才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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菊とポケモン

グローバル化する日本の文化

アン・アリスン

新潮社 2010

Anne Allison
Millennial Monsters――Japanese Toys and Global Imagination 2006
[訳]実川元子 協力:松野泰子
編集:田中久子
装幀:新潮社装幀室

 日本の玩具キャラが、鉄腕アトム(米アストロボーイ)、ゴジラ、セーラームーン、ハローキティ、ゴレンジャー(米パワーレンジャー)、たまごっち、攻殻機動隊、ポケモン、AKIRA、マリオ、千と千尋、初音ミクなどを連打しながら世界を席巻するとは、とうてい予想のつかないことだ

 人種差別の匂いがぷんぷんするアラバマ・クーン・ジガーで有名なルイス・マークス&カンパニーが、日本の玩具工場にゼンマイ仕掛けのポパイ人形を注文したのが一九三〇年代半ばのことだ。昭和日本は満州事変をへて戦時産業に向かっていた。
 フラッシュ・ゴードンやスペース・カデットなどの人気キャラクターの版権をもらえなかった日本の玩具屋は、やむなくそれらに似せた人形を作り、ハンドプレス機を巧みに操作してブリキの宇宙船やギョロ目のロボット人形などを輸出した。アメリカ人たちはこうした日本製玩具をわざとらしく「メイド・イン・ジャパン」と呼んであからさまに嗤っていた。敗戦後もその嗤いがしばらく続いた。
 新憲法によって天皇は象徴天皇になったが、そのエンブレムである「菊」は象徴にすらならなくなった。代わってアメリカ主導の連合軍GHQによる日本占領のもと、大津の小菅松蔵は「小菅のジープ」をつくり、日光玩具はセルロイドの頭とブリキの胴体に英字新聞をあしらった「ニュースボーイ」を製作した。
 一九五三年、富山栄市郎が戦前に起業した富山玩具製作所は樹脂玩具製作部門を起こし、鉄道玩具「プラレール」シリーズを発売して好成績を収めた。富山は十年後に社名をトミー(富山の愛称)に変更すると、メイド・イン・ジャパンの玩具をリードし、やがて月刊「コロコロコミック」連載中の「ポケットモンスター」の商品化権を取得、世界に打って出た。本書の著者のアン・アリスンは、アメリカ人から見た国民シンボル文化としての話だが、このとき「菊がポケモンに変わった」とみなしている。
 そのトミーを合併して二〇〇六年にタカラトミーとなったタカラは、一九五五年に佐藤ビニール工業所を前身として設立された。「ダッコちゃん」「仮面ライダー」などで一気に急成長した玩具メーカーになった。一九六七年の着せ替え人形「リカちゃん」によって日本の女の子の魂を鷲掴みにした。

ポケットモンスター赤・緑
ポケットモンスターの1作目であり、カードゲームやアニメなどの関連商品やメディアミックスを含めた『ポケットモンスター』(ポケモン)の名を冠する最初の作品。ロールプレイングゲームにおいて、販売本数世界一を記録した。

 タカラのリカちゃん人形はあきらかに米マテル社(元は額縁メーカー)のバービー人形やアイデアル社のタミー人形を念頭においたファッションドールだったのだが、タカラはここで欧米主義と日本趣向をハイブリッドに混交するほうに舵を切った。
 バービーが十七歳の八頭身であるのに対して、リカちゃんは小学生でフツーの体つきで、あくまで三歳児から六歳児あたりの日本の女の子に好かれるための人形になったのである。発売当時はマンガ家の牧美也子が広告のイラストを描いた。
 かくて年齢十一歳、おうし座五月三日生まれで、身長一四二センチ、趣味がお菓子づくり、好きな色が白とピンクで、「ママみたいなデザイナー」に憧れているというリカちゃんが、アメリカン・バービーに屈服することなく自立した。
 そんなふうに、アン・アリスンは褒めたいようなのだが、これはやや褒めすぎだ。リカちゃんはパパがフランス人という設定で、むしろハーフっぽいのは当然だったし、当時の実際の日本人は五〇年代から六〇年代には欧米をまねたエンジンをふかしっぱなしで、折からの女性週刊誌ブームでは「女性自身」も「週刊女性」も「女性セブン」も金髪ガイジンばかりを表紙にしていたのである。

リカちゃん人形とバービー人形
リカちゃん初代(1967年~)byタカラトミーリカちゃん CC-BY-4.0
リカちゃん4代目(1987年~)byタカラトミーリカちゃん CC-BY-4.0
バービー初代(1959年〜)by BarbieologinCC-BY-3.0

 日本人が玩具キャラクターの選択で自立したというなら、ぼくはバンダイが鉄腕アトムやゴジラやマジンガーZや機動戦士ガンダムに手を染めたあたり、七〇年代になってからの勝負のほうに重点があったと見たほうがいいと思っている。
 バンダイは山科直治の萬代屋から発展していったメーカーで、その子会社ポピーが一九七一年からキャラクター玩具を始めて破竹の勢いをもった。七〇年代八〇年代にかけてはウルトラマンと超合金のブームにも乗った。
 これらはまだ前哨戦だった。タカラトミーやバンダイによる日本キャラが世界の市場とサブカルマインドを圧したとすれば、それはそのあとのマジンガーZやセーラームーンやポケモンやたまごっちによるもので、そうでなければ、任天堂の「スーパーマリオ」や大友克洋の《AKIRA》や宮崎駿の《千と千尋》によるものだった。

日本のキャラクター玩具
上左「マジンガーZ」、右「ガンダム」、下左「ウルトラマン」、中「鉄腕アトム」右「たまごっち」

 ごくおおざっぱにいえば、イギリスとドイツの玩具メーカーは長らく「日常生活の縮小」にこだわってきた。だからドールハウスやミニ自動車を作るのが好きで、ときには玩具にイギリス人好みの道徳やドイツ人好みのステート主義を求めもする。
 英独にくらべると、アメリカはコミックや絵本の人気キャラクターを「拡張スター主義」として玩具やゲームに仕立てるクロスマーケティングの国だ。市場とメディアに出入りする可能性がありそうなものなら、ポパイでも蜘蛛男でもダースベイダーでも何でもいいから、そこに子供のためのファンタジー消費を次々にインストールして作り出していく。そしてプロパティ(その「物」の財産性・所有性・占拠性)を売りまくる。これがアメリカである。ディズニーがいい例だ。
 この観点からすると、そういった英独米的な文化体質もマーケティングも道徳ももっていなそうな日本の玩具キャラが、鉄腕アトム(米アストロボーイ)、ゴジラ、セーラームーン、ハローキティ、ゴレンジャー(米パワーレンジャー)、たまごっち、攻殻機動隊、ポケモン、AKIRA、マリオ、千と千尋、初音ミクなどを連打しながら世界を席巻するとは、とうてい予想のつかないことだったろうと思う。これらの日本のキャラと物語の出来とその細部の技能的仕上がり感は、敗戦日本を見ていたアメリカ人たちの虚を突くものとなった。
 なにしろ鉄腕アトムやゴジラは「核」と「原水爆」と「被災」の申し子あるいは副産物なのである。日本そのものが最も悲劇的だった被爆の本質を抱えているキャラなのである。それなのに、アトムもゴジラも、平気で大暴れをしながら破壊と救済の両方の力を暗示する。これにアメリカ人は驚いた。驚いたのはそれだけではなかった。

日本が生み出したキャラクターたち
左上から「AKIRA」、「ゴレンジャー」、「千と千尋の神隠し」、「スーパーマリオ」「セーラームーン」「攻殻機動隊」「初音ミク」「ハローキティ」

 一九五二年(昭和二七年)、手塚治虫は前年に連載していた『アトム大使』からアトムを切り出し、光文社の「少年」に『鉄腕アトム』の連載を始めた。少年セイゴオが『ヨウちゃん』『赤胴鈴之助』『冒険ダン吉』『矢車剣之助』とともに毎月たのしみにしていた連載のひとつだった。
 鉄腕アトムは、一〇万馬力の原子力モーター、ジェットエンジン機能のある足、アンテナ化した鼻、善悪の見分けがつく電子頭脳、六〇カ国の言語を話せる能力、涙も出るサーチライト付きの目をもっていた。妹にウランがいて、アトムの同型ロボットにコバルトがいた。物語はすべて勧善懲悪である。
 しかし十六歳のときに敗戦を体験した手塚は、アトムの育ての親をお茶の水博士にして、アトムの実の父を物語から消去していた。それまで日本がしがみついてきた家父長制を否定したのである。そんな主人公は日本の少年マンガにはいなかった。それでいて一九六三年からテレビアニメ化されたアトムでは、「メカ化」がマンガ以上に過密になっていた。当時の世の中、何が何でもオートメ(オートメーション)だったのである。今日のIT化に匹敵する機械主義だ。
 アメリカでは一九六三年にNBCでアニメプロデューサーのフレッド・ラッドの構成編集にもとづいて《アストロボーイ》が放映されるのだが、そこでも人体や車だけでなく蜂・蟻・犬などありとあらゆるものが超メカ化されていた。

 ゴジラは原爆の申し子というより、アメリカの太平洋での原水爆実験がもたらした怪物であって、文明の不遇の嫡子であった。巨大であって破壊的で、悲しみに充ちた目を潤ませて、赤トンボのような自衛隊飛行機の砲撃を雨あられと受ける。それでも壊滅も解体もせず、静かに太平洋に消えていく。
 東宝が《ゴジラ》を公開したのは一九五四年の十一月三日だ。円谷英二らの特撮スタッフが怪獣映画として発想したもので、香山滋の原作をもとに田中友幸がビキニ環礁での原水爆実験を素材に組み立てた。日本人なら全員が第五福竜丸事件を思い出せた。監督は本多猪四郎、音楽を伊福部昭が担当した。九六一万人が観た。
 驚くべきは、そのゴジラは一度の映画出現でおわったのではなく、何度も何度も日本の大衆の前に現れたということだ。現れるたびに眷属やライバルを伴い、とんでもない破壊力を増し、第二作の《ゴジラの逆襲》(一九五五)ではアンギラスが、第三作ではなんとキングコングが引っ張り出されて《キングコング対ゴジラ》(一九六二)になった。アメリカ映画を象徴するキングコングが敵対者に選ばれたことを深読みするかどうか、アメリカ人の批評家はさすがにためらった。
 のみならずその異様な容姿はその後は、やっぱり「メカ化」をおこしていったのである。アン・アリスンには、いったいなぜゴジラ映画にメカゴジラが出現しなければならなくなったのか(第一四作《ゴジラ対メカゴジラ》一九七四が初登場)、もはやわからない。
 アリスンをさらに考えさせたのは、ゴジラの物語に描かれた都市や町はことごとくディストピアであるということだった。それなのにそこに登場する者たちは妙に小市民的で、かつ変身願望をもっていた。その後、《AKIRA》にいたって、アメリカ人はその理由をやっと知ることになる。とくに大河原孝夫の《ゴジラ2000ミレニアム》が、日本人はゴジラを自分たちと同一視して、心の底ではゴジラになりたいと思っているということをあきらかにしてからは――。

ゴジラとアトム
両者はともに、核エネルギーの出現と、日本での原子爆弾投下を背景に、1950年代に生み出された。

 日本の自立と矛盾はアトムやゴジラだけではない。もっとソフトなキャラもかなり風変わりになっていた。セーラームーンはおしゃれな女の子なのに突如として戦士になることで「クール」を獲得し、ポケモンはペットであるのに交換可能になり、「かわいい」のにずっと戦闘状態にいる。たまごっちは想像上のデジタルペットでありながらユーザーに飼育を強いて、愛情を求めてくる。おまけに「たまごっち憲章」や「たまごっち母子手帳」が送られてくるうちに、「とんがりっち」「くさっち」「ますくっち」「はしたまっち」「ぎんじろっち」がふえている。
 本書は、これらのミレニアル・モンスター(千年紀の怪物)たちを擁した日本のポップカルチャーが、どうして「ファンタジーと資本主義とグローバリズム」という三要素をものにできたのか、なぜそこに「テクノ・アニミズム」あるいは「ノマディック(放浪の)・テクノロジー」ともいうべき日本独特の表象力が加われたのかを、いささか堅すぎるほどに大まじめに論じた一冊である。
 著者のアン・アリスンはアメリカのデューク大学のドライブバイ文化人類学やカルチュラル・スタディーズの教授で、上智大学でも教えていたことがある。ドライブバイというのは走っている車から標的を銃撃することをいう。『ミレニアル・モンスターズ』が原題。「日本の玩具とグローバル・イマジネーション」が副題。なかなかのセンスの『菊とポケモン』は邦題だ。

『菊と刀』と『菊とポケモン』
邦題『菊とポケモン』は、米国の文化人類学者ルース・ベネディクトが戦時中の調査研究をもとに1946年に出版した日本文化論の著作『菊と刀』へのオマージュ。装丁はポケモンのピカチュウを思わせるデザインになっている。

 宮崎駿の《千と千尋の神隠し》は、アメリカでは《スピリテッド・アウェイ》というタイトルで大ヒットした。日本ではこの映画は「失われた文化をめぐる転移と喪失の物語」としてうけとられ、資本主義文明へのアンチテーゼとも、ディストピア・アニメとも解釈されたが、アメリカでは伝統世界に対するノスタルジーよりも「異世界への強烈な誘い」が評判になった。
 前作の《もののけ姫》が「よくわからない作品」とみなされたのに対して(このへんがアメリカ人のかなりヤバイ限界なのだが)、《スピリテッド・アウェイ》はユートピア願望の物語として受容され、そのため大人にも子供にもブレークした。宮崎駿の意図とは真逆の解釈でブレークしたわけだ。
 ジェンダー・アイデンティティが多様に変容するのも、アメリカやフランスでのヒットにつながった。フロイトはかつてそれを多形倒錯(polymorphous perversion)と名付けたものだが、《千と千尋》には多形倒錯というより多形変容がめざましく、かつその変容に自信が漲っていた。アメリカ人はたとえおかしなキャラでも自立と自信に満ちているのが好きなのだ。

 アメリカのスーパーヒーローには一貫したルールがある。スーパーマンやスパイダーマンに代表されるように、たとえどんなことを仕出かしても、たとえ人類愛や異常な戦闘能力や出生の秘密をもっていようとも、ホームポジションには日々の日常生活があるということだ。スーパーマンやスパイダーマンが個人的に好きなガールフレンドも、職場の一員か市井の一員でなければならない。アメリカン・ヒーローたちはどんな冒険をしても、最後は生活者に戻るのだ。
 これに対して、日本のスーパーヒーローは日常生活を飛び出したままになる。たしかに仮面ライダーがそうだったように、変身以前のフツーの姿も少しくらいは見せもするけれど、物語は変身状態が多彩に変化していくほうに圧倒的な重点がおかれ、その姿もスーパーマンのような定番スーツがあるのではなく、サイボーグ009やウルトラマンやゴレンジャーのように変貌しつづける。イメチェン(イメージ・チェンジ)が得意なのだ。かれらはコスプレ平気のスーパースターなのである。
 加うるに主人公は、過去も神秘も時代も友情もやらずぶったくりで自在にまたぐのだから、その意識と行動たるやスキゾフレニア(最近の精神医学では統合失調症に一括される)を敢行しつづける。
 アン・アリスンはそうした日本人の嗜好は小学生や女学生の通学感覚や持ち物感覚にもあらわれていて、そこには「メディエイテッド・トランジション」(移動する中間状態)のようなものが沸々としているのではないかと見た。日本のローティーンは気になるものなら何だって携帯ストラップにぶらさげ、どこにもぺたぺたシールを貼って、いつでも自分がトランジットできる状態を用意しっぱなしにするけれど、それは日本のサブカル・キャラの投影だったのである。

 ひるがえって考えてみると、日本のサブカル文化は精霊や妖怪に対する敬意をあまり払ってこなかった。江戸時代の百鬼夜行図や水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』などのマンガに登場する夥しい数の妖怪や怪物の由来や歴史を知っているのは、水木しげるか小松和彦か荒俣宏だけなのだ。
 妖怪だけではない。在原業平や光源氏や平将門も、日本人にとってのキャラクターは定位的でなく、つねに隠喩的で換喩的なのである。それがどのように変じるかのほうが関心の対象なのだ。桃太郎や一寸法師がそうであるように、精霊や妖怪の由来や神話性や歴史性などよりも、主人公になったキャラクターたちの虚構力や非実在感や「おもしろさ」や「ありえなさ」のほうがずっと気になるのだ。キャラが変じてくれるから、そのぶんユーザーは妙に無意識になれるのだ。
 この傾向を、かつて中沢新一は『ポケットの中の野生』(岩波書店)で、レヴィ゠ストロースに倣って「原始の無意識状態」というふうに指摘した。あまりに広い指摘なので、日本ではそこに、ダナ・ハラウェイの言う「有機体による機械吸収がもたらしたサイボーグ性」が加わった。そしてテクノ・アニミズムが浮上した。「原始の無意識状態」が数々のサイボーグ化するキャラたちを経験値やファンタジック・テクノロジーで武装させればよくなった。
 だから日本のマンガやアニメにはどうしても武装したメカトロニックなキャラが多くなる。ロボットなのではない。はなっからサイボーグなのだ。かつての横山光輝の『鉄人28号』(米ジャイガンター)も石ノ森章太郎の『サイボーグ009』も永井豪の『マジンガーZ』も、そういうメカフェティッシュだった。

テクノ−アニミズム:資本主義的日本の精霊(たち)
米国誌「ニューヨーカー」2002年3月18日の表紙より
Illustration by Christoph Niemann
『菊とポケモン』p41

 アン・アリスンによると、日本のミレニアル・モンスターが受け入れられたのは、アメリカ人から見たいくつもの理由が揃ったせいではないかと言う。しかしそれはどうか。日本にメカフェティッシュなキャラクターが一挙に広まっていったのは、かつてジョセフ・ナイが『ソフト・パワー』(日本経済新聞社)や『スマート・パワー』(日本経済新聞出版社)で指摘したように日本社会にクール・エンパワーメントが溢れてきたからではないし、日本の玩具メーカーや任天堂が日本のサブカル文化の本質に気がついたからでもない。
 本書のあちこちに散見する理由候補にぼくがもう少し加えておくと、ざっと次のような傾向が顕著に読み取れるようになったからではないかと思う。ちょっと過激な注解を補っておいた。

 ①日本らしさという魅力が増してきた
日本のアニメにはどこか無常観が漂っている。登場人物にはやさしさがある。しかもそのうえで徹底的に細部を重視する。あげくに幼い顔と異形な顔が併存する。これらが独特の日本らしさになっている。
 ②アジア的な神秘性と密教性を感じる
表意文字のもつ意味不明な力が何かを告げている。そこに仏教感覚やタオイズムや儒教的礼節の不思議がまじってくる。それらが精神の奥座敷にあるのではなく、日本アニメが描くようなごちゃごちゃした町の喧噪になっていく。
 ③幾重にもわたる変身力への期待が募る
変身力とは「うつろい」と「多義性」と「多身力」の重視だ。しかしこれはいいかえれば自己完結性やアイデンティティが希薄だということでもある。
 ④ノマド的な多様性に満ちた異世界願望がある
日本人はどこかに浄土を感じている。それが日本的ノマドだ。そこには行く先における多神多仏性が関与する。しかも異世界においても花鳥風月や雪月花が守られる。ともかくも日本人はみんなやたらに彷徨したがるのである。その彷徨感覚はジル・ドゥルーズの言うポストモダンなノマディズムとはいささか異なっている。
 ⑤模倣感覚が横溢している
これははっきりしている特徴だ。日本人は見立てやものまねやモドキが大好きなのだ。フェイクやキッチュを平気で盛っていけるのだ。そこからカラオケ感覚やコスプレ感覚も躍り出る。
 ⑥不可解をそのままにしておく傾向がある
その通りだ。日本人は決してロジカルな解決をしたがらない。アナロジカルな傾向をもつし、保留のままでもやっていける傾向をもつ。これはいいかえれば、未完成に価値をおく傾向があるということになる。
 ⑦「ごっこ遊び」や「小さなもの」への偏愛を感じる
もともと日本人は狭い住宅や道路でも愉快に暮らし、存分に遊んできた。そこには和歌や俳諧の短詩型にはまりやすいという小さめの美意識、茶室感覚や坪庭や扇子に見る日本的ミニマリズムが去来する。
 ⑧独特のヴァーチャル・リアリティ感覚をもっている
これについてはもっと研究してもらいたいが、昔ながらの土偶・仏像配置・絵巻・人形・浮世絵・歌舞伎の書割りが下敷になり、そこに劇画感覚・電子ゲームなどが加わって日本っぽいVR&AR感覚をもたらしたのだと思う。
 ⑨霊性オンパレード主義ではないか
たしかに、そうだろう。マンガ・アニメ・ゲームのいずれにも霊性に対する寛容が目立つ。これは神社仏閣のお守りが好きな日本人の御利益主義ともつながっている特徴だ。霊性の安売りかもしれない。
 ⑩事物や部品にこだわるストーリー性が強い
まさに日本は万葉以来の寄物陳思(物に寄せて思いを表す)の国なのである。モノは「物」であって「霊」であり、物語とは「モノ・カタリ」なのである。それがサブカルに噴出し、そこに「もののあはれ」も出入りした。

 だいたい、こんなところだ。ただし、これらをもって「クール・ジャパン」という冠りをかぶせるのは、ぼくはかなり気にいらない。気にいらないだけではなく、当たってもいない。
 だいたいアトムやゴジラはむろん、たまごっちもポケモンも、《AKIRA》も《千と千尋》も、ちっともクールではない。本書で最大の取り扱いをうけているポケモンにしても、開発者の田尻智の構想は少年の昆虫採集、ゲームボーイ感覚、通信と交換と対戦のインタラクティビティ、ニューエイジによる家族合わせなどに発したのであって、そこに行き渡ったのはクールなゲームというより、「想像する生態系」の興奮だったはずである。アリスンのポケモン資本主義の議論からしても、あれは百鬼夜行がトークン化あるいは通貨化したおもしろさなのだ。
 かつてロラン・バルトは『神話作用』(現代思潮社)のなかで、「イメージが神話的な意味から吐き出されて意味をもたない空の形式に変換されていけば、そこにはイデオロギー的な内容が入れられていく」という指摘をし、それを「常時まわりつづける回転木戸」と呼んだ。ポケモンも「意味」と「形式」がたえず入れ替わる回転木戸になっていた。そのような回転木戸はキャラクター資本主義的であっても、必ずしもクールではない。
 が、そうであるからこそポケモンはユニークだったのである。そこには、マルセル・モースの互酬的贈与こそが躍動したはずなのだ。

日本から米国市場へ、そして米国内でのポケモンの広がりを示す関連製品の展開ライン
Original artwork by Dwayne Dixon
『菊とポケモン』p359

 それではあえてアン・アリスンが指摘できなかったことを、いくつか加えておきたい。ここにはぼくのサブカル論の骨格が見え隠れするはずだ。
 第一に、日本のポップキャラの多くには「ネオテニー」(幼形成熟)がおこっている。早くに伊藤穰一や高橋龍太郎が見抜いていたことだ。
 第二に、キャラクターと背景の表現には多分に「浮世絵」と「歌舞伎」の影響が大きかったはずである。このことは三宅一生や村上隆にもあてはまる。
 第三に、日本のアニメやゲームにはつねに「察知のアルゴリズム」が効いていて、「さしかかる/とびうつる/かいま見える」といったトランジット感覚に長けてきた。
 第四に、日本のサブカル・ストーリーは「影」や「陰」が大好きで、どこかに影の軍団や陰の人物や裏の事情がたいてい出入りする。ここには茶における裏千家、剣における直心影流、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』などが控える。
 第五に、日本のサブカル作家たちは権力者を描けないのだが、描く場合はついついバサラ化やカブキ者化をおこさせるか、うつけ者にする。そこにはヤクザやアウトサイダーに対する憧憬が滲んでいる。
 第六に、いまさら言うまでもないけれど、日本のポップカルチャーやサブカルチャーはことごとく暗示的で、アブダクティブ(仮説形成的)なのである。

 これで今夜の『菊とポケモン』読みは了えるけれど、気になっていることはまだある。とくに日本人がマンガやアニメやゲームを通して開花させた「見立て」の方法について、できればゆっくり考えたい。それを古代から近世に錬磨してきた「擬」「準」「肖」でどこまで説明できるのか、気になるのだ。
 けれどもそれをするには、ひとつには古代ギリシア以来の「アナロギア・ミメーシス・パロディア」の手法との違いを明らかにする必要があるだろうし、もうひとつにはそのことをマンガ、アニメ、ゲームなどの、独得の発想法とサブカル技法に見いださなければならないだろう。
 ほかにも、ある。日本サブカル事情をグローバル市場主義から切り離して論じてみること、キャラクタリゼーションの意味を欧米思想の系譜から切断してしまうことだ。これについては宮台真司が監修した『オタク的想像力のリミット』(筑摩書房)、東浩紀が構成した『日本的想像力の未来』(NHKブックス)、および杉田俊介の『戦争と虚構』(作品社)が参考になる。

⊕ 菊とポケモン グローバル化する日本の文化力 ⊕

∈ 著者:アン・アリスン
∈ 訳者:実川 元子
∈ 発行所:株式会社 新潮社
∈ 発行者:佐藤隆信
∈ 印刷所:錦明印刷株式会社
∈ 製本所:錦明印刷株式会社
∈ 編集:田中久子
⊂ 2010年08月30日 発行

⊕ 目次情報 ⊕

∈∈ 序文
∈  第1章 魔法をかけられた商品
∈  第2章 灰燼から立ち上がるサイボーグ
∈  第3章 新世紀の日本
∈  第4章 パワーレンジャー
∈  第5章 セーラームーン
∈  第6章 たまごっち
∈  第7章 ポケットモンスター
∈  第8章 「全部ゲットしちゃおう!」
∈∈  エピローグ
∈∈  謝辞
∈∈  日本語版刊行によせて
∈∈  訳者あとがき
∈∈  原注
∈∈  参考文献

⊗ 執者略歴 ⊕

アン・アリスン
文化人類学者。デューク大学ロバート・O・コヘイン研究室教授。現代日本の日常生活における政治経済と想像的な夢想世界との相互関係を研究。上智大学で教鞭をとっていたことがあり、調査のために現在も頻繁に来日。