父の先見
◆2020年夏から21年春にかけて、埼玉県東所沢の1万2000坪の敷地の一角に「角川武蔵野ミュージアム」が姿をあらわしていく。敷地内には角川グループの一部も引っ越す大型建物も出現し、ホテル、ホール、書店、オンデマンド印刷所、流通拠点もできる。角川歴彦の乾坤一擲なのである。
◆ミュージアムのほうはまだ詳しい中身は喋れないが、既存の図書館・博物館・美術館の概念を壊して新たな複合と融合をはかってみたものだ。まあ、書籍、アート、アニメ、博物展示、商品、フィギュア、連想検索システム、VR、飲食、体験学習、ラノベ=マンガ閲覧スペース、武蔵野ギャラリーなどを、自由気儘に組み合わせた複合文化施設だと思ってもらえばいい。すでに隈研吾の多角形の設計は了って、いま鹿島による建設の仕上げに向かっているが、なかなかおもしろい形象と構造になっている。
◆ぼくは荒俣宏らとともにこの複合ミュージアム施設の構想から参加していたが、いまはミュージアム館にフロアー展開する「本の森/本の街」づくりにとりくんでいる。4階だ。世界中のどこにもない「本棚劇場」と、本が賑わう「エディットタウン」(ET)とを組み上げることにした。
◆本棚劇場には、角川書店のこれまでの主な刊行図書と角川文化財団の蔵書のほぼすべてが入るのだが、たんに本が並ぶのではなく“IT時代のイニゴー・ジョーンズ”の世界劇場はかくやあるべしというような、いわば「本のパフォーマンス」が愉しめるようになるだろうものを用意する。ちょっとしたブック・プロジェクション・マッピングも見せる予定だ。
◆一方、ETのほうはかなり斬新で、かつ賑やかだ。いくつもの本棚が構成するブックストリートになっていて、本棚が見せる書街・書域・書区・書段・書列が街区のように展開する。本とそれにまつわる知的情報と付加情報が興味津々に出入りしているストリートをゆっくり歩いてもらえば、それだけで本の試食や味見ができるようになっている。いわば「本の仲見世」「本のピカデリーサーカス」「本の屋台村」なのである。“継読”や“連読”もおこるはずだ。
◆4階には荒俣君による博物室「ウンダーカマー」(驚異の部屋)や、高橋コレクションを中心にした現代日本アートのギャラリーも出現する。3階にはアニメやサブカル売り場が、5階には武蔵野界隈やカフェもお目見得する。
◆ぼくは長らく「本は交際である」「読書は編集である」「編集は乗り換え・着替え・持ち変えである」と言ってきたが、エディットタウン(ET)では従来型のじっくりした読書ではなく、来館者が好き勝手な連想読書体験のスピードに乗れるようにしたいと思っている。だから当然、ここではこれまでの図書館や書店からはおよそ想像がつかない独特のコンテキストによる「文脈棚」が出現する予定だ。千夜千冊にもとづいたエディションが反映し、そこから多様多彩な連想に向けてさまざまに遊べる本の並びによる文脈(シナリオ)も用意する。
◆いま現在は、それらのための選書作業に大わらわだ。9ブロック(書区)のETなので、7人のブックディレクターに数人ずつの選書スタッフがそれぞれ張り付いて、口角泡をとばしてやっさもっさ、ユニークな棚組を準備してくれつつある。選書のプロ何人かやイシス編集学校の師範や師範代から選抜したチームだ。太田香保と和泉佳奈子が仕切ってくれているが、ぼくも大中小の注文を出しているので、長時間にわたるミーティングは戦場になる。というわけで、ETは痛快で、かなり前代未聞のものになるだろうと思う。
◆いまさら言うまでもないだろうが、どの棚も、文学・自然科学・社会思想・実用書・医学などというふうには分かれないのだ。心のいきさつと脳科学と現代小説とAI本が組み合わさり、遺伝子やオスとメスの進化や昆虫の本を追っていくと王朝の古典や恋愛本に辿りつき、ベートーベン本やヴァレリー本から小林秀雄やジュネや片山杜秀を通ってリルケや谷川俊太郎や川上未映子に抜けていく。世界史の本のあいだにはロラン・バルトやバルガス・リョサや諸星大二郎が挟まれる。そんな感じなのだ。複本(ダブリ本)もいとわない。漱石やエーコはいろんな棚に顔を出すわけなのである。
◆本棚はお喋りでなければ、おもしろくない。リミックスじゃなければ、本棚じゃない。「読相術」が動かなければ、ブックコモンズじゃない。いずれまた途中経過を洩らしたい。以上、やや早めの予告のお話でした。