
ザンギリ頭に袴をつけた明治の進歩的女性。女学生の代名詞となった、後ろの海老茶袴と違い、男物の縞袴を着用。懐手が勇ましい。

夕涼みの女。洋風の大胆な百合文様をあしらった着物がハイカラである。[1906年]

自転車に乗るハイカラ女学生。自転車の国産化は20年代からで、明治末には40万台近くあった。[明治末]

尾竹紅吉
本名は一枝。女子美術学校を中退し、青鞜に参加。久留米絣に角帯に雪駄履きという粋な男装を好んだ。雷鳥や中野初と吉原に遊んだり、虹色のカクテルを飲むなど派手な問題を起こしたが、後に陶芸家の富本憲吉のもとに嫁ぐ。
本名は一枝。女子美術学校を中退し、青鞜に参加。久留米絣に角帯に雪駄履きという粋な男装を好んだ。雷鳥や中野初と吉原に遊んだり、虹色のカクテルを飲むなど派手な問題を起こしたが、後に陶芸家の富本憲吉のもとに嫁ぐ。

田村俊子
女と男、家との相克を見事に描き1910年代文壇の寵児となった。7年間の文壇生活ののち恋人を追ってカナダへ。61歳で中国で客死してからは忘れられた存在だったが、生前田村にさんざん傷つけられながらも彼女を愛していた佐多稲子、湯浅芳子らが顕彰に尽くした。
女と男、家との相克を見事に描き1910年代文壇の寵児となった。7年間の文壇生活ののち恋人を追ってカナダへ。61歳で中国で客死してからは忘れられた存在だったが、生前田村にさんざん傷つけられながらも彼女を愛していた佐多稲子、湯浅芳子らが顕彰に尽くした。

出勤するデパート・ガールたち。

休憩中のデパート・ガール。食事時間のほか1時間の休憩時間をふくめ勤務は午前8時〜午後6時・午後0時半〜午後9時の2部制でほとんどが高等女学校卒だった。[大阪高島屋]

不良少女グループのハート団を率いた「ジャンダークのおきみ」の異名をもつ林きみ子。[1924年 毎日新聞社]

上・「丸ビル美人伝(二)鈴木静子さん」
下・「丸ビル美人伝(四)大川友子さん」ともに1924年の読売新聞記事
下・「丸ビル美人伝(四)大川友子さん」ともに1924年の読売新聞記事

日傘をさして銀座を歩く大正期のモダンガール。道ゆく男たちの注目を集めた。[1923年]

ネオンがまぶしい新宿のカフェー街[1933年 毎日新聞社]

各カフェーが独自に作っていたマッチのデザイン。「エロ」を想起させる刺激的なものが多い。

「改造」昭和6年(1931)6月1日号に掲載された書籍
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