才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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書店の棚 本の気配

佐野衛

亜紀書房 2012

編集:中川六平・足立恵美
装幀:矢萩多聞・得地直美

本は棚であり、棚が書店である。
書物は集まって文脈になる。
文脈は書棚となり、書棚が書店になっていく。
書棚を軽視する書店は「本屋さん」ではない。
書棚はおもちゃではありません。
病院のベッドでもありません。
書棚は記憶であり、認知なのである。
だから書棚はたんなる形と色ではつくれない。
棚は本。本の気配が棚。
佐野さんの話を聞いてみてください。

 このタイトルは気にいった。まさに本にとって「書店の棚」と「本の気配」はすべての生きざまであるからだ。本にとっての生きざまであるということは、書店員にとっての生きざまでもあるということになる。
 佐野さんは神田の東京堂書店に37年間勤めていた。1973年からの37年間の本屋人生は長いだけではなく、本や版元や書店がそうとうに激動してきた時間をたっぷり食んでいる。さぞかしだったろうと思う。日本の出版業界の「再販制」という奇妙な体制と、「活字離れ」が囁かれっぱなしの読書界との、両方の「塗り壁おばけ」にずっと付き合ってきて、あげくがアマゾンやキンドルの参入だったのだから、さぞかしな37年間だったろう。2010年に退職。後半は店長だった。名物店長である。
 東京堂書店は1階が新刊書で、2、3階が専門書になっているが、このところ長らく、1階にある新刊書はほとんど2、3階にも揃っている。図書館業務ではこれを「複本」(ふくほん)というのだが、書店である東京堂の、この複本の徹底ぶりはすばらしい。他にはないのではないか。

東京堂書店 神田本店
ハイデガー、ベンヤミン、フーコーなどの本が並ぶ現代思想の棚。重々しい雰囲気をそのままに表出する棚からは、思想が脈動しているのが感じ取れる。

 東京堂の「複本配置」が佐野さんの提案だったかどうかは、本書には書いてなかったのでわからない。おそらくはそうなのだろう。複本配置するには、そうとうに本に対する知識と思い入れがなくてはならず、来店者たちに「本の魅力」を感じてほしいと切望しつづけていないと、できない。
 本と棚のアドレスの関係は単一的なつながりのほうが処置しやすいと思うだろうが、それは業務管理主義者の勝手な言い分にすぎない。これはつまらない。むしろ1冊の本がさまざまな棚の文脈に複数本となって入っていたほうが、うんと出来がいい。
 わかりやすくいうのなら、漱石の『吾輩は猫である』は文学棚にも漱石棚にも、三遊亭円朝の本の隣にも、また猫の本コーナーやペット本コーナーや「おすすめのベッドサイドブック棚」にあってよく、その猫の本棚にはホフマンの『牡猫ムルの人生観』や田中貴子の『猫の古典文学誌』や「キャット・ピープル」の映画本があってよいのだし、また、これらのうちの何冊かは「進化の棚」や「エソロジーの棚」に入っていたっていいわけだ。
 東京堂が新刊書の大半を2、3階にも配架しているというだけでも、この書店の凄みがわかるのだが、とはいえそれをしているからといって売上が伸びるとはかぎらない。なんとか売上げを維持していくためには、そのほかさまざまな努力や勘や積み重ねが、どうしても必要だ。佐野さんの本書を読んでいると、その苦労がそこかしこに滲み出ている。

ザ・ブックワーム(中国・北京)
この店を経営するイギリス人のアレクサンドラは言う「本屋の美しさは、魂がつくるもの」。

 書店というところはかなりローテクな店舗なのである。ローテクなお店ですばらしいところは、パン屋さんでもブティックでもアクセサリー屋でもいくらもあるが、書店はローテクなのに取り扱っている商品の数がべらぼうに多い。
 本をふつうに棚差ししていても、すぐに5万冊、10万冊になる。この数はパンやアクセサリーではむろん、Tシャツ、ジーンズの比ではない。べらぼうな商品数になる。本はそういうものなのだ。四角くて2〜3センチの書物という、あの形状がそうさせる。それが本屋の宿命であり、それが「やりがい」なのだ。それゆえ本がある程度はどんな書店でも多く並んでないかぎり、ほとんどのお客は満足できない。
 そこで本来なら業務が繁雑になるのだが、書店員はたいていそのための業務トレーニングを受けていないので(そういう書店員は少ない)、その繁雑な業務を軽便にするべく、取次店と書店にはそれなりのコンピューティングがかかっていて、処理能力を助けようとしている。
 けれどもこのため、ちょっとおかしなことがおこってきた。そこを佐野さんは次のように説明する。

 たいていの書店には在庫検索装置がある。階数、棚番号、段数、棚図面が検索表示される。データが階層化されているから探しやすいと思うのはまちがいだ。目的の本がわかっているぶん、その本のタイトルを読まなければならない。それには目を使う。その目は棚にある本の形や色や装幀を目印にする。コンピュータが決めた棚位置ではない。
 だからプロの書店員は本を探すのに「何番の何段目のあれこれ」とはめったに言わない。「レジの近くの平台の上の方」「後ろの棚の大きくて厚い本」「白っぽいハードカバーの本」というふうに言う。すこぶるアナログ的なのだ。書店には、デジタルな管理力とともに、このアナログの認知力や検索力が求められている。車のスピードメーターだけがいまだに「針」で表示されているのは、アナログのほうが事故を防ぎやすいからだろうが、本の扱いはこれに似ている。
 佐野さんは、人間の「デリケートな能力」こそが書店に求められているのだと言う。そのデリカシーやテイスト感覚こそ「本」なのだ。そして、しみじみとこうも言う、「書店にとって理想的なのは、本が本を呼び、本が棚を呼び、棚が棚を呼び、棚が書店を呼ぶという構成を作り上げることだ」。

MARUZEN&ジュンク堂書店 渋谷店
エスカレーター脇の映画論コーナー。

小宮山書店
膨大な数の書籍を取り扱う古本屋では、階段に平積みした本の景色をよく見かける。階段が記憶と認知を生む場となっている。

 いま世の中の書店はどんどん減ってきて、大型書店ばかりが大都市で機能することになっている。丸善とジュンク堂のように合併するところもふえてきた。だから書店は20年前で20000軒、いまは13000軒より少なくなっている。もっと減っていくだろう。
 それにもかかわらず、書籍の新刊はだいたい年平均して15億冊もある。雑誌は36億冊で4300点が発行されている。あまりにも多すぎる。なぜ、こんなふうなのか。
 ふつう、単行本の発行部数は2000部か3000部である。よほどの作家はべつにして、有名無名を問わず初版部数はこんなものだ。売れればちょっとずつ増刷していけばいいのだから、これがふつうの版元のぎりぎりの採算点になる(ぼくの本はなぜか8000部から始まることが多い)。けれども出版社が50年前で10000社ほどあって、いまは4000社を切っているが、その版元1社それぞれが月に刊行するのは大手を別にしてもほぼ数冊ずつだから(そうしていないと版元は食っていけないのである)、合計の発行部数(初版印刷部数)となると、いまでもすぐに15億冊に膨れ上がるわけである。
 こんなに膨れ上がっている本を書店はどうするのかというと、日本には「再販制」と「委託制」とがあって、これで調整している。1299夜1326夜にも書いたことだが、これがいいようで、よくない。再販制と委託制があるかぎり、本の刊行点数は落ちないし、このことが日本の出版事情のぬるま湯をつくってきた。ぬるま湯なのに怠けてきた。

シェイクスピア・アンド・カンパニー(フランス・パリ)
店には、作家の卵が一日一冊の読書を条件として、無料で滞在できる伝統がある。

 再販制は正確には「再販売価格維持制度」という。本は文化財なのだから国内で平等に手に入らなければならないという観点から、「販売価格を変更してはいけません」というふうに取り決めた制度だ。
 いったん本を仕入れてしまったら、売れなかったからといって勝手に値段を下げてはならない。だから山田電気のような量販店はつくれないし(古本なら別である)、ジャパネットのような付帯サービスもできない。スーパーのように売れ残りの生鮮食品や弁当を安くもできない。
 再販制は独占禁止法に抵触するのだが、書籍、雑誌、新聞、音楽ソフトの「メディア4品」だけは特別措置になっている(なぜか洋書だけは価格設定は自由なのである)。しかし、これは戦後民主主義の「結果の平等」に陥ちた制度でもあった。

渋谷の古書店「ToToDo」
棚にならぶ日を待ち焦がれているかのように、奥から顔を覗かせる平積みの本たち。

誠心堂書店
希少価値の高い和本が棚に幾段にも積まれている。わびた棚が渋好みのゲシュマックをそそる。

 委託制は本の返品ができるという制度だ。このしくみが出版社と取次店と書店とをびしびしに縛り、またゆるゆるにする。
 ざっとどうなっているかというと、出版社は刊行した本をまず取次店に搬入する。取次店はその冊数に応じて出版社に支払いをする。ただし、取次店が何冊受け付けてくれるかは取次店と出版社の交渉になる。たいていは出版社が押し切られるが、ともかくこれで出版社は納入したぶんのお金が入る。
 ついで、取次店がこれを書店に配本するのだが、全国のどの書店に何冊がいくか、その配分は取次店が決める。しかもずいぶん以前からこれはコンピュータ配本になっていて、それまでの実績に応じてどんな傾向の本がどの書店に行くかは、ほぼ取次店の言いなりになってきた。
 だから村上春樹の本は全国書店にはまわらないし、ぼくの本もまわらない。書店があらかじめ取次店に注文冊数を申し込む手もあるのだが、これも実力書店でなければなかなか希望通りにはいかないことが多い。
 書店は取次店から配本されてきた本の冊数分を取次店にいったん支払う。そこには掛け率がある。世の中の一般商品卸しと小売の常識から見て、そんなに変なものにはなってない(一般的には1000円の定価の本なら、出版社から取次店に690円で卸され、取次から書店に770円で卸されるのが平均)。
 しかし、それらの本を書店に並べたとしても、売れるとはかぎらない。いつまでも棚に残ってしまう本がいくらもある。そこで書店はこれを返品(返本)することができるようになっている。返品したら、取次店は掛け率に応じて書店にお金を戻す。ただし返品期間があって、いつまでも書店に置いておくと、お金が戻らない。
 一方、出版社の立場からこの流れを見ると、新刊を出して取次店に納品したぶんの代金は貰えるのだが、返品もされてくるのだから、この返品の冊数ぶんの金額はいったん入金したぶんから差っ引かれる。そこで出版社はすぐ次の本を出して、また入金を仕組む。たいていは前の仕入れ支払いが完了する前に次の新刊を出す(だから刊行点数がふえるのだ)。取次店からすると、前の返品額請求と新たな仕入れ支払額とが入り組んでおこることになるので、ここで必ず相殺計算が発生していく。
 版元・取次・書店の関係は、この連続なのである。出版社と書店はこの相殺計算の末端にあって、すべての苦労がここから生じていくことになる。

 雑誌のほうは、少し書籍と違っている。まず「発売協定」という縛りがかかっている。全国のどこの書店でも発売日に同時に販売するという協定だ。
 そのため販売会社は各所に支店をもっていて、発売日に合わせて深夜便で本屋さんに雑誌(新聞も)を届けている。これはかなり難儀なことなのだが、日本の販売流通網はそういうことをちゃんとやれる能力がある。だから雑誌ファンは発売日に書店やコンビニに行く。
 そのかわり雑誌は返品期間が短い。週刊誌は45日、隔週雑誌・月2回雑誌・月刊誌・隔月誌は60日、季刊雑誌は120日になる。ムックとコミックは書籍に準じる。この期間内で返品しないと書店の負担になるから、こうして雑誌はほぼ1カ月をたたずしてどんどん書店から消えていく。
 なにかがちぐはぐなのである。しかし、この制度が戦後日本の出版流通を支えてきた。だから独自の流通力があれば、この状況を覆すこともできる。このためコンビニエンスストアが雑誌や週刊誌の売上げをぶんどっていったのである。コンビニには流通機動力もある。いまセブンイレブンだけでも丸善ジュンクや紀伊国屋の雑誌売上げを凌駕する。

スタンド型の売店
鮮度を求められる情報紙が屋台の中に几帳面に並べられている。釣りや囲碁、将棋といった趣味系の新聞も数多く並ぶ。

 ちなみに意外だろうが、雑誌の発行種類で一番多いのはいまなお医学・衛生・薬学の分野なのである。500点近くある。ぼくが「松丸本舗」時代に観察していた丸の内丸善本店の雑誌売場では、やはり医学系や看護系のところに立つ客が多かった。
 次が工学系雑誌の450点で、諸君が書店に多いだろうなと思っている諸芸・娯楽は170点、音楽・舞踊系は100点程度、みんながきっと目立つと思っている女性誌は僅か75点程度なのである。ということは、専門雑誌と趣味実益の雑誌のほうがずっと多いということなのだ。

丸善ジュンク堂
物理学のコーナーでは、量子力学の書籍だけで一竿の棚が埋めつくされてしまう。このゲート(棚)から物理学の発端と先端に出会えるのだ。

ブックファースト
書店内の出店のような新刊コーナーでは活字が大声で客よせをしている。

 ともかく出版社も書店も薄利多売であって、かつ業態そのものが自転車操業にならざるをえないようになっている。そう思うしかない。
 しかし、そのような本の宿命を、戦後日本の書店は受け入れてきた。そして、そのぬるま湯に浸ったままなんらカイゼンしてこなかった。業界ルールが変わらないということは、心ある書店としてはこの宿命をなんとか脱していくか、あるいはその宿命にふさわしい本の売り方や楽しみ方を読者や顧客に提供しなければならないということになる。
 では、どのように考えるべきなのか。佐野さんは、結局、書店は「本に従う」のであって、取次店に従うのでも、客に従うのでも、ベストセラーに従うものではないと言っている。佐野さんはそれをおおげさに「ハイデガー風には、存在の声を聴く」ということではないかと言っているが、これは決しておおげさではない。ぼくもそう思う。
 そこが「本」という格別の商品の特質なのだ。本が一般の生活用品や衣服や食品と異なるところなのである。たんなるコモディティではないところなのだ。本がブックウェアであるというのは、そこなのだ。

一誠堂書店(神田)
垂直を強調した洋書たちがパルテノン神殿のように立ち並ぶ。

 なぜ、そうなるのか。本を読むということが「食べる・着る・風呂に入る・旅行する・寝る」といった行為とはかなり異なったものであるからだ。
 「食べる・着る・風呂に入る・旅行する・寝る」は生活者のごくごく一般的な欲望で、しかもその行為が「見えるもの」になっている。その欲望を充当させる食品や衣服や寝具や旅行先も、必ず「見えている」。それが消費者向けの商品の一般的な魅力になっているスーパーやコンビニは「見える欲望」の陳列でよい。
 ところが「本を読む」という行為は、なかなか見えないものなのだ。読めばどうなるかというと、アタマに入ったり心に訴えてくる。あるいは小説がそうだからわかるだろうが、なんだかしくしくしたり考えさせたり、勇気が湧いてくる。本はそもそもが「思索商品」であり、また「感情商品」なのである。
 このような本を書店は店頭に並べなければならないのだから、なかなか難しい。ともかくジャンル単位や著者単位にわかりやすく並べて、あとは客に任せてしまう。けれども客のほうからすれば、いったいどのように自分の「思索」や「感情」が書店に並んでいる本と関係するのか、なかなかわからない。文庫本や新書本ともなると、ジャンル別にも著者別にもなっていない。新潮文庫・ちくま文庫・光文社文庫・中公新書という棚の区別にしかならない。
 これでは棚の前をうろうろして、タイトルと著者と「パラパラめくり」から判断するしかない。そこで、どんな書店でもそういう光景ばかりがふつうになっていく。
 ここには何かが決定的に欠けている。そうなのである。「書店の棚」と「本の気配」が全面に出ていないのだ。ブックウェアが動かないのだ。

編集工学研究所1階ブックサロンスペース「本楼」の本棚。

本楼のにじり口から見える玄関口「井寸房」(せいすんぼう)
スチールの鳥居の神棚に白川静の著作がずらりと並べられている。

 佐野さんは、こう書いている。
 「興味ありそうな本を一冊、手にとってみる。そして少し読み始める。自分のなかにある意識のコンテクスト(文脈)がおのずと立ち上がってくる。この能動的な動機が内発されないと、本を読んでもおもしろくもないし、よくわからない。本を探すということは、自分の内部のコンテクストを外部から触発されるということであり、そのコンテクストを構成していくことである」。
 「自己の内部の現実的なコンテクストは多面的であり、微に入り細に入り、いわば毛細血管、あるいは木の根(リゾーム)を構成しているようなものである。ここで間違いやすいのは、そこでの注視がたえず同種のジャンルにばかり向いていると思うことである。そうではない。隣のまったく性格の異なる本にも同時に興味を引かれるのは、リゾーム減少ともいうべき性格からして、コンテクストの切り替えによるものだということはありそうなことなのである」。
 「書店は、自分が空間的な広がりを獲得したようなもので、その内容は古今東西にわたっているのだから、時間的にも共感できる場に居合わせていることになる。つまり書店は共時的空間と通時的時間が交差している場なのである。ここから取り出された本が、自己の内容を形作るとしたら、ひとつ上の段階を獲得したことになる。まず自己が書棚に対置する。次に書棚の本に自己を外化する。最後は本の内容を獲得する」。
 書店の店長さんにしてはずいぶん難しそうな表現だが、佐野さんは哲学好きだから、こういう表現になる。しかし、言いたいことはよくわかる。ようするに本の棚とどう向き合えるか、その本の並びとどう付き合えるか、それが本読みのスタートであって、書店からすればその空間と時間をどう用意するかがお仕事なのだということなのである。

古書店「ボヘミアンズ・ギルド」
手すりごしに写る本たちは背景でありながらも十分なオーラを感じさせる。

 本を読むという行為が「見えない」ということは、本を買いにきた来店客の好みや欲望もまた「見えていない」ということである。やむなくスリップやポスデータを頼りに分類分析をしてみるのだが、これではどの本が売れたかということしかわからない。そこには「客の顔」がない。
 読書行為において読者の「思索」や「感情」が見えないとしても、書店では「客の顔」は見えているはずである。来店をしているのだから、書店員には客の顔は見えているのに、見ていないだけなのだ。どんなふうに「客」と「本」とが関係しあっているのか、この謎の解明はひとえに書店員の観察力にかかっている。だから書店のカイゼンはまずそこからなのである。
 ただし、よくよく知っておくべきことは、来店客の動向は一冊単位ではなく「本の並び」で左右前後に動くということだ。そこでは「棚」と「客」との関係の“歩み”が重要になる。書店員はこの“歩み”を見る必要がある。とてもそんなことができないというのなら、店内のカメラ記録を1カ月分でいいから、克明に調査するべきだろう。
 本は棚である。棚が本であり、客は棚なのである。
 ただ、その棚が本の物置になってはダメだ。おもちゃ置き場や観葉植物のプランターになってもダメだ。病院のベッドになってはなおいけない。棚の配置の失敗と棚のデザインの失敗は、そこが書店であることを放棄する。

「無印良品」1
「無印良品」有楽町店に2015年9月4日に オープンする「MUJI BOOKS」の棚づくり風景。松岡正剛スタッフが一丸となって棚づめに奮闘中。

「無印良品」2
「無印良品」のファウンダーでもある田中一光氏の自宅蔵書を再現し、天井まで届く高さの棚に敷き詰めた。棚の中心には実際の蔵書をショーケースの中に展示する。茶、料理、舞台、芸能などの本が揃っている。

「無印良品」3
有楽町で配架する前には、取次店から一挙に届いた本を倉庫に集め、棚のゾーン毎に仕分けた。既存の分類ではない文脈棚はこうやってできあがる。学生を含めたアルバイトにも協力してもらった。約2万冊に上り、作業は数日にもわたった。

⊕ 『書店の棚 本の気配』 ⊕

 ∈ 著者:佐野衛
 ∈ 発行所:株式会社亜紀書房
 ∈ 印刷:株式会社トライ
 ⊂ 2012年9月28日発行

⊗目次情報⊗

 ∈ 本の声を聴く―書店の棚の広がり
 ∈ 二〇〇九年から二〇一〇年の日録
 ∈ 本をめぐる話―書店は誰のものか
 ∈ 東京堂書店店長時代
 ∈ 本とわたし―経験は読書
 ∈∈ あとがき

⊗ 著者略歴 ⊗

佐野衛
一九四七年、山梨県甲府市に生まれる。七二年に早稲田大学文学部を卒業後、東京・神保町にある「東京堂書店」に勤める。長らく同店の店長を務める。著書に『装置と間隙』(インパクト出版会)、『推理小説はなぜ人を殺すのか』『世紀末空間のオデュッセイア』(ともに北宋社)。