才事記

イギリスのEU離脱がスッキリしない。それどころかイギリスってあんなにひどいのかというほどの国政状態だ。だいたいEUがうまくない。2015年のギリシア問題のときの体たらくが象徴的だった。
ところであのとき、ギリシアの急進左派連合ツィプラス政権の財務大臣が「債務帳消し」を言い出していたのが印象深く、ざっくばらんな姿恰好もおもしろかったのだが、あれはヤニス・バルファキスという、エセックス大学で数学を修め、アテネ大学で経済学を教えている男であって、リーマンショックを予想して話題になった。
その後、3冊の本を世に問うた。『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話』(ダイヤモンド社)、『黒い匣:密室の権力者たちが狂わせる世界の運命』(明石書店)、『わたしたちを救う経済学』(Pヴァイン)だ。いずれも「非EU的・非アメリカ的デモクラシー」や「ツイン・ピークス仮説」を展開した資本主義批判の問題作で、告発力に富んでいる。
グローバル資本主義をどう批判するか、ぼくもこれまで千夜千冊で20冊以上の本を採り上げてきた。スーザン・ストレンジからジョン・グレイまで、中谷巌から金子勝まで。そのころのお気にいりはデヴィッド・ハーヴェイの一連の新自由主義批判(作品社)だったが、解決案があるわけではない。
その後もいろいろ読んだ。最近の日本では左派リベラル(レフト3・0)の松尾匡やブレイディみかこの『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』(亜紀書房)などが元気で頼もしかったけれど、総じてはつまらない。経済学は死産したのかとさえ思わせられる。
経済学にはもっと地政学と情報構成論が必要なはずで、そこが欠けすぎている。つまり「社会」を情報地政学的に見るという下敷きが欠けている。そこはいったんイアン・ハッキングなどに戻って学んでみるか、アメリカの未来シナリオがそれに乗っているのだが、ジョージ・フリードマンなどを読み込んだほうがいい。トマ・ピケティやマルクス・ガブリエルの水辺でぴちゃぴちゃしているのは、いただけない。
勢いをもちはじめたのは「加速主義」(acceleration)である。今日の資本主義をもっとラディカルに拡張加速するべきだという思潮だ。右寄りのニック・ランドが提唱した「加速主義」やニック・スルニチェクとアレックス・ウィリアムズがネットに提起した「加速派政治宣言」、左寄りのラボリア・クーボニクスの「ゼノフェミニズム」やベンジャミン・ブラットンのオープンエンド「デザイン・ブリーフ」の提唱などがある。ブラットンの「デザイン・ブリーフ」は、情報技術インフラが地政学社会をスタックさせているというもので、そこにどのように“つっかい棒”を入れるかというものになっている。
去年の8月、kizawaman02のアカウント名で「オルタナ右翼の源流 ニック・ランドと新反動主義」という2万字に及ぶ論考がウェブ投稿された。暗闇の熱を持ち出したような反響に包まれたものだ。この論考の中身はその後、木澤佐登志の『ニック・ランドと新反動主義』(星海社新書)にまとまった。
そんななか、今年の「現代思想」6月号も「加速主義」を特集して、千葉雅也・仲山ひふみ・木澤らによって、「資本主義が資本主義の外まで出ていく可能性」が議論されていた。これらがはたしてドゥルーズ=ガタリのアンチ・オイディプスの追想なのか、自殺したマーク・フィッシャーの鎮魂なのか、シンギュラリテイ仮説のヴァージョンにすぎないのか、まだ見えてはきていない。ぼくは、フレデリック・ジェイムソンの『未来の考古学』(作品社)などが示したSFのディストピア観をもう少し議論したほうがいいと思っているのだが、さあ、どうだか。