才事記

コロナ収まらず、菅もたつき(河野いんちき)、オリンピック近づき、中国暴走(ロシア眈々)、イギリスあやしく(ドイツ青息)、わが母国は万事よそよそしく、万端めくれあがって処置なし。そんな6月の日本列島が大雨に苛まれるなか、ぼくは新たな角川千夜千冊エディションを「アートをめぐる一冊」にするため、入稿原稿を仕上げていた。さっき初校ゲラの赤を入れて、太田に渡した。
その太田香保が組み立てている千夜千冊エディション・フェア「知祭り」が、いま全国70書店に及んで始まっている。当の本人は面映ゆくてもぞもぞするしかないのだが、各地のイシス編集学校師範・師範代たちがすばらしいボランティアを推進して、各書店の店長や担当者とみごとなコラボを展開してくれている。先頭を切った九天玄気組の中野組長チームと名古屋曼名伽組の小島組長の展示が先行モデルとして効いた。おかげで実売も土用のうなぎのぼりのようだ。
千夜千冊エディションはぼくの「本読み」に関する集大成である。これまで書いてきた千夜千冊既存原稿をテーマによって組み上げ、並べなおし、ほとんどにその構成によるエティションをかけ、仕上げている。これまで20冊が刊行されてきたが、おそらくこの倍はつづくだろうと思う。どう構成してきたのかというと、一冊ずつ全力を傾注する。
次回配本の『資本主義問題』でいえば、60~70夜くらいの候補から、A案・B案・C案というふうに絞る。絞り方で、訴える内容がそうとうに変わる。まあ、編集とはそういうものだ。
結局、第1章が金本位時代からの貨幣の意味を追った「マネーの力」、第2章が市の発生や複式簿記やオークションや株式会社のしくみを解読した「資本主義の歯車」、第3章がケインズ、ハイエク、ウォーラーステイン、フリードマンらの経済学者がどんなリクツをつくったのかを並べた「君臨する経済学」、第4章がスーザン・ストレンジのマッドマネー論やソロスの投資論から反グローバリズムを訴えたヴィルノやカリニコスの反骨までの解説で組み立てた「グローバル資本主義の蛇行」というふうになった。c案に辿りつくまでフーフーだ。
この並びを自分でもまた読みなおしながら、いろいろ加筆訂正や推敲をしていくわけだ。それでもたいてい一冊には収まらない。『資本主義問題』では、リスクとオプションの問題、金融工学関係、宇沢弘文、中谷巌、IMF、地域通貨や仮想通貨、アート市場については別のエディションにまわした。
実はこういう作業をしながら、何十回となく反省もする。こんな「読み」では甘かった、ああ、あのことを触れなかったのはやっぱりまずかった、そうか、こういう関連書もあったのかと、いちいち反省と訂正に見舞われる。毎回、どんなカバーデザインや口絵でいくのかということも大事な仕事になる。町口覚チームがとりくんでいるのだが、毎度絶妙な工夫をしてくれる。
もともと千夜千冊を文庫化するにあたっては、和泉佳奈子と角川の伊達百合さんが当初の路線を組んでくれたのだが、和泉が「町口さんでいきたい」と言ったのが決定的だった。用紙選定からとりくんでくれた。
こういうことをしながらも、まだ千夜千冊は少しずつウェブの中で増殖しつづけているのだ。最近はいままで封印していた神秘主義やグノーシス主義やヘルメス思想にまつわる重大な本にとりくんでいる。ここにはカバラやスウェーデンボルグやルネ・ゲノンなども入ってくる。またアートやファッション系譜の本もふえる予定だ。
こちらはこちらで毎夜の図版作成のために、寺平賢司をキャップとする編集学校チームが動いている。読み合わせ会も東京、各地、松岡正剛事務所主宰など、いくつもが継続されている。それを聞いていると、ぼくの「読み」をさらに展開した新たな「読み」が次々に生まれていくのを感じる。千夜千冊はもはやぼくの専任仕事ではなくなっているといったほうがいい。