才事記

ぼくのヨーロッパ理解はバロックを境目にして培われた。しかししばらくたって、バロックを細部で支えたのがマニエリスムというメソッド文化の束だということがわかり、あれこれを渉猟するようになった。しかし、なかなかマニエリスムを広げられる奴がいない。とくにアメリカまでは。
高山宏と巽孝之が縦横無尽の対談をくりひろげた『マニエリスム談義』(彩流社)は、目一杯マニエリスムを広げるとどうなるかを示した画期的なものになった。どうしても読んでもらいたい一冊だ。二人はそれぞれ浩瀚きわまりない知の牙城を営々独自に築いてきた張本人だけれど、その二人が砂塵逆巻く四つ辻で、クロサワの用心棒よろしく互いに懐手で交差しながら喋っているのが、まずもって見逃せない。
ときに巽がおさおさ準備怠りない万全な技をかけると、高山が居合抜きや合気道よろしくこれを空気投げしたり、酔拳で返すのである。それだけでも決闘シーンのような見物に足るのだが、交わした中身が英米マニエリスムだというところが、やっぱり学ばされる。この二人でなければ、これだけのジューシーな話は出てこない。なにしろポーに始まってトム・テイラーに閉じるのだから、その途中で何がキンピカの話題になってもおかしくない。方法(マニエラ)を文芸にかこつけて語るとは、こういうことかと得心させてくれる。
対談はかなりな玄人相手の知的パスティーシュになっていたけれど、この本はサブカル好きの若い諸君こそ読んでほしい。マニエリスムを知らなくても、たとえば「リアル」の意味、「フィギュア」の正体、「ワンダー」の本来、「コピー」の本義がわかるだけでも、人生が変わる。その上で方法だってアドミニしなければ空疎になるということを知ってほしい。興味が出たら、高山・巽のそれぞれの自著に向かうこと。