才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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長い20世紀

資本、権力、そして現代の系譜

ジョヴァンニ・アリギ

作品社 2009

Giovanni Arrighi
The Long Twentieth Century 1994
[訳]土佐弘之[監訳]
装幀:伊勢功治

覇権(ヘゲモニー)とは何か。
それは国家そのものにあてはまるのではない。
軍事と資本にこそあてはまる。
本書でジョヴァンニ・アリギがえんえん書いたことは、
史的システムとしての資本主義は
どのように覇権のサイクルを
その内側のエンジンに取り込んだかということだ。
民主党党首がたった一夜にして替わった夜、
そのことを振り返りたい。

 1週間近く続いた歯の痛みは、何度かの治療と抗生物質によって軽減した。抜けられない仕事が続いていたのでどうなるかと思ったが、点滴と深夜治療のおかげで、どうにか、落ち着いた。

 そのあいだに鳩山・小沢の退陣が急転直下に進み、きのうは菅直人による新内閣が決定した。目もあてられないほどのドタバタではあったけれど、最後の最後の鳩山さんの退陣挨拶はなかなか味わうべきものがあった。折しも小沢陣営に推されて民主党の総裁選に立った樽床伸二と、たった1分ほどだけだったが総裁選前夜の夜に電話で話した。樽ちゃんは「いや、もうドタバタですわ。そやけどちょっとやってみますわ」と大阪弁まるだしで言っていた。
 歴史はいつだってドタバタなのである。決定的なことはたいてい数日でおこるものなのだ。普天間問題で社民党が政権を離脱しなければ鳩山さんもやめなかったろうが、世の中、突如としてニッチもサッチもいかなくなることがあるものなのだ。そのときは、それまで溜まっていた矛盾が一挙に噴き出てきて、かなりのどんよりした人物でも、けっこう意外な決断でもできるようになる。とくにそのうちの8割は、そういうときには思いきったリタイアをする。仕事を投げ出す。細川然り、安倍然り、福田然り、鳩山然り。まことに理不尽なことではあるが、「入口の民主主義は出口の民主主義とはなりえない」ものなのだ。
 この格言はいろいろなところにしぶとく生きている。そして大衆はそのたびに新しい顔の誕生を知る。そしてそのあとは、ただただポピュリズム‥‥。
 

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松丸本舗(東京丸の内)を訪れた鳩山氏

 政局に出入りする顔にくらべると、学者の世界の顔はいうまでもなく、まことに地味である。ポピュラリティもない。iPS細胞とか太陽発電とかいっためざましい研究成果の発表をべつにすれば、だいたい学者の顔などとんと伝わらない。顔もわからない。誰が学長になったかなどということは、ニュースにすらならない。
 しかし、どんな学者たちにもポピュラーな顔もあれば、シリアスな顔もある。アピアランスは重要だ。千夜千冊に著作や作家たちの顔の写真を必ず入れてきたのは、顔は何かをあらわしていると思えるからだ。そういう顔には、孤独な顔もあるし、談論風発の顔もある。言葉を発している顔もあるし、言葉を消している顔もある。下村寅太郎さんの顔はラテンの知を東洋にした顔だった。白川静さんの顔はいつだって孤詣独往(こけいどくおう)の顔だった。
 学者だって、顔を無視してはいけないのだ。ぼくにとって読書するということは、そういう顔と向きあうことが含まれる。

 イタリア人ジョヴァンニ・アリギの顔はいくつかある。ごくごくわかりやすい顔は、1960年にミラノのバッコニ大学で経済学の博士号をとって、1979年からはニューヨーク州立大学のブローデル研究所にしばらく所属、イマニュエル・ウォーラーステイン(1364夜)と共同研究していたという顔だ。ウォーラーステインとの共著『反システム運動』(大村書店)もある。
 この顔は、フェルナン・ブローデル(1363夜)の歴史観とウォーラーステインの世界システム論による経済史家としての資質をそれなりに積極的に継承したということで、それならアナール派の顔ということになるのだが、この顔だけではたいしておもしろくはない。この顔だけでもない。
 アリギには、諸君がデヴィッド・ハーヴェイ(1356夜)を気にいったというなら、ぜひにアリギを読むといいとぼくから薦めたくなるような、そういう顔もある。新自由主義やポストモダンの分析については、そもそもハーヴェイとともにアリギは欠かせなかった。
 二人は実際にもかなり親密な仲で、本書の最終ページの著者紹介には、アリギとサネール・アミンが並んでテレビ画面を見ているようにこちらを向いて並んで坐り、その後ろでハーヴェイがその画面に見入っている1枚のモノクロ写真が挿入されている。このスナップ写真はなんともいえない知的友情のようなものを感じさせる1枚で、ぼくはこの手の“男カンケー”がけっこう好きなのだ。
 ハーヴェイとアリギは『北京のアダム・スミス』(未訳)では、お互いの文章を引用しながら新自由主義やアメリカ帝国の分析をカテーテルを入れたり出したりしながら勤しんでいるという、そういうカンケーでもあった。
 

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アリギ(右)とサミール・アミン(左)、
デヴィッド・ハーヴェイ(左後ろ)

 さらにもうひとつの顔として、穏やかではあるが、アリギがアントニオ・ネグリ(1029夜)とのあいだで真摯な論争をしているということがある。もともとはネグリとハートが『〈帝国〉』(以文社)のなかで『長い20世紀』を引用して、アリギの言う循環論ではシステムの断絶やパラダイムシフトの認識ができなくなると批判したのがはじまりだった。

 アリギはこれに応えて、「自分が資本主義社会の歴史では資本蓄積に4つのシステムの循環がおこっていると指摘したのは、システムの断絶やパラダイムシフトを認めないためではなく、むしろその逆で、資本主義が歴史的に何度も似たような矛盾を循環的発揮していれば、いつか根本的なシステムの再組織化がおこるだろうと言うためだった」と反論した。アリギは、システムの大きさが金融の大きさに覆われるときに、資本主義が新たな現象になっていくだろうと予見したわけだ。この論争については、トマス・アトゥツェルト&ヨスト・ミュラー編『新世界秩序批判』(以文社)に詳しい。
 こんなふうにアリギという一般には知られていないだろう経済史の顔の周辺にだって、いくつものちょっとした歴史は動いているものなのだ。政治舞台ばかりが顔でれきしを動かしているわけではない。

 さて、本書のタイトル『長い20世紀』はエリック・ホブズボームの「短い20世紀」を意識したものだった。ボブズボームも一般には知られていないかもしれないが、ヨーロッパの近現代史をベンキョーするときは、たいていは無理やりにでも読むテクストになっている。ぼくも『市民革命と産業革命』(岩波書店)、『資本の時代』(みすず書房)、『匪賊の社会史』(みすず書房)などを通過した。
 もっとも、この、いっときのイギリスを代表した歴史家にもいくつかの顔があって、生まれはエジプトのアレクサンドリアで、ユダヤ人の父のもとベルリンに住み、1930年代からイギリスに移住して変貌していった。ドイツの社会主義同盟やイギリス共産党に入党していた時期もある。
 そのボブズボームが「短い20世紀」と言ったのは「長い19世紀」に対比した形容で、20世紀の本質は19世紀に形成されていたという観点を強調するためでもあった。
 しかしアリギは、20世紀資本主義世界の100年間には、それ以前の15~16世紀から19世紀末に及んだ3つの覇権(hegemony)がサイクルとして組みこまれているのだから、これは「長い」と見たほうがいいという見解をとったのだった。
 3つの覇権のサイクルとは、オランダの覇権サイクル、イギリスの覇権サイクル、アメリカの覇権サイクルのことをいう。これらのサイクルは、そもそもはブローデルが4大都市国家と名付けたヴェネチア・フィレンツェ・ジェノヴァ・ミラノに始まるもので、それがイタリア都市国家群からアムステルダムへ、アムステルダムからロンドンへと中心を移すにつれ、しだいに世界資本主義と国民国家と植民地帝国主義をまぜた覇権の姿をとっていった。このあたりのことは、すでに1363夜に案内しておいた。
 その大きなうねりは、1648年の三十年戦争終結によるウェストファリア体制、1815年のナポレンオン戦争終結によるウィーン体制、1918年の第一次世界大戦終結によるヴェルサイユ体制を迎えるたびに強大になり、また柔軟にも、矛盾に満ちたものにもなっていった。オランダの覇権は資本主義経済を歴史社会のシステムとし、イギリスの覇権はこれを世界大にし、アメリカの覇権ははこのことの未曾有の発展を体現し、そのプロセスに金融のグローバリゼーションが入りうることを保証したわけである。
 こうして、オランダ→イギリス→アメリカの覇権サイクルが途切れることなく20世紀に重畳的に流れこんだわけなのだから、それは、15世紀からの400年のサイクルが20世紀の100年に流れこんだという意味で、「長い20世紀」なのである。

 オランダ・イギリス・アメリカの3つの覇権サイクルは、20世紀後半に入るとIMFと世界銀行の両輪によるブレトンウッズ体制に集約されていく。このことについても、すでに何度か説明しておいたから、ここでは省く。
 しかし注意しておかなければならないのは、アメリカ型の資本主義そのものの特質は企業資本主義にあったということだ。イギリスの自国中心型の植民地主義的経済とはそうとう異なっている。そこでは、市場の不確定性から解放されるために企業間の競争的な資本を取り合うというゲームがつくられていた。よくできたものではあったが、1929年の大恐慌に象徴されるような、途方もない経済恐慌の種をかかえていた。
 ところがアメリカの覇権サイクルのほうは、そういう自国の企業資本主義を呑みこんで、ブレトンウッズ体制の“悪用”をもってもっとグローバルに動いていった。アリギはそこに注目したわけだ。その端緒はルーズヴェルトのニューディール政策をトルーマンとアチソンが共産主義経済に対する対抗政策に切り替えたトルーマン・ドクトリンに、早くもあらわれていた。また、その端的な読み替えでもあったマーシャル・プランにあらわれていた。ブレトンウッズ体制は、強大な軍事力を背景とした「西側諸国の再編」の道具立てとして機能していったのである。
 かくてアメリカ・サイクルは、“反共の旗印”のもと、西ヨーロッパと日本を自由資本主義社会の連邦国にすることによって、化け物のように20世紀後半を席巻しはじめる。とりわけ朝鮮戦争からベトナム戦争終結までの23年間の威力はすさまじい。“覇権型資本主義の黄金期”と揶揄される。
 この時期こそは、ホブズボームが1848年~1875年の27年間を「資本の時代」と名付けた未曾有の黄金期を上回るキャピタル・ストックの時代であった。それは、1967年から1973年までユーロダラー(ユーロカレンシー市場)の預金高が最高に伸びた時期とも重なっていた。しかし、それらも束の間、オイルショックと変動相場制によって、世界資本主義はことごとく新たな様相を呈することになる。

 邦訳で600ページをこえる大著となった本書は、第4章がタイトル通りの「長い20世紀」にあてられている。それまでは、序章、第1章「史的資本主義の3つの覇権」、第2章「資本の台頭」、第3章「産業、帝国、および無限蓄積」というふうになっている。そして「長い20世紀」のあとが、終章「資本主義は生きのびられるか」だ。
 ところで、ぼくがもっている本書にはページ353からページ368までが二度出てきていて、驚いた。しばらく読んでいるうちに、あれっ、これはさっき読んだところのはずだが、そんなことはないよなと変に迷わされた記憶がある。めったにないことなので、その目と手におこったマイクロスリップな迷走感覚をよく憶えている。いまどき乱丁・落丁・重丁があるだなんてとんでもなく珍しく、この点では僕が持っている本書は貴重なのだ。

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本書の重丁箇所

 そのメタファーで言うのなら、アメリカの覇権サイクルが迎えた1970年代後半からの歴史は、世界資本主義が初めて経験した乱丁・落丁・重丁だったといっていい。あれほどの強大を誇った軍事力はベトナム戦争で無残に落丁し、アメリカ連邦準備制度はオイルショックで乱丁し、IMFと連携をとっていた西側強制支援にも次々にノンブルミスがおこったのだ。

 かくてドルショックは変動相場制となり、世界中のコスト・インフレと金融のオフショア市場への大量逃避が続いていった。さすがのアメリカの覇権サイクルはここで終わるかに見えた。
 ところがどっこい、ここからいったん逃げた金融がアメリカの覇権に呼び戻された。これこそがサッチャーとレーガンが打った乾坤一擲の「新自由主義の連打」というもので、これをもって世界資本主義は、覇権サイクルのなかでのスーザン・ストレンジ(1352夜)の「マッド・マネー」を抱えることになったのだ。そこには、規制緩和の美名をもった「官から民へ」の覇権譲渡ともいうべき前代未聞の出来事が目白押しになっていた。
 そしてその挙句が、リーマンショックである。これで覇権サイクルは止まったということなのか。それともたんにアメリカが後退したということなのか。あるいは世界資本主義はついに新たな局面を模索することになったのか。本書は1994年が初版の本なので、このあたりのことにはまったくふれてはいない。それについては、このあとの千夜千冊で少しずつあきらかにしていきたい。

 ところで本書でアリギが日本をやたらに褒めちぎっていることは、いささか気持ちが悪い。総合商社、重層的下請けネットワーク、その共生的企業精神、独自のアウトソーシング、日本資本のフレックスでインフォーマルな体質、そのいずれをも評価している。
 このお褒めの言葉は額面通りには受けとりがたい。なぜなら日本は、1985年のG7プラザ会議では円の切り上げを強制され、1989年には金融緩和を余儀なくされたのである。日本資本主義にはたしかにおもしろい属性と体質がいろいろ含まれているが、結局はアメリカの覇権サイクルにいくぶん抵抗できたぶんの時間稼ぎだけが、いまや唯一の特徴なのであって、それ以外は結局はそのサイクルの忠実な一員たることを迫れてきたのだから、たとえアリギからの言葉といえども、これは肯んずるわけにはいんないところなのだ。
 おっせかいなことをいえば、鳩山政権も沖縄基地問題で、この時間稼ぎのところを読み誤ったわけである。アメリカは覇権と資本と技術にしか関心がない国なのである。このうちのどこかの一角を日本側が、官民一体となって崩す準備ないかぎり、抵抗は難しい。それがめんどうなら、早く日本国内の充実をはかることなのだ。
 アリギに話を戻すと、アリギは本書の5年後に書いた『カオスとガバナンス』や近著の『北京のアダム・スミス』では、日本よりも中国を含んだ東アジア全域の「資本主義群島」に関心を移したようだった。これは当然だ。けれども、アメリカの覇権主義がこれらの東アジア諸国からなんとかして「見か締め」料(みかじめ料)をとるだろうことは、アリギの友人ハーヴェイならば、とっくに見抜いていたはずのことだったろう。
 そうなのだ、覇権国家というもの、古代このかた「見か締め」料が命綱なのである。

【参考情報】
(1)珍しく顔の話を導入にしたので、ジョヴァンニ・アリギについては本文にそこそこのことを書いた。1937年の生まれ、1998年以降はジョン・ホプキンス大学で社会学を教えた。でも、ここではやっぱり顔を眺めてほしい。ぜひハーヴェイらとのスナップショットを見つめてほしい。アリギとハーヴェイの顔はそれぞれ何かを語っている。ちなみに、イタリア出身でアメリカ人になっていった作家やクリエイターや学者は少なくないのだが、ぼくが会ったなかではレオ・レオーニ(179夜)が最高だった。アスペン議長を務めて、かつ童話作家でいられるという顔をしている。『間の本』(工作舎)を見られたい。
(2)ブローデル、ウォーラーステイン、アリギと続いたアナール系の経済的歴史書の案内は、これでいったん打ち切りたい。実はあまり楽しいものではなかった。それぞれが大著であったことも手伝っているが、これらは評するものではないというのが、一番の感想だ。大河小説や長めのミステリーを読むような読中感だったのだから、そのままでよかったのである。これからは気をつけたい。もっとも視点の異なる経済的歴史書は今後もときどきはとりあげる。とくにポスト新自由主義とリオリエントについては。ただその前に「贈与の歴史」や「マネーの歴史」や「アングロサクソン・モデル」のことだけはとりあげたい。
(3)せっかくなので、鳩山由紀夫について一言。
 鳩山さんとは十数年の付き合いで、そのきっかけをもたらしたのは、それぞれ別々の機会ではあるが、裏千家の伊住政和と慶応の金子郁容と構想日本の加藤秀樹だった。伊住さんとは鳩山さんの家で例のヒョーバンの幸(みゆき)夫人の手料理を食べ、金子さんとはニフティのトークイベントに招いた(金子さんと鳩山さんはアメリカ時代からの友人)。加藤さんのかかわりは、以前、「文芸春秋」が「次の首相候補」の特集をしたとき、鳩山さんと船田元さんが1位・2位を占めたのだが、その二人があるときから加藤さんとともにぼくの仕事場を訪れるようになったのだ。そのような手筈をとったのは坂井直樹(いまは慶応大学教授)だった。2カ月に1度くらいのペースで、その3人訪問が1年近く続いたように思う。
 そのどこかで、ぼくは鳩山さんに一国の宰相になるよりどこか海外の大使などの仕事をするか、あるいは文化領域のリーダーをめざしたほうがいいというようなことを言ったことがある。しかし鳩山さんは、それから随分かかったが、一国の宰相になることのほうを選んだ。ぼくはウーンと唸った。そうか、そうなってしまったかという実感だ。
 鳩山さんは付き合っていて、こんなにおもしろい政治家は珍しいというほどに、真摯で軽妙である。メタファーにも富んでいる。捌きもうまい。ところが政治の現場や「ぶらさがり」では、これが使えない。野党時代に民主党のリーダーの一人として、党員たちと同じマニフェスト・エクリチュールを使うほうを鍛練してしまったのだ。これがもったいなかった。野党のころにその独特の味で「政治を語り愛する」という言い方の前哨戦をつくっておけばよかったかもしれないが、そうはいかなかったのだろう。
 人の話をよく聞くという点では、そうとうの集中力と理解力があると感じる。ぼくと会うときは軽いジョークを挟む以外は、じっと聞く。「連塾」にも3度ほど足をはこんでくれたが(そのうち1回は森進一と)、いつも集中していた。
 ついでにいえば、鳩山さんが「弱さ」を理解しているということについては、正真正銘なところがあった。大金持ちのくせにそれはないだろうと思われるかもしれないが、決してそんなことはない。その非難は当たらない。有島武郎のような例はいくらでもある。けれども鳩山さんは、そのフラジリティを表現したり体現することについても、うまくいかせなかった。残念だ。でもいまでは、首相を降りたことでホッとしているだろう。これからはいくらでも別の機会が待っている。細川さんの陶芸という方法だって、ある。