才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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〈反転〉するグローバリゼーション

鈴木謙介

NTT出版 2007

装幀:米谷豪

グローバリゼーションが過剰になりすぎたいま、
世界は反転しようとしているのだろうか。
ではどこに、どのように反転がおこるべきなのか。
本書はアンソニー・ギデンズの「第三の道」と、
ネグリ=ハートの「マルチチュード」を両眼視して、
そこにプルードン風のアナキズムの再来を嗅ぎとった。
著者は現在34歳の俊英である。

 1998年のWTO閣僚会議で、ビル・クリントンは「グローバリゼーションとは政策的な選択のことではない。それは現実なのだ」と述べた。その翌年のシアトルのWTO閣僚会議には、市場原理主義の侵攻に対する「反グローバリズム」の市民デモが押し寄せた。

 田中宇(667夜)によれば、グローバリゼーション(globalization)という言葉が欧米の新聞に登場したのは1983年以降のことだという。ジェラード・デランティは、社会学用語としてグローバリゼーションが使われたのは1966年の「アメリカ社会学雑誌」でのことだったという。初見はどうであれ、やがてグローバリゼーションは20世紀の終わりに向かってまさに現実のものとなっていった。それは政治と経済の分野、とりわけ世界経済的にボーダレスな現象としてあらわれていく。ウォッチャー大前研一は80年代の終わりから、そうした“グローバルな現実”が目に付きはじめたと、すかさず書いている。
 しかしその後のグローバリゼーションの驀進ぐあいを見ていると、そこには見逃せない大きな特徴があらわれていた。それは経済のグローバリゼーションは「政治からの脱コントロール」をめざし、もっぱら「資本の論理」によって駆動されるようになっていたということである。
 これについては当初から、スーザン・ジョージのように(A)グローバリゼーションはワシントン・コンセンサスのような“黒幕”や“犯人”が推進したという見方と、アレックス・カリニコスのように(B)資本の世界化が止まらなくなったとする“暴走説”による見方に分かれてきたのだが、しばらくすると、もっといろいろな解釈や指摘が登場してきた。
 たとえば、(C)グローバリズムと資源フローの顕在化と国民国家の衰退とはカップリングされている(デイビッド・ヘルド)、(D)グローバリゼーションは地域の絆を失わせていく(ロバート・パットナム)、(E)グローバリズムとナショナルな国民国家は両立しうる、(F)グローバリゼーションは国家の枠組との調整をはかりながら変容する(サスキア・サッセン)、(G)グローバリズムは世界をフラット化させている(ベンジャミン・バーバー、ジョージ・リッツァ、トマス・フリードマン)、とかとか。
 こうした幾つもの見解はいまなお併走し、なお論争されたままにある。しかし本書では、こうした見解群の相違の議論ではなく、次の二つの際立つグローバリゼーション論のありかたを検証した。社会学者アンソニー・ギデンズの『第三の道』(日本経済新聞社)に象徴される「市民的グローバリゼーション」論と、ネグリ=ハート(1029夜)の「グローバル≒ローカル・マルチチュード」論である。

 本書は鈴木謙介の『暴走するインターネット』(イースト・プレス)と『カーニヴァル化する社会』(講談社現代新書)に次ぐ3冊目の単著にあたる。
 前2冊はなかなか刺激に富んだものだったが、本書はその刺激がさらに広域にも細部にもまたがり、かつ表層と深部を畳み針のごとく打ち返していて、領域は狭いけれども、より読みごたえのある論述になっている。鈴木はよほどの思索力・編集力の持ち主なのであろう。
 そういう鈴木の思想的才能についてはのちに少しだけふれることにして(文末の【参考情報】参照)、今夜はさっそくギデンズとネグリ=ハートの言い分に入っていくが、まずはかんたんな振り分けをしておく。
 アンソニー・ギデンズの言い分は、国家と個人という枠組のなかで、新自由主義型のグローバリズムが自己責任によって市場化された世界を生きることを強いるのに対して、人々が連帯し、生活の基盤となるコミュニティや市民社会をエンパワーすることを政治の中心課題とするべきだというのである。
 一方のネグリ=ハートは、市民的活動がグローバリゼーションによって広まることはありうるとしても、それがかえって世界を分断していくのではないか、だからマルチチュードはグローバルな市民秩序から排除されつつも、分断を超える運動にならなければならないというものである。
 鈴木はこのような見方は、ギデンズのものはデュルケムにつながり、ネグリ=ハートのものはプルードンにつながるとしている。

 ギデンズの「第三の道」案が、イギリス労働党のトニー・ブレアの政治方針に採用されたことはよく知られている。
 それまで労働党は社会民主主義の刷新を謳いながらも長らく修正主義につぐ修正主義の調整にとどまり、80年前後は「不満の冬」をかこっていた。それが90年代にむかって、ラディカルになったニューライトと保守的になった社民派との両方を乗り越えようとするポリティカル・パラダイムが少しずつ浮上してきた。それでもまだ靄々していたところがあったのだが、その気運が明白な政治方針になっていったのは、ギデンズの「第三の道」の提唱によっていた。福祉国家の道を進める「第一の道」、新自由主義に走る「第二の道」に対して、グローバリズムのなかでも市場主義と社会の安定は両立できるというものだ。
 ただしそれには、①福祉についてのリスクの対処を個人に求める、②共同体と市民社会を生活の基盤とする、③政府の役割は個人と市民社会のエンパワーメントに限定する、という最低3つの政策が採用される必要がある。そういうことも含んでいた。ブレア政権はこれを積極的に採り入れた(ぼくにはそうは見えなかったし、ぼくはブレアが嫌いだった)。同じころ、デンマークの「協定的経済」やオランダの「ポルダー・モデル」などが姿をあらわしてきたため、この方針は脚光を浴びた。
 ギデンズの基本政策には、金融取引の監視機関の設置、グローバル経済の“最後の貸し手”となる機関の創設、貧困解消のための援助、企業活動の規制、環境保全のための企業責任の強化などが含まれ、グローバリズム対策とともにアングロサクソン型の株式資本主義からもステークホルダー資本主義からも脱したいという方針が如実になっていた。
 これを短絡していえば「民営化」から「公共化」へのシフトだということになる。マーク・グラノヴェッターが提起した「埋め込まれた市場」と「保証する国家」の両立ともいえる。
 
 このようにギデンズが方針をたてたのは、事態をインターナショナル(国家間)な枠組ではなくトランスナショナル(超国家間)な枠組にもとづいたガバナンスによって解決したいと考えていたことを端的にあらわしている。
 鈴木はここにはコスモポリタニズムが動いていると見た。実際にもギデンズはこのような「第三の道」を、その後はあえて「新進歩主義」(ネオプログレッシヴィズム)と呼びなおすようになって、さらにコスモポリタニズムを強く主張していった。
 とはいえ、ギデンズの考え方にはコミュニティの政治社会的役割が重視されていた。それは明白だ。
 しかし、そのことについてはさまざまな賛成と反対が殺到した。共同体主義をいよいよ現実的な政治実践の場に移したというアミタイ・エツィオーニのような評価もあったし、コミュニティを利用して新自由主義の保守的価値への適応をはかっているにすぎないという批判もあった。後者の批判はアレックス・カリニコスや渋谷望によって深まっていった。

 『危険社会』を書いたウルリッヒ・ベックは、これまでのグローバリズムに対して3つの保護主義が反対の狼煙をあげたものの、そこにはそれぞれの限界があると指摘した。3つの保護主義者たちとは黒い保護主義、緑の保護主義、赤い保護主義だ。
 「黒い保護主義」というのは、価値の崩壊とナショナルなものの喪失を嘆きつつ国民国家の新自由主義を解体していこうというものをさす。「緑の保護主義」は市場に対して環境保護の基準を突き付け、強制力をもつ国民国家の創出をめざす。いわゆる環境主義だ。「赤い保護主義」はお察しの通り、マルクス主義の立場からグローバリゼーションを批判したり理解したりするグループのことをいう。
 ベックのこの指摘以降、ネグリ=ハートの思想と運動が「赤い保護主義」に押しやられることがあった。しかしはたしてそうかと鈴木は問うた。本書はここから俄然おもしろくなっていく。これまで、ネグリ=ハートの「帝国」(エンパイア)論や「マルチチュード」論についてはさまざまな誤解があったのだが、そこを鈴木が巧みに整序していったからだ。ざっとは次のようになろう。

 第1にネグリらは、グローバリゼーションをたんなる資本の運動とも帝国主義が延長されたプロセスとも見ていない。そういうものとは質的に異なったものだと見ている。
 たしかにグローバルな資本の運動は政治的な力と結びついてはいるが、その政治的な力は帝国主義的な国家を超える単一の力なのである。それをこそ「帝国」の出現としか呼びようのないものなのだ。この帝国はなるほど明らかにアメリカ、とりわけ9・11以降のアメリカから過剰に生まれたものではあるが、実はアメリカ帝国それ自体のことではない。この帝国はアメリカを超えていくものである。
 第2に、ネグリ=ハートのグローバリゼーション論は「反グローバリゼーション」ではないと言うべきだ。グローバル・システムの改革ではあるが、どちらかといえば「オルター・グローバリゼーション」(もうひとつのグローバリゼーション)なのだ。そこにはだからトービン税の導入や途上国の債務帳消しにあたるアイディアなども含まれる。
 第3に、いわゆるグローバリゼーションの動向はふつうは不可逆なものだとみなされていて、それゆえ企業はグローバル・スタンダードをたえずほしがっていくことになるのだが、ネグリらにとってのグローバリゼーションは可逆的なのである。だからこそそこに「生-政治」が生まれうるという論法になっている。
 第4に、ネグリらにとってグローバル・システムを変更していく主体はマルチチュードということになるのだが、これは“本歌取り”の戦略だということである。再帰的(リフレクシブ)なのだ。そこがアンチ・グローバリズムではないというところで、またジョージ・ソロス(1332夜)らの漸進的社会工学とつながってしまうところなのだ。
 第5に、マルチチュードは「共」をめざし、公と私のあいだに生じるコモンズを矛盾と葛藤を恐れず多点多面に前進していくことをめざしているが、それはインターネット普及によって生じていくコモンズとはどんな類似性があるか、いいかえればネグリらの作戦はすでにウェブの中に吸いこまれているのかどうか、そこを点検しなければならないのではないかということだ。

 ざっとこんな整序を通して、鈴木はギデンズの「第三の道」から零れていったグローバリゼーション論や、「赤い保護主義」を組み敷いていくマルチチュード型のグローバリゼーション論が、しかしシャンタル・ムフの「多元的民主主義」や公文俊平の「共の原理」やウェブ社会の多様性とどう異なっているのかを検討し、実はグローバリゼーションはそれ自体が反転しようとしているのだという方向を嗅ぎ出していく。
 このとき、鈴木が気にするのはインターネットがもたらす社会の将来像とギデンズやネグリの想定する近未来社会との相違である。すでに『暴走するインターネット』などの著書のある鈴木は、キャス・サンスティーンらが主張する「インターネットは政治的危機を招く」という判断がどの程度のものかを議論する。
 サンスティーンの主張は、ネット社会にいま以上のカスタマイズがおこっていけば、“デイリーミー”が次々にエコーチェンバー式に増幅されて、結局は多くの情報が見えなくなっていくのではないかというものである。たしかに最近のグーグル検索熱の野放図な広がり方は、そのようなサイバー・カスケードをおこしているかのようだ。
 インターネットでは、一見、誰もが公平に情報を検索できているようでいて、実のところは集団分極化がおこっているのはあきらかなのである。ではこれって、いったい多元的な民主主義やマルチチュードな出来事なのかどうか。加えてそこにサイバーテロがおこったらどうなるのか。そこが問われる。またこれって、「帝国」とマルチチュードのあいだの軋轢でもあるのではないか。すでに中国ではそういうことが頻繁におこっているのではないか。そういうことも議論の俎上にのぼってこよう。
 しかし鈴木にとっては、このへんのことはそんなに大きな問題ではないらしい。むしろ本書が本領を発揮するのはこのあとで、ギデンズとネグリをつなぐものとして「アナキズムの蘇生」を嗅ぎ出していったことだった。アナキズムにこそ新たなオルター・グローバリゼーションがあるのではないかという見解を案内していったことだった。
 これは柄谷行人(955夜)やデヴィッド・グレーバーもプルードン哲学の再生として早くに提出していた見方でもあった(グレーバーについてはそのうち千夜千冊する予定)。

 プルードンによるアナキズム思想の骨格は、「労働者の自己疎外としての国家は諸個人の自由な活動を組み合わせた経済革命によって乗り越えられる」というところにある。それをラディカルに象徴していたのが有名な「所有とは盗みである」という言葉だった。
 この思想は、すでに千夜千冊してきたように、貨幣についての根本的な提起をともなうものになる。プルードンはそこを、「貨幣と利子がなくては交換の信用を得られない社会を、すべての商品が“価値の構成”の属性をもつ社会への転換に変じていく」というふうに描いた。そして貨幣のもつ片務性を相対化して、あえて信用の無償化をおこすことを提起した。それが相互性や互酬性をもつアソシエーションを基盤とする交換原理というものだった。
 実はネグリ=ハートは、自分たちの思想がアナキズムだと見られることには反対している。ギデンズはましてアナキズムから遠いとみなされてきた。しかしながら、ギデンズのコスモポリタニズムがルーツとするデュルケムにルソー主義への批判があり、ネグリ=ハートに分断される市民を巻き込む連帯的マルチチュードの創発があるかぎり、ここにはプルードン思想がふたつながら原郷を示していたともいいうるのである。ぼくはこのへんの見方は当たっていると思う。
 もっとも、ここには新たな問題も生じていく。このようなアナーキーなオルター・グローバリゼーションは、いわゆるローカリズムやコミュニタリアニズムと一緒くたにならなのかということだ。またそこには地域通貨や並列通貨が顔を出してくるのではないかということだ。
 詳しいことは紹介しないけれど、鈴木はこの点についても配慮を見せて、大澤真幸(1084夜)の「第三者の審級」論、加藤敏春のエコマネー論(残念ながらシルビオ・ゲゼルにまでは触れていないが)、金子郁容(1125夜)のボランタリー議論、広井良典のコミュニティ論、今田剛士の日本の農本主義との関連性の指摘などを点検し、一見するとローカルな議論あるいはコミュニタリアンな議論とされている多くの問題提起には、オルター・グローバリゼーションやアナキズムとのそれなりの共鳴性があることを指摘した。ただしコミュニタリアニズムについての議論はあまりされてはいない。
 というわけで、こうした理論的な試みのすべてを含めて、いま、世界はグローバリゼーション自体の反転をおこしているのだというのが鈴木の見解だったのである。
 それにしても鈴木の整序や案内は、なかなかの手腕であった。ぼくとしてはここにニクラス・ルーマン(1349夜)やリチャード・ローティ(1350夜)を脱出したダブル・コンティンジェントな視点が加わり、さらには編集的な方法の強調がおこることを期待するが、ここから先はきっと鈴木もすでに独自の予定をたてているところなのだろう。

【参考情報】

(1)鈴木謙介は1976年生まれ。東京都立大学と大学院で理論社会学を修得し、ネット文化やニート世代について早くから発言をして、『暴走するインターネット』(イースト・プレス)、『カーニヴァル化する社会』(講談社現代新書)、『ウェブ社会の思想』(NHKブックス)を著すほか、『21世紀の現実』(ミネルヴァ書房)、『ised』(河出書房新社)、『思想地図』(NHKブックス別巻)などを共著してきた。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター研究員をへて、いまは関西学院大学社会学部准教授になっている。現在、34歳。
 このような鈴木の研究活動や言論活動は、当初は東浩紀が編集していたメールマガジン「波状言論」で連載された「カーニヴァル・モダニティ・ライフ」で注目を浴び、それが『カーニヴァル化する社会』で結実して、さらに話題を呼んだ。「カーニヴァル」はもともと人類学ではつねに取り沙汰されてきた用語だが、改めてはシグムント・バウマン(1237夜)が再提起した概念で、近代後期の社会特質をあらわすものとして、ソリッドな大きな物語が失われたぶん、リキッドな社会が向かった特質を象徴している。鈴木はここに注目して、日本のニート世代が「やりたいことしかやりたくない」や「ずっと自分を見張っていたい」と思うののはなぜかと問い、そこから今日の社会やウェブ社会に出入りする共同体・共同性・コミュニティ・コモンズに共通する再帰的祝祭性を取り出したのだった。
 すでに感想を書いたけれど、そのゼロ年代としての手並みは30代前後からかなり抜きん出ていた。おそらくは柄谷やデヴィッド・グレーバーに示唆されたのだろうが、グローバリゼーションを反転して見たときの底辺にアナキズムの光を見いだしたのは、なんといっても筋がいい。
(2)本書には何人もの思想家や理論家が高速で登場するが、とくにアンソニー・ギデンズに多くのページをさいているのが意外だった。ギデンズは社会学者としては早くからその名を馳せていた研究者で、とくに1998年に刊行された『第三の道』(日本経済新聞社)にはたいへんな反響があった。一言でいえば「ポジティブ・ウェルフェア」を確保するための社民的な社会経済政策に、互いに相克しかねない「効率と公正」を新たにつなげ、「制度的再帰性」によって社会化していくことを提案するという学者だ。それでうまくいけば御の字だったが、これを全面採用したトニー・ブレアの政策は、結局はアメリカとの連携をはかりすぎて失敗した。
 それをもってギデンズに何かの烙印を捺すべきではないし、またそれをもってギデンズが重視した「再帰性」をめぐる考え方が失墜したわけでもないのだが、ぼくが思うにはギデンズの「再帰性」論は、他の連中の再帰性論にくらべてもあまりにもダイナミックスに欠けていて、おもしくないものなのである。ということは、鈴木はギデンズから入ってそのあとにデュルケムをへてプルードンに行くコースを選ぶよりも、最初からアナルコ・キャピタリズムなどを取り上げてもよかったはずなのだ。そこが意外だったという意味だ。
(3)ギデンズについてもう一言。ギデンズには渡辺聰子との共著『日本の新たな「第三の道」』(ダイヤモンド社)がある。これは民主党鳩山政権がスタートしてからのもので、さまざまな提言を満載している。渡辺は上智大学の社会学教授で、1995年にギデンズを日本に招いた張本人だった。
 この本が言わんとしているのは、ヨーロッパで「福祉国家を掲げる社会民主主義政党」と「新自由主義を掲げる保守政党」とがかわりばんこに政権を取ってきたからといって、そんな真似をする必要はない。ヨーロッパはそのために政策転換ばかりを旗印にしてきたため、病巣を深くしたのだから、日本が採るべき「第三の道」は最初から「市場と福祉」の利用法を同時に改革する統合的なものとなるべきで、新たな政権はそこをめざすべきだというものだ。ギデンズ執筆による「欧米社会モデルからの教訓」はそれなりのヒントになる。
(4)ネグリ=ハートについては、ここではふれないでおく。あまりにたくさんの議論もあるし、参考書もふえた。ひとつだけ、パオロ・ヴィルノの『マルチチュードの文法』(月曜社)がたいへんに示唆深かったので、紹介しておく。ヴィルノは長きにわたるネグリやハートの旧友である。
 本書が書いていることで最も興味深かったのは、「生-政治」が大事なものになるには、まずは「生-言語」に向かうべきだと言っているところ、および、マルチチュードは人民の反対語だと言っているところだ。「言語こそマルチチュードとなるべきだ」、および「マルチチュードあるところに人民なし、人民あるところにマルチチュードなし」というところだ。とくに記述の半ばに出てくる「アリストテレスからグレン・グールドヘ」というあたりは、とてもすばらしい。テオリア・ポイエーシス・プラクシスの高らかな21世紀的転換になっている。