才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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金と魔術

『ファウスト』と近代経済

ハンス・クリストフ・ビンスヴァンガー

法政大学出版局 1992

Hans Christoph Binswanger
Geld und Magie 1985
[訳]清水健次

ファウスト伝説とは何か。
その魔術に隠されていた錬金術や換金術。
なぜファウストはそんな悪魔と契約をしたのか。
ゲーテはファウスト伝説から、何を取り出したのか。
ゲーテが仕込んだ謎はきわめて深く、問題は近代社会が選択した根本にかかわってくる。
そしてそこに、貨幣の隠された意味が浮かび上がる。
いよいよ証かされる貨幣の魔術的本質を、
今夜はゲーテの問いに戻って、しばし逍遥する。

 ドイツの小都市シュタウフェンの市役所の広場のそばに「獅子亭」がある。1539年、この宿泊レストランで特筆すべき死亡例があったことが建物の外壁に告知されている。こういうものだ。

 「西暦1539年、この獅子亭においてファウスト博士なる奇妙な黒い魔術師ありて、悲惨なる死を遂げたり。ファウスト博士なる男が存命中、ひたすら義兄弟と呼びし悪魔の長の一人メフィストフェレスなる者が24年間にわたる契約の切れし後、ファウスト博士の首の骨をばへし折り、その哀れなる魂を永劫に地獄に引き渡せりと言い伝えらる」。
 16世紀ヨーロッパに出入りしていたファウスト伝説がどういうものであるかは諸説があるが、ファウストが「黒い魔術」すなわち「錬金術」に長けていただろうことは、どの伝説にも共通する。「人造の金」の精錬に夢中になって各地を渡り歩き、その魔術的技能を吹聴してさまざまな貴族にその腕を信じこませていたらしいことも、各種ヴァージョンが伝わっている。シュタウフェン男爵が手元不如意になったときも、ファウストは自分の錬金術が役立つと信じこませていたらしい。
 シュタウフェンはファウストが死んだ(殺された)とされる土地である。そのためその後、ファウストをめぐる噂はさまざまに尾鰭をつけ、人々はこの男を悪魔メフィストフェレスと契約を結んだファウスト博士として結像させていった。

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シュタウフェンの「獅子亭」とその壁画

 ファウスト伝説が最初に書物になったのは、1587年にフランクフルトで出版された『ヨハン・ファウスト博士の物語』だった。斯界では通称「ファウスト本」とか「ファウスト・ヒストリア」と呼ばれる。ヒストリアとは「事実にもとづいた歴史」のことをいう。この書物を印刷・出版した業者がヨハン・シュピースだということもわかっている。
 この「ヒストリア」のなかでは、ファウストはワイマール近郊のロート村に生まれたことになっている。敬虔な農民の子だったらしく、ウィッテンベルクの富裕な伯父のもとに引きとられると、学生時代をへて順調に神学博士となったのだが、やがて心変わりして魔法や魔術の研究に傾斜していったとある。
 ついで神学者から転向して医学博士を名のり、各地を訪れては万能医者としての治療や助言にあたるうち、想い深まってある森で悪魔を呼び出すことにした。おそらく騒霊(ポルターガイスト)に挑んだのである。
 首尾よく悪魔の霊が呼び出され、何度かの会合を重ねるうち、この霊はその名をメフィストフィレスと言い、大悪魔ルシファーに仕えるガイスト(霊)であることがわかった。メフィストフィレスとはどうやら「光を好まない者」という意味だった。
 それが気にいったファウストはメフィストフィレスと契約をしたいと言い出し、もし自分の欲望が叶えられればキリスト教の敵となって、メフィストフィレスに自分の魂と肉体を提供すると申し出た。何かと引き替えに自分を売ったのだ。かくてここにファウストと悪魔の代理人との前代未聞の契約が結ばれたのである。

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右上:南西ドイツの小村クニットリンゲンにあるファウストの「生家」と称する家。
右下:ファウストが1525年から1532年まで住んでいたとされる家。現在は書店になっている。
左:マウルブロン修道院にある「ファウスト塔」。ファウストはここで悪魔に連れ去れたといわれている。

 ファウスト伝説には、そのほかいろいろのエピソードが交じっていく。曰くニュルンベルクで錬金術師として活躍した、曰くフランクフルトの見本市で貨幣の両替を繰り返していた、曰くバンベルクで魔法でこしらえた豚を売った、そのほか云々。
 さて、いまさらいうまでもなく、このような話の展開をもつファウスト伝説が、その後、ゲーテ(970夜)のレーゼドラマ『ファウスト』の下敷きになったわけである。
 しかし、ゲーテは伝説を下敷きにはしたものの、『ファウスト』をかなり独特の物語にしていった。ゲーテが生涯にわたって抱えたテーマのすべてを注ぎこもうとしたからだ。そのため1773年に着手していながら、死ぬ直前の1831年までの60年を費やしたほどだった
 今夜は『ファウスト』を案内するところではないので、詳しいことは何も書かないが、ゲーテがファウストという主人公に何を託したかという仕込みは肝腎な点なので、かんたんに言っておく。

 ゲーテはファウストを、哲学・法学・医学・神学を研究しつづけながらも“学問と現世の空虚”にたどりついてしまった学者として設定した。
 そして、そのファウストが自身の可能性に失望して一度は毒杯を手にするものの、その瞬間に反転して「さらなる尊大」に向かって自己の極大に酔いたくなったというふうに、話をつくった。
 ファウストが至高の存在に向かって「不遜な実験」にとりかかり、神秘や魔法の世界に入って「自身の偉大な証明者」になろうとしていると、設定したわけだ。
 で、それでどうなったのか。そうした不遜なファウストのところへ、黒犬に姿を変えたメフィストフェレスがやってくる。やがてその恐るべき全容をあらわすメフィストに、しかしファウストはほとんどたじろがない。それどころか、自分の野望は尋常一様なことでは成就しがたいと思っていたので、メフィストの登場は渡りに舟だったのである。
 こうして、かの難解きわまりないファウストとメフィストフェレスの問答になっていくのだが、あれこれの挙句、ファウストが「賭け」を持ち出し、悪魔との「契約」に挑むというふうになっていく。メフィストが「私があなたの家来となって願いを叶えるから、あの世では逆の関係にしよう」と持ちかけると、ファウストは「私が自己満足におちこんで享楽にふけったならそれが私の最後の日だ。私を縛りあげてよい。よろこんで滅びよう」と言う。そういう危険な内容の契約に変えるのだ。

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シュレッサー通りと通りにある「ファウスト小路」

 ついでにそのあとの展開を書いておくと、ファウストとメフィストの契約が成立すると、手始めにメフィストはファウストを見ちがえるように若返らせ、少女グレートヒェンに惚れさせる。グレートヒェンは本名をマルガレーテといった。
 970夜にも少々説明しておいたように、グレートヒェンはどんな器用なこともできないが、愛することだけを知っている。そういう可憐な少女だった。ファウストは恋に落ち、胸を焦がし、その本来の活力を失っていく。辛うじてメフィストのはからいで結ばれるのだが、それならその愛でこそメフィストの契約を破棄できたはずなのに、ファウストにはもはやアニメーション(アニマ・モーション)がエマネーション(流出)につながらない。
 そうこうしているうちに、この関係を責めるグレートヒェンの兄がファウストの手にかかって死んだ。一方、グレートヒェンは眠り薬の量を誤って母親を殺してしまう。それどころか、ファウストとのあいだに生まれた子を水没させて殺し、牢屋に入れられたまま死んでしまう。
 茫然とするファウストをメフィストはハルツ山地のブロッケン山の「ワルプルギスの夜の宴」に連れ出し、なにもかもを忘却させようとするのだが、ファウストにはグレートヒェンの面影がどうしても消えない。事態はしだいに行き詰まってくる。
 その後、ファウストはしばらく落ち着きを取り戻すのだが、そこへメフィストがまたまた罠をかけ、ファウストは美女ヘレナと恋に陥り、二人のあいだに男児オイフォリオンが生まれる。詩の化身となったオイフォリオンが地下世界に行くと、ヘレナもこれを追う。この先の話はおもしろいのだが、また、省略しておこう。
 ファウストはいつしか100歳になっていた。それでも最後の命の火を燃え上がらせて、新たな社会の建設に立ち向かう。もはや魔術の力を借りるまでもない。メフィストを振り切るかのように、「止まってくれ、おまえは実に美しい!」と叫ぶと、ついに最期を迎える。
 ニヤリと笑ったメフィストは契約に従ってファウストの霊を手に入れようとするが、天使たちがこれを阻み、墓の中のファウストの魂はグレートヒェンの霊に導かれて天高くのぼっていく‥‥。

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ゲーテ『ファウスト』に登場するライプチヒのアウエルバッハ酒場の看板と
酒場でファウストと宴会する人々の絵。

 ざっとはこういう筋書きなのだが、さて、このファウストとメフィストフェレスのあいだで交わされた「契約」こそが問題なのである。いったい何がおこったのか。その契約とは何なのか。
 ユング(830夜)は『心理学と錬金術』のなかで、「ゲーテの『ファウスト』は始めから終わりまで錬金術のドラマである」と述べた。「錬金」や「換金」がゲーテが問うた根本の意味にかかわっているというのだ。ぼくはこの意味がしばらくわからなかったのだが、あるときビンスヴァンガーの本書に出会って、うーん、そうなのかと唸った。
 本書は、ゲーテの『ファウスト』は近代的な経済の起源をあらわす完璧な寓話になっていることを証してみせている。ゲーテは、近代の貨幣経済の本質に「中世以来の錬金術がとりこまれている」と見たのではないかというのだ。
 なるほど、そうかもしれない。そうでないかぎり、ファウストを熱中させたような社会建設の行為が貨幣経済として確立しなかったろうという見方は、それなりに説得力があった。それに、ゲーテはたんなる作家ではなくて、そもそもがワイマール宮廷の政治家であり、世界の解釈者でもあったわけだ。
 加えて、それよりなにより「ファウスト・ヒストリア」では、ファウスト博士はワイマール近郊のロート村に生まれたことになっていた。26歳でワイマールの宮廷に入り、32歳で内閣主席となり、それにもかかわらずワイマールを理想社会にはなしえなかったゲーテが、この地に因縁をもつファウスト博士の錬金術や換金術に大きなヒントを得たのは想像がつくことだったのである。

 というわけで、本書はなかなかに虚をつくものだったわけだが、本書に耳を傾けるには 少しだけ錬金術がどういうものであったかを知っておく必要がある。
 錬金術(Alchemie:アルケミー)は「賢者の石」を用いて「金」(きん)を創り出す技術のことをいう。“chemie:ケミ”はもともとエジプト伝来の「黒い土」を意味した。そこからアルケミーは「黒い魔術」で、それが錬金術ともくされた。プルタルコスは「黒いものは太陽の光を見る瞳が黒いように、秘密に満ちたものをあらわす」と説明した。のちのち、このケミから本格的な「ケミストリー」(化学)が派生した。
 「賢者の石」は金の原料ではない。金を生み出すための触媒のことで、それによって卑金属が貴金属になる。たとえば鉛という卑金属に、特別の石の粉末あるいは硫黄や水銀を加えて蒸留すると、ときに微小な貴金属に変化するはずだと考えられた。中世、このプロセスは「鉛を意味するサトゥルヌス神の内発的な可能性が引き出された」というふうに解釈され、そういうことを説明できるのが魔術師や錬金術師の扱いをされたのだ。鉛の本体であるサトゥルヌス神は「賢者の石」によって眠っていた時間クロノスをめざめさせたのだ、というふうに。
 もっとも、サトゥルヌスのギリシア名はクロノスなのだから、ちょっと古典語学に詳しければ、こんな説明はファウストやメフィストでなくとも、いくらでもできたのである。しかし、当時はこれは驚くべき説明だった。錬金術は「時間をも創り出す」と思われたからだ。
 というわけで、錬金術はいつだって「新たな価値を創り出す」という意義だったのである。ゲーテはそこを袂り出すことにした。そして、「新たな価値」とは、次の3つに時代を超えてあらわれるだろうと見抜いたのだ。
 第1には、金を生み出そうとすることは精神の黄金性に達することだった。第2に、肉体の永遠に近づくことを象徴した。そして第3に、金は貨幣としての使用力をもちうるのだから、社会における至高の富を意味するにちがいない。

 ゲーテは「経済」を錬金術のプロセスとその本質的な意義によって解釈したわけである。そのため、折からの古典的な国民経済学と真っ向から対立することになったのだ。
 折からのというのは、1776年に発表されたアダム・スミスの『国富論』以降ということだ。『国富論』の発表は、ちょうどゲーテが『ファウスト』の構想に取り組み、第1部を書き始めたころに当たっている。
 そのとき、ゲーテにとって経済社会はどのように見えていたかといえば、欺瞞たらたらに見えていた。なぜなら古典的な経済学にとっては、富を創り出すのは労働と市場なのである。分業的労働が市場を活性化させ、そこから富が生まれていくと考えられていた。だからスミスは「貨幣または財貨で買えるものは、その貨幣または財貨のぶんの労働によって買える」というふうに説明した。
 けれどもゲーテからすると、このアダム・スミスの経済学には根本的な問題が言及されていない。いや、わざわざ根本的なことが隠されている。そのことをゲーテは『ファウスト』第2部にいたって、あからさまに暴露する。物語の場面でいえば、次の箇所になる。

 グレートヒェンが獄死したのち、メフィストはしばらく落胆したファウストから離れて、次の作戦の準備にかかっている。
 神聖ローマ皇帝の宮廷にとりいったメフィストは、ここでファウストを活躍させようと考える。玉座の間に集まった廷臣たちのおしゃべりによると、いま帝室は著しい難境に立っている。財政窮乏の危機なのだ。そこでメフィストは窮乏を救う方法は、地下に埋蔵している金銀を掘り出すことだと唆(そそのか)す。
 なかなか肯んじない皇帝に対して、メフィストは一計を案じて壮大な仮装舞踏会を演じさせ、その機に乗じて皇帝に一通の証書の署名をさせようと考えたのだ。
 この場面、まことに豪華なページェントの場面になっているのだが、おそらくはゲーテがワイマール時代に興じた遊楽や演目が取り入れられているだろう。それはともかくここでは、皇帝はパンの大神の仮装をし、ファウストは富貴神プルートゥスに扮し、メフィストが強欲を演じるというふうになっている。案の定、ファウストはこのとき皇帝の信任を得た。
 すかさずメフィストは皇帝に証書一通の批准の署名をさせた。ページェントの最中のこととて、皇帝はこの自分の署名行為などおぼえていない。しかし、この証書は一夜のうちに数千枚も刷られて、たちまち帝国内の貨幣として流通していったのである。
 皇帝の帝国はしだいに立ち直っていった。財政は復活し、富はゆきとどき、国中が繁栄することになったのだ。かくてファウストは「公共の資力」に貢献した第一人者になった。

 メフィストとファウストが何をしたかといえば、地下に埋蔵されている金銀を“担保”にして、新たに紙幣を発行するための許可書に署名をさせたのである。兌換紙幣を発行する権利をもぎとったのだ。そのことによって「見えない金」をもたらしたのである。ファウストは言う、「わたしは支配権を獲得し、所有権を獲得する」と。
 ここにゲーテは、ファウスト伝説の錬金術を、近代国家の「金本位制のもとでの紙幣発行というシステム」に読み替えたのだ。そこに貨幣の支配力と財産の所有という幻想が成立しうることを読み取ったのだ。
 それだけではなかった。ゲーテはこのあとファウストに皇帝の戦争を勝利に導かせる場面をつくる。ファウストは将軍となり、メフィストの力を借りると「霊たちの軍勢」を作り出し、「見えない力」を使うことによって戦争を指導する。
 このとき3人の戦士が活躍した。「喧嘩男」「取り込み男」「握り男」の3人だ。それぞれ、財貨の略奪、入手したものを所有する力、その所有したものを手放さない吝嗇を、あらわしている。
 戦争は圧倒的な勝利となった。皇帝はその功績を讃えて海岸地帯を世襲封土として与え、ファウストは地下の埋蔵性をもつ所有者になっていく。「紙幣の発行」と「霊による戦争」は、「見えない金」の所有と「見えない力」の支配という行為の象徴だったのである。かくてゲーテは一国の経済が、自由市場ではなくて、紙幣と戦争と海賊行為によって成り立っていることを見抜いたのである。

 結論。ゲーテが『ファウスト』であきらかにした“近代になお通用する錬金術”とは、次のことである。

(1)埋蔵している地中の財宝は貨幣を発行する力に見合う。そういう魔法は通用する。

(2)貨幣・紙幣の発行は時の権力さえ承認すれば合法化される。そういう魔法も説得力をもつ。

(3)所有の欲望と結びついているのは、貨幣と戦争と暴力と吝嗇である。そうい魔法は民衆も求めている。

(4)やはり技術や発明が社会を豊かに変えるのだ。それは近代以降の魔法なのである。

(5)土地にひそむ物質は、結局は「富」あるいは「資本」の原基であるにちがいない。そのことを知らしめたのも近代の魔法だったのだ。

 魔法や魔術と言われてはいるものの、実は経済とはもともと魔術的なしくみからしか生まれないのではないか。そのうえで古典的な経済学や国民経済学は「自由」「平等」を「市場」に結びつけただけではないのか。ゲーテは、そう言いたそうである。
 本書はそうしたゲーテの見通しを、かなり赤裸々に綴っている。もっともそれは、ゲーテ以前にすでにヨーロッパ経済が「世界システム」として見せ始めていたことでもあって、たとえば1694年のイングランド銀行の設立と、そこにおけるウィリアム・ペティの紙幣発行論とか、1715年にオルレアン公から紙幣発行権をもぎとったジョン・ローの営為とか、それがもたらしたミシシッピ会社などの株の力とか、そういうものはゲーテがファウストやメフィストを借りて独創したものではなかった。
 けれどもそのうえで、やはりゲーテは『ファウスト』において、その後の市場主義者のイデオロギーが何をどのように抗弁しようとも欺瞞に満ちていくだろうことを、鋭く見抜いていたわけでもあった。なんといっても、ファウストがメフィストフェレスと「契約」をしたことに、ゲーテのいっさいの想像力が起爆したのである。

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左上:偽物の馬を売るファウスト
右上:魔法でカップルを誕生させようとするファウスト
下:ファウストの最後
(1685年オランダの「ファウスト本」より)

【参考情報】
(1)ファウスト伝説は「ファウスト・ヒストリア」以降、ゲーテ以前にも、ゲーテ以降にもさまざまな物語になっている。たとえばクリストファー・マーロウの『フォースタス博士の悲話』(1588〜92)では、ファウストは悪魔と結んで科学の権化に向かっていくという物語になり、レッシングの『ファウスト博士』では理知を昇りつめたファウストは魂の救済力をもったともされた。
 しかし最も特異なのはトーマス・マン(316夜)の『ファウスト博士』で、ぼくはこれには脱帽した。参った。次項(2)にかんたんな案内をしておく。驚かないように。
(2)トーマス・マンの傑作『ファウスト博士』(1947)には副題がある。「一友人の物語るドイツ作曲家アドリアン・レーヴァーキューンの生涯」だ。これでわかるように、この物語は音楽家の壮絶な宿命を友人が語っているという体裁をとる。
 音楽家アドリアンは知能抜群で、ギムナジウム時代から個人教授を受けて作曲家としての才能を開花させるのだが、ハレ大学に進むと神学に打ち込み、ライプチヒ大学に移ると今度は神秘学に夢中になる。あるとき「隠れ家」に案内されてピアノをかき鳴らしていると、褐色の女があらわれ頬を撫でられ、あわてて表へ逃げ出す。しかし翌年、その女を追ってグラーツ近郊に行き、女から梅毒をうつされる。5週間後に発病、二人の医師の治療をうけて第一次症状は消えたものの、根治はできない。
 その後のアドリアンはさまざまな芸術的交流を通して、『万有の奇跡』『デューラーの木 版画による黙示録』などの悪魔的な傑作を発表し、ついに自分はベートーベンの『第九交響曲』を破棄すると宣言する。かくてその宣言の交響カンタータとして『ファウスト博士の嘆き』を完成し、1930年5月に友人知己を呼んで、自分の罪過を告白、ではこれから悪魔の作品を聞かせようと言ってピアノに突っ伏し、意識を失う。
 そういう粗筋なのだが、この音楽家の物語を書いた友人は、実は音楽家の分身であったことがあきらかになる。それだけでなく、うすうす見当がついたかもしれないが、この主人公はニーチェ(1023夜)がモデルなのである。トーマス・マンはファウストとニーチェを重ね、しかも将来のファウストは音楽家でなければならず、音楽家は本物を求めればファウストにならざるをえないことを突き付けたのだ。また、物語のありとあらゆる場面ドイツ的悲劇のシンボルとアレゴリーを埋めこんだ。こんなファウスト伝説は、今後もとうてい出てこない。そういう傑作、いや怪作なのである。
(3)著者のハンス・クリストフ・ビンスヴァンガーについては、よく知らない。1929年のチューリヒ生まれで、スイスのザンクト・ガレン大学の経済学教授だということくらい。スイスにおける自然保護運動の旗手でもあるらしい。なおファウスト伝説の当時のルーツについては、溝井裕一の『ファウスト伝説』(文理閣)を見るといい。数々のファウストにまつわる写真も入っている。