才事記

この夏に目を通して印象に残ったものを何冊か紹介しておく。30~40冊ほどのなかで、つまらないものが7割、イマイチが2割、「努力の結晶」を感じる本が5分、唸った本が5分。これはいつもの配分だ。あとは毎月十数~数十冊の献本がある。ぼくの好みを見計らってのようで、おもしろい本が送られてくることが多い。
まずその献本から。竹倉史人の『土偶を読む』(晶文社)は土偶を植物像から読み解いて、ハッとさせられる。嗅覚認知科学者A・S・バーウィッチの『においが心を動かす』(河出書房新社)はこれまでの香りの美学や匂いの人類学を一歩出るもので、匂いが脳のしくみを変更してきたことを告げる。内藤廣の『建築の難問』(みすず書房)は真壁智治の食い下がりに答えた内藤独特の構築意志が滲み出ていて読ませた。
同じく献本で、福元圭太の『賦霊の自然哲学』(九州大学出版会)はフェヒナー、ヘッケルらの精神物理学を案内して、なにかと評判が悪かった生気論を復権させて浩澣。犯罪研究の管賀江司留郎による『冤罪と人類』(ハヤカワ文庫NF)は、調査する者にひそむ道徳感情が事態を誤った方向に展示させていく例を暴いたもので、広く読まれるといい。驚くべき内容だったのは武田梵声の『野生の声音』(夜間飛行)だ。著者のことは知らなかったが、人類の音楽舞踊史をホカヒビトの視点で解きまくっていて、瞠目させられた。ダントツ本である。文脈は不整脈だったけれど、見方が凄い。いつか千夜千冊したい。
では、ぼくの夏の読書メモから。48歳で自殺したマーク・フィッシャーの『わが人生の幽霊たち:うつ病、憑在論、失われた未来』(Pヴィアン)は、あらためて憑在論(hauntology)の切れ味を念押しして、憑依を許容するオントロジーを浮上させて、いささかグノーシス。いまや不気味なるものの立ち往生こそ、21世紀思想のド真ん中に突き出てくるべきだろう。李珍景(イ・ジンギョン)の『不穏なるものたちの存在論』(インパクト出版会)も、不気味や不穏に焦点をあてたもので、「心地よいもの」をみんなで褒めあう最近社会に矢を放っている。「最適者」なんて統計的平均の中にしかいないのだ。アフガニスタンにとってのタリバンの支配をどう見るか、欧米の戸惑いにすべては顕著だ。
ドイツの現代思想を研究していた戸谷洋志が『Jポップで考える哲学』(講談社文庫)を書きおろした。西野カナ「会いたくて会いたくて」、aiko「キラキラ」、東京事変「閃光少女」、ミスチル「名もなき詩」、RADWIMPS「おしゃかしゃま」、AI「Story」、いきものがかり「YELL」などを採り上げて、これにフィヒテやベルクソンやバタイユをぶちこもうという安易な手立てなのだが、Jポップの歌詞の大半が20世紀の佳日の哲学をフツー言葉でなぞっているのが見えて、そこがぞっとした。
古典も、煎茶をゆっくりいただくようにたいてい目を通す。これはコーキコーレー・アスリートのお作法に近い。8月はプロティノスの『エネアデス』(中公クラシックス)とニコラ・フラメルの『象形寓意図の書』(白水社)。新プラトン主義とヘルメス学の古典だが、困るほどに初々しい。
最後に、ぼくも少し登場する1冊を。稲葉小太郎の『仏に逢うては仏を殺せ』(工作舎)だ。吉福伸逸の日々を追いかけたもので、十川治江が編集した。たいへん懐かしく(登場する100人くらいの半分が知り合いでもあり)、また読んでいて何度も胸が詰まった(後半の69歳で死んでいく覚悟の準備が…。)。早稲田やアメリカでのジャズ・ベーシストとしての姿は初めて知ることもあって、当時のカウンターカルチャーごと蘇ってきた。いつか、同世代の吉福、松岡、田中泯、杉本博司の4人をパラに追いかけた一冊ができると、きっと「不気味」と「不穏」が錯綜するようにひしめいて、さぞかしおもしろいだろうね。