才事記

◆播磨屋が逝った。痛恨だ。これほどの大器でありながら細部に徹底できた歌舞伎役者は、しばらく出ないだろう。仁左衛門などの少数をべつにして「ほれぼれする役者」は、これでいなくなったのだ。
◆早稲田のフランス文学科の同級生だった。出席点呼で「波野久信くん」と呼ばれても、たいてい返事がなかった。当方も似たようなものだからお互いさまで、クラスメイトも波野くんが中村万之助だとは思わなかった。
◆吉右衛門になってから、何度も話しこむことになった。連塾にも来てくれた。あの声も、あの踊りも好きだった。できれば一緒に仕事をしたかったけれど(踊りのシナリオを提供していた)、残念ながら実現は叶わなかった。最後に『近江源氏先陣館』を孫と共演したいと言っていた。山本寛斎につづいて同い歳をまた喪ったと思うと、なんとも寂しい。
◆12月3日、大津のびわ湖ホールで『染め替えて近江大事』を催した。いつか吉右衛門にも来てもらいたいと思って結成した近江ARSのお披露目と、三井寺の福家俊彦さんの長吏就任の祝いの会を兼ねた。和泉佳奈子と石山寺の鷲尾龍華さんがナビをして、ぼくはリードトークを担当した。たくさんのゲストが駆けつけてくれたが、田中優子さんと平出隆さんがすばらしいトークをしてくれた。終わってホワイエで「名残り」を交えたのだが、この2年近く遠慮していたのに、なんと30分ほどで15人くらいとハグした。
◆近江はちゃんと議論されていないままの大事な地域である。かつては白洲正子の『十一面観音巡礼』、『近江山河抄』、『かくれ里』(いずれも講談社文芸文庫)が、最近は今谷明の『近江から日本史を読み直す』(講談社現代新書)、千城央の『近江にいた弥生の大倭王』(淡海文庫)、澤井良介の『邪馬台国近江説』(幻冬舎)などがあるけれど、まだまだこれからだ。とくに比叡と山王日枝の関係、坂本職人文化の底力、逢坂山と蝉丸、天台本覚思想、天海の事績と思想、芭蕉の近江、近江八景の意図、琵琶湖をめぐる見立ての歴史が解けていない。
◆過る7月末と10月半ば、大津歴史博物館の横谷賢一郎さんの案内でぼくがまだ知らなかった近江の一端を感じた。ひとつは「近江に葬ってほしい」と言った芭蕉の遺言を受けて、その後に義仲寺を核に芭蕉ネットワーク文化を単身で築いた蝶夢のことである。蝶夢がいなかったら、今日の芭蕉研究はなかったろうと思えるほどの編集力の持ち主だった。横谷さんは『芭蕉翁絵詞伝』を歴博に展示して、その驚くべきARSの全容を教えてくれた。
◆もうひとつは、明治の日本画家の山元春挙の数寄屋「蘆花浅水荘」を案内してもらったことだ。膳所に近い琵琶湖湖畔の浅水荘は予想以上の出来ばえで、とくに「竹の間」などに唸らされた。けれどもこの数寄屋についてもだが、そもそも春挙の絵について21世紀の近江文化は忘れたままにしていて、残念なのである。東京近美の『塩原の奥』、滋賀県美の『法塵一掃』、ボストンの『雪中老梅と鷹』屏風など、見ているとぶるぶるっとくる傑作だ。近江に雪が降ったら、春挙こそ思いあわされるべきである。
◆12月に入って、石黒浩君から新著『ロボットと人間』(岩波新書)が贈られてきた。ちょうどアンディ・クラークとスティーヴン・シャヴィロを読み直しているところだったので、あらためて「人間というサイボーグ」を考える機会になった。ダナ・ハラウェイなら『猿と女とサイボーグ』(青土社)、クラークなら『生まれながらのサイボーグ』(春秋社)だ。いろいろ読んでいて少し気になったのは、最近のロボット工学者や実在論者たちが「身体」というものに引きずられすぎているのではないかということだ。あまりに人体全部を意識しすぎると、細胞や情報という見方がどこかに飛んでいく。ニューサイバネティクスの再検討が必要になっているのではないかと感じる。
◆新型コロナウイルスにオミクロン株という変異があらわれた。30カ所以上でスパイクタンパク質による受容体結合領域がつくられていて、細胞とウイルスの結合をおこりやすくさせている。新型コロナウイルスが細胞に侵入するときはフーリンという分解酵素がスパイクタンパク質を切断するのだが、オミクロン株ではフーリンによって切断される近くでも変異がおこっているらしい。
◆ウイルスによる感染のプロセスは、人間にも動物にも機械にも「変容のアンダーシナリオ」を共通させている。コンピュータはこれらをすべてバグとして排除するけれど、生命情報というものはそれを活用しながら機能性を増してきた。われわれが寂しくなったり、欣喜するのも何かの感染とバグのせいなのである。俳句が上手かった先代吉右衛門にこんな句があった、「どこやらで逢ふた舞妓や冬の霧」。