才事記

小出版社が大切な本を刊行しているのに接すると、その「けなげ」についつい応援したくなる。最近読んだいくつかを紹介する。ジョン・ホロウェイの『権力を取らずに世界を変える』(同時代社)は、革命思想の成長と目標をめぐって自己陶冶か外部注入かを議論する。「する」のか「させる」のか、そこが問題なのである。同時代社は日共から除名された川上徹がおこした版元で、孤立無援を闘っている。2年前、『川上徹《終末》日記』が刊行された。
平敷武蕉の沖縄文学をめぐる『修羅と豊饒』(コールサック社)は、難度の高い沖縄問題を静かに射貫いてきた戦後から平成に及ぶ文学者たちの思想と方法を真っ向から批評にしてみせたもので、いろいろ気がつかされた。コールサック社をほぼ一人で切り盛りしている鈴木比佐雄にも注目したい。現代詩・短歌・俳諧の作品集をずうっと刊行しつづけて、なおその勢いがとまらない。ずいぶんたくさんの未知の詩人を教えてもらった。注文が多い日々がくることを祈る。
ハンス・ゲオルグ・ベックの『ビザンツ世界論』(知泉書館)は日本ではほとんど専門家がいないビザンチン文化についての橋頭堡を確保する一冊で、前著の『ビザンツ世界の思考構造』(岩波書店)につぐものだ。ぼくは鷲津繁男に触発されてビザンチンに惑溺したのだが、その後は涸れていた。知泉書館は教父哲学やクザーヌスやオッカムを読むには欠かせない。
海外のサイエンスライターにはたくさんの凄腕がいる。リアム・ドリューの『わたしは哺乳類です』とジョン・ヒッグスの『人類の意識を変えた20世紀』(インターシフト)などがその一例。ドリューはわれわれの中にひそむ哺乳類をうまく浮き出させ、ヒッグスは巧みに20世紀の思想と文化を圧縮展望した。インターシフトは工作舎時代の編集スタッフだった宮野尾充晴がやっている版元で、『プルーストとイカ』などが話題になった。
話は変わるが、朝日新聞出版に「一冊の本」という月刊小冊子がある。原研哉と及川仁が表紙デザインをしている。最近、太田光の「芸人人語」という連載が始まっているのだが、なかなか読ませる。今月は現代アートへのいちゃもんで、イイところを突いていた。さらにきわどい芸談に向かってほしい。佐藤優の連載「混沌とした時代のはじまり」(今月は北村尚と今井尚哉の官邸人事の話)とともに愉しみにしている。
本の世界をどう見せるかということは、かんたんではない。感心するのは世田谷文学館で、このところ「帰ってきた寺山修司」「茨木のり子展」「水上勉のハローワーク」「大岡信展」「幸田文―会ってみたかった」「岡崎京子展」「澁澤龍彦―ドラコニアの地平」「筒井康隆展」などをみごとにまとめた。いまは「小松左京展―D計画」を展覧中である。ついでながら大阪大学と京阪電鉄が組んでいる「鉄道芸術祭」が9回目を迎えて、またまたヴァージョンアツプをしているようだ。「都市の身体」を掲げた。仕掛け人は木ノ下智恵子さんで、いろいろ工夫し、かなりの努力を払っている。ぼくも数年前にナビゲーターを依頼されたが、その情熱に煽られた。
ところで、来年実施予定だった大学入試のための共通テスト(大学共通第一次学力試験)の英語試験の民間委託がお蔵入りし、記述型の問題の実施が危うくなっている。いろいろ呆れた。とくに国語と数学の記述試験の採点にムラができるという議論は、情けない。人員が揃わないからとか、教員の負担が大きいからとかの問題ではない。教員が記述型の採点ができないこと自体が由々しいことなのである。ふだんの大学教員が文脈評価のレベルを維持できていないということだ。