才事記

◆ご覧の通り、秋分の日をまたいで千夜千冊のフォーマットが一変した。1782夜からだ。ロムバッハの『世界と反世界』にした。この「ほんほん」も装いが新たになった。ウェブ千夜のフォーマットが変わるのは多少のレイアウト変更を含めて5回目になるのだが、今回はスマホ上でも読みやすくするため、かなりプログラムを書き換えている。
◆ベーシックデザインとトップページは和泉佳奈子と佐伯亮介君が担当してくれた。それまでのフォーマットは富山庄太郎君による。もっともこのあとのトップデザインは何人かが入れ替わり立ち代わり担当してくれる。寺平賢司君の采配である。寺平君は松岡正剛事務所の32歳で、若き日々に松丸本舗に通っていたころからの戦闘的読書編集派。去年、突如として父親になった。お母さんは編集工学研究所の仁禮洋子だ。戦闘性が落ちないことを希っている。
◆2000年2月、インターネット上の「編集の国」の一角にスタートした千夜千冊は、開設当初はかなり呆れられた。プリントメディア派からは「なぜ松岡ともあろう者がインターネットの中で書評をやるのか、紙に印刷しろ」と言われ、電子メディア派からは「なぜ無料にしたのか。あとあと切歯扼腕することになるから早々に有料にするべきだ」と言われた。書評ではなく、ぼくの読書日録や感想深層記録なのだが、案の定、最初は反応が薄く、65人とか210人とかが読んでいる程度だった。それが300夜をこえるころに70万ビューになり、700夜くらいで300万アクセスビューになった。
◆千夜千冊を書くのは、かなりの格闘だった。どの本を選ぶか、その何を書くのか、要約はどこまでするか、ライティング・スタイル(書きっぷり)をどうするか、著者とのつながりは何を洩すか、新しい本をどのくらいまぜるか、そんなことと、のべつ格闘していた。ただ、毎晩一冊ずつ採り上げる(土日は充填日)という苛酷な縛りがよかったようで、その速力密度のようなものがだんだん効いてきて、930夜をこえるあたりからはゾーンに入ったか、エンドルフィンが迸るかで、自分でも異様に長めの千夜千冊がおもしろく連打できた。一休、プルースト、ホッブス、南北、カラマーゾフ、ザメンホフ、後深草院二条、火の鳥、近松、杉浦康平、石牟礼道子、道元、芭蕉、梅園、ライプニッツ、王陽明、ホメロスは、そんな状態で書いた。
◆けれども、角川文庫で「千夜千冊エディション」を編集することになってあらためて20~30冊ずつを一冊の文庫の中に構成するために連続して読みなおしてみたら、あまりに未熟なものが多すぎて、焦った。手の入れようのないものも少なくなく、加筆訂正におおわらわだったのである。けれども、刊行された角川エディションについては、そこそこ水準がぶれないものになっているのではないかと思う。安心して読んでいただきたい(笑)。
◆2006年5月、1114夜の柳田『海上の道』を書いたところで、いったん区切って、そこまでの千夜千冊を7巻仕立ての千夜千冊全集として求龍堂から刊行した。装禎を福原義春さんが「ぼくがやるよ」と言って引き受けてくれた。そこで、ここからはウェブ千夜のテンポとインターバルを少し自由にした。またこれを機会に1278夜の老子、1295夜の『マグダラのマリア』、1305夜のダマシオの脳科学、1316夜の大島弓子、1322夜の谷川健一の常世論というふうに、以前から書きたかった本を10冊くらいごとにしっかり挟むことにした。
◆これでいよいよ経済分野にとりくむ気になった。1330夜の『たまたま』を先頭に、連環篇として60冊近くの経済関連本を、アンドレ・フランクの『リオリエント』まで続けさまに書いた。それでしばらくイスラムの歴史と社会と文化の千夜に入っていったのだが、ここで3・11になった。さっそく3月16日に1405夜『活動期に入った地震列島』を採り上げ、そこからは地震・津波・原発関連の本を数十夜にわたらせた。
◆たいていは、こんな感じであたふたと千夜千冊してきたのである。なんとか気をとりなおして、ここからは「じっくり千夜」に変身していこうか、じゃあ何から始めるかと思ったのは、1500夜の人麻呂に向かえたときだった。今後も千夜は冬虫夏草もどきが続くだろうが、いまはまだそうやって凌いでいくしかないと思っている。ご愛読、深謝。