ジェームズ・バリ
ピーター・パンウェンディ
偕成社文庫 1989
ISBN:4834006220
Sir James Matthew Barrie
Peter and Wendy
[訳]芹生一
装幀:工藤強勝 挿画:E・D・ベドフォード
二つ目の角を右にまがって、それから朝までまっすぐ!
ピーター・パンが光の粉を振って、そう叫ぶと、
みんなはネヴァーランドに飛んでいった。
そこは母のない子と、人魚と海賊の国だった。
しかしピーター・パンは半ちらけなのである。
大人になりたくない少年なのではなくて、
少年の心に宿る「つもり」の化身なのである。
その「つもり」がすべての大人の「ほんと」を破るのだ。
ジェームズ・バリは、なぜこんな物語をつくったのか。
今夜は諸君を、必然と偶然のほかに
「当然」がある国に、ほんの少々お誘いしたい。

 ぼくが仕事と人生の多くの日々を費やして試みてきたことは、「ほんと」と「つもり」をどのように近づけるかということだった。
 「ほんと」と「つもり」の関係だなんて、たいしたことではないだろうと思うだろうが、とんでもない。いざその正体と二つの関係を測定しようとすると、なかなか容易なことではないことがすぐわかる。「ほんと」は実際におこったことで、「つもり」は希望や予定のことだなんて思っていると、みごとに足元をさらわれる。
 そもそも「ほんと」とは何かということがとても難解なことなのだ。現実におこったことが「ほんと」だろうとしても、朝は晴れていた、ビスマルクは鉄血宰相と称ばれていた、俳句をつくった、この道はいつか来た道、村上春樹の新作をざっと読んだ、内閣が改造された、自社株が下がった、母親の病気が重い、友達とコーヒーを飲んだ、シリアにイスラエルからの爆撃があった、チラシのデザインを仕上げた、といったことの、いったいどこからどこまでが「ほんと」かを説明するのは、えらく大変なのだ。
 それ以上に、「つもり」の正体なんて、ほとんど抜き出せない。連休は海外旅行に行く、信長は野望をもっている、あなたが好きです、この映画は当たるだろうね、銀河系には生命があるにちがいない、あしたの遠足なんか行きたくない、リンゴを剥きますか、発車まであと数分、この歌うたえるかな、あの件はチャラにしたい、なんてことから、「つもり」の部分だけを抜き出すのは至難の技なのだ。世間ではおそらくは「つもり」から「ほんと」を引いたところを勘定したいわけだろうが、そうは問屋が卸さない。
 それよりいったん、すべてが「つもり」で出来ているのだと見たほうがうんといいい。このことは、幼い少年と少女以外の誰もがわかっちゃないことなのである。そう、かれらは「つもり」こそが「当然」なのだから。

 今夜は世の中のピーター・パン擬似幻想をちょっとばかり変更したくて、多少はファンタジックだけれど、実はうんとフィロソフィカルなことを綴ることにした。
 世間ではピーター・パン症候群などという、「大人になりたくない病」がはびこっているとまことしやかに語られてきた。ピーター・パンは大人になりたくなかった少年で、それは少年のモラトリアムか非成熟だと判定されてきた。しかし、ジェームズ・バリが問うたピーター・パンはそんなことを強調したかったわけではなかった。
 ジェームズ・ディーンの『理由なき反抗』やフランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』はティーンエイジをみごとに描き出したけれど、バリがピーター・パンに託したことはそういうティーンエイジの社会観ではなかった。ローティーンよりもさらに年下の少年少女は、「おとな」が確信できない「つもり」をいっぱいもっていることを綴ったのだった。
 そして、その「つもり」のほうが確信できる超編集的な世の中があってもいいと思ったのだ。
 バリが問うたのは「おとな」と「こども」の対比などではない。幼い子供にとっての「ほんと」と「つもり」と、思春期以上の大人にとっての「ほんと」と「つもり」では、器量や壊れやすさや矛盾のぐあいのちがいが根本において異なっていて、それを理解するにはどうすればいいかということだったのだ。それをとりあえず“バリの存在予告”と言っておく。

 あらかじめバリの“名言”をひとつ、紹介しておく。バリの“存在予告”は次の一文に集約されていると、ぼくが思っているからだ。
 原文の英語は、こうだ。“The secret of happiness is not in doing what one likes, but in liking what one does”
 ふつうに訳せば「幸せの秘訣は、やりたいことをするのではなく、やらなければならないことを好きになることである」というふうになる。
 その通りだ。
 やらなければならないことを好きになること、それは仕事人の真骨頂でもある。ぼくもそうしてきた。編集の秘訣も、ここにある。だからバリが言いたかったことを理解するには、この「幸せ」のところをいろいろ言い替えてみるといい。たとえば、「仕事の秘訣はやりたいことになく、やらなければならないことを好きになることにある」とか、あるいは「感動はやりたいことに見いだせず、やるべきことから生じてくる」などというふうに。
 なんならもっと言い換えてもいい。「存在の秘密はその欲望の発露になく、かの偶然をこの必然にする価値観の当然を好きになることにある」などなどと。

ジェームズ・バリによる直筆メモ

ダムフリース・アカデミーを訪問し、
劇団の子供たちと交流するバリ(1924)

 しかし、こんな重大なことを少年ピーター・パンが告げているのかどうか、きっと訝しく思う諸君もいるだろう。バリがどんな「つもり」でそんなことを言っているのか、値踏みしたくる者もいるだろう。
 それは、諸君の心がやましいからなのではなくて、諸君が『ピーター・パン』をディズニー映画の延長か、子供の童話時代の“読み”でしか見てこなかったからだ。そういう諸君は、お節介のようだが、少し原作に当たったほうがいい。
 原作に当たったほうがいいのだが、ただしピーター・パン物語というもの、翻訳されたり児童文学として童話化されたり、映画になったりしているのは、どれもが総称「ピーター・パン」なので、これをバリの原作に沿って分けて少し振り分けて見る必要がある。まずはそのことを話しておく。

 新潮文庫の『ピーター・パン』は、原著が『ケンジントン公園のピーター・パン』(Peter Pan in Kensington Gardens)というものである。1906年に発表された。
 これはバリの最初の作品ではない。バリはちょこちょこ小説や戯作を書いていた。そのひとつに短編の『小さな白い鳥』(The Little White Bird)という小品があった。この作品がもともとの「ピーター・パン」ものの原作の原作にあたっていた。
 『小さな白い鳥』は、傷ついた心を負う軍人がケンジントン公園で白鳥たちを見ているうちに、池に飛ぶ白い鳥に子供たちの前身を見るという話だ。それが膨らんで『ケンジントン公園のピーター・パン』になり、その後半で初めて特異な少年ピーターが登場する。
 ところがこの『ケンジントン公園のピーター・パン』には、諸君が知っているネヴァーランドの冒険はまったく入っていない。ティンカー・ベルもフック船長もタイガー・リリーも出てこない。物語は冒険性に乏しく、はなはだナイーブで、その物語的心情はきわめてハイパーセンチメンタルなのだ。後半にいたってはピーター・パンもほとんど登場せずに、ネイミー・ナリングという少女の話が中心になる。
 それでもピーター・パンをかなりリミナル(境界的)な少年として描いているところが特長的である。たとえば「かわいそうに、どっちつかずの半端な子」とか、「おまえは中途半端なものになるんだよ」とか、そういうきわどいセリフがしょっちゅう入ってくる。
 つまり、この作品ではどこにも属することのない存在、人間でもなく鳥もない両義的な少年がピーターで、そのようなピーターこそが、バリが当初に到達したピーター・パン像だったのだ。

『ケンジントン公園のピーター・パン』初版本。
イギリスの出版社Hodder and Stoughtonから、1906年に出版された。
イラスト:アーサー・ラッカム

 念のため粗筋を紹介すると、話はケンジントン公園の詩的な描写を目で追うように始まって、蛇形をした池がしだいに広がっていくと、その向こうに島が見えてくる。
 ここですぐさま説明が入って、「どんな人間の男の子も女の子も、この島で生まれるのです、ただピーター・パンだけを除いて」というふうに不思議な設定が提供される。いや、もっと突き放した説明も入る。「ピーター・パンは半分だけ人間なのです」というふうに。ピーターは半ちらけなのだ。半ちらけだなんてずいぶん異様な結像だが、そういう結像がズバッと提示されるのだ。
 この話のなかでは、そもそも人間の赤ちゃんはみんな鳥だったという前提にもなっている。そして死んだ子供はツバメになって島に戻ってくることになっている。けれどもピーターだけは、生まれて7日目にケンジントン公園に飛び戻ってしまったため、鳥でもなく赤ちゃんでもない半分の存在になった。半存在だ。おかげで公園に住んでいる要請や鳥たちに怖れられてしまう。
 つまりピーターは面倒くさくいうなら「ネオテニーをうけたキマイラ」や「当初に傷をうけたキューピッド」であり、この島では「中途半端な異人」なのである。

 人間が上陸できない島に戻ったピーターはソロモン・コー老人と会う。この老人の話を聞いているうちに、ピーターは自分が「鳥ではない」ことに気がつかされ、自信を失って飛ぶことができなくなる。このあたりは、後のピーター・パンとはずいぶん違っている。
 やむなく島で半人間として暮らすことにするのだが、やっぱり公園に行きたい。とくにお母さんに会いたい。あるとき妖精の舞踏会ですばらしい笛の演奏をしたピーターは、妖精の女王から願いごとを叶えてくれると言われ、女王から飛べる魔法をかけてもらった。これでお母さんのところへ飛んでいけた。
 あとでも説明するが、この「お母さんのところへ行ける」というところが、バリが用意したもうひとつの根本問題だった。ピーター・パン物語は「母なるものの喪失」が主題になっているからだ。
 話戻って、妖精の女王の魔法は永遠ではない。ほどなくとける。シンデレラの魔法と同じだ。そこでピーターは公園に隠れていた4歳の少女に関心をもつ。
 公園は時間になると門が閉まるのに、この少女、その名をメイミー・ナリングという少女は、ちゃっかり隠れていた。こうしてピーターはこの少女が好きになる。けれども二人の会話は、なぜかうまく成立しない。メイミーが「キスしたい」と言うので、キスを知らないピーターがうっかり手を出すと、メイミーはポケットから指ぬきを出してその手に握らせる。ピーターはそれがてっきりキスだと思って、メイミーの手に今度は自分が大事にしていた小石をポケットから出して握らせる。
 キスは指ぬきであり、指ぬきが小石であり、小石がキスなのだ。これはピーターが「あたりまえ」すなわち「当然」を知らないためだとされるのだが、バリはここにおいてすでに、われわれの行為と言葉がひょっとしたら出会えない関係のあわいを含意しているということを、端的に示していた。「ほんと」と「つもり」はこのようにずれあうのだ。
 しかし、よくよく感じてみれば、キスと小石は同意義だっていいわけである。そういう当然がまかりとおる世界があったっていいわけだ。バリはそのような世界を描きたくて『ケンジントン公園のピーター・パン』を書いた。

 これでおわかりのように、初期には世に知られてきた元気なピーター・パンではない“異人ピーター”が描かれていた。けっこうギョッとする。
 その後、バリは劇作ばかりに手を染めるようになった。劇作には舞台がつきものだから、その評判は観客が多かったかどうか、その場の反応がどうだったかで、すぐわかる。けれどもバリが劇場を覗いてみると、自分の芝居はほとんど受けてはいなかった。がっかりだ。
 そのうちバリは、そのころ仲良くなった或る家族との甘美な体験をヒントに芝居を書くことを思いつく。或る家族というのは弁護士アーサー・デイヴィズとシルヴィア夫人の家族のことで、最初はジョージ、ジャック、ピーターという3人の子が、ついで2人がふえて5人の子がいた。バリはこの子たちと公園やデイヴィズ家で遊ぶようになり、海賊ごっこやファンタジーごっこをするようになった。
 こうして1904年頃に、このデイヴィズ家の子供たちとのごっこ遊びを下敷きにした『ピーター・パン 大人になりたがらない少年』という全3幕の戯曲を書いた(のちに5幕構成になった)。
 稽古をし、上演をしてみると、ヒットした。主人公は前作に出てきたピーターに似ていたが、新たなデイヴィズ家の実在少年のピーターでもあった。そして、ここにはティンカー・ベルもフック船長もネヴァーランドも出てくるようにした。そのためピーターの役割をそれらにあわせてファンタジックにした。元気にもなった。
 これがいま日本中が知っている「ピーター・パン」の原作なのである。ディズニー・アニメも、ずいぶん誇張はあるけれど、これにもとづいていている。子供向けのお芝居やミュージカルにも、こちらがよく使われる。

ディズニーアニメ版『ピーター・パン』(1953)より

 戯曲の上演が当たったので、ひとまずバリは気をよくしたのだが、何かを置き忘れたと感じていた。
 ほんとうに書きたかったピーター・パンがいささか遠のいているのではないか。バリは『ケンジントン公園のピーター・パン』のほうの潜在少年にひそむ曖昧な心身像を、もう少し取り戻すべきだと感じたのだ。
 そこであの半ちらけのピーターを復活させ、1904年版の戯曲の中でつくりあげておいた大受けのファンタジーに曖昧異人少年を交ぜこみ、さらにバリが心を寄せていたデイヴィズ夫人の面影をウェンディという少女に託して、あらためてみずから編集構成した。これが1911年に発表した『ピーター・パンとウェンディ』なのである。
 こちらこそは石井桃子訳の岩波少年文庫や、今夜とりあげた芹生一訳の『ピーター・パンとウェンディ』になる。ただし、ここがちょっとややこしいのだが、日本でたんに『ピーター・パン』と題されて出版されているものには、この『ピーター・パンとウェンディ』を入れこんだダイジェンスト版もあり、さきほどの戯曲版もあり、これらがアニメになるとき、映画になるとき、翻訳児童小説になるとき、そのつどごっちゃになってしまうのだ。
 あげくはディズニー・アニメのピーター・パンが他を制覇して、そのうちピーター・パン症候群などという病名すら流布するようになったのだ。しかし、これらからはバリが仕上げにこめた意図は伝わらないと、ぼくは思っている。少年と少女が「ほんと」を遥かにこえる「つもり」の世界にいること、そこに偶然と必然をつなぐための「当然」があることは、伝わらない。

『Peter and Wendy』初版本の装幀と扉ページ。
米国の出版社Charles Scribner's Sonsから、1911年に出版された。
イラスト:F.D.ベッドフォード

 が、とりあえずは粗筋の粗筋を書いておく。
 まあ、諸君が知っているストーリーだからかんたんにしておくが、ところどころにぼくがバリの気持ちを忖度した注釈を入れておいた。。
 こちらはロンドンの14番地のダーリング家が最初の舞台になっている。この家には、なんでもお金の勘定にしないと気がすまないダーリング氏、ふつうの喜怒哀楽の持ち主のダーリング夫人、3人の子供がいる。
 子供たちはお姉さんのウェンディと弟のジョンとマイケルだ。子供たちの婆やは、白くて大きなニューファンドランド犬のナナである。とても世話焼きの乳母犬だ。
 ダーリング家はあきらかにシルヴィア・デイヴィズ夫人とその子供たちがモデルになっている。ウェンディはシルヴィア夫人を幼くした面影にもとづいていて、しかし、やがて成長して「おとな」になるモデルになっている。犬のナナは、バリ自身が大事に飼っていたセントバーナード犬パルトスがモデルだ。バリはしょっちゅうケンジントン公園をパルトスを連れて散歩していた。

 話はこのように始まる。
 ある夜のこと、子供部屋にそっと入りこんだよく動きまわる男の子を見つけたナナは、その子をつかまえようとして窓をしめてしまった。男の子はあわてて外へ逃げるのだけれど、窓がバタンとしまって影がぷつりと切れた。
 ダーリング家の両親が出掛けるのを見はからって、男の子は影を取り戻しにきた。羽根のはえた手のひらサイズの妖精のティンカー・ベルを連れて。いろいろ家中をさがし、やっと自分の影が見つかった。さっそく石鹸でくっつけようとするのだが、うまくいかない。男の子がめそめそ泣いていると、ウェンディが裁縫箱をとりだして影を糸で縫いつける。ウェンディはかくもかいがいしい。
 男の子は自分がピーター・パンであると名のった。ウェンディはとっくにその噂を知っていたが、よく見ると、生え変わらない歯の持ち主だった。ピーターはウェンディのことはおかまいなしに、こんなことを言う。「ぼくは生まれた日に家出をした」。それはお父さんとお母さんが、「この子がおとなになったら何にしたらいいんだろうか」と話していたのを聞いてしまったからだった、と。
 そうなのだ、子供というもの、親たちのたった一言で、何もかもを察知してしまうものなのだ。「それでケンジントン公園に行って、ずっとながいあいだ妖精たちと遊んでいたんだ」と。

 妖精たちというのは、奇妙な連中だった。赤ん坊が最初に笑ったときに一匹ずつ生まれるらしいので、赤ん坊が生まれてくるかぎりは、いくらでもいるということになる。けれども、「ねえ、妖精なんているわけないよね」と子供が言うたびに、ぴょろんと死んでしまうようになっていた。妖精も「つもり」においてのみ持続できたのである。
 それでも妖精は、その光の粉(こな)で魔法の力を発揮できた。一番の力は空が飛べるようにさせられることだ。ピーターにとってはこんなことは「あたりまえ」のことだったが、ウェンディとジョンとマイケルにはびっくりだ。みんなはその粉をたっぷりふりかけてもらって、部屋中を飛びわり、ついではネヴァーランドに飛んで行けたのである。
 このときのピーターの合言葉は、こうだ、「二つ目の角を右にまがって、それから朝までまっすぐ!」。
 この合言葉は、ジェームズ・バリが放った唯一の宮沢賢治(900夜)の童話に匹敵する名セリフだろう。ちなみにティンカー・ベルは、ピーター・パンがウェンディと仲良くなるのが気にいらず、小さなやきもちを焼き、のべつ苛々することになる。

 ネヴァーランドは「どこにもない国」であり、「ゼッタイにありえない国」であり、「その気にならないと見えない国」である。太陽や月もいくつもあった。そこには「お母さんを知らない子供たち」が住んでいて、人魚と妖精とインディアンと一緒に暮らしている。インディアンにはピカニニ族がいて、その酋長の娘がタイガー・リリーだった。
 この「母のない子」ばかりが集まっているというところが、この作品の通奏低音になっている。作品のなかで、この子たちは「迷子」と呼ばれている。迷子は6人いた。ピーター・パンはこの迷子を守っていた。そこで、このあとどんなときも、「ほんとうのお母さんなんて、いらない」と言い張ることになる。ピーターはウェンディがお母さんの「つもり」になることだけ望むのである。
 実際、ウェンディはネヴァーランドではみんなのお母さんがわりをした。そのせいかジョンもマイケルもいつしか「ほんと」のお母さんのことを忘れ、ウェンディも記憶がだんだんぼんやりしてくるのだった



F.D.ベッドフォードによる挿絵
(『Peter and Wendy』Charles Scribner's Sons 1911)

 ネヴァーランドにはご存知の海賊がいた。海賊を率いるのは片腕のジェームズ・フック船長で、以前、ピーター・パンと戦ったときワニに時計ごと右手をもぎとられていたため、ピーターを憎んでいた。しかしバリはこの海賊船長を次のように描写する。
 「その様子は屍(しかばね)のように痩せこけているのに、並外れて美しい顔立ちです」「髪は長い巻毛で、目は忘れな草のような青い色、そこには深い悲しみがたたえられているのです」「ところが右手の鉄の鉤を相手に食いこませる時にかぎって、その瞳に赤い点が二つあらわれて恐ろしく輝くのです」というふうに。
 バリはこの作品で、悪人を描いていない。みんながちょっとずつ意地悪だったり、邪険だったり、ぷんぷんするところはちゃんと描くのだが、根っからの悪人もいないし、善人もいない。フック船長においても、一番大切にしていることは「作法」を守るということなのである。
 つまりすべての出来事は、バリがのこした“名言”のように、「やらなければならないことを好きになる」ような登場人物ばかりによってできあがっているわけなのだ。
 かくてピーター・パンとフックの宿命の対戦に向かって、お話はじゃかじゃか進行するのだが、その粗筋をこれ以上に書くこともないだろう。それよりもフックの最後の言葉をご存知だろうか。船長はピーターの攻撃の大半を尊重していたが、ついに大口を開けて待っているワニに呑みこまれる寸前に、こう言ったのだ。凄いセリフだ。「は、は、は。ついに作法を軽んじおったな!」。

 物語は、ウェンディと兄弟たちがダーリング家に戻ってきて、次のような、悲しいけれども、ちょっと不思議な会話や血統をもつことで、おわる。
 まず、ピーターはみんなを送り届けたときに、もしもダーリング夫人(ウェンディの母親)が、これまでウェンディが帰ってこなかった理由をわかっていたらいいのにと思っていたのだが、夫人の目に涙がちょっと流れたのを窓の外から垣間見て、「じゃあ、いいや」と言ってウェンディたちを残して、飛び去った。
 「おいで、ティンク(ティンカー・ベル)。ぼくたちは、お母さんなんてばかなものはいらないんだ」と言って。ただし、毎年一回、一週間だけはネヴァーランドの春の大掃除にみんなを連れていくためにやってくることを、ウェンディに約束して。
 やがてウェンディたちは大きくなっていった。ピーターは約束通り春の大掃除に迎えにくることもあったけれど、すっぽかすこともあった。なにしろ気まぐれで、忘れっぽい。
 そのうちマイケルが「もしかしたらピーターなんていなかったのかもしれない」と言い出した。それをきっかけに、男の子たちは朝起きるとうっすら髭がはえているようなダメな奴になっていった。そして、ついにあのウェンディも結婚してしまったのである。





アーサー・ラッカムによる挿絵
(『Peter Pan in Kensington Gardens』Hodder and Stoughton 1906)

 さらに何年かたつとウェンディに女の子ができた。ジェーンというその子は口がきけるようになると、たいていピーター・パンのことを聞いた。
 ダーリング夫人が亡くなり、ナナも死んだ。ナナの最期はひどくつきあいにくい老犬だった。それでもふらりとピーターはウェンディのもとを訪れることがあった。あいかわらず生え変わらない歯をもっていた。ウェンディのそばのベッドにはジェーンが寝ていた。
 「こんばんは、ウェンディ」とピーターは声をかけた。ウェンディはびっくりして、自分の中の「おとな」が消えてくれるといいのにと祈った。「マイケルは寝ているの?」とピーターは聞いた。「あれはマイケルじゃないの」と言いながら、ウェンディは裏切りの罰の恐ろしさに身をちぢめた。ピーターは「約束の春の大掃除に行こうよ」というのだが、もはやウェンディは「ほんと」のことを知らせるしかなかった。
 あかりをつけたとき、ピーターは生まれて初めての恐怖におののいた。ウェンディは言う、「わたしね、年をとったのよ。ずっと前におとなになったの」。「おとなにならないって約束したじゃないか」「でも、しかたがなかったの」「うそだ」。ウェンディは言った、「あのベッドで寝ている子はわたしの子供なの」「うそだ」。
 そこへジェーンが起き出して、ピーターになついた。ピーターはけろっとしたもので、すっかりご機嫌で、ジェーンに光の粉をかぶせて飛べるようにした。ウェンディは二人が窓から飛び出して、星のかなたに小さくなって飛んでいくのを見るしかなかった。
 そして月日が流れ、ジェーンは「おとな」になり、マーガレットという女の子を生んだ。ピーターはマーガレットをネヴァーランドに連れていって、お母さんの「つもり」を頼んだ。そのマーガレットの子も、やがてお母さんの代わりをするはずである‥‥。

 以上が話の結末だが、はっきりしているのは、諸君に感じてもらいたいことは、ディズニー・アニメなどと異なって、この物語は、現実(リアルワールド)と幻想(ファンタジー)を往復している物語なのではなくて、すべてが中途半端に交じりあっている世界での出来事だけが描かれているということだ。
 では、バリはどんなつもりでこの物語を書いたのか。その答えはバリの生涯とそこから派生する幾つかの出来事のなかにある。

 ジェームズ・マシュー・バリは北スコットランドのキリュミアの出身である。貧しい手織りの織工の父と石工の娘だった母のもと、1860年5月9日に生まれた。9番目の子だった。母親は小さいころから働き、たくさんのお話を知っていた。バリはその母親のしてくれる“幼な話”で育った。
 6歳のとき、兄のデイヴィッドがスケートをしているときに事故死した。母が溺愛していた兄だった。バリは兄にそっくりになって、悲嘆にくれる母を慰めることにした。兄の洋服を着て、立ったままスボンのポケットに両手をつっこみ、口笛を吹いた。バリは兄の「つもり」になったのだ。こうして死んだデイヴィッドは13歳の永遠少年になった。
 その後、エディンバラ大学を出てノッティンガムの新聞社に勤めたバリだったが、なんだか冴えない。
 そこで思春期を脱するごとく1885年にロンドンに移ることにした。バリがめざしたのは作家だったが、うまくはいかない。結婚して、やがて劇作に転向することにするのだが、これも当たらない。
 やむなくバリはセントバーナード犬を連れてケンジントン公園を散歩しては、人々の姿や暮らしぶりを眺め、メモをとった。このあたりの落ち込んだバリの気分は、2005年にジョニー・デップが主演した『ネバーランド』(監督マーク・フォースター)に淡々と描かれている。この映画はバリの存在予告の深層にはほとんど肉薄していなかったが、それなりにバリの日々を知るには格好のものになっている。
 やがてバリは、ケンジントン公園に遊ぶ美しい夫人と子供たちに出会う。シルヴィア・デイヴィズ夫人とジョージ、ジャック、ピーターの3人の男の子たちである。バリは近づき、この子たちと遊び始める。「ごっこ」遊びだ。みんな海賊の「つもり」やお姫さまの「つもり」になった。バリも七面六臂の演者や演出家になった。この「つもり」遊びは5年も続いた。
 そのあいだに、バリは妻との関係を悪化させてしまった。別れざるをえなかった。劇作もあいかわらず当たらない。



映画『ネバーランド』
原題 :Finding Neverland(2004)より

 しかし、あるときバリはこのデイヴィズ夫人の面影をうんと幼くして、その子供たちの一人のピーターをモデルにした少年の物語を思いつく。1904年のクリスマス(12月27日)にその劇は上演され、当たった。
 ピーター・パンの登場である。脚本はその後何度も書き換えられ、やがて新たな小説として『ピーター・パンとウェンディ』にまとまった。が、ぼくが今夜伝えたいバリの“存在予告”の秘密ともいうべき話は、この途中から始まっていた。そこを説明しないと、ピーター・パン登場をめぐる「つもり」と「ほんと」のあいだの出来事がわからない。

 実はそれ以前、シルヴィア夫人が病気がちになると、バリは一家に献身的に尽くすようになっていた。そのぶん、お姑さんからは排除されていた。
 それでもデイヴィズ家の子供たちを陰に日向に応援するうちに、1910年、美しいシルヴィア夫人が重い病気で亡くなった。このときバリは、なんと5人の子を引き取ったのである。『ピーター・パンとウェンディ』をまとめたのは、その直後の1911年なのだ。
 すなわち、デイヴィズ家の5人の子供たちはネヴァーランドの「迷子」6人と同じ運命をたどっていたわけである。「母のない子」たちはバリの両腕のなかに抱かれていたのだ。
 その後、1928年になってのことだが、『ピーター・パンとウェンディ』は演劇作品『ピーター・パン』になった。その扉には「五人へ」という献辞が印刷されていた。

サイレント映画『Peter Pan』(Paramount Pictures 1924)より
ピーターパン役:ベティ・ブロンソン
ウェンディ役:メアリー・ブライアン

サイレント映画『Peter Pan』のポスター

 ジェームズ・バリは子供たちの父親の「つもり」の人生を送り始めた。そうすることによってピーター・パンを「ほんと」にしてみせつづけたわけである。
 「母のない子」とは「みなしご」である。内村鑑三(250夜)ふうにいえば棄児である。それを代表するピーター・パンは棄人であって、棄民の代表である。内村もそのように書いていたが、われわれは父母をもつかぎり、父母のない子供の気持ちはわからない。
 しかし、バリはそのような子供の気持ちがわかるためにデイヴィズ夫人の子を引き取り、ピーター・パンを仕上げたのではなかった。幼い子たちにはまだ自我がなく、したがって父母もなく、もっと永遠で愛すべきものが父母なのだ。その父母は「ライナスの毛布」だってかまわない。その子たちには何だって「つもり」や「かわり」になれるからだ。
 でも、そういう愛すべき永遠のものをあれこれ集めると、これは「ほんと」の日々では集まらない。ここにネヴァーランドやちょっと意地悪なティンカー・ベルが出現するわけである。バリは、そのことを書きたかったのである。
 これは、「つもり」や「かわり」のほうがうんと大きいというお話だ。そして、「ほんと」はけっこう厳しいということなのである。実は、次のようなことが後日におこっていた。

 ジェームズ・バリが引き取ったデイヴィズ家の子供たちに、次々に悲劇がおこったのだ。それは子供たちが「おとな」になってからの出来事で、バリの手元から自立していったあとのお話だ。
 長男のジョージが第一次世界大戦に少尉として出兵し、1915年にフランクフルトで戦死した。これは仕方なかったかもしれない。バリはセント・アンドルーズ大学の学長になっていたのだが、このときは多くの学生たちの中の「幼な心」をはぐくむことで、なんとか心をつないだ。
 ついで、4男のマイケルが1921年、オックスフォードのサンフォード水泳場で水死した。溺死だった。この喪失は、バリを極度に悲しませた。バリは勇気をふりしぼって『ピーター・パン』5幕ものを完成させた。けれども、何度も自殺したくなっていた。それでもなんとかエディンバラ大学の学長に推挙されたことを受け入れた。しかし、心は晴れない。バリは痩せるばかりだった。1937年に亡くなった。
 ところが、悲劇はさらに続いた。バリの死から約20年後の1960年、3男のピーター・ディヴィズが自殺した。地下鉄のホームに入ってきた電車に身を投げたのだ。ピーター・パンのモデルになってくれた少年だった。イヴニング・スタンダードやニューヨーク・タイムズは「ピーター・パン、自殺」という記事を載せた。
 それからしばらくして、何人かの批評家たちが、かれらは「大人になりたくなかった」のだろうと解説した。しかし、ぼくはそんなふうに思わない。かれらがネヴァーランドに行ったなどとも思わない。こういう事件だけから「ほんと」を引き出すようになった世間がとてもつまらないと思うだけである。「ほんと」に立った連中が、「つもり」を攻撃するのはみっともないと思うだけである。
 だから、ジェームズ・バリの“存在予告”のやさしい心のために、ぼくは「つもり」の凱歌を歌いたいと思う。そうである、その歌の最初は、こういう歌詞なのだ。「二つ目の角を右にがって、それから朝までまっすぐ!」。

ピーター・パン像
ジョージ・フランプトン作(ケンジントン公園)

⊕ ピーター・パンとウェンディ ⊕

•著者:ジェームズ・バリ
•訳者:芹生 一
•装幀:工藤強勝
•発行者:今村正樹
•発行所:株式会社 偕成社
•1989年8月 第1刷発行

⊗ 目次情報 ⊗

1 ピーターが姿をあらわす
2 影
3 さあ、いこう、いこう
4 空の旅
5 ほんものになった島
6 小さな家
7 地下の家
8 人魚の入り江
9 ネヴァー鳥
10 幸福な家族
11 ウェンディのお話
12 子どもたちがさらわれる
13 きみたちは妖精を信じるだろう?
14 海賊船
15 「こんどこそ、フックか、ぼくかだ」
16 家に帰る
17 大人になったウェンディ 
 

⊗ 著者情報 ⊗ 
ジェイム・マシュー・バリ[James M. Barrie, 1860-1937]
小説家・劇作家。スコットランドの田舎町キリミュア生まれ。地方紙記者を務めた後,ロンドンに出て作家活動を開始した。主な小説に『マイ・レディ・ニコティーン』『ザ・リトル・ミニスター』『ピーターとウエンディ』など。戯曲に『ピーター・パン』『メアリ・ロウズ』などがある。 

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