才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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ポスト新自由主義

山口二郎 編

七つ森書館 2009

装幀:幅雅臣

今夜からはいまだ迷走中の
「ポスト新自由主義」や「新しい資本主義」や
「顔が見える資本主義」についての考え方を
あれこれジグザグに少しずつ案内していきたい。
それにはむろん、いったい何に失敗したかが
突き止められなければならないが、
まあ、そこらあたりはゆっくり進水していこう。
まずは日本の5人の論客や活動家によるレポートだ。

 この本は、北海道大学の山口二郎がゼミを通して呼びかけて集まった「デモスノルテ」という学生ボランティアたちが催している「フォーラムin時計台」の記録である。本書がシリーズ2冊目にあたるらしい。

 したがって、いずれもゲストスピーカーによる講演のあとに山口との質疑のようなものが挟まれている。こういう本は発言者が別々の立場で勝手な話をするのでまとまりを欠くことが少なくないが、本書の場合は、その骨格が冒頭に加えた金子勝(1353夜)との対話でだいたいが出来ているのでホッとした。時計台フォーラムで欠けたところを、本書上梓にあたって補ったようだ。
 金子については1353夜で紹介したばかりで、ぼくは日本のエコノミストとしてのその先駆性を評価したけれど、本書ではむろんグローバル資本主義の幻想を暴くという得意な弁舌を発揮しているとともに、その後の世界経済のありかたをめぐっての発言もしている。最初にそのことをかいつまんでおくと、だいたいは次のようなことだ。
 第1には、世界金融危機の本質は資源インフレと資産デフレによるものだったということ。すなわち石油と食糧のインフレと、バブル崩壊による資産デフレ、この二つが同時に進行したスタグフレーションだったということである。金子によれば、この対策にもはやマクロ経済政策もミクロ経済政策も効き目はない。
 第2に、この現状に対してオバマがやろうとしているのは環境投資政策で、それがグリーン・ニューディールなのだが、これはいわば「隠れたシュンペーター・ヴィジョン」ともいうべきもので、半分はクリントン時代の産業政策の継承、半分はケインズ政策の復活だろうということだ。つまりお題目はシュンペーター流の「創造的破壊」にあって、そのためにジョン・ポデスタやロバート・ゲイツなどの英才を起用したのだろうけれど、金子からすれば、そこには他方で大胆な損失処理が伴うはずだから、それを失敗すれば元も子もなくだろうというふうになる。
 第3に、日本はどうかといえば、金融立国に代わる産業政策を早めに確立しなければいけない。すでに小泉時代に財政の3つの経費、国債費と社会保障費と地方財政対策費の3つともを組み立てそこなった。さらには雇用が崩壊して、貿易赤字国になっているのだから、まったく新しい産業構造を提案しなければならない。どんなことを提案すべきかといえば、たとえば今村奈良臣が提唱した「第六次産業化」だ。加工(第一次産業化)、流通(第二次産業化)、販売・サービス(第三次産業化)のそれぞれに付加価値をつけて統合化するといった方策だ。
 ざっとは、こんなところだ。そのほか、いろいろのことを金子は語っているが、このくらいにしておく。1353夜に紹介した著書群にあたられたい。では、以下にゲスト発言者たちのアウトラインと言いっぷりを紹介しておく。それぞれタフであり、それぞれ一家言がある。

 自治省(現在の総務省)出身で、鳥取県知事を8年間務めた片山善博は、その後は慶応で地方自治を教え、テレビのコメンテーターなどで顔を売ったのちは、いまは菅民主党政権の総務大臣になっている。その片山が夕張市の経営破綻について語った。人口たった1万数千人の自治体がなんと600億円の債務(経理上は400億円弱)で倒産したわけである。
 なぜ借金が膨らんだかというと、「正規の借金」と「闇の借金」の両方がかさんだ。それを市長も議会もチェックしなかった。正規の借金は地方債で、これは当然ながらいちいち議会の承認がいる。それが300億円になっていた。地方債は10年で返すから、1年で元金だけで30億円を返す必要がある。夕張市の財政は43億円程度(地方税と地方交付付税交付金)だったから、そんな体力で30億円ずつ返すのは不可能である。
 加えて、闇の借金も300億円近かった。金融機関からこっそり借りた金で、これは一時借入金の「転がし」にあたる。たとえば4月1日に銀行から300億円借りて、年度内の3月31日にそれを返して、また4月1日に借りる。そういうふうにした。つまりは粉飾経理である。そんなことをさせた銀行もひどい。
 片山は鳥取県知事時代に、「日本の地方議会は八百長ばかりが多い」と言って物議をかもしたことがある。八百長というのは、結論を決めてから議会を開くことをいう。片山は「議会の根回しをしない」と言って知事になったのだが、そのため修正や否決はしょっちゅうだった。しかし、そういう議会でないかぎり、地方政治はヘタるだけなのだ。では、この体験を民主政権にいて国政に生かせるか。お手並み拝見だ。

 3番手の高橋伸彰は早稲田の政経出身で、日本開発銀行(現在は日本政策投資銀行)をへて、いまは立命館の国際関係学部にいる。『優しい経済学』(ちくま新書)や『グローバル化と日本の課題』(岩波書店)をぼくも読んだ。
 高橋はお父さんが北海道の北炭に勤めていたので、三笠という炭鉱町に生まれ、夕張にもいた。北炭(北海道炭礦汽船)は政商として有名な萩原吉太郎によって牛耳られていた企業だが、高橋の青春期にはすでに“黒いダイヤ”と呼ばれてきた石炭産業は石油化学産業に押されて崩壊し、ポスト石炭時代をどうするかという課題が全面化していた。
 そういうときに、夕張市は「石炭の歴史村」「夕張メロン」「マウントレースイ・スキー場」「夕張国際映画祭」といったポスト石炭の市政に打って出たわけである。そんなことをしようとして借金をしたから破綻したのかというと、ここから片山の話と微妙にくいちがってくる。高橋は、夕張市は借金はしたものの、いずれも斬新な施策だったと言う。それをやったのは中田鉄治市長だったのだが、それが結局は財政破綻に陥った。
 その中田が助役のころ、高橋は日本開発銀行時代に融資を頼まれて付き合っていた。25億円の融資を頼まれ、高橋はそれで地方の町が活性化するならと承諾したのだが、本店が蹴った。中田はそのとき、銀行はもっと貸さなきゃダメだ。借り手によってその投資がいくらでも大きくなって返ってくるんだという哲学をぶちまけた。
 炭鉱町に住み、中田のことも知っていたせいか、高橋が夕張破綻を見る目は片山とは違っている。
 まず、かつて北炭は町そのもののインフラをさまざまに提供していた。多くの炭鉱社員の社宅をクラス別に作り、水道代も電気代もタダ同然で提供し(北炭は発電所ももっていた)、病院を設立し、映画館などの娯楽施設も建てた。しかし次に、その北炭が閉山に追いこまれたとき、萩原吉太郎はなんとかこれを打開しようとして新鉱開発に資金を投じたのだが、その夕張新鉱がわずか8年で93人の犠牲者を出して、さらなる閉山に追いこまれた。萩原は「資本の論理」に敗退していったのだ。

 夕張市が財政破綻になったのは、夕張からすべての炭鉱が消えた1990年からだと高橋には見える。このとき中田市長は夕張市が北炭からインフラを買い取り、それを維持管理するために借金をしてでもがんばれば、その借金をいずれ国や道がある程度は肩代わりしてくれると予想していたはずである。けれども、それがダメになったのは、小泉竹中の改革が自己責任論を持ち出して、一挙に自己破産宣告を誘導したからではなかったか。高橋はそう見るのだ。
 このことを本書では、「文明は合理的だが、文化は非合理ながらもみんながそのルールをいかしているのだから、何かが失敗したとしても、それをすべて文明の合理で切り裂いていくのはどういうものか」というふうに、語っている。
 むろんその通りだ。だが、そこをどうするかである。『二つの自由主義』のジョン・グレイ(1357夜)はそこに「暫定協定」という方法を入れたわけだった。

 たとえば福祉である。これまで福祉を支えてきたのは、①人間が互いにもっているだろう慈愛心、②さまざまな社会保険システム、③企業福祉力、この3つだった。
 ①の慈愛心はよほど子供時代に教育されないと、なかなか発揮できない。②の社会保険システムは国家の福祉政策の根幹になっているのだが、実は何をリスクとみなすかが難しい。みんなが同じようにリスクに直面しているということなど、ありえないからだ。③の企業福祉力は、それこそ昭和40年代までの北炭のような企業にはあったものだったが、いまは薄れてしまった。その理由は、資本がグローバルに動きまわり、生産拠点もまた好きなところへ移動できるようになって、企業と従業員の関係が地域から離れていったからだった。もうひとつは社会主義国家がさかんに打ち出していた「人の一生の面倒を見る計画経済」が破綻した。さらにここにコンプライアンスが加わった。
 こうして福祉に代わって「セーフティーネット」と「再分配システム」のしくみを用意するという考え方が浮上してきた。高橋もいっときはここに最大の突破口があると見ていた。しかしあるときから、この突破口はグローバル資本主義が大手をふっているあいだはムリがあるというふうに思うようになった。いくら再分配をしようとしても、その前にグローバル資本主義がもっと大きな所得と格差をつくりだしてしまうからだ。
 ここはやっぱり、資本主義そのものがもたらすトータルな総資本に戻って、そこからの配分方式を変更しないかぎりは、新たな突破口はつくれない。ウォーレン・バフェットやビル・ゲイツばかりにお金が集中していくのでは、つまりは株主が儲かるか儲からないかというビジネス社会ばかりでは、たまに大儲けした連中がいくらそのあとに慈善行為をしてみせようと、社会はなんら変わらないわけなのだ。
 信用の供与によって仮想的な取引が拡大していくような社会では、もう無理がある。そうではない信用によって組み直された社会が必要なのである。新たな信用や価値の産出にとりくまないとダメなのだ(グレイはそこで「暫定協定」を持ち出したのだった)。

 4番目の上野千鶴子(875夜)のセッションは、高橋の福祉論や再分配論を多少は受けるかっこうで、「わたしのことはわたしが決める」というふうになっている。上野さんらしいタイトルだ。
 中身は、上野・中西正司の共著『当事者主権』(岩波新書)にも述べられていたラディカルな提案に近いもので、そうとうに説得力がある。ちなみに中西さんは20歳のときに交通事故で四肢麻痺になり、1986年に八王子で障害者が自立するためのヒューマンケア協会を立ち上げ、いまは全国自立生活センター協議会の代表として活躍している。
 「当事者主権」という言葉は、いい。世の中では「社会的弱者」などと呼ばれることが多いのだが、上野や中西はその弱者が何かをしてもらおうとするだけでなく、自分から「したいこと」も「してもらいたいこと」も決めていくようにするべきだと言う。社会が弱者だと規定するその当事者が、自分のほうから主権を主張して動く。
 これはたんなる自己決定や自己責任なのではない。それはネオリベ(新自由主義)が言いたがることだ。そうではなくて、英語でいえば“self governance”(自己統治)とか“individual autonomy”(個人の自律)というふうになる。たんなる自立ではなく、自律。その当事者の自律的な運動が「わたしのことはわたしが決める」なのである。
 このような主張や運動が重要になってくるのは、2000年に高齢者に対する介護保険の概念が大きく変わったからだった。福祉は「措置」から「契約」へ、「恩恵」から「権利」へと変わった。それなら高齢者こそが当事者にならなければならない。
 高齢者だけが当事者になるだけでは足りない。官も民も変わらなければならない。新自由主義の構造改革は社会保障を総量規制のもとに押しこみ、官から民を標榜した。それではダメだ。上野は、官・民・共・協・私の「福祉ミックス」にならなければいけないと言う。「共」や「協」というのはコモンズのことをいう。
 こういう発想や展望は、新自由主義者には逆立ちしても思いつけない。それをポスト新自由主義というのかどうかは知らないが。
 上野の言いっぷりはあいかわらずラディカルで冴えまくっているが、詳しくは中西との共著の『当事者主権』と、評判の『おひとりさまの老後』(法研)を、また『老いる準備』(朝日文庫)や『ニーズ中心の福祉社会へ:当事者主権の次世代福祉戦略』(医学書院)を読まれるといい。

 最後のゲストスピーカーの柄谷行人(955夜)は、講演タイトルは「地域自治から世界共和国へ」だが、話のほうはもっとざっくりしたもので、タイトル通りのことを知りたいなら、『世界共和国へ』(岩波新書)を読んだほうがずっと早い。
 そのかわり、この講演では社会学から「部分社会」というキーワードを引っ張り出して、これを本来の意味での「アソシエーション」と捉え直すということをしている。
 部分社会は「掟」のようなものをもっている。家族や部族がそうだったし、宗派や企業やサークルもそうなっている。一方、「全体社会」のほうは「法」をもっている。二つは似ているところもあるが、たいていは部分社会の掟は全体社会の法の前では通用しない。日本社会は明治の近代化以降、この部分社会を心情的に残しながらも、全体としては法の社会に突き進んでいった。当然、そこには亀裂も矛盾も生まれた。
 そういう話をしながら、柄谷はこの二つの社会を融合させたり統合したりしていくには、商品交換だけで成り立っている市場主義を大きく変更して、新たな「互酬的社会」をつくっていかなければならないのではないかと提案する。それが柄谷の言う「アソシエーション」なのである。
 ここから先は『世界共和国へ』が詳しい。何が書いてあるかというと、交換経済と世界経済の歴史をざっと振り返ったうえで、本来の交換社会が資本やネーション(国民)の頚(くびき)を脱して自由にふるまうようになるには、どうしたらいいかという議論に導いていく。
 そこで提案されるのが国家と共同体の拘束を脱して、共同体(部分社会)の中にあった互酬性を高次元で取り返そうとするためのアソシエーショニズムなのである。

 かつてアソシエーショニズムは宗教の中で体現されてきた。しかし柄谷はアソシエーションを宗教のかたちをとるかぎりは教会や宗派や国家のシステムに回収されてしまうので、宗教に頼っていては先に進めないと言う。ただし宗教的なるものを否定するのではなく、その良質性を継承する必要もある。
 そういうことに気が付いたのはカントだった。カントは「世界市民的な道徳的共同体」を夢想した。それを「世界共和国」ともみなした。そしてそのうえで、そのためには政治的経済的な基盤が必要だと考えた。
 この基盤は「全体社会」が認容した資本と商品によって動くのではない。カントは小生産者たちのアソシエーションによってそれがつくられる可能性があるのではないかと考えた。
 むろんカントの時代の発想だけではいろいろ限界がある。金融と情報の両システムがゆきわたった現在では、そんなことをしても「再分配」がなかなかうまくいかないから、ついつい「セフティーネット」を用意せざるをえなくなっていく。しかもネットをどこに張るかによっては、そこにどうしても線引きが出る。現状の経済対策はここで暗礁に乗り上げたままになっていく。では、どうするか。
 柄谷は富の格差を埋めるのではなく、そもそも「富の格差が生じない交換システム」が、カントの考え方の延長にあるのではないかと予想する。そしてプルードンの思想をヒントに、「貨幣」の正体から自由になりうる社会がありうるだろうと想定した。
 それは経済力が社会力の屋根を突き破らない社会である。そういう社会は、まずは各地の個別的なアソシエーションから始まって、それらをネットワーク的につなげていくことで、きっとそのモデルの姿をあらわすことができる。柄谷はそう考えて、「ぼくは世界共和国の原理は、贈与の原理や互酬性の原理にもとづくものだろうと思っています」と締めくくる。
 以上の話を聞いていた山口は、柄谷の話がなんだか封建制社会の復活のようにも見えて、いささか疑問を呈するのだが、柄谷は言下にこう言ってのける。「ぼくが言いたいのは、新しい形態というのはむしろ古いと見えるものに根差しているということです」。

【参考情報】
(1)山口二郎は1958年の岡山生まれで、東大法学部を出たのち当初は5年ほどのつもりで北大に赴任したのが、もう25年に及んだ。途中、コーネル大学留学、オックスフォード大学のカレッジ研究員などを経て、現在は北海道大学大学院の法学研究科教授、公共政策学連携研究部教授。著書・共著・編著はあれこれ多いが、主な著書には『大蔵官僚支配の終焉』『一党支配体制の崩壊』『危機の日本政治』『ポスト戦後政治への対抗軸』『強者の政治に対抗する』『日本政治の課題』(いずれも岩波書店)、『日本政治の同時代的読み方』(朝日新聞社)、『政治改革』『ブレア時代のイギリス』『戦後政治の崩壊』『政権交代論』(いずれも岩波新書)、『イギリスの政治・日本の政治』(ちくま新書)、『市民社会民主主義への挑戦』(日本経済評論社)、『若者のための政治マニュアル』(講談社現代新書)、『内閣制度』(東京大学出版会)などがある。
 山口の政治研究は大蔵省の意思決定についての研究に始まった。細川内閣の誕生前後からは選挙制度改革や政界再編などの政治改革の旗振り役とも、村山政権の政策提言のブレーンともなった。のちに小沢一郎の政策を応援し、民主党の「生活第一」のスローガン発案者だとも言われる。本人の弁によると、いっときイギリス労働党やドイツ社会民主党のような政党の日本化に関心をもったが、実を結ばず、しばしば溜息をついているという。
(2)ゲストスピーカー、とくに柄谷・上野・金子についてはいまさら紹介するまでもないだろうが、片山善博には『市民社会と地方自治』(慶応義塾大学出版会)、『住むことは生きること』(東信堂)などの、高橋伸彰には『優しい経済学』(ちくま新書)、『少子高齢化の死角』(ミネルヴァ書房)、『グローバル化と日本の課題』(岩波書店)などの著書がある。ぼくは高橋の今後にちょっと期待がある。
(3)本書を千夜千冊したのは、ここからゆっくりとポスト新自由主義やポストグローバリズムを展望した本をあれこれ案内したいからである。それには本書がわかりやすく、また多様な出発点になるだろうからだった。
 ちなみに誰もそんなことをしていないだろうから、こんなことはお節介なことになるが、もしも多少の“予習”をしたいなら、たとえば次のような前提的な本を見ておいてほしい。
 ジークムンド・バウマン『リキッド・モダニティ』(大月書店)、ノルベルト・ボルツ『世界コミュニケーション』(東京大学出版会)、ヴィレム・フルッサー『サブジェクトからプロジェクトへ』(東京大学出版会)、ジャック・アダ『経済のグローバル化とは何か』(ナカニシヤ出版)、ウェイン・エルウッド『グローバリゼーションとはなにか』(こぶし書房)、スーザン・ジョージ『オルター・グローバリゼーション宣言』(作品社)、ジョン・カバナ&ジェリー・マンダー『ポストグローバル社会の可能性』(緑風出版)、渡辺治・二宮厚美・岡田知弘・後藤道夫『新自由主義か新福祉国家か』(旬報社)、有賀誠・伊藤恭彦・松井暁『ポスト・リベラリズム』(ナカニシヤ出版)、ジャック・アタリ『反グローバリズム』(彩流社)、浜矩子『グローバル恐慌』(岩波新書)、ジャン・ボードリヤール『暴力とグローバリゼーション』(NTT出版)、トマス・アトゥツェルト&ヨスト・ミュラー『新世界秩序批判』(以文社)、ヘルド&マッグルー『グローバル化と反グローバル化』(日本経済評論社)、鈴木謙介『反転するグローバリゼーション』(NTT出版)などなど。