才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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脱原子力社会へ

電力をグリーン化する

長谷川公一

岩波新書 2011

編集:十時由紀子
装幀:未詳

日本のエネルギー政策は、
いったいどうなっていくのか。
政府は安全確認を前提とした
原発維持路線を打ち出している。
原発のすべてが危険とは言えないが、
電力供給を原子力ばかりに依存する必要もない。
火力・水力・風力・地熱・バイオマスもある。
けれども、どのエネルギーに頼るかについては、
いまや「社会的合意」が要請される。
その合意のプロセスに
熟議民主主義(deliberative democracy)などが浮上してきた。
今夜はその議論の一端を、加藤尚武、長谷川公一、
飯田哲也、ヴァン・ジョーンズの本をもって案内する。

◆加藤尚武『災害論:安全性工学への疑問』(2011・11 世界思想社)

 災害をめぐる哲学は、セネカの『自然研究』第6巻「地震について」を嚆矢に、1755年のリスボン地震をめぐるカントの『地震原因論』『地震の歴史と博物誌』『地震再考』3部作やヴォルテール(251夜)の『カンディード』をへて、20世紀のカミュ(509夜)の『ペスト』やデュ・モーリア(265夜)やハイデガー(916夜)にまで及ぶ。
 ずっと以前から地震も津波も機械事故も、大火事も伝染病も危険動物も、それなりに哲学されてきたわけだ。ぼくはかつて抗生物質研究のルネ・デュボス(10夜)の『健康という幻想』などにも、安全の基準についての鋭い洞察があることを感じた。
 しかしこうした哲学の多くが、チェルノブイリ原発事故や3・11のフクシマ原発事故によって新たな挑戦を受けることになった。災害や事故にかかわる安全や安心をめぐる哲学ではなく、その背後にひそむ「リスク」や「コンティンジェンシー」や「偶然」などの本質にかかわる哲学や社会学が要請されるようになった。
 すでにチャールズ・パース(1182夜)は危険や危機に対してこそアブダクションが必要であることを、ハイエク(1337夜)は「設計主義的合理主義」が社会設計のうえでは立派だが、そのこと自体に危険が孕むことを指摘していたし、その後のニクラス・ルーマン(1349夜)やイアン・ハッキング(1334夜)らは危機や偶然にダブル・コンティンジェンシーを見いだすべきだと説いた。
 ポール・ヴィリリオ(1064夜)が一貫して事故の現象学や存在学こそ新たに展示されるべきだと言い続けていることも、ウルリヒ・ベックが早々に現代社会を「リスク社会」と名付けたことも、よく知られている。
 以上のことは本書には書いていないことだが、一方、本書の著者の加藤は、新たな災害の哲学にはおそらく「合理性の不合理」というものの説明が含まれなければならないだろうという見方をした。「合理性の不合理」という用語だけでは何のことやりわからないだろうが、原発のケースでいえば、技術についての合理的不合理性と施設の設置をめぐる合意についての合理的不合理性とを、よくよくミックスして考えるべきだということだ。

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 加藤は60年安保の闘士だった。その後、弁証法の研究をへて『環境倫理学のすすめ』(丸善ライブラリー)、『二十一世紀のエチカ』(未来社)、さらに社会倫理学や生命倫理学をまとめてきた。
 そんなおり、1996年9月から2001年1月まで、京都大学の木村逸郎からの誘いで原子力委員会の専門委員になった。その年の4月から鳥取環境大学の学長をしながら、さらに『戦争倫理学』(ちくま新書)や『合意形成の倫理学』(丸善)を書いていたところ、2009年末になって、またまた木村から今度は「高レベル放射性廃棄物の処理問題」に関する学術会議に誘われた。
 加藤はたちまち「放射性廃棄物の処理は解決困難だから原発には反対だ」という意見にとりかこまれた。この勢いこんで土足で踏み込むような議論について、加藤は大いに考えこみ、その渦中で3・11に遭遇した。そしてその後、工学上で「確率論的安全評価」(PSA=Probabilistic Safty Assesment)という最高度の合理的予測のシステムそのものに事故の原因を見いだし、本書を書いた。
 原発存続にも原発廃止にも、それぞれの合理というものがある。二つの立場には別々の確率が使われていて、それが同じロジックのもとに交じるということはない。こういうとき、どちらかの合理が他方の合理を切り崩すだけでは、そこに合意の形成は生まれない。しかしいまや、災害や危機をめぐる技術と、災害と危機をめぐる社会のあいだをつなぐ合理と不合理が同時検討さけなければならない。
 話はだいたいはこういうことなのだが、しかし、ぼくが本書を読んだかぎりでは、加藤が「安全」をロジカルに扱えない概念であると説明しようとしていることはわかったものの、その安全と危険をめぐる議論に世の中では必ずやテクノ・ファシズムあるいはテクノ・ポピュリズムが出入りするという説明や、「合理性の不合理」を追求すると“含み資産”のようなものがやっかいになってくるという説明が、いったいどのようなロジックで危機やリスクや偶然性の本質にかかわっているのか、いまひとつ理解できなかった。
 他方、そのうえで言うのだが、加藤が「非相互的倫理」や「スーパーエロゲーション」(自己犠牲的奉仕)といった、今日のNPO活動やボランティア活動に特徴される“きわどい意志”に、いくつかの仮定をもうけながらもなんとか踏みこもうとしていることには、たんなる原発批判や原発擁護を超える何かの萌芽があるようにも感じた。

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◆長谷川公一『脱原子力社会へ:電力をグリーン化する』(2011・9 岩波新書)

 この人の見方には身の丈や体温がある。ぼく自身は以前から「グリーン化」(greening)という用語を口にするのは自分の身の丈に合わないのでフィッティングしずらいのだが、この人にはよく合っている。
 本書は、第1には日本の原子力社会がどのように形成されてきて現在に至ったのか、そこにどんな問題がさまざまに看過されてきたのかを丹念な事実認識にもとづいて解説議論する。第2にそれとともに、日本列島のさまざまな突端に設置された原子力発電所のそれぞれの事情と特色と危うさを、これまた丁寧に観察し、第3に世界各地でエネルギー問題に対してどのような対策が練られ、発案され、実行されてきたかを適確に紹介する。
 著者の長谷川は東大社会学をへて、いまは東北大学にいる環境社会学者である。早々に『脱原子力社会の選択』(新曜社)を書いて、その後も『環境運動と新しい公共圏』(有斐閣)や『紛争の社会学』(放送大学教育振興会)を発表してきた。共著であったが、『核燃料サイクル施設の社会学』は青森県の六カ所村についての複雑な経緯と現状を知るうえで、大いに参考になった。小説は高村薫(1407夜)、評論は長谷川公一だと思えた。
 しかし本書の狙いはそうした原発現状を解説することではなく、もう少し先の、明日の社会のためにどのようなエネルギー選択をするのかということにある。
 方針ははっきり提出されている。いかに「グリーニング・ソサエティ」をつくるかということだ。長谷川がこの方針を確信したのはサクラメント電力公社の事例をつぶさに観察したためだった。いまやグリーン・エネルギー派にとっては有名な事例だ。

日本の原子力発電所

 アメリカ・カリフォルニア州のサクラメント電力公社は、1989年すでに、どこに吸収されてもおかしくないほどの経営難に陥っていた。それが3年後に蘇った。どのようにして? 原発を廃止して。
 この電力公社は住民投票を呼びかけ、営業区域内の原発(ランチョ・セコ原発)の存続を問うたのである。原発はだいぶん老齢化していたとはいえ、投票率40パーセントで、賛成46・6パーセント、反対53・4パーセント。わずかな票差で原発廃炉に軍配が上がった。
 投票前に約束していた通り、電力公社のディビッド・フリーマン総裁は投票結果が出た翌日に原発のメインスイッチを切った。ついで、公社は節電を目標にして、デマンドサイド・マネジメント(DSM)やコスト最小化アプローチにとりくんだ。これを推進したのは意外なコンセプトだった。「省電力は発電である」(Conservation is Power)。
 こうして経営体質を反転させて黒字転換させたフリーマンは、1993年からは「太陽光発電パイオニア」というプロジェクトに向かった。希望者が10年間にわたって月4ドルの割増料金を払って、南向きの自宅の屋根を太陽光パネル設置用にサクラメント電力公社に貸与するというアイディアだ。初年度の100件の募集枠に、予想をはるかにこえる2000件の応募があった。営利のみを目的にした民間企業ではできない方法だった。長谷川はこれを「利他的でボランティアな行動」と見る。
 ぼくは利他的な行動とまでは見ないけれど、サクラメント電力公社が特定事業公社(公営の電力公社)であることが“節電経営”というボランタリー経済を可能にしたのは事実だろう。
 ちなみにカリフォルニア州は2013年までに電力供給の20パーセントを、2020年までに33パーセントを、再生可能エネルギーでまかなうことを求めているのだが、サクラメント電力公社は2010年に早くも20パーセントを達成してみせた。これはスマート・グリッド方式によるものだった。また一般居住者に向けて「グリーナジー」(greenergy)という電力をいちはやく発売したのも、このサクラメント電力公社だった。長谷川はこの事例に何かがあると踏んだのだ。

 グリーン電力(green electricity)とは、風力や太陽光や地熱などの再生可能エネルギー(renewable energy)で電力をおこすことをいう。再生可能エネルギーは原理的には枯渇がなく、いつまでも利用可能なしくみによるエネルギー源をさす。
 しかし再生可能エネルギーが注目されているのは、むしろそれを選択することによって近づく社会的特性のほうである。長谷川はその特性を18項目にわたってあげている。
 ①二酸化炭素などの温室効果ガスの排出量が少ない。②枯渇性エネルギーにくらべて有害物質の排出量が少ない(地熱にはイオウ分の影響がある)。③環境への影響が小さい(風力発電には低周波騒音や鳥類への影響がある)。④放射性廃棄物を出さない。⑤小規模分散型に設置できるので、柔軟に建設できる。⑥移設、廃棄、リサイクルが比較的容易になる。⑦エネルギー供給地と需要地が近接できるので地産地消になる。⑧地域の気象条件や地域資源を有効に活用できる。⑨農業との共存にすぐれている。
 ⑩電力だけでなく熱などの廃棄されがちなエネルギーを有効活用できる。⑪修理が比較的容易で、オルタナティブ・テクノロジーが促進できる。⑫送電網に接続するタイプでも独立タイプでも、両用できる。⑬中間搾取が少ない。⑭災害やテロなどの有事に強い。⑮安全性が高い。⑯兵器などへの転用 が少ない。⑰立地選定から発電・廃棄まで、差別的な要素が少ない。⑱途上国の技術移転にふさわしい。
 これでわかるようにグリーン電力は総じてニッチ的なのだ。むろん、いいところばかりではない。弱点もある。①気象条件に左右され、発電量が不安定である。②エネルギー密度が低いので大きな面積が必要になる。③発電コストが高い。④資源が偏在して立地適性が限られる、といったことだ。

グリーン電力証書制度のしくみ

 こうした社会的特性をもつグリーン電力に向かっては、日本でもすでにいくつもの試みがとりくまれてきた。ひとつは原発反対運動への住民参加のとりくみ、もうひとつは新たなグリーン電力導入のためのとりくみだ。
 本書では、前者の例として新潟県西蒲原郡の巻町のとりくみが、後者の例としては山形県立川町の、北海道苫前町の、岩手県葛巻町の、福島県天栄町のとりくみが紹介されている。興味深いのは葛巻の例だ。
 葛巻は北上山地の高原の町で、東北新幹線のいわて沼宮内駅からバスで約50分、盛岡駅からはバスで1時間40分のところにある。人口7770人、世帯数2891。「新幹線はこなかった、高速道路も引かれなかった、温泉もなくリゾート施設もなく、ゴルフ場もないし、有名人もいないという、何もない町だった」。
 ところが、岩手大学や岩手県立大学のこの10年間のフィールド観察によると、この町に年間50万人の入込み客が来た。そのうちの30万人がエネルギー関係だった。なぜなのか。
 1981年、地元の葛巻林業が木質ペレットの製造を始めた、日本ペレット製造の草分けだった。じょじょに生産力が伸びていった。1999年に第三セクター「エコ・ワールドくずまき風力発電所」が400キロワットの風力発電機を3基稼働させた。海抜1000メートルの山間高冷地での日本発の商業用発電である。2003年には上外川高原でJパワー(電源開発)1750キロワットの風力発電であるが12基稼働した。
 こうして気がつくと、全世帯数の5・5倍の電力をもつことになった。葛巻の固定資産税収入は3億円なので、その11パーセントを風力発電が稼いだのだ。それだけではなかった。葛巻はさらに畜糞バイオマス、木質バイオマスのガス化による発電、ペレットボイラー、ゼロエネルギー住宅にもとりくみ、地域における再生可能エネルギー施設を16カ所に及ばせたのである。
 これらの基盤にあるのは酪農事業だった。第三セクター「葛巻町畜産開発公社」が、各地の酪農家から生後3カ月~6カ月の子牛を預かり、妊娠牛で返す事業を推進して、年間3億5000万円の収入を安定させている。
 こうした活動が話題になって葛巻に年間50万人が訪れたわけである。いまでは「北緯40度、ミルクとワインとクリーンエネルギーの町」とメルヘンチックに銘打っている。宮沢賢治(900夜)ファンの吉成信夫による「森と風のがっこう」やパーマカルチャー(持続可能農業)の試みも始まった。

 もうひとつ紹介しておく。長谷川も参画した「生活クラブ北海道」の例だ。エネルギー問題に最初期にとりくんだパイオニア的な生協だった。
 この生活クラブ生協が動き出したきっかけは、チェルノブイリ原発事故の翌年に共同購入していた無農薬栽培の茶葉から放射能が検出されたことだった。泊原発1・2号機の運転再開の是非を求める道民投票を呼びかけたり、100万人署名活動を展開したりした。1996年には泊に3号機が増設される計画が発表され、女性たちを中心にした反対運動がふたたび盛り上がった。
 1999年からは長谷川の提案によって、電気料金の5パーセントを拠出するグリーン電気料金運動が始まり、さらに日本発の市民風力発電所建設をコミュニティ・ビジネスにしていくというプロジェクトに広がった。プロジェクトに出資を仰いだところ、約1カ月半で1億4000万円が集まった。いまでは北海道グリーンファンドとして知られる。
 長谷川は、こうした活動が可能になるための4つの原則を当時から提案していた。「社会的合意をつくる原則」、その社会的合意にもとづく「非原子力化の原則」、電力ピークカットを最優先する「ピーク需要のゼロ成長の原則」、そして「再生可能エネルギー最優先の原則」である。
 ここには、最近は「討議デモクラシー」とも「熟議民主主義」ともよばれる“deliberative democracy”が先行していた。熟議はいまや民主党のなかでも大はやりで鈴木寛などがその推進者の一人だが、その中身についてはG・F・ジョンソンの『核廃棄物と熟議民主主義』(新泉社)や篠原一の『移民の政治学』(岩波新書)が参考になる。

 再生可能エネルギーによってグリーン化を進めるには、そこに有効な経済システムが作動しなければならない。そのために現在は電力を固定価格で買い取ることを電力会社に義務づける方式と、電力会社にグリーン電力の一定比率を割当て販売させる方式とが試みられている。
 前者は価格のほうを固定し(price fix)、後者は比率のほうを固定する(quota fix)。このどちらを選ぶか、ミックスするか、第3の方法を求めるかが、なかなか難問なのである。長谷川は、固定価格制を採用したドイツ・スペイン・デンマークで風力発電が急増し、割当て制を採用したイギリスは伸び悩んだので、固定価格制のほうがすぐれていて、投資家のインセンティブも促進するとみなしているようだが、さて、どうか。
 固定価格制は「フィード・イン・タリフ」とも言われ、1995年にドイツの環境NGOが市議会に提案して、その後は「アーヘン・モデル」として有名になった。日本ではこのあと紹介する飯田哲也の環境エネルギー研究所が精力的にとりくんできた。 
 そこまではいいのだが、グリーン電力の経済システムには、最近は「グリーン電力証書」(Green Certificates)方式というものも提案されていて、このやりくちにはさまざまな疑問がある。再生可能エネルギーはそもそも電力だけでなく温室効果ガスの削減という目的も絡んでいるので、この環境付加価値をグリーン電力の発電量に応じて証書化し、この証書を市場で取引可能になるようにしたものなのである。
 グリーン電力証書を購入すれば、その額面ぶんのカーボンオフセットが行使されたとみなされ、二酸化炭素の排出ぶん「相殺した」と認定されるというのだが、これはどうか。ぼくは納得できない。いずれ排出権取引(キャップ&トレード)の問題の本を扱うときに、議論してみたい。

グリーン電力証書

 ところで本書の「あとがき」は、仙台で長年にわたってNPO活動のリーダーを務めてきた加藤哲夫の言葉、「復興とはなによりも原子力災害の克服である」で結ばれている。闘病ブログとして書きまくっていた加藤哲夫の「蝸牛庵日乗」の7月21日の言葉だった。
 加藤哲夫は去年2011年の8月26日に、ガンに勝てずに無念のまま死んでいった。その2カ月前、加藤さんから3・11以降に久々の連絡があって、「ぼくはもう死ぬが、どうしてもその前に松岡さんと話したい」と言われた。ただならない声だった。その日を待って病室の対話に臨んだのだが、見るからに余命があまり長くないことを感じたまま、最後の収録を了えた。いずれひつじ書房から本になる予定だ。
 そのとき加藤さんは最後の力をふりしぼっていた。ほんとうは上田紀行さん、上野千鶴子(875夜)さん、ぼくの3人と対話して遺言を残したかったようだが、上野さんとの対話はまにあわなかったようだ。こんなところに加藤さんのことを書くのは場違いかもしれないが、冥福を祈りたい。
 長谷川はその加藤さんを「脱原子力運動の先達」として心から敬服していた。そこで「あとがき」の締めくくりに加藤さんのブログの言葉を掲げたのだろう。本書が一貫して身の丈に合った内容に徹していることは、ここにもあらわれている。ちなみに長谷川には句集『緑雨』がある。俳号を冬虹という。とてもいい俳号だ。

病床の加藤哲夫さんと松岡。枕元で語り合う。
(2011年8月8日:仙台市)

◆飯田哲也『エネルギー進化論:「第4の革命」が日本を変える』(2011・12 ちくま新書)

 日本はいまこそ世界に先駆けて第4革命をリードすべきだというのが、本書の提案である。農業革命、産業革命、IT革命についで、日本は自然エネルギー革命を第4革命として全面的に着手すべきだというのだ。
 それには日本のエネルギー政策を、「大規模集中から小規模分散へ」「中央集権から地域分権へ」「独占からオープンへ」「生産者目線からユーザー目線に」、そして「原発から自然エネルギーへ」と移すべきである。この大きなパラダイム転換だけが日本再生の道であると謳っているのだが、そのわりには、また大上段のタイトルのわりには骨格がない。
 世界のさまざまな制度例や市民活動の凱歌の事例を集めて、日本にもそういう展望があるように書いているものの、どうもそんなような各国のカッコいい事情の寄せ集めでは、日本の原発以降のエネルギー事情がよくなるとは思えなかった。「日本」がないのだ。
 ただ、飯田自身は新たな日本のエネルギー政策の苗代づくりに、そうとうの早期から精力的にとりくんできた人である。本書には残念ながら「日本」が見えにくいのだが、だから本書はこの手の新書としては失敗作なのだが、実際にはかなりニッポンの現状ととりくんできた。

 飯田は京大の原子核工学の出身で、神戸製鋼から電力中央研究所に出向し、そこで日本の原子力ムラの一部始終を見聞した。
 もともとの生まれ育ちは山口県の徳山の奥の田舎だった。徳山の繁華街に出るにはボンネットバスで1時間がかかるようなところだ。宮台真司との『原発社会からの離脱』(講談社現代新書)のなかで、飯田にしてはめずらしく生い立ちをふりかえっているのだが、それによると、その田舎に育って、小学校のときに母親が家出をしてしまったという。やむなく公務員の父親が徳山市役所のホームレス厚生施設の住み込み管理人になった。それで飯田は小6からそこで暮らした。
 徳山は在日朝鮮人が多く、非差別部落も少なくない町だった。飯田は駅裏のバラック街で遊び、『じゃりン子チエ』そのままの日々を屈託なく送りながら、県立高校の理数科コースに入り、1977年に京大で最も入試の最低点が高い原子核工学科に入ったという。
 入ってみたら、みんな「核融合がやりたい」という入学動機だった。飯田は原発をつくりたかったのではなく、そのしくみや原理の研究がしたかったのだろう、ワンゲル部に属し、シラケ世代のなかで好きな読書や原子力のベンキョーばかりしたようだ。
 その後、神戸製鋼に入ってみると、社内の原子力部門が小さいので一人で何役もやらなくてはいけなくなった。電力中央研究所に出向すると、まわりのお歴々がろくに原子力の知識をもっていないこともわかってきた。IAEAのルールを日本に採り入れることになったときも、誰も詳しくない。そこで“飯田学校”などと揶揄されながら、通産省・運輸省・科学技術庁・郵政省と折衝し、原子力安全委員会に答申する書類のほとんどを下書きした。
 このとき、霞ヶ関の最終作文の“文法”が手にとるようにわかったらしい。ということはニッポンの作り方が見えたということだ。飯田はこのときから、理論派あるいは技術派ではなくて、政策派であって制度設計派としての才能を開花させたのだったろう。

世界で建設された原発の時期と総量

日本の原発の設備容量

 飯田を変えたのは1992年から訪れたスウェーデンである。前年の91年は湾岸戦争、日本ではバブルが崩壊した年だ。
 その時期、30代前半の飯田は、スウェーデンの国民投票(1980)で、原発を全廃して自然エネルギーに転換するヴィジョンを打ち出したルンド大学のトーマス・B・ヨハンソンの研究室に入った。ずいぶん影響を受けた。一言でいえば、日本の原子力ムラを変えるには、スウェーデンに発芽し、成長しつつあった合理的なオープン・ソサエティのようなものを実質的に推進していかなくてはならないと感じたのである。
 現在の仕事上の立場はNPO法人「環境エネルギー研究所」(ISEP)の所長さんである。それ以前も「市民フォーラム2001」を組織化したり、固定価格買い取り制度を日本に導入するための「自然エネルギー促進議員連盟」づくりに奔走したりした。これは1999年に発足したもので、福島瑞穂→愛知和男→河野太郎・梶山静六→加藤修一・佐藤謙一郎・福山哲郎というふうに広がったようだ。
 また2010年からは「原子力政策円卓会議」なども主宰している。東工大の澤田哲生(1456夜)、東大の長崎晋也らが参加している。

 本書が提案している日本におけるエネルギー変革のシナリオは、10年程度で原発を停止し、2050年には石油も天然ガスもゼロにするというものである。このプロセスで省エネ節電20パーセントをめざす。
 このシナリオの基本にあるのは、「情報・マネー・エネルギー」の3つの様態が21世紀の半ばまでに変貌しきるということにある。情報はインターネットの波及によって分散的になってきた。マネーはリーマン・ショックを契機に反省がおこり、地域における循環型の経済の重要性が重視されてきた(本書では長野県飯田市の例が紹介されている)。エネルギーもそのように電力会社の独占をくずして、地域社会がその担い手になるべきだというのである。
 この予想はかなりおおざっぱだ。「情報・マネー・エネルギー」を第4革命に導くというのなら、本書が前半部で「自然エネルギーは高くつく」という反論に対して、太陽光発電コストの計算が歪んでいて電気料金も3倍になるという噂が出回っているが、これらは論拠がなく、むしろ技術学習効果によってさらに安くなる可能性があると述べたり、また「自然エネルギーは不安定だ」という批判に対して、太陽光発電、地熱発電、バイオマス発電、水力発電、風力発電のひとつひとつを例に反駁を加えていったように、ひとつずつを説明していったほうがいい。
 孫正義の自然エネルギー財団の動きに期待をかけているようだが、これもどうか。日本は官僚と政治家と産業界のアイダをつなぐ力がなければ何もできない国で、それにはたしかに飯田のような能力が必要なのだが、そういう才能の持ち主はめったにいない。孫の動向をすぐれたものにしていくには、いますでに“10人の飯田”が目白押しになっていなければならないだろうに、どうもそういうふうではないからだ。

自然エネルギーによる世界の発電設備容量推移

◆ヴァン・ジョーンズ(土方奈美訳)『グリーン・ニューディール:グリーンカラー・ジョブが環境と経済を救う』(2009・7 東洋経済新報社)

 本書の原題は“The Green-collar Economy”である。グリーンカラー・エコノミーは、グリーン電力の推進だけを目的にしているのではなく、自然環境の保護とその質を向上させること、温室効果ガスと有毒物質の排出の削減、ハイブリッド車や屋上庭園の波及、エネルギー輸送手段の改善などをプロジェクト化することと、それらの活動にかかわるグリーンカラー・ジョブという仕事と雇用の創出を意味している。
 すでにこのようなグリーンエコノミーのために、いくつものグリーン・アライアンスが結ばれ、食物システムの改革、グリーン・アセスメント地域の設定、オーガニックな農業都市の計画、リサイクル技術の大規模経済化、水資源の共同事業化などが着手され、さらには複数のインスティテュートや大学では“グリーンMBAコース”の創設も始まった。
 エネルギー問題は理念だけでは解決しない。経済がともなう必要がある。本書がグリーンカラー・ジョブと言っているのは、各地でエネルギー対策や環境対策に就く仕事人のことでもある。
 資金調達のための方策も、いろいろ提案されている。エネルギーの効率的利用を促進する「連邦リボルビング・ローン」の設立、水やエネルギーの革新技術グループに対する債務保証(2008年にエネルギー省が「クリーンエネルギー債務保証」制度を創設した)、エコ工業団地の連続的増設への投資、加えて偽グリーン企業の摘発方法まで‥‥。
 しかしながら、これらはアメリカがつねに恐れるスタグフレーション(経済成長の停滞と急激なインフレの同時進行)を警戒したもので、アメリカの国家と経済のためのグリーンエコノミーのアジェンダである。総覧するとエコ・ポピュリズムに近く、はたして本書が提案するあれこれのアイディアをそのまま日本に導入したほうがいいかは、よくよくフィルタリングしたほうがいい。ぼくはそう思った。

 著者は黒人で、「グリーン・フォー・オール」の創設者かつ会長。ネット上に「カラー・オブ・チェンジ」という社会団体を設立して話題をまき、精神科学協会のフェローにもなっている。2009年の「タイム」では「最も影響力のある100人」に選ばれた。
 この手のアメリカン・プレゼンテーションはたいていそうなのだが、本書のヴァン・ジョーンズのモットーもきわめて明快である。そこには巧みにアメリカン・スタイルが組み込まれている。
 自分で「ノアの法則」と言っている5つの原則は、次のようになっている。①「問題をへらし、解決策をふやす」、②「要求をへらし、目標をふやす」、③「標的をへらし、仲間をふやす」。なるほど、すぐれたモットーだ。よく、わかる。
 だが、次の④「非難をへらし、正直をふやす」や、⑤「安い愛国主義を抑え、真の愛国主義を高める」あたりは、いかにもアメリカっぽい。とくに⑤は、コーネル・ウェストが「国のために尽くさなければそれを救うことはできず、国を愛していなければそれを率いることはできない」というアメリカン・スピリットを体現していよう。ジョーンズは、「われわれが責任をもっと果たせば、アメリカが再び世界のリーダーになる日が近い」と言っているわけなのだ。われわれとはグリーンカラー・ワーカーのことをいう。
 アメリカン・スタイルの提案だとはいえ、ジョーンズが本書の最後にふりかざす合い言葉は、ついつい日本もマネしそうなものだった。なかなかうまい。こういうものだ、「課題はまだ残っている。時間はまだ残されている。われわれは次に、3つのPをめぐる戦いを開始しようではないか。すなわち、Price(価格)、People(人民・市民)、そしてPlanet(地球)!」

『脱原子力社会へ ―電力をグリーン化する』
著者:長谷川公一
2011年9月21日 第1刷発行
著者:長谷川公一
発行者:山口昭男
発行所:株式会社 岩波書店

【目次情報】

はじめに

第1章 なぜ原子力発電は止まらないのか
1 福島第一原発事故の教訓
2 なぜ原発建設は続いてきたのか
3 札束と権力 ―原子力施設受容のメカニズム
4 原発推進路線の袋小路

第2章 「グリーン化」は二一世紀の合い言葉
1 原子力離れと電力のグリーン化
2 サクラメント電力公社の再生が意味するもの
3 地球温暖化と「原子力ルネサンス」
4 電力をグリーン化するために

第3章 地域からの新しい声
1 巻原発住民投票の背景と帰結
2 再生可能エネルギーによる地域おこし
3 市民風車と市民共同発電

第4章 脱原子力社会に向けて
1 エネルギーとデモクラシー
2 ドイツはなぜ脱原子力に転換できたのか
3 日本の選択

あとがき
参考文献

【著者情報】
長谷川公一(はせがわ・こういち)
1954年山形県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。社会学博士。東北大学大学院文学研究科教授。環境社会学。社会運動論。市民社会論。
著書に、『脱原始力社会の選択 増補版―新エネルギー革命の時代』、Constructing Civil Society in Japan、『環境運動と新しい公共圏』、『紛争の社会学』。共著に『核燃料サイクル施設の社会学―青森県六ヶ所村』、『新幹線公害』、『高速文明の地域問題』。著書に『講座環境社会学』、『リーディングス環境』ほか。