ』(2011・9 筑摩書房)

 日本の反原発の科学技術者として、最も良心的でラディカルだろうといわれているのが小出裕章である。KUR(京大炉)を作った柴田俊一が親分だった京都大学原子炉実験所の助教だが、1949年生まれで実績も十分なのに助教のままであるのは、37年間にわたって助手に据え置きされているということであり、ここには当然、その昇格を阻むものが大学人事にあるからだ。
 もっとも小出はそういう立場にいることに呆れてはいるものの、不満があるわけではないらしい。仲間もいる。京大原子炉実験所は大阪府泉南の熊取町にある。そこで「熊取六人組」と呼ばれているのだが、この6人組が仲間なのだ。海老沢徹・小林圭二・川野眞治・今中哲二・瀬尾健(故人)。いずれも筋金入りの反原発派の面々だ。
 柴田の組織のもとにこのような6人が登場してきたことについては、ぼくが知らないさまざまな事情があるのかもしれないが、それでも京大原子炉実験所が研究組織として機能しつづけているというのは、たいへんユニークなことである。ただ反原発派はみんな似たような境遇に置かれることになっているらしく、大学の中ではちょっぴり不遇をかこつのである。しかしそれが仲間だと思えば、小出は平気なんだと言う。
 ちなみに京大にはこのように反原発の原子力研究者がいるのに対して、東大には一人もいないとされている。原発廃絶のために原子炉研究を続けているのは京大だけなのだ。小出自身は1970年10月に女川町で開かれた原発反対集会に参加したときに、反原発の道を歩み始めていた。

核燃料サイクルの全体像
『隠される原子力』小出裕章(創史社 2011)より

 その小出が単著として初めて世に問うたのが、本書『隠される原子力:核の真実』だった。原子炉研究者の反原発論として注目された。
 それから僅か数カ月で3・11となり、福島第一原発メルトダウンがおこった。政府も東電もそのことを隠していたが、そのうちバレた。まさに原発は小出お見通しのとおりの「隠される原子力」だったのである。
 その後、小出の本は各社が競うようにして次々に出た。『原発のウソ』『原発はいらない』『原発のない世界へ』などなどだ。週刊誌や講演会にものべつ引っ張り出された。
 ところが、それらの本はすべて講演やインタヴューや対話で構成されていて、小出がしっかりと文章を練り上げてはいない。そこは柴田とはまったく違うのだ。そのためときどき話題や論旨が前後したりする。
 これだけの本気の筋金入りがどうして決定打を放たないのだろうと思っていたが、おそらくゆっくり書いている暇などはなく、そんな気持ちにもなれないのであろう。また執筆よりは実践なのでもあろう。ぼくも、この人はそういう人なのだと納得した。それでも、これらの本のどんな本の端々にも小出の哲学や技術観は鋭く突出しているし、とくに原子炉を扱う研究者としての痛哭に近いほどの責任の重さは、どのページにも滲み出ている。

 小出は好んでマハトマ・ガンジー(266夜)の墓碑に記されている「七つの大罪」を引く。よく知られているだろうが、こういうものだ。もし知らないのだったら、よくよく味わってほしい。「理念なき政治」「労働なき富」「良心なき快楽」「人格なき知識」「道徳なき商業」、そして「人間性なき科学」「献身なき崇拝」である。
 小出とともにあらためて言うべきだ。いま、日本全部がこの大罪とのみ闘うべきである、と。

チェルノブイリ原発事故による汚染の広がり(福島原発を当てはめる)
(チェルノブイリ周辺のセシウム137汚染状況)
『隠される原子力』小出裕章(創史社 2011)より

◆山本義隆『福島の原発事故をめぐって』(2011・8 みすず書房)

 発売以来、評判がいいらしい。
 著者は言わずとしれた全共闘時代のヒーローで、『知性の叛乱』(前衛社)がベストセラーになったのだが、その後は『重力と力学的世界』(現代数学社)をはじめ、名著『熱学思想の史的展開』(現代数学社→ちくま学芸文庫)、毎日出版文化賞をとった『重力と磁力の発見』全3巻(みすず書房)など、一定の期間をおいて、職人的で、かつ重戦車のような科学史ものを発表してきた。
 こうして全共闘闘士としての姿はいっさい見えなくなったのだった。本来の科学史の深部に降りていったからだった。
 その山本がついに現実社会に向かって発言したのがこの小冊子である。「みすず」に原発事故についての文章を求められて原稿を書いてみたところ、つい長くなってきたので、連載にでもしてもらおうとおそるおそる提案したら、それなら単行本にしましょうと言われて刊行されたものらしい。

 中身は一言でいえば、日本が原発開発と設置にしゃにむに向かっていった事情に静かに「待った」をかけている本である。
 とくに思想的に新しい見方が書いてあるのではない。とくに新しい科学思想が述べられているのでもない。反原発派ならはたいていは知っていることが淡々と述べられて、途中に吉田義久『アメリカの核支配と日本の核武装』(編集工房朔)、鈴木真奈美『核大国化する日本』(平凡社新書)、ジェローム・ラベッツ『科学神話の終焉とポスト・ノーマル・サイエンス』(こぶし書房)、高木仁三郎『プルトニウムの恐怖』(岩波新書)などを引きつつ、山本が原発事故を引き起こした科学技術の近現代史をふりかえるというふうになっている。

 最後にぽつりと提示される言葉は「原発ファシズム」だ。
 これは佐藤栄佐久が『知事抹殺』(平凡社)や『福島原発の真実』(平凡社新書)で国のやりかたを徹底批判したこと、および菊地洋一が『原発をつくった私が、原発に反対する理由』(角川書店)のなかで、原発は「配管のおばけ」だと言ってのけたことなどを受けて、日本の政治と経済がまるごと推進してきたのは原発ファシズムとしか思えないというところから出てきた言葉であるが、この批判用語は山本にしてはいささかおおざっぱであった。
 それよりも山本が次のように断定してみせたことのほうに、やっぱり説得力があった。要約して、次のような主旨だ。
 「‥原発の放射性廃棄物が有毒な放射線を放出するという性質は、原子核の性質、つまり核力による陽子と中性子の結合のもたらす性質であり、こんなものを化学的処理で変えることはできない。核力による結合が化学結合にくらべて桁違いに大きいからだ。‥ということは放射性物質を無害化することも寿命を短縮することも不可能だということだ。‥とするならば、無害化不可能な有毒物質を稼働にともなって生み出しつづける原子力発電は、あきらかに未熟な技術と言わざるをえない。‥ヒロシマとナガサキとフクシマを体験した日本は、ただちに脱原爆社会と脱原発社会を宣言し、そのモデルを世界に示すべきではあるまいか」。

『隠される原子力・核の真実―原子力の専門家が原発に反対するわけ』
著者:小出裕章
2010年12月12日 第1版第1刷発行
発行所:創史社
編集:小原悟・野村保子
装幀:安斎徹雄
表紙写真:チェルノブイリ原発 提供/山田清彦

【目次情報】
はじめに
1章 被曝の影響と恐ろしさ
2章 核の本質は環境破壊と生命の危機
3章 原子力とプルトニウムにかけた夢
4章 日本が進める核開発
5章 原子力発電自体の危険さ
6章 原子力に悪用された二酸化炭素地球温暖化説
7章 死の灰を生み続ける原発は最悪
8章 温暖化と二酸化炭素の因果関係
9章 原子力からは簡単に足を洗える
10章 核を巡る不公正な世界
11章 再処理工場が抱える膨大な危険
12章 エネルギーと不公平社会
あとがき
※英文略語一覧

【著者情報】
小出裕章(こいで・ひろあき)
1949年東京生まれ。東北大学工学部原子核工学科卒、同大学院修了。1974年に京都大学原子炉実験所助手になる。2007年4月から教員の呼称が変わり、現在は助教。専門は放射線計測、原子力安全。伊方原発訴訟住民側証人。著書:小出裕章(監修)、坂昇二・前田栄作 著『日本を滅ぼす原発大災害』風媒社(2007年)、土井淑平・小出裕章 著『人形峠ウラン鉱害裁判』批評社(2001年)、小出裕章・足立明 著『原子力と共存できるか』かもがわ出版(1997)他。