シリーズ20世紀の記憶
ロストゼネレーション
ユリシーズと関東大震災
失われた世代 1920-1929
毎日新聞社 2000
ISBN:4620791636
編集:西井一夫・高橋勝視ほか 装幀:鈴木一誌・仁川範子
1920年代はロストゼネレーションだけの時代ではない。欧米おいても日本においても失われたものを引きちぎるほどの文化の灼熱期だったというべきだ。ぼくが20世紀のディケードとして「文化の多彩な爛熟」に注目するのは、このローリング・トゥエンティーズ(Roaring Twenties)だけである。第一次大戦が1918年に終わり、アメリカ大統領ウォーレン・ハーディングが「ノーマルシー」

 20世紀がもうまもなく終わってしまうという矢先、出版界ではさまざまな試みが発射された。世界中で総括と反省と自慢と批評による興味深い試みが連打されたが(放送業界でも記念番組が多かったものだ)、日本では毎日新聞社の「シリーズ20世紀の記憶」が、20世紀をふりかえるということでは至極まっとうな企画であったわりに、その編集構成感覚がなかなかぶっとんでいた。
 どこかで歴史的予定調和にまとまりかねない見方を裏切りたいというような視点もまじり、痛快な出来を示した。西井一夫が指揮をとったのが、こうさせたのはあきらかだ。編集賞ものだろう。西井は以前は『カメラ毎日』でその腕を鳴らしたグラフィズムに強いエディターシツプの持ち主である。
 エディトリアル・デザインには鈴木一誌(1575夜)が腕をふるった。表紙は一冊ずつすべて意匠を変えている。ムックっぽいのだ。

 ぜひとも全冊(20冊+別冊年表)をナマで見てもらうのがいいのだが、ディケードで区切っていないこと、巻構成に均等な内容配分を振り分けていないことがいまなお斬新だ。よほどおっちょこちょいか、よほど自信がなければこうはできない。たとえば「1900-1913 第2千年紀の終わり 人類の黄昏」「1945年 日独全体主義の崩壊 日本の空が一番青かった頃」「20世紀キッズ 子供たちの現場」「1969-1975 連合赤軍・狼たちの時代 なごり雪の季節」「1989年 社会主義の終焉 オタクの時代」「1990-1999 民族浄化・カルト・インターネット」というふうなのだ。
 やりすぎや手拍子もある。「1976-1988 かい人21面相の時代 山口百恵の経験」には呆れた。
 刊行元が新聞社の毎日だということもあって、当然、写真も選りすぐってあって、どちらかといえば人物中心になっている(事件型ではない)。そうそう、このシリーズは一部を除いて全ページがモノクロなのだ。それなのにドキュメンタリーなテイストに巻き込まれていないのは、編集部がピックアップする視点がすこぶる文化思想的で、かつ差分的であるからだろう。鈴木のレイアウトもモノクロを感じさせないものになっている。

西井一夫(左)、鈴木一誌(右)
西井氏(1946-2001)は1996年にシリーズ「20世紀の記憶」全20巻を立ち上げ、2000年12月、同シリーズの完結後に選択定年退職。翌年食道癌で亡くなった。鈴木氏(1950−)は杉浦康平の申し子。

「20世紀の記憶」シリーズ表紙
どれも写真、タイトル、サブの組み合わせに工夫が凝らされている。

 本巻は1920年代を扱っているという点では、全体のなかでは最もオーソドックスな巻立てだ。それでもタイトルの「ロストゼネレーション」に「ユリシーズと関東大震災」というサブをもってくるところが、西井一夫チームの自慢なのである。
 1年ずつに橋本治による「年頭言」が入ってくるのも雑誌めく。橋本の文章は1ページまるまるのもので、歴史家がその1年の世界史を案内しているという記事ではない。さすがにそのつどの現代史を切り取ってはいるが、文体はまるでエッセイだ。
 編集構成を大きく眺めると、ロストゼネレーションを代表するヘミングウェイ(1166夜)やフィッジェラルドやジョセフィン・ベーカー(パリで衝撃的なデビューを飾った黒人ダンサー)がフィーチャーされ、そこにジョイス(999夜)、孫文の死、関東大震災、カポネと暗黒街、ニューヨーク摩天楼、ロトチェンコのタイポグラフィ、リンドバーグの飛行機、ラジオの登場などが交差する。読み物ふうのハイデガー(916夜)には木田元(1335夜)の、ニジンスキー(1099夜)には三浦雅士の、エコール・ド・パリには深谷克典の解説が付された。
 ワイマール文化、表現主義の実験、ジャズの熱狂、日本のメディア文化、シュルレアリスムの台頭をもう少し採り上げてもよいのに、このあたりは不発になっている。
 日本のトピックでは同潤会アパートが建てられていった経緯と写真、松岡虎王麿の南天堂(954夜)の周辺の出来事が特筆されているのが、めずらしい。

「Roaring Twenties」
日本語訳は「狂騒の20年代」。元々はアメリカ合衆国の1920年代を現す言葉であり、社会、芸術および文化の力強さを強調するもの。『ロストゼネレーション』p2-3

橋本治執筆の年頭言と同潤会アパート
同書p25(左),p89

 ロストゼネレーションという呼称は、第一次世界大戦に従軍体験をした若者たちが抱いた虚無感をあらわすべく、ガートルド・スタインが言い出した時代用語である。この稀代のレズビアンで、美術コレクターでもあった女史は、「あんたたち失われているのね」と言ったのだ。
 すぐさまヘミングウェイ、フィッジェラルド、ドス・パソス、フォークナー(940夜)、E・E・カミングス、マルコム・カウリーらがその刻印に応じた。かれらは国外離脱者でもあって、多くが「パリのアメリカ人」としてなんともやるせない日々をおくった。それを迎え打ったのがジョイス、エリオット、エズラ・パウンド、モンパルナスのキキ、マン・レイ(74夜)、コクトー(912夜)、ココ・シャネル(440夜)たちのヨーロッパ勢だった。
 こうした連中をアメリカでは「失われた世代」とか「自堕落な世代」と呼び、フランスではしばしば「1914年世代」「炎の世代」(génération au feu)などと呼ぶ。行き場のない世代、迷える世代、それゆえ日々の享楽に耽った世代なのである。ちなみに、この世代の子供の世代がビート・ジェネレーションに、そのまた子供の世代がヒップ・ジェネレーションになる。

 ついでながら、ロストゼネレーションという用語は21世紀の日本に飛び火して、なぜか「ロスジェネ」として時代用語になった。バブル崩壊後の「失われた10年」(ほぼ1990年代)に社会に出た世代(25歳~35歳)をさした用語で、朝日新聞がフリーター、ニート、引きこもり、派遣労働者、就職難民をひとまとめに名付けたものだ。
 これはいったい何だろうと思い、雨宮処凛の『ロスジェネはこう生きてきた』(平凡社新書)、岩木秀夫の『ゆとり教育から個性浪費社会へ』(ちくま新書)などを読んでみたものだが、軌道電車がない都市でメル友に言葉を費やしながら、姿の見えない管理社会を敵にまわそうとしている叫びだけは、伝わってきた。
 さらについでに余計なことを言っておくと、戦後日本にはロスジェネに及んだ“かたまり”が、それぞれ流行語大賞ふうの世代俗称になっている。
 1947年~49年の「団塊」の世代、50年代後半~64年の「新人類」、65年~69年の「バブル世代」、70年~84年生まれの「団塊ジュニア」、87年~2004年生まれの「ゆとり世代」、その途中に90年代生まれを中心にした「ロスジェネ」がいる、などというふうになる。まあ、そう言われてもまったく何の説明にもならないだろう。日本にはガートルド・スタインがいなかったのである。

 1920年代はロストゼネレーションだけの時代ではない。欧米おいても日本においても失われたものを引きちぎるほどの文化の灼熱期だったというべきだ。ぼくが20世紀のディケードとして「文化の多彩な爛熟」に注目するのは、このローリング・トゥエンティーズ(Roaring Twenties)だけである。
 第一次大戦が1918年に終わり、アメリカ大統領ウォーレン・ハーディングが「ノーマルシー」(Normalcy)(常態に復する)を選挙スローガン掲げたのだが、戦争の終了がもたらした解放感は常態復帰などにとどまらなかった。まずは技術文化が目を見張るものになった。自動車(競争レースが過熱した)、鉄道の充実(旅行がはやった)、飛行機(リンドバーグの大西洋横断とツェッペリンの飛行船が世界を周遊して耳目を驚かせた)、無声映画とトーキー(ドイツ映画の『カリガリ博士』やチャップリン、バスター・キートンらの喜劇が当たった)、カメラの技術革新(ライカが世界を瞠目させた)、ラジオの一挙的普及(アメリカの商業放送がKDKAによって1922年ピッツバーグで開始した)、都市における建築ラッシュ(ニューヨークの摩天楼が完成した)などが連打された。つまり目に見えるインフラがことごとく一新されたのだ。

 そんななかで、ヨーロッパでは1922年にきっかりジョイスの『ユリシーズ』とエリオットの『荒地』が登場して、文学を一変させたのである(荒地とは「死の国」のこと。その詩は一人称ではなく多人称だった)。こんな大きな文芸事件はめったにないが、それだけではなかった。
 すでに1920年にトリスタン・ツァラ(851夜)がチューリッヒからバリに来てダダを撒きちらし、そこにフランシス・ピカビアやマン・レイ(74夜)やデュシャン(57夜)や、ミロ、マッソン、キリコ(880夜)、モディリアニ、エルンスト(1246夜)がリプレゼンティブに林立していった。まだ若造だったコクトー(912夜)、ピカソ、サティはとっくにディアギレフの挑発でおかしくなっていた。
 ぼくが好きなエピソードもある。ピアニストのジョージ・アンタイルがパリに来て作曲家に転じ、ジィスを育てたシルヴィア・ビーチの書店「シェイクスピア・カンパニー」(212夜)の2階に借り住まいしたことだ。アンタイルの『野生のソナタ』はいま聴いてもぞくぞくさせられる。
 しかし、これらの動向で最も充実していたのは、ドイツ表現主義が絵画においても文芸においても映像においても、歪んだ心理の変形ヴィジュアル化をもたらし(前衛グループ「ブリュッケ」と「青騎士」が先頭を切った)、これが無意識に挑むフランスのシュルレアリスムの台頭につながっていったことだろう(アンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言』が起草が1924年だった)。その背後にはキャバレー文化とカフェ文化が波打っていた。ぼくはヨーロッパにおけるダダ、未来派、表現主義、シュルレアリスムをひとまとめにした逆上のムーブメントについては、いまこそ日本のロスジェネ以降の世代がつぶさに観察するといいと思っている。

1920年代のインフラ革新
ニューヨーク摩天楼(左)、NYのモータリゼーション(右上〉、ラジオを楽しむ英国の老夫婦(右中)、リンドバーグと愛機「スピリット・オブ・セントルイス号」(右下)。同書p11,p12,p120,p166

バスター・キートンの映画「忍術キートン」公開中の映画館(1924年)
第一次世界大戦を機に急速に映画産業が伸展していった。同書p19

ジェイムズ・ジョイスと『ユリシーズ』を読むマリリン・モンロー

 アメリカではハーレム・ルネッサンスが高じて、ジャズエイジが誕生したことが大きい。1921年にブラックスワン・レコードが開設されたのだ。当時の洗練された感覚と頽廃的な感覚は、すべてジャズが担ったと見ていいだろう。ハロルド・スクラッピー・ランバートの高音には誰もが胸をかきむしられた。
 当時のジャズは社会的少数派のものだ。大衆の多くはスウィートミュージックに走り、少数派のハードコアはホットミュージック、あるいはレイスミュージックとみなされていた。そのなかでルイ・アームストロングが意味のないスキャットを延々とインプロし(最近のヒップホップにはこれがない。つまり黒いダダがない)、シドニー・ベチェットがサックスを使えるようにした。これらを吸引して、20年代のおわりにはそうとうな変わり者だったデューク・エリントンのビッグバンドさえ登場した。
 みんな体を動かしたがっていたとも言える。フォックストロット、ワルツ、タンゴ、チャールストン、リンディホップが流行し、全米にダンスホールが次々に開場し、ボブ・ダグラスが黒人ばかりのバスケットボール・クラブをつくった。コットンクラブには着飾った紳士淑女がジャズに酔いしれた。

 禁酒法が施行され、そこにアル・カポネを代表とするギャングが横行したことも、アメリカのローリング・トゥエンティーズを異様にを彩っている。
 この「異様」が次から次に対抗文化の様相を呈したのが、20年代ではとんでもなく看過できないことなのだ。シカゴやニューヨークやサンフランシスコにスピークイージー(潜りの酒場)が出現して、妖しい女とギャングが結びついていったことなど、いまや再現するすべがない。
 そこに醒めた目でコートの衿を立てて登場したのがレイモンド・チャンドラー(26夜)やダシール・ハメット(363夜)のハードボイルドだった。短文が連なる文体には「女はバケツのような口をして笑った」といったあけすけな描写が切り刻まれていた。いまなおアメリカ映画はこの時代のギャングを主人公にした哀切を描き続けている。

チャールストンダンス 1920s

1920年代のギャングたち
1920年代のアメリカで禁酒法が施行されたが、酒の密造、密売、密輸入が盛んとなりギャングが横行することになる。同書p14

 ドイツでは表現主義だけでなく、ワイマール文化との浸潤とバウハウスのデザイン教育をとくに重視するべきだろう。第一次対戦で大敗したドイツは1919年に最悪の経済社会になっていた。そのなかで組み上げられていったのがワイマール共和国である(1918~1933)。ヒトラー政権が確立するまでのドイツはもっぱらワイマール文化がその習熟した方法論によって牽引した。1920年代のベルリンはワイマール文化の頂点だったのである。
 ワイマール文化の特徴は「知の再構築」にある。マンハイム、エーリッヒ・フロム、アドルノ(1257夜)、ホルクハイマー、マルクーゼ(302夜)、カッシーラー、フッサールらの知識人が毎夜にわたって世界の構成方法をめぐって議論した。こういうところがドイツ人の徹底した根性だ。かれらのすべてがシェーンベルクやアルバン・ベルクの無調音楽や十二音階技法の意味を考えていたことにも驚いたほうがいい。
 ヴァルター・グロピウスがデッサウにバウハウス(「建築の家」という意味)を建てたのは1925年のことだった。すぐさま構造・構成・構匠は技法を伴っていることが告知され、ハンネス・マイヤー、クルト・シュヴッィタース、パウル・クレー(1035夜)、ヨハネス・イッテン、モホリ・ナギ(1217夜)らが次々に講師に立った。バウハウスがなかったら今日のデザインはない。

 時を同じくして、途方もなく画期的なメソッドを提出していったのがロシアだ。
 ドイツ表現主義に比肩する構成主義にはカンディンスキーからマレーヴィチ(471夜)までが、バウハウスに比肩するデザインではロトチェンコやリシツキーらが登場し、これらを覆ってセルゲイ・エイゼンシュタインの驚くべき映像技法が開花した。あの「オデッサの階段」の名場面で唸らせた『戦艦ポチョムキン』が1925年の制作だ。エイゼンシュテインはメイエルホリドの演技技法を習得し、独特のコラージュ理論を打ち立てた。日本の歌舞伎の様式にいちはやく注目し、日本人が伝統を見離して、欧米の猿真似をすることに苦言を呈した。
 その一方では、すでにディアギレフによるロシア・バレエ「バレエ・リュス」はヨーロッパをひっくりかえしていた。ニジンスキー(1099夜)、アンナ・パブロワ、イーダ・ルビンシュタイン、タマラ・カルサヴィナらの夢幻のような踊りは、世界中の誰も見たことのないものだった。今ならさしずめ、冬季のフィギュアスケート、夏季のシンクロナイズド・スイミングのロシアチームに瞠目するようなものだろう。ぼくはこのロシア・ロマンの原動力がどこから来るのか、ぜひ知りたい。
 ロシア人の20年代については、レーニン(104夜)やトロツキー(130夜)の革命活動もさることながら、その文章にも注目したい。レーニンはマッハの感覚論について、トロツキーは未来派について鋭い考察をしてみせている。ぼくはソチの冬季オリンピックの開会式の映像演出にロトチェンコもレーニンも出てきたことに喝采をおくったものだ。

バウハウスのデザイン
バウハウスは1919年、ヴァルター・グロピウス(左上/1883-1969)がドイツ・ヴァイマルに設立。1933年にナチスの圧力下で閉校したが、デザイン理論を確立し、その後に大きな影響を与えた。右下はモホリ=ナギ(1895-1946)。

ロシア構成主義
1913年、ウラジミール・タトリンが鉄板・木片等をつかったレリーフを「構成」と名付け、素材の特性に創造原理を求める構成主義理論を提唱したことから始まる。

芸術家たちの仮装写真
狂乱の20年代を象徴する有名芸術家たちが一堂に会したパーティーの様子。藤田嗣治やブラマンクらの顔も見える。同書p153

 日本はどうだったかというと、1920年が大正9年になる。第一次大戦で火事場泥棒めいた景気を貰っていた日本は、その濡れ手で粟の反動でしばらく戦後不況に悩まされるのだが、しかしながら、そんな不景気と大正デモクラシーの中でこそ20年代文化が切り拓かれたのである。
 1920年ちょうど、読売新聞が文語体から口語体にすると、2年後に「週刊朝日」「サンデー毎日」が、3年後に「文芸春秋」が創刊され、蒲田には撮影所が設立されて「キネマの天地」を謳歌する。サワショーこと沢田正二郎の新国劇が『国定忠次』を上演したのも1921年だった(のちまで続くチャンバラ・ブームはここからおこる)。
 こうして開花した大正中期文化は、1923年の関東大震災でいったん決定的な打撃を被った。また、それまで破竹の勢いでアナキズムを激情させていた大杉栄(736夜)が震災とともに殺害され、ここに幸徳秋水以来の社会主義文化も退嬰しそうになっていくのだが、ここからが異常にしぶとかった。まずは帝都東京がめざましく復興されたのである。後藤新平が旗を振った。かくて昭和が始まる1925年前後からは東京のメインストリートにはモガ・モボ(モダンボーイ・モダンガール)が溢れ、カフェーの女給文化に文士たちさえいちころになった。
 昭和文化は朝鮮や満州ともつながっている。大陸浪人や馬賊が行き交い、山東出兵は侵略の野望に満ちていた。こういうこと、戦後以降の日本ではもはやまったく想像するだにできないことだろう。
 しかし、一言で日本の20年代を一人の短い生涯によって象徴させるなら、ひょっとすると宮沢賢治(900夜)をあげるべきかもしれない。賢治の『春と修羅』は大正末年の1924年の刊行だ。28歳の生涯を終えたのは昭和8年、1933年のことだった。
 日本が満州事変に突入し、忌まわしい日々に揉まれていった矢先、賢治は透徹した表象に全身全霊を賭け、その言葉の錬丹術を鉱物的結晶のごとくに究めていた。本巻では与那覇恵子が賢治のページをうけもっているが、そこには賢治は日本を「異人の目」で見ていたという適確な指摘がしてある。

 まあ、こんなふうに短い案内をしていっても詮方ないだろうが、総じてはともかくも1920年代はかつてない爛熟文化の奇跡を集約させたのである。それがどうなったかといえば、1929年、ウォール街の大暴落とともに終焉を迎えた。
 恐慌から立ち直った米欧が見せたものは、金融政策とアーリア主義と流線形とアールデコと、そしてナチスの抬頭である。日本はひたすらアジア大陸と太平洋への野望に盲進していった。それらのことについては、このシリーズの別の巻に詳しい。
 ところでこう書いてきて、やはり一言、老いの繰り言を加えたくなる。この数十年間、世界はこうした10年をつくりえてこなかったじゃないか。日本にもこんな10年は出湧していないじゃないか。異質や異様はどこに行ったのか。このこと、いったいどう見るべきかということだ。

モガ・スタイル
『モダン・ガール』を略していった語。西欧文化の影響を受けた先端的な若い男女のことを、主に外見的な特徴を指してこう呼んだ。

宮沢賢治『春と修羅』
宮沢賢治28歳のときに刊行した詩集。詩人の佐藤惣之助は「彼は気象学、鉱物学、植物学、地質学で詩を書いた」と、その表現の新しさを絶賛した。しかし本はほとんど売れることはなかった。

⊕ シリーズ20世紀の記憶 ロストゼネレーション ⊕

∈ 編集長:西井一夫
∈ 発行所:毎日新聞社
∈ デザイン:鈴木一誌・仁川範子
∈ 校閲:聚珍社
∈ 制作管理:安斎征ニ・水谷裕保

⊕ 目次情報 ⊕

∈∈ロストジェネレーション1920-1929年
∈ ロスト・ゼネレーションの作家 1920年代のヘミングウェイ
∈ アメリカンスポーツ
∈ チャーリー・チャップリン
∈ バスター・キートン
∈ イタリアファシズム
∈ 『ユリシーズ』と『荒地』― 奇跡の年1992年
∈ 水平社
∈ 有島武郎情死
∈ 特集 関東大震災
∈ ロシア構成主義
∈ 特集 関東大震災(続)
∈ 関東大震災と朝鮮人虐殺の真相
∈ 大杉栄虐殺
∈ 同潤会アパート
∈ ミュンヘン一揆
∈ 虎の門事件
∈ レーニンの死
∈ ロシア革命とロシア構成主義・社会主義リアリズム
∈ 中産階級の誕生
∈ 1920年代とは何か―モダニズムについての一考察
∈ アインシュタイン
∈ 大正デモクラシー
∈ エコール・ド・パリ 芸術家インターナショナル
∈ モガ
∈ リンドバーグ 翼よあれが巴里の灯だ
∈ 芥川の自殺
∈ 昭和金融恐慌
∈ 『存在と時間』をめぐる思想史
∈ スターリン粛清の始まり
∈ 満州某重大事件
∈ 大恐慌の始まり
∈ 白山南天堂書房―大正・昭和初期の「四つ辻」
∈∈あとがき

⊕ 編集長略歴 ⊕
西井一夫
1946年、東京都生まれ。1968年慶應義塾大学経済学部卒業、1969年弘文堂新社編集部を経て毎日新聞社出版局へ入社。「サンデー毎日」「毎日グラフ」記者を経て、1983年〜1985年の休刊まで「カメラ毎日」編集長を務める。1989年に「写真の会」を結成し「写真の会賞」を主催。1996年毎日新聞社出版局クロニクル編集長としてシリーズ「20世紀の記憶」全20巻を立ち上げ、2000年12月同シリーズの完結後に選択定年退職する。2001年食道癌で死去。著書に『なぜ未だ「プロヴォーク」か』(青弓社)、『写真的記憶』(青弓社)、『20世紀写真論・終章ー無頼派宣言』(青弓社)、『暗闇のレッスン』(みすず書房)などがある。

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