才事記

コロナ・パンデミックの第5波とオリンピックの東京開催がまっこうから交差するという異常な事態だった。無観客、無歓声、無騒動。世界中から押し寄せる客もゼロ、チケット購入に当たった日本人もゼロ。アスリートと関係者以外は競技場にはいなかった。テレビ観戦だけが室内で進行し、実況アナウンサーが活躍し、日本テレビは増収増益になった。
開催のために投下した多額の資金はかなり空転しただろう。施設は残って再利用できるが、いろいろムダな経費を惜しみなく費い、世の中には「空費」というものがあることを教えた。コロナ対策でアベノマスクや援助金が配られたことが思いあわされる。
では、お待たせしました。みんなから「松岡さんは開会式をどう思われましたか」と何度も訊かれるので、一言。開会式だけで165億円なのだ。
言うまでもない、開会式も閉会式は信じがたいほどサイテーだったね。「日本」を見せそこね、タレントに媚びた。ページェントというもののサイズがとんちんかんなのだ。「代」がわかっていない。とくに小芝居を入れる演出が万事を低俗にした。劇団ひとりではボードビルはつくれない。
ラーメンズはデビュー後の5年ほどはおもしろかったが、小林賢太郎には「巨きいもの」はつくれない。阿弥陀来迎くらいを演出できなくちゃ。まあ、MIKIKO(水野幹子)が電通のやりかたに業を煮やして降りたのが、すべてを語っている。電通丸投げは、なんであれ日本をダメにする。
総じて、多様性と持続可能性などというグローバル・コンセプトに縛られすぎたのが、最大の敗因だ。「愛の讃歌」を歌ってみせる必要なし(春日八郎を堂々と歌ってみせてほしかった)。野村萬斎・山崎貴・佐々木宏らを当初の演出トップに据えたのもまちがい。ぼくも声をかけられたが、早々に辞退した。
もうひとつ、選手からボランティアにいたるまで、コスチューム・デザイン(山口壮大ほか)がひどかった。スカパラ演奏中のパフォーマーのためのデザイン(森田晃嘉)も気の毒。着物を訴えられないとしたら日本はオワリだ。『日本語が亡びるとき』を読んだほうがいい。ただし、アスリートのためのユニフォーム・デザインは世界中の誰がやっても難しいものだから、とくに気にすることはない。
開閉会式で記憶にのこったのは、森山未來の3分ダンス、ドローンの空中エンブレム、長島の歩き(松井はダメだった)、佐藤オオキの聖火台、佐藤直紀の表象式音楽、タカラジェンヌたちの君が代、そのくらいかな。花火がイマイチすぎた。全国各地で連続的に数発ずつ打ち上げればよかったのに。
ついでながらちゃんと見ていないけれど、阿部詩が強かわいくて愛らしかった。田村亮子の再来だが、「田村で金、谷でも金」は夫婦愛で、詩はお兄ちゃん愛。こちらのほうがいとおしい。兄妹ではバレーの石川祐希・真佑もいい。ぐぐっときたのが水泳の大橋悠依、女子ソフトの上野・藤田、柔道の大野・素根・永瀬・新井、サーフィンのカノア、バレーボール男女、5000メートルの田中希実、野球の山田・森下・千賀、サッカーの三苫・吉田、ハンドボールの土井レミイ、バドミントンの渡辺勇大、卓球の水谷の兄貴ぶり、女子レスリングの川井友香子あたり。フェンシングは見なかった。空手の清水希容には勝たせたかったねえ。
以上、今回は「ほんほん」ではなく「にほんにほん」にしました。