カールハインツ・シュトックハウゼン
シュトックハウゼン音楽論集
現代思潮社 1999
ISBN:4329010011
Karlheinz Stockhausen
Texte zur elektronischen und instrumentalen Musik 1963
[訳]清水穣

 ミヒャエル・フェッターと一夜をボーカリゼーションで遊んだときから、シュトックハウゼンが本格的に気になってきた。それまではエドガー・ヴァレーズの『イオニゼーション』どまりだった。
 フェッターはシュトックハウゼンの弟子あるいは親友の一人で、その日は武満徹のプロデュースによる西武劇場「MUSIC TODAY」のゲストとして“演奏”をおえたばかりだった。“演奏”といっても、フェッターは舞台で座布団に坐り、たくさんの生活道具をまわりに配して、これをいろいろ鳴らしながら、ときどきボーカリゼーションを加えるという、いささか和風な、しかしやはりシュトックハウゼン的なインプロヴィゼーションをしてみせたのである。
 ぼくはこれに感動して、その夜、フェッターを工作舎の“土星の間”に招いて、スタッフとともに即興音楽と俳諧ボーカリゼーションの指導を一晩中うけた。そのあとにフェッターに即席インタビューした記録は、『遊』の1002に載っている。「呼吸する音楽・音楽する呼吸」と題してみた。1978年のことだった。

 本書は、聴くことが「欲望のままに聴くことになりはてた」と痛罵するシュトックハウゼンが、音を構造化することに挑んでいたころの、いまや古典とよばれているノートというべきものである。
 シュトックハウゼンは、音を構造化するにあたって、無矛盾的な関係の下に音を配することを構想した。そのときのコンセプトは「偶然」である。しかし、この「偶然」は厳密でなければならなかった。
 音はゲシュタルトをもっている。シュトックハウゼンはこれを作品のなかで使いたいのだが、その音は、ある作品Xのためだけに構造特性Xをもって、その作品Xの内部だけでゲシュタルトを発揮するようでなければならないのであった。偶然とはそういう構造のなかの偶然なのである。そして、そのように作曲する男、それがシュトックハウゼンだった。
 その後、「偶然」はジョン・ケージらによって徹底的に白日のもとに晒され、とくに現代音楽の謎とはならなくなった。しかし、シュトックハウゼンが残したものはそれにとどまらず、現代音楽のセリーの大半を、すなわちセリエルな本質を、支えつづけている。

 電子音楽というものの誕生日は1953年である。
 この1953年という年は、西ドイツ放送局のディレクターだったハンス・アルトマンの英断によって、ヘルベルト・アイマートを所長とする電子音楽スタジオがケルンに出現した年だった。
 スタジオと同時に青年シュトックハウゼンの、前代未聞の音の制作が始まった。そこでは、すべての器楽音によってつくられた音楽が放棄され、作品構造に従った音そのものの合成が始められた。それは演奏家を不要とする音楽の創造だった。電子音楽では、作曲家が数人のエンジニアたちと作品のすべてをつくってしまうからである。
 こうして一挙に世界に電子音楽が広まっていった。ミラノではルチアーナ・ベリオとブルーノ・マデルナが、アイントホーフェンではヘンク・バーディングスとエドガー・ヴァレーズが、ブリュッセルではアンリ・プスールが、ニューヨークのコロンビア大学ではウラジミール・ウサチェフスキーとオットー・ルーニンが、ワルシャワではコトンスキトクロイツとセロツキが、そして東京のNHK電子音楽スタジオでは黛敏郎と諸井誠が、それぞれ新しい音の合成とその構造化にとりくんでいった。みんな懐かしい名前である。当時、これらの名前は未来の音楽をつくる工房の若きマエストロのように、キラキラしていた。ミヒャエル・フェッターもその一群の青年の一人だった。

 シュトックハウゼンは電子音楽のシステムをつくったばかりではなかった。音楽における空間と時間の統合を試みた。
 また、『少年の歌』などを通して、統計的な場を作曲する構造そのものを音楽的に生み出すということもやってのけた。本書に、その制作プロセスが詳細に紹介されている。そのプロセスは実に厳密に偶然を生み出そうとしている。ぼくも本書であらためてその執拗な限定的作業の全容を知った。

 シュトックハウゼンはさらにグラフィック・スコアの世界を開拓していった。
 もともと音楽にはスコアなんて代物はなかった。古代では記憶と歌語りの熟練があっただけである。しかし、そこにはよく見ると身振りや手振りがあった。合図のようなものと拍子とがむすびついていたはずである。これを「ケイロノミー」という。このケイロノミーからスコアの歴史が生まれていった。
 それが中世、「ネウマ譜」になった。歌詞のテキストの上に文字やアクセント記号をつけ、旋律や音高に色の異なる線を付加するというスコアリング・メソッドである。この異なる線から「五線譜」が生まれた。オリヴィエ・メシアンがこの中世的なネウマの誕生プロセスに興味をもって、多義的な『リズムのネウマ』を作曲したことが思い出される。
 その後、スコアリング・メソッドは「定量記譜法」へと発展していった。そして20世紀に入ると器楽奏者用の持ち手の記譜「タブラチュア」から、いわゆる「アクション・スコア」が派生した。そして電子音楽時代の直前に、現代音楽はついに「構想譜」という段階を迎えていたのである。
 グラフィック・スコアの発想は、構想譜と現代詩とグラフィックデザインが結びついたものである。バウハウスをはじめとしたデザイン、アポリネールヤシュヴィッタースの言葉の記号化、そして電子音楽的構想である。ぼくは青年時代、武満徹と杉浦康平が共同制作したグラフィック・スコアを見て、ものすごく新鮮な告示を感じたものだった。

 シュトックハウゼン。この人のもたらしたものは、まだ半分しか発展させされていないのではないかとおもわれる。

多義的な形式生成 三奏者のための「ルフラン」より

 

コメントは受け付けていません。