ヴィレム・フルッサー
デザインの小さな哲学
鹿島出版会 2009
ISBN:4306045404
Vilém Flsser
Vom stand der Dinge 1993
[訳]瀧本雅志
編集:川尻大介 装幀:伊藤滋章
デザインの語源は「計画する」だ。
それは先行する「しるし」を生かして、
その周辺を前方に脱出することだった。
つまりデザイン(構成化・意匠化)とは
「脱しるし化プロジェクト」のことなのだ。
いま、そのようにデザインを
前方にプロジェクトしているデザイナーが、
どこに、どれくらい、いるだろうか。
ヴィレム・フルッサーと松岡正剛が、そこを問う。

 氏のプラハ、育ちのブラジル。世界都市としてのフランスを背景にして、主としてドイツ語で思考するヴィレム・フルッサーについては、そのちょっと風変わりな思想風土も興味深く、「情報」や「コード」の扱い方にもたんなるコミュニケーション屋ではない視点もあったので、20年ほど前からときどき目を通してきた。
 翻訳されている主著はドイツ法学に強い村上淳一による『サブジェクトからプロジェクトへ』『テクノコードの誕生』(東京大学出版会)、意外な視点からの『写真哲学のために』(勁草書房)、および本書である。なかで「サブジェクトからプロジェクトへ」という提案が好ましかった。

 フルッサーは、プロジェクトを「知性が状況を変えるためにそこへ投じる網」というふうにみなした。網とは知的ネットワークのことをさす。
 フルッサーによれば、プロジェクトというのは知的ネットワークを投げ網ふうに投じておいて、その糸の結び目ごとに、計画を“前に”(pro-)進めていくことなのである。そうすることが、紙の上で静止的になりがちなサブジェクトを次々に動的なプロジェクトに変えていく。そういう見方だ。
 フルッサーは、世の中の計画がサブジェクトで埋められすぎて身動きできなくなり、その後にデザインの場面が後発的に登場していることに懸念を表明したのだった。

講義するフルッサー

 こういう見方は特別に新しいものではない。グランドデザインの当初からの参画を強調しているにすぎないし、あるいは「世界・内・存在」のありかたを考究したハイデガー(916夜)が重視したドイツ語の「投企」を、一般英米語の「プロジェクト」に発展させたにすぎないともいえるし、それにあたって、サブジェクトを「主題」から「従属者」に読み替えたにすぎないともいえる。
 そうではあるのだが、フルッサーがこのようにプロジェクトをとらえることこそ「デザインする」ことだと頑強に言い張ってきたのが、頼もしくもあった。『サブジェクトからプロジェクトへ』には、「都市をデザインする」「身体をデザインする」「技術をデザインする」というふうに、都市・家・家庭・身体・性・子供・技術・労働という8つの領域をプロジェクトすることを、すべて「デザインする」とみなしていた。
 つまりフルッサーは、プロジェクトにおける仕事上のコミュニケーションの成立は、何らかのデザインフレームがネットワーク状の網目を通過するときに、やっと本物になると言っているわけなのである。

 ところでぼくは、歴史上のすぐれたデザインやデザイナーにはおおよそ目を凝らしてきたが、そして多くのすぐれたデザインワークを建築からファッションにいたるまで、それなりに評価してきたつもりだが、デザイン論にはけっこう厳しい目で接してきた。
 その手のものをいくら読んでも、唸るようなデザイン論にお目にかかれなかったからだ。とくにグラフィックデザインについての議論がつまらない。
 ウィリアム・モリスや榮久庵憲司くらいでは困るのだ。原弘(1171夜)から佐藤可士和まで、みんな中途半端なのだ。せめてジョン・ラスキン(1045夜)やヴァルター・ベンヤミン(908夜)やパウル・クレー(1035夜)が下敷きになっていなければならない。
 ところが、それがない。だからデザイナーによるデザイン論をずっと諦めの境地でしか眺めてこなかったのだが、最近は、これはひょっとすると、かれらがデザインというものの母型に介入しようとしていないからだろうとも、デザインの本質にマジックやトリックがあることを認めないからだろうとも思うようになった。

ジョン・ラスキン「アルプスの断片」(1854-56)
ラスキンは少年時代から鉱物に夢中で、地質学への造詣も深かった。

分節とは何かを追究し続けたパウル・クレー
『造形思考』より「宇宙のリズム」のスケッチ。

 そもそも構成化と意匠化を志してきたデザインには、幾つもの歴史的なルーツがあった。だからこそそれが建築にも家具にも、鉄道にもファッションにも、工業製品にも広告デザインにも、ショップやパッケージにもなってきた。
 そのルーツも多岐にわたる。たとえば、生命体がもつ形態や色彩に発するものはすべてデザインの起源だし、山川草木や水の流れにヒントをもらった意匠や意表は数知れない。アルタミラの洞窟や幾何学に発する輪郭の獲得のプロセスも、道具や機械の機能の力がもたらしたアーキタイプも、脳の認知運動や身体の動作との関係から生ずる動的プロフィール性も、基本モジュールが組み合わさって、デザイン的到達をめざしてきたわけである。
 諸君が毎日寝起きしている部屋だって、もとはといえば墳墓や家屋や家具の間仕切り感覚がもたらしたものの成れの果てなのだ。シャネルやプラダやルイ・ヴィトンの半透明めくショップビルだって、もとはといえば擬似生命多様体からの借り物なのである。

1879年に発見されたアルタミラの洞窟壁画

プラダブティック青山店(2003年5月竣工)
スイスのヘルツォーク&ド・ムーロンによる彫刻的な建築。

 けれどもこれらにルーツをもつデザインも、やがて近代になると、次のような変遷を浴びざるをえなくなり、しだいに変貌をとげた。
 ごく簡略にいうけれど、最近のデザインは、(1)生産と売行きの曲線のなかで問われ、(2)各種のメディアとの相克のなかで期待され、(3)獰猛なマーケティング理論の跳梁のなかで追われ、および(4)アートとポピュリズムの葛藤とのあいだで恰好をつけ、さらには(5)クリエイターぶるデザイナーの自意識のなかで、勝手な紆余曲折をくりかえしながらさまよってきた。
 それでもデザインは、その折ごとに成長し、転換をはかってもきたし、また挫折もし、歪みもし、またすっかり遊び惚けてきたわけだ。

 かくしていまや、多くのデザインは商品に接する消費者の欲情を触発するためのものに堕してばかりいる。
 おまけに時代社会はフルッサーの予想をはるかに上回って、ソーシャル・ネットワークの網目にそうとう覆われてきてしまったので、消費者の欲情すら複雑な物語回路を通過しながらしか意思決定できなくなって、ついにはアクセスランキングによるリコメンデーションに頼らないと購買衝動すらおこらなくなっている。
 かくして誰も、大枚かけた広告デザインの“美と説得力”などには目をくれなくなってしまったのである。

 しかし、ここで迷ってはいけない。どんなデザインにも、そのデザインをデザインたらしめてきた母型たちが関与したはずなのである。
 この母型はデザインの歴史のなかで何度も出入りをくりかえし、その時代社会ごとの表現者のフィニッシュにかかわってきたはずだった。

 ここで母型というのは、デザインの起源にひそむマザータイプあるいはマザーコードということである。デザインを生み出してきた「母なるものたち」といった意味だ。歴史・民族・社会・衣食住・心理などの奥にうごめく“デザイン原郷”のようなものだ。
 どんなデザインにも、このデザイン原郷としての“デザインマザー”ともいうべきものがあったはずだった。海、樹木、太陽、顔、家、机、椅子、ベッド、食器、紐、みのり、果実、花、流れ‥‥。これらはどんなデザイナーたちもどこかで自分のデザインワークに使ってきたデザイン母型というものだ。土偶、古代文字、土器文様、埴輪にも、どんな民族のテキスタイルにも、それらは刻印されている。
 デザインは、このような“デザインマザー”にひそむタイプやコードをもとに、そこからデザインというモードを誕生させていったのである。そんなことはデザインと文様の歴史を見れば如実にあきらかだ。
 問題は、この母型がコードプロジェクトをモードプロジェクトに向けさせていくときに、何をおこしてきたかということである。そこを読み違えてばかりいると、いつしかデザインは消費者の欲情すら刺激できないものになっていく。

日本の形代(かたしろ)である土偶と埴輪

縄文時代中期につくられた火焔土器

 デザイン母型が、その後のデザインを根本的に起動させてきた一群であることはあきらかだろう。ここまでは言うまでもない。だが、ここで注意もしくは注目すべきなのは、その根本的起動の次の段階で、デザインワークに何がおこってきたのかということだ。
 母型にもとづきつつも、そこに何らかの意匠を与えていくデザイニングの方法は、たしかに一方では太陽や波や顔の形象を保存するように母型のマザーコードをそのまま継承するのだが、他方では母型を骨法だけのこしつつもその表現にあたっては、実はきわめてマジカルで、かつまたトリッキーな造形に転じていったはずなのだ。
 花の形態や色付け、魚類の大胆なフォーム、昆虫の擬態、神々に異形が多いこと、結びの意匠‥‥。母型を生かしたデザインはすこぶるトリッキーで、マジカルにならざるをえなかったのだ。
 なぜそうなのか。「目立つ」必要があったからである。あるいは「隠す」必要があったからだった。 

斜縞銀杏葉模様の辻が花

出雲大社の大しめ縄

戦国武将の旗指物の一部

 生物の世界にはその特質があらわれるにあたって、二つの継承と発現の方法があった。遺伝型と表現型である。ジェノタイプとフェノタイプという。遺伝子が組み上げる遺伝型のプロセッシングに対して、表現型は環境や他生物との相互作用がつくる特徴の決定的な表出になる。
 遺伝型が失われるのではない。ゲノムコードの継承はそのままに、そのうえで表現型が生物の“見た目”のモードをエピジェネティックに特徴づけていく。ニッチをめざしていく。エピジェネティックというのは“後成的に”という意味だ。
 自然界や生物界では、このエピジェネティックな表現型において形態決定の最大の目論みが発揮されたのだ。

 ぼくはこれとほぼ同様のことが、デザインの歴史においてもおこってきたとみなしている。いくらでも例がある。
 わかりやすい例でいえば、古代ギリシア様式がいったんヘレニックな転換をうけて古代ローマ様式がまざったあとのグレコローマン・モードがそうだろうし、インド発祥の仏教がシルクロードを進んで敦煌あたりに達したときに浄土教モードが発現したのもそうだった。
 キリスト教がアフリカに届いたときに開花したコプト・モード、真名から仮名が生じたのちの左右非対称の和風表現モード、ジンギスカン型イスラムが16世紀にアクバル大帝を得て発現させた突然のムガール様式、ヴェネチアやジェノヴァの遠洋貿易がアントワープをへてロンドンに転換されたときの市場カンパニー様式、光の粒子説の再沸騰による点描法や印象派の勃興、ロシア革命の噂がなだれこんで以来の日本のアナーキーな浪漫主義様式‥‥。
 このような例は、それこそ何度も何度も品を替え形を変えてあらわれたことだった。それは何かを目立たせ、何かを隠してきた様式の歴史だったのだ。

グレコローマン・モードの一つであるドリス式のゼウス神殿
紀元前5世紀、アテネに建立した。

コプト花盃文(かはいもん)
古代エジプトのプトレマイオス王朝にて織られた。

模様や文字を描き、競い合った平安時代の遊びである貝合わせ

16世紀にムガール朝の都として繁栄したラホールの城塞

ジョルジュ・スーラ(1859 - 1891)は点描絵を描きつづけた

 どうも、デザイナーは文明と文化の様式から自立していると思いすぎている。ずいぶん思い上がってきたものだ。
 もっと大局を見たほうがいい。編集とデザインの関係だって長らく「エディティング=デザイン」として、ほぼ一緒の歩みを進んできたのだった。編集にとってもデザインにとっても、多くの文明文化の母型が一緒だったからだ。
 エディティングワーク(編集行為)が古代ギリシアこのかた「アナロギア(類推)、ミメーシス(模倣)、パロディア(諧謔)」を主要な技法としてきたことは、すっかりデザインワーク(意匠行為)にもあてはまるのだ。

 けれどもとはいえ、やがてエディティングワークはその母型のなかに独自に内包していた言語性を全面的なエンジンとするようになり、もっぱらリテラルな構成と表現を担当したわけだ。一方のデザインワークのほうは、そのぶんヴィジュアルな構成と表現に向かうようになったわけである。
 これは編集とデザインが同じ母型をルーツとしながらも、その表現型においてはそれぞれ独特の構成表出力をもっていったということだ。
 このとき、編集は歌や物語というモードとそのための韻や反対語や比喩などのレトリックを発揚し、デザインはその技法に輪郭検出、明暗描法、トロンプ・ルイユ、遠近法などのトリックを用いるようになったのである。

 編集もデザインも、母型をそのまま後代で援用するのではなく、そこにリテラル・レトリックやヴィジュアル・トリックをくっつけることに、すこぶる長けていったのだ。それはどちらもきわめてマジカルな方法の発現だった。
 こうして、神話・説話・文学が言葉による呪能を発揮したように、デザインもはなはだ呪能的になっていったのである。

 ところが多くのデザイン論は、いま言ったようなことをちゃんと明確にしてこなかった。デザインが母型にもとづいていることも、そのうえでかなり勝手な変形を施してきたことも、白状してこなかったのだ。
 これではいつまでたってもデザイン論はつまらない。こういう停滞は早く脱却したほうがいい。

 そんなことをそろそろ書かなければならないなと感じていたとき、フルッサーの『デザインの小さな哲学』を読んだ。
 全体はたいしておもしろくなかったが、デザインをめぐる着地点には同意した。以下、フルッサーのエッセイにぼくなりの解釈と説明を加えて、そのおもしろさだけを浮上させることにする。

 デザインがどういうものであるかということは、「デザイン」という呼称の由来にヒントがつまっている。
 まずもって、デザイン(design)という言葉は、ラテン語の“designare”から派生したことを肝に銘じておくといい。これは「計画したことを記号にあらわす」といった意味をもつ。このラテン語はその綴りの中に「しるし」(signum)を含んでいる。サイン、シーニュ、記号、図標を含んでいる。が、ここで早合点をしてはいけない。
 しかしながらみんな勘違いしているようだけれど、「しるす」ことがデザインなのではないのだ。そうではなくて、“de-signare”は語源的には「脱-しるし化する」ということなのである。この「脱-しるし」というところが、「デザインする」の最も母なるところなのである。

 ラテン語の“designare”で「計画」とみなされているものは、けっこう多義にわたる。予定的な計画、意図、狙い、プランニング、陰謀、形にしようとする作業、基本的な構成をする、などなどを含む。
 そのため、この言葉を動詞的につかうと、つまり「デザインする」というふうにつかうと、策略や詐術を用いるとか、下絵を描くとか、何かを考え出すとか、装う、スケッチするとか、戦略的に処置するといったニュアンスになる。下絵を描くことと作戦を練ることは、まったくの同義だったのだ。
 これでわかるように、「デザインする」にはもともとトリック的な策略や詐術を肯定するものが動いていたのだった。ピラミッドや観音菩薩像やトロイの木馬をつくりだして、これによって見る者を作戦的に驚かせること、それがデザインであったのだ。

大阪府藤井寺市・葛井寺にある千手観音坐像

 デザインが策略や詐術にかかわっているなんて、そりゃひどすぎる見方だと感じたり、そんなことは納得がいかないという諸君も多いことだろう。気持ちはわかる。
 が、これは諸君のほうが狭すぎるのだ。その理由のひとつには、そのようなデザイナーの諸君は数学や科学や戦争や機械のことをあまり理解していないだろうということにある。もうひとつには「意味」というものを軽視しているだろうことにある。

 ピタゴラスが直角三角形の解法を見いだしてこのかた、インド数学が「ゼロ」を導入して以来、数学は自然についての理解の計画を数学記号におきかえるということをしてきた。これは実のところ、エディティング=デザインとしての数学的なレトリックであって、トリックなのである。
 他方また、赤い皮をつけた甘い果実を「リンゴ」と名付け、それを人類がヘビに唆されて食べ、ニュートンがリンゴを月に見たてて万有引力を発見し、そのリンゴのイメージをニューヨーク市やアップル社のシンボルにしていることが、すべて「意味の作用」のヴァリアントだということを、デザイナーたちは看過しすぎているのである。

 かつてデザインが魔術や呪術であったことを、また、いまなおそうでありつづけていることを、いまさら軽視してはならず、曲解してもいけない。
 人類の歴史は、かつてもいまもポイエーシス(制作)の歴史なのである。このことはDNAからスマートフォンに至るまで、神仏のイコンから初音ミクに至るまで、ことごとくあてはまる。それらはずっと「脱-しるし」のためのリプリゼンタティブな歴史であったと言うべきなのだ。

 万事は「意味の制作」の歴史だったのである。こんな事情は、自然の脅威に神々の名と肖像(イコン)をマジカルに付与したときから、ずっと始まっている。世界中の民族が文字というタイプフェイスを手にしたときから始まっている。
 このような「意味の制作」は、人間が自然にかかわって、そこに「ルル3条」(ルール・ロール・ツール)を打ち立てるには、どうしても必要だった本来的な策略であり、工夫に満ちたエディティング=デザインであり、もっとわかりやすくいえば、文明文化のコミュニケーションのための創造的詐術だったのである。

18世紀にウィリアム・キャスロンが制作した書体見本
イギリス系のオールドスタイルなタイプフェイス。

 それにしても、多くのデザイナーは、自分がしていることが感覚や直観のおかげだなどと思っているのだろうか。デザインは個人のセンスを磨けば事済むものだ、それなりのアピール力が増すものだと思っているのだろうか。
 そうだとしたら、ずいぶんおめでたい。仮にそういうところがあったとしても、すぐれたデザインは昔も今も文明と文化にかかわる魔術や呪術の発揚だと思うべきなのである。
 すでに20世紀メキシコのとびぬけた遊学詩人オクタヴィオ・パス(957夜)が断言していた。インスピレーションとは歴史的物語の起爆をうながす一撃のことであり、民族や歴史や社会の記憶にもとづかないものなんて、ありっこないものなのだ、と。どんな思いつきであれ、そのエディティング=デザインは文脈的なのである、と。
 今夜はこのあたりのことを、ヴィレム・フルッサーに倣って「サブジェクトからプロジェクトへ」という範疇で見つめておいた。デザイナー諸君、よろしかったですか。

 

⊕デザインの小さな哲学⊕

∃ 著者:ヴィレム・フルッサー
∃ 訳者:瀧本雅志
∃ 装幀:伊藤滋章
∃ 編集:川尻大介
∃ 発行者:鹿島光一
∃ 発行所:鹿島出版会
∃ 印刷・製本:荘光舎印刷
⊂ 2009年12月25日 第1刷発行

⊗ 目次情報 ⊗

∈ 1.基礎から
∈∈ デザインという言葉について
∈∈ デザイナーの眼差し
∈∈ 形と定式について
∈∈ 神学としてのデザイン
∈∈ インダストリアルデザインにおける倫理
∈ 2.物のありようへ
∈∈ 戦争と物のありよう
∈∈ デザイン:障害の除去のための障害
∈∈ 傘とテント
∈∈ 梃子は反撃する
∈∈ いったいなぜタイプライターはカタカタいうのか?
∈ 3.形成されたものと建設されたもの
∈∈ 潜水艦
∈∈ 製作の場
∈∈ 裸の壁
∈∈ エメンタルーズのように穴だらけになって
∈∈ ヴィトゲンシュタインの建築
∈∈ ブラジリア
∈∈ 都市計画
∈ 4.地平の彼方へ
∈∈ シャーマンと仮面の踊り手
∈∈ 形相と資料
∈ 5.物ならぬモノ
∈∈ 物ならぬモノI
∈∈ 物ならぬモノII
∈ 訳者あとがき

⊗ 著者略歴 ⊗

ヴィレム・フルッサー
哲学者。1920年チェコスロバキア生まれ。ユダヤ人の家庭に生まれ、ナチスの迫害を逃れ、1940年にブラジルに亡命。写真をはじめとするメディアに関する哲学を展開した。講演のため亡命後にはじめてプラハを訪問した帰途、自動車事故により1991年没。

⊗ 訳者略歴 ⊗

瀧本雅志(たきもと まさし)
岡山県立大学デザイン学部准教授。表象文化論、哲学。1963年生まれ。京都大学文学部卒業、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学博士後期課程修了。

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