父の先見
◆あまり洩してこなかったことだが、いろいろな本を継続して貪り読めるコツのひとつに、ときどき自分が知らない極端な専門家たちの吐露や告白、未知の領域の観察や報告ついての本を挟み読みしておくということがある。ぼくはこれを欠かしたことがない。
◆たとえば、斎藤勝裕『ぼくらは「化学」のおかげで生きている』、柳家花緑『落語家はなぜ噺を忘れないのか』、本田直之『なぜ、日本人シェフは世界で勝負できたのか』といった本は、むろん中身もそこそこおもしろいのだが、それよりも他の本を読むスキルをふやしてくれるのだ。化学・落語・料理にはスキルがあって、それがいつのまにか当方の「読みのスキル」に侵入してくれるのだ。
◆竹谷靱負『日本人は、なぜ富士山が好きか』、小島寛之『数学的決断の技術』、厚香苗『テキヤはどこからやってくるのか』、為末大『日本人の足を速くする』などもそういう本だ。テレビで富士山やテキヤや陸上選手のドキュメントを見ておもしろいと思うことがあるだろうが、あれは「見て」感じておわる。ところがこれらの本にはそのことがさまざまな語彙と文章と文脈をもって「書いてある」。この「書き」が「読み」に感染するのだ。本は中身のために読むばかりではないのです。