才事記

8月15日だった。追われて消えた。敗戦刻印の日が「終戦記念日」になってから、いつもこうだ。折しもカイヨワの『戦争論』をETVの「100分de名著」が解説していた。西谷修のナビは上々だった。言うまでもなく、カイヨワ大好きのぼくからしてもぜひとも読んでほしい一冊なのだが、実はカイヨワの戦争論ではもはやまにあわなくなってきたところもある。「情報」が議論できていないし、テロリズムに対応できていない。カール・シュミット、ヴィリリオ、高祖岩三郎を加えたい。
「表現の不自由」の展示(慰安婦少女像)の一件で愛知トリエンナーレ『情の時代』が揉めている。ウーゴ・ロンディーノら11人の海外出展作家とサブミッションを受け持っていた東浩紀が降りた。ぼくがプレ開会のトークでプロデューサー役の津田大介君と公開対談をしたときは、こんな企画は立ち上がっていなかった。それにしてもアートも吉本も大学入試もコンプラで収めようとするのは、虫酸が走る。
往時を語るというのは、通りいっぺんの提示や回顧では括れない。そんななか、「群像」連載中の瀬戸内寂聴の随筆『その日まで』が唸るほどすばらしい。9月号が第12回目で、毎回、97歳になった自分の周辺のことや脳裏を掠めていることを、零れるがごとく、貪るがごとく綴っているのだけれど、実に味わいがある。削いだ文章も、去来する記憶の扱いも申し分なく、これまでとくに寂聴文学に関心をもっていなかったぼくを、瞠目させている。
ついでに「群像」を誉めておくと、群像新人文学賞の選考委員の決然としたメッセージが、なんとも嬉しいものだった。野崎歓、松浦理英子、柴崎友香、高橋源一郎、多和田葉子が委員で、5人が5人とも明日の日本の文芸的格闘の筋交いのようなものを求めていて、凛としている。めずらしく胸が透いた。
各地のビエンナーレもそうだけれど、「何を選ぶか」「何を捨てるか」、いいかえれば「本来と将来をつなぐものは何か」という一線が、昨今はぐちゃぐちゃになってしまったのである。こういう時期は、あらためて本気の評価の立ち上がりが問われる。キュレーションもそうとう甘くなっている。まして視聴率や「いいね」ボタンの評判でコトをすすめるのは、たいていにしたほうがいい。そうでないと、評判を気にしたコンプラばかりがインチキ護符になる。評判ではなく、評価の力を磨きなさい。徂徠はこう言っていた、「まつりごと」をまるまる考えなおしなさい。そうなのである、政治も祭事も同じなのである。梅岩ではこうだ、「手前の埒をあけよ」「一を舎(す)てず、一に泥(なず)むな」。
8月25日、千夜千冊エディション『神と理性』(角川ソフイア文庫)をリリースする。「西の世界観」Ⅰとして、プラトン、オリゲネスからホッブス、スピノザをへてルソー、バークに及ぶ30人あまりを採り上げた。その原稿に加減乗除の赤をあれこれ入れながら、あらためて「神」や「理性」を打ち立てて思索と行動を律していた時代があっけなく崩れてしまったのはどうしてなのか、考えた。三十年戦争とリスボン大地震と工場産業力が打擲したのだった。
打擲すれば、時代は変わってしまうのである。打擲された側の価値観の切り替えが進むのだ。日本も明治維新でそうなった。薩長土肥はマジックにかかったのである。この手の駆け引きは、最近ならばプーチン、トランプ、習近平、エルドアン、アル・アサド、金正恩たちがよくよく知っていることだ。いやいや、政治家や資産家やマスメディアなら、そんなことは誰だって知っていた。
ところが、ここにもすってんころりんが起きはじめた。ネット社会が「なんでも民意」を嘯(うそぶ)くことになって、またまた事変がおきた。価値観に手が入ったのではない。それならいいのだが、そうではなくて、「いいね」ボタンとともに「ダメよ」ボタンが物言うことになったのである。何をか言わんやだ。ほぼ全員が監視カメラのもとで賞味期限をなすりあうことになったのだ。なんとか「一を舎(す)てず、一に泥(なず)むな」といかないものなのか。