山崎努
俳優のノート
文春文庫 2003 メディアファクトリー 2000
ISBN:416783880X
編集:吉崎宏人・菊地光一郎 装幀:大久保明子 写真:荒木経惟
リア王は老いた暴走王である。
すでに狂っている。それが悲劇であるのか、
愛の結末であるのか、それとも
何かを捨てようとしているのかは、わからない。
シェイクスピアは「世界は裂けている」と
言って、罠と仮説をのこしたのだ。
山崎努はこの複雑怪奇なリア王を演じるにあたって、
都合2年半にわたる準備をした。
そして、そのプロセスを克明な日録に綴った。
61歳だった。
すばらしい俳優ノートとなった。

 デザイナーであれ作家であれ、ラッパーであれ格闘家であれ、音楽家であれエディターであれ、こういう本を3年に2~3冊読んでいれば、身も心も引き締まる。修業とか稽古というものは、こういうふうに並大抵を超えて徹底するのだということが、筋張った背骨にも、ふつふつと滾る細胞群にも滲みとおる。
 ところが「こういう本」というのが、残念なことにそんなに多くない。とくにスポーツ関係の本が当事者たちの壮絶な努力にくらべてやたらに平たすぎて、おもしろくない。スポーツライターが怠慢なのだ。役者が綴った芸談も、凄い出来ばえのものにはめったにお目にかかれない。たいていはまんべんない「聞き書き」だ。
 そうしたなか、本書は稀有だった。山崎努の人格性、物語の読みの精度、体を出入りする微分と積分の感覚、自分が体験したことをあらわせる率直な言語力、事実を直視するひたむき、周囲の者たちに対する敬意、決して妥協しない好き嫌い、不屈への憧憬、自身のスキルアップを丹念に見抜こうとする冷静力‥‥。こうしたことが奇跡のように相俟って本書が仕上がった。

 そもそも山崎は「劇は劇薬でなければならない」という意志の持ち主だ。自己満足型のぬるぬる芝居を認めない。
 ぬくぬく、べたべた、めそめそとした、「まるで羊水の中にとどまっているような役者たちの感情芝居」が大嫌いなのだ。山崎は或る感情が別の感情に劇的に「飛躍」するところをこそ、ずっと演じたいと思ってきた役者なのである。
 芝居や役者だけではあるまい。ぬくぬく、べたべた、めそめそはぼくの仕事でもご法度だ。たとえ弱々しくたって、たとえ少数意見だって、われわれはつねに劇薬をあおるつもりがなくてはならない。
 その山崎が満を持してリア王に挑んだのである。リア王は、世界文学史上で最も悲劇的に暴走してみせた老王だ。たんに挑んだだけではない。同じ役を二度はやらないと決めている山崎が、そのリア王を演じるにあたっての手の内をさらしてくれたのだ。ぬくぬく、べたべた、めそめそから脱するには最高のテキストだ。

 新国立劇場は、国の顧眷をかけて鳴り物入りで準備されてきた。ぼくも噂を洩れ聞いていた。永年招待者にもなった。
 1997年10月10日の柿落としには、団伊玖磨作曲の『建・TAKERU』を当てた。天皇・皇后が観劇されたが、イマイチだった。
 開場記念公演には、バイロイト組によるAキャストが揃ったワーグナーの『ローエングリン』(若杉弘指揮、ヨルゲ・ヤーラ衣裳)と、フランコ・ゼッフィレッリ(186夜)によるヴェルディの『アイーダ』という超弩級をもってきた。ゼッフィレッリは圧巻だった。新国が力を入れているのはよくわかった。
 演劇のほうは、井上ひさし(975夜)の新作『紙屋町さくらホテル』、過去の新劇の傑作から選んだ『夜明け前』(196夜)、シェイクスピア(600夜)の『リア王』がオープニングに選ばれた。なかなかの3本だ。当時の芸術監督の渡辺浩子の判断だろう。『夜明け前』は木村光一の演出で、加藤剛が青山半蔵だったが、これはかつての滝沢修にはかなわなかった。遅筆で有名な井上作品を開館時にもってきたのは冒険だったろうが、これはのちのちたいへんな名作となった。

 で、『リア王』であるが、こちらは松岡和子の訳で、鵜山仁が演出にあたり、山崎努がリア王を演じることになった。グロスターは滝田裕介、長女ゴネリルが范文雀、次女リーガンが余貴美子。コーディリアには高校生の新人・真家瑠美子が起用された。エドガーは渡辺いっけい、道化は高橋長英だ。
 本書は、こうした陣容のなか、山崎が一世一代のリア王を演じるにあたって、1997年7月14日から翌年2月3日までの日々を書き綴った日録である。メディアファクトリーから刊行された。そうとうに克明で、たいへん興味深い体験と示唆とが綴られている。山崎努61歳のときの闘いだ。

1998年に新国立劇場で上演された『リア王』(演出・鵜山仁)
1月17日(土)から2月3日(火)まで、計20回の公演が行われた。

 日録は新国立劇場での初めてのミーティングの日から始まる。
 冒頭、いよいよリア王かと思うと、さすがの山崎も気が逸って30分も前に着いてしまったこと、松岡和子と人の匂いがまだしない舞台に立ってみたこと、リア王のセリフを一つずつどのように感じていけばいいのかとこの日に臨んだことなどが、淡々と綴られる。
 稽古は12月1日からと決まった。初日は年を越えた1998年1月17日である。だから稽古は実数34日間。むろんこれだけでは役はつくれない。本書は「準備」「稽古」「公演」の3部仕立てになっているのだが、山崎は「準備」の周到に賭け、そのうえで「稽古」ではどのような変容にも決断にも向かえるようにしていった。なるほど、芝居の稽古とはそういうものなのか。
 だから準備期間にやることはそうとうに深い。実際に山崎が出演を決めたのは1995年10月のことで、それからの2年というもの、どんな仕事をしているときも、いつもリア王のことをアタマの隅で動かしていたという。準備期間が2年、決断のための稽古が34日間なのだ。そうか、なるほど、準備に2年か。

 準備中、山崎はまず松岡訳の戯曲を徹底して読みこんでいく。なんといっても今回の台本は福田恆存(514夜)や小田島雄志の日本語ではないのだ。
 しかしそれ以上に難問なのは、山崎がリア王をどのような人物として理解しきるかということだった。それはセリフの一つひとつの解釈の格闘になる。
 たとえば1幕1場。ケントがリアに「どういうつもりだ、ご老体?」と言う。これは臣下が王に畏まっているのではない。あきらかに直言だ。だとすれば、リアはこの「どういうつもりだ、ご老体?」を受けるリア自身でなければならない。老体と言われてむっとくるのか、ハッとするのか、受け流すのか、何かをぐっと呑み下すのか。山崎はそれを決めなければならなかった。
 たとえば2幕4場。リアが「ああ、はらわたが煮えくり返る。胸に突き上げてくる」と言う。何が胸に突き上げてくるのか。ただの感情であるはずがない。怒りだとすれば、何に対するものなのか。これは母親のヒステリーがリアの胸に突き上げてきたのだ。だからこそ、その直後の「怒りよ、沈め」のセリフが意味をもつ。
 山崎はこうした点検をへて、リア王にひそむ女性嫌悪(ミソジニー)をどのように表現するかという課題を、自身の内なるハンガーにぶらさげていく。また、リア王が「捨てていく男」であるとみなして、この男を演じるには「捨てていく旅」を全身であらわす必要があると心に決める。
 このあたり、そうとうに深い。

 では、『リア王』全体の流れのなかの、どこに「捨てていく旅」のターニングポイントがあるのか。
 すぐに3幕2場の有名な嵐の場面が想定できるけれど、これはクライマックスであって、まさに劇的頂点ではあるが、それでは演技のターニングポイントを見せるには遅すぎる。
 全体の折り返しということからいえば、2幕4場の「どんな貧しい乞食でも、貧しさのどん底に何か余分なものをもっている」で始まる21行にわたる長口舌のところだろう。「ああ、必要を言うな」のセリフで知られている場面だ。リア王はこの時点で、王冠と領土と末娘コーディリアを捨てたのだ。
 そうだとすると、幕開きからこの長口舌まで、山崎のリア王は感情の爆発をずうっと抑え続けるべきなのである。しかし、たんに抑制していたのでは、平坦になる。観客に何も伝わらない。山崎はどこかでその予兆を演じなければならないと見た。
 こうして1幕4場でゴリネルが騎士を50人に減らす場面に、山崎は赤い印をつけるのだ。

 『リア王』はリアとグロスターという二つの家族の物語が並行し、3幕4場で初めてその二つが遭遇するというふうになっている。それが嵐の場面だ。
 娘のコーディリアを勘当したリアと、父のグロスターに勘当されたエドガー。この正反対の立場の二人が嵐の中で出会って、例のクライマックスになる。二人とも狂っている。しかし7月23日、水曜日、山崎は『リア王』の中には3つの狂気があることに注目する。
 リアは本当に狂っている。きっとそうだろう。が、エドガーは佯狂である。どこかでフリをしている。けれどもハムレットではない。リアの狂気に応じての佯狂なのだ。二人の狂気は虚実皮膜において連動する。そしてもう一人、道化という狂人がここに加わっている。こちらは役割としての狂人だ。人格が狂っているのではなく、舞台の進行を狂わせる。
 つまりは、ここには三者三様の狂人がいる。シェイクスピアはこの「三狂」を自在に弄び、そのあいだにただ一人の正気である忠臣ケントをおいた。
 山崎にとって大事なことは、当たり前のことだが、それらの狂気のすべてを演じ分けるのではないということだ。これは組織における活動においてもヒントになるところだ。山崎はそのうちのリアの狂いっぷりのみを演じなければならないのである。山崎はしだいに覚悟を決めていく。

1960年、三島由紀夫の戯曲『熱帯樹』で俳優デビュー
「同じ役は二度とやらない」というポリシーのもと、数々の役を演じてきた。

 ところで、こんなところにこんな話を挟むのも恐縮だが、ぼくは中学生のときリア王をやれと言われたことがある。
 すでに600夜に書いたことだが、学芸会の演出担当の先生が「松岡、リア王をやってみいひんか」と言ったのだ。「リア王が嵐の中で狂うところがあるやろ、あそこをやってみい」。日ノ下先生は「おまえにはそういうところがあるしなあ」と言うのだ。なんだかさっぱりわからなかった。さいわいこの無謀な舞台企画は流れたのだが、それ以来、ぼくのどこかにリア王が引っ掛かってきた。
 長じて、『リア王』を読み、舞台を見るようになって、リア王の狂気が尋常のものではないことがだんだん知れてきた。狂い方が尋常でないのではない。そこに蓄積された「人間の宿命」や「世界の裂け目」が尋常ではないのだ。
 リア王は老いた王である。80歳だ。けれども、いまや狂っている。おまけに耄碌し、何か決定的な自信を失っている。そのリア王が営々と築いてきた王国を娘の誰かに譲渡しようとする。リア王は狂いながらも、最期に向かって何かを捨てていこうとしているのだ。
 このようなリア王のセリフが深くないわけがない。重くないわけがない。

 7月30日、山崎は台本を最初からじっくり読み直した。あらためてこの物語の“出だし”が重要だということに気が付いた。
 リア王は1幕1場で「これまで胸の奥深く秘めてきた計画を披露する」と切り出して、王国分割の決断を明かす。このときリアはすでに「鬱」に見舞われている。リアは「王国を3つに分けた」といきなり宣言する。ケントやグロスターは止めようとするだろう。しかしリアは「堅く心に決めたのだ」と言い、口を挟もうとするケントの気配を退ける。そしてかぶせて断言する、「煩わしい国務はすべてこの老体から振り落とし、若い世代に委ね、身軽になって死への道を這っていくつもりだ」と。
 これだけなら賢明な老王の判断のように見えるのに、シェイクスピアはここに「鬱」を発端させている。山崎はこの「鬱」を体に巣くわせて、稽古に臨まなければならないと見通した。だが、見通しは立ったとして、そこをどう演ずるか。

 9月22日。帝国ホテルで伊丹十三の11本目の新作『マルタイの女』披露パーティがあった。伊丹はこれまで山崎の舞台を必ず観にきていた。伊丹はまた多くの伊丹映画に山崎を使ってきた。二人は気心が知れている。
 パーティは盛会だったが、伊丹の発案で最後にみんなで「般若心経」を唱えた。全員の読経には迫力があったけれど、何か得体の知れないものも感じた(ぼくはパーティで「般若心経」をみんなに強いる伊丹の心境と、それまでの構想力と制作力にほとほと驚嘆する。いったい誰が賑やかなパーティに「色即是空」を持ち込めるだろうか。伊丹も凄い男だったのだ)。
 会場で道化役の高橋長英と話した。共演者と話すのはこれが初めてだった。高橋は「男でも女でもなく、すべてを真ん中でやりたい」と言った。

1991年、伊丹十三と『ヘンリー四世』の舞台稽古楽屋にて(本書より)

 9月24日、初めて声を出して台本を読んでみた。
 ここでは言い回しは考えない。声の作曲(強弱、音色、テンポ、間など)も、しない。ともかく登場人物たちの吐く言葉をひたすら理解する。それでも、リアの女性嫌悪や女性恐怖がどんどん入ってきた。9月26日、通しで読んでみて、今度は「時間の流れ」を実感できるようにした。その時間は「秩序が崩壊していく」という時間だった。
 もう一つ、気がついた。「狂気」は「学習」と同義語なのではないかということだ。ぼくはこの山崎の発見に感心した。まさにそうなのだ。
 すでに白川静(987夜)さんが指摘していたことだが、人間がめざすべきものとして「聖」はもちろんベストであろう。けれどもこれにはそうそう容易には近づけない。そこで次に選択すべきなのが「狂」なのだ。「狂者は進みて取る」なのだ。
 そもそも「狂」という文字は、王がいよいよ出立するにあたって鉞(まさかり)を自身の足に加えて、これからの幾多の遭遇を覚悟するという意味なのである。白川さんは「孔子もそうした」と考えた。
 まさに狂気は新たな学習の覚悟の様態を示すのだ。このことはリア王にもあてはまる。孔子としてのリア王だ。

 10月29日。銀座セゾン劇場で高橋昌也演出による『ライオンのあとで』を観た。山崎は高橋と岸田今日子の舞台は必ず観るようだ。
 終わってパーティに顔を出したら、宮下展夫がやってきて『紙屋町さくらホテル』のセリフがひどく聞き取りにくかったと言った。江守徹も寄ってきて「やばいよ山さん、あの小屋は声が全然通らない」と言う。新国立劇場の構造の何かに欠陥があるらしい。翌日、劇場スタッフはパニック状態になっていた。
 11月1日、朝日新聞に朝倉摂さんが新国の『紙屋町』は声が通っていないとコメントしていた。3日、山崎もマチネーを観に行った。正面以外のセリフは全部だめだった。ちょっと役者が横に振ると、極端に声が不鮮明になる。ワイヤレスマイクを使っているのに、どうしてこんなことになるのか。しかし、それにもかかわらず芝居は感動的だった。
 と、まあ、いろいろなことがありながらも、12月1日の稽古が始まった。山崎はメモをまとめる。そのなかに「リアは唯我独尊」「気が狂うまでのその過剰」「リアの愚かな過ち」「リアの女性嫌悪」「脱ぎ続けて裸になるリア」などの言葉がある。
 ちなみに稽古開始までの数カ月、山崎は初孫に恵まれたり、体調を壊したりしている。そんなときはぼくと同様、葛根湯を愛用しているようだ。

 稽古は顔合わせから始まる。次の10日間は本読みである。山崎は自分の声を入れたテープをイヤホーンで聞きながら稽古通いをする。すでにセリフは完全に入っている。
 山崎は当時61歳を迎えていた。けれども稽古に入ってからは、つまり相手役が絡むようになってからは、なんとか80歳の老いたる者としての体躯と心情と愚かさに浸れるようにしていった。そんなこと、どういうふうにするのかぼくには見当もつかないが、山崎にはこの業界独特の「老ける」というための充分のキャリアがあるのだろう。
 演出の鵜山仁のダメ出しも始まった。最悪なのはわざとらしい新劇節である。これはなぜか若い俳優に多いのだ。

 12月12日からはブロッキングである。立ち稽古のスタートだ。ブロッキングは「ミザンス」とか「粗立ち」とも言うが、ラフな動きをスケッチしていくことをいう。役者たちによる編集が始まったのだ。
 ブロッキングをしていくと、またまた台本の流れに対する「読み」が変更されてくる。よくぞここまで「読み」の変容に取り組んでいると思うばかりだが、やはり体が動いてセリフを言い、そこに相手が絡んでくれば、そういうふうになっていくのだろう。
 ぼくの例をいちいち挟んで申し訳ないが、ぼくの場合はこれはソロ講演ではなくて、対談やインタビューの時の「具合」の作り方にあたる。1時間なら1時間の、2時間なら2時間の話のブロッキングを、ぼくはぼくなりに読みながらつくっていく。ちなみに日本のシンポジウムでは、このブロッキングはあまり効果が出ない。ナビ役のぼくが暴走してみせるしかないことが多い。

 山崎の「読み」はしだいに本質的なものに向かっている。とくにリア王が長い旅の末にどこに辿り着いたのか、そこが把握しにくくなっていたため、そのゴールの問題を考えこむようになっている。
 山崎は大いに煩悶しつつも、リアがコーディリアに謝罪するところに終着点をおこうと決めた。ということは、「こらえてほしい。頼む、忘れてくれ。赦してくれ。わしは老いぼれで阿呆なのだ」のセリフがきわめて重大になるということだ。
 ところが、さらに続けて次々にブロッキングをしていると、この結論がいささかあやしくなってきた。リアはひょっとしたら最初の起点に戻っているかのようにも思えるのだ。壮大な循環がおこったようにも見えるのだ。これじゃニーチェ(1023夜)になりすぎる。けれども山崎は、それでも新たなリア王の到達点を設計することにした。
 コーディリアの屍(しかばね)を抱いたリアを“逆ピエタ”の逆マリアと捉え(ミケランジェロの『ピエタ』像の逆)、ここに長い旅の末に他者を見いだしたリア王を結像させたのだ。12月17日のメモには、「リアは変わったのだ、ともかくこれで行く」とある。

 12月21日の真夜中の午前3時、伊丹十三が飛び降り自殺したことを知らされた。茫然とした。
 23日、山崎はこの『俳優のノート』では初めて「俺」という言葉を使っている。「伊丹さん、ちょっと待ってくれ。俺はいま演らなくてはならないんだ」というふうに。実は本書では、山崎はいっさい第一人称を使わないで綴ってきたのだ。このこと、とても考えさせる。
 12月25日には三船敏郎の訃報がとどいた。三船とはお互いに演技を真似しながら切磋琢磨させてもらったようだ。
 クリスマス前後、山崎は自分の稽古の演技にノッキングが出てきたことを警戒するようになっていた。完全におぼえたはずのセリフが出なくなることもおこっていた。それでも12月29日には初めての通し稽古が始まると、そんなことを言っていられない。「骨の髄までさらけ出すことだ」とメモにある。
 年が明けて元旦。「伊丹さんのことが頭を離れない」と綴っている。「彼は自ら決着をつけたが、リアは生ききる。最後の一呼吸までリアは生ききる。その最後の一呼吸を見せるつもり」とも綴っている。

 山崎努のような名優でも、緊張やパニックや茫然自失はおこるようだ。パルコ劇場の一人芝居で話題になった1992年初演の『ダミアン神父』の初日のことである。
 開演の1分前に、突然に猛烈な恐怖に襲われた。これから2時間、自分一人で芝居を背負うのかと思うと、足ががくがくしてきた。重症だった。いや発作のようなものだ。なんと最初のセリフが思い出せない。
 幕開き30秒前、演出補と握手し、暗闇のなかの袖幕の奥にスタンバイしたのだが、もうだめだった。「公演は中止だ」と心で叫んだ。その直後、何かが急展開した。これは100年前に死んだダミアン神父の話なんだ、そのダミアンがいま自分の体を借りて喋るだけなのだ、よし、ダミアンに体を貸そう、そう思った瞬間、パニックがぴたりとおさまった。
 さすがの山崎にも、こういうことはよくあるようだ。ぼくの体験などくらべものにならないが、ぼくにも実は3回ほど愕然とするほど動悸がはやまって、立ち往生したことがある。そのうちの一回はやむなく一礼をして「ちょっとトイレに」と言って深呼吸して戻り、別の一回は演壇から舞台袖のスタッフに「すみません、ホワイトボードを出してください」と言って、ごまかした。以来、ぼくの講演にはまさかのときの助け舟として、しばしば黒板やホワイトボードが用意されている。
 一方、山崎は、このように「登場人物に自分の身体を貸し出す」というイリュージョンこそが重要であると確信していくようになったらしい。
 このこと、ぼくも学びたいけれど、ちょっと真似ようがない。もっとも、こんなことはあった。田中泯が踊って、ぼくが万葉集を舞台上で読んだとき、ぼくはふいに人麻呂や家持に体を貸していた。

NARASIA「記紀万葉フォーラム」にて、踊る田中泯と万葉集を詠む松岡正剛

 1月8日。初日まであと9日間である。
 ところが、ところがである。通し稽古を撮ったビデオを自宅で見て、愕然とした。まったく芝居が成立していないのだ。いったい何だ、これは! こんなはずはない! 
 鵜山に電話したが、まだ帰っていない。やがて電話がきてビデオのことを話すと「ビデオには芝居は写りませんよ」と言う。「ビデオなんて撮るからいけないんです」とも言われた。そうだよな、ビデオに芝居が写るはずがないんだと言い聞かせた。それでも不安だったので、翌日女房にビデオを見せたところ「何が何だかさっぱりわかりません」と言う。
 そうか、ビデオではビデオ用の芝居が必要なんだ。けれどもここにきて、そんなことにこだわっている暇はない。ほったらかしにして、舞台に専念するしかなかった。むろん動揺もあるのだろう、山崎は正直に次のようなことを記録している。
 グロスターとの再会の場の狂気の長セリフ、あれは結局は何を言っているんだっけと、鵜山に聞く始末だったのだ。鵜山は「あのセリフには誕生から死まで全部入っているんです、それを演ればいいんです」とあっさり答えてくれた。「どうも脳と神経のジョイントがどこかで外れている」と書いている。
 このような山崎のメモは、なんだか胸を突く。ぼくの場合は講演などで喋るとき、誰もヒントをくれたことがない。「連塾」などでは約5時間ほどを“演じる”のだが、こんな服装のほうがいいですよ、もう少し声を張ったほうがいいですよという程度のヒントをもらうだけなのだ。そこで思うのは、そろそろ「知」や「トーク」にも秀れた演出家や補助演出や、あるいは“仕掛け”が必要ではないのかということだ。

 1998年1月17日。初日がやってきた。12時に楽屋入り。1幕だけメイクも衣裳もつけずに通しをする。好調だ。
 お赤飯の弁当を食い、メイクにとりかかり、衣裳をつける。ここで守りに入ったら死んだも同然だ。開演15分前。ユンケル黄帝液を飲み(へえ、やっぱりこういうものを飲むんだ)、煙草を喫った(これが一番)。そのうえで歌をうたった。「荒城の月」だ。これは意外だ。ふーん、そうなのか、ここで好きな調子の歌をうたうのか。
 開演5分前。いよいよ板付きだ。今度は「埴生の宿」をハミングした(そうか、ここでも幼いときの歌なのか)。これで完全にリラックスしたらしい。さあ、ここからは、この身体をリアに貸し出すのだ。

 公演が始まってからの山崎の日録はたのしそうである。ちょっとした失敗さえたのしんでいる。
 ただ、観客の笑いが意外に多いのを訝っている。とくに4幕6場のグロスター自殺の前後で、観客の笑いがエスカレートしているのには驚いた。むしょうに腹がたってきた。テレビのコントじゃねえんだぞ。范文雀も怒っていたようだ。ちなみに范さんの演技はかなり絶好調だったようだ。
 こうして千秋楽が近づいてくる。そうすると、役者というもの、淋しくなるらしい。そしてまたすぐに新たな芝居をしたくなるらしい。ほんとに、役者というのは嬉しくなるほど、性懲りもない奴たちなのである。

 これで本書の案内はおわりだが、ついつい「暴走する老王」のさまざまな綻びを俳優山崎がどのように“生きた人格”として修復させたのかというところを強調することになった。
 これは、ぼくが8歳年上の名優から何かを学び取りたかったからである。俳優と編集が似ていると言いたいわけではない。似ているところはけっこうあるけれど、そういうことよりも、一人の人物にどっぷり入れこんで、その世界観を浴び続け、そこから脱魂していく方法力に関心があるのだ。そこに独特の魂振りと魂鎮めがあるからだ。
 そういえばかつて岩井寛(1325夜)さんが、「山崎努さんという役者は、本気でその役になりきっていくようですね」「それも映画というより、芝居のときに徹底されているようだ」と言っていた。また、そのために「準備」「稽古」「公演」の連続に徹底して付き合ううちに、心身の変形さえおこしても辞さないような勇気をもっておられるようですねとも、言っていた。
 きっと、そうなのだろうと思う。
 けれどもその一方で、山崎にはたいへん知的なバランス力もあるようにも思う。『柔らかな犀の角』(文芸春秋)という読書日記があるのだが、これを読むと理解の幅がとても柔らかく、動きをもっている。鶴見俊輔、佐野洋子、武田百合子、池澤夏樹などを読んだ感想を綴ったものなのだが、片寄っていないのだ。週刊文春に連載されていた。
 とくに熊谷守一への傾倒には、何か俳優山崎努を解明するヒントが隠れていたように感じた。クマガイ・モリカズ翁は、日本の陽気なリア王なのである。

「芝居を作る事は、自分を知るための探索の旅をすることである」
(本書より)

 

⊕俳優のノート⊕

∃ 著者:山﨑努
∃ 発行者:羽鳥好之
∃ 発行所:文藝春秋
⊂ 2013年10月10日 第一刷発行

⊗ 目次情報 ⊗

∈ 日記までのこと
∈ 日記
∈∈ 準備
∈∈ 稽古
∈∈ 公演
∈ あとがき
∈ 日記索引
∈ 解説:香川照之

⊗ 著者略歴 ⊗

山﨑努(やまざき・つとむ)
1936年、千葉県生まれ。都立上野高校卒業後、俳優座養成所を経て文学座に入団。60年、戯曲『熱帯樹』でデビュー。同年『大学の山賊たち』(岡本喜八監督)にて映画デビューを果たし、63年には映画『天国と地獄』(黒沢明監督) の誘拐犯役で注目を集めた。以降、テレビ番組のナレーターを務めるなど、幅広いジャンルで活躍している。主な出演作品(時代順)に『太陽は呼んでいる』『女の歴史』『赤ひげ』『姿三四郎』『新仁義なき戦い 組長の首』『八つ墓村』『皇帝のいない八月』『夜叉ヶ池』『影武者』『スローなブギにしてくれ』『お葬式』『タンポポ』『マルサの女』『舞姫』『利休』『静かな生活』『サラリーマン金太郎』『GO』『模倣犯』『刑務所の中』『世界の中心で、愛をさけぶ』『映画 クロサギ』『クライマーズ・ハイ』『おくりびと』『カムイ外伝』『キツツキと雨』『奇跡のリンゴ』(映画)、『じゃじゃ馬ならし』『ドン・ファン』『榎本武揚』『コリオレイナス』『冬のライオン』『ピサロ』『リチャード三世』『夏の夜の夢』『ヘンリー四世』『ダミアン神父』『リア王』(舞台)、『松本清張シリーズ』『新・平家物語』『必殺シリーズ』『うしろの正面』『祭ばやしが聞こえる』『ザ・商社』『早春スケッチブック』『火曜サスペンス劇場・九門法律相談所シリーズ』『阿部一族』『世紀末の詩』『少年たち』『天下騒乱〜徳川三代の陰謀』『クロサギ』(テレビドラマ)、などがある。2000年に紫綬褒賞、2007年には旭日小綬章を受章。著書に『柔らかな犀の角 山崎努の読書日記』(文藝春秋 2012)がある。

 

 

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