才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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社会システム理論

ニクラス・ルーマン

恒星社厚生閣 2007

Niklas Luhman
Soziale Systeme 1984
[訳]佐藤勉

社会は自律分出システムである。
自分で自分を自己再帰してきたシステムである。
そこではダブル・コンティンジェントに
意味が創出され、はぐれあい、空席をうろつき、
そうであるがゆえに
オートポイエティックなシステムとして
自己準拠されている。
そのようなルーマン社会学を、
ルーマン自身はどう語ったのか。
ぼくが勝手な言い換えをしてみた。

 前夜に続いてニクラス・ルーマンですね。『社会システム理論』って上下2巻の分厚いものですよね。

 うん、やたらに分厚いね。でも最初はこれではなくて、ルーマンが1991年から翌年にかけてビーレフェルト大学で講義した『システム理論入門』(新泉社)のほうをテキストにしようかなと思っていた。これはディルク・ベッカーがまとめたもので、よくできている。ルーマン最晩年の成果だから、電子メディアについての新しい知見が加わっているところとか、学生にわかりやすく説こうとしてついつい本音を洩しているところとか、ちょっと見逃せない言及が多々あって、ぼくも愛着があったんでね。けれども講義録でもあるんでかなりはしょったものにもなっていて、今度、あらためて読みなおしてみたら、不満も少なくなかった。
そこでどうせなら、やっぱり大著の『社会システム理論』でドカンといくことにしたわけです。ルーマン社会学の最初の到達点だしね。

 いつごろのものですか。

 1984年あたり。例のオートポイエーシス理論を初めてルーマンが社会学に採り入れたときのものですね。だからルーマン独得の“思索的転写”を試みるクセがよく読みとれる。かつてぼくは、この大著のなかでルーマンがヴァレラやマトゥラナの「オートポイエーシス」を社会学化した手口のあれこれと、タルコット・パーソンズ譲りの「ダブル・コンティンジェンシー」のきわどい応用の手口を知って、かなり驚いた。

 何に驚いたんですか。

 これ、やりすぎじゃないか。こんなにうまくいくものか。そう、思ったね。だって生命科学の考え方をほとんど社会学に転用していたんでね。「遊」第2期をつくっていたころ(1970年代後半)、ぼくも生命システムの社会化を夢想していてね、ときには「私の生命論的超越」といったことを考えていたんだけれど、やっぱり生物学と社会学は重らないところのほうが少なくないなと感じたんです。
でも、ルーマンはそれをやってのけた。やりすぎじゃないかと感じた印象はまだ拭いきれていないけれど、その後もルーマンをあれこれ齧っていると、こういうやりすぎを冒さないかぎり、社会学がシステム論やリスク論を渉猟することはできなかったのだろうという気にもなったね。

 やりすぎでもいいんですか。

 そうねえ、ときにはそういうことが必要なんだろうね。あとは時代がそこをどう評価するかだよね。

 ルーマンは向こう見ずというか、大胆なんですね。

 そうとも言えるし、「ユーレカ!」だったのかもしれない。それに、生体と社会のマッチングのための飛躍のあとはけっこう慎重だったね。そういうちょっと風変わりで理屈一徹の社会学者でもあったドイツ人・ルーマンの略歴については前夜を見ておいてね。

 はい、読みました。で、今夜はどんな話ですか。社会システム理論の全貌案内ですか。

 いやいや、それは無理だし、めんどうくさい。今夜は『社会システム理論』を一応のテキストとするけれど、さらなる大著の『社会の社会』1・2(法政大学出版局)とか、そのほか『社会システム理論の視座』(木鐸社)、『社会の科学』『社会の芸術』『社会の法』(法政大学出版局)なども参照しつつ、ぼくなりに編集ルーマン的社会システム論を紹介したい。まあ、その程度。さっきの講義録『システム理論入門』もいささか視野に入れてね。

 それもまたすごいですね。

 とんでもない。それほどじゃないよ。それにルーマン自身もいろいろ自己解説を書いている。くどいほどにね。ルーマンその人が自己準拠的なんだよね。だからそういう眼で読めば、初期の『信頼』(勁草書房)や『目的概念とシステム合理性』(勁草書房)や、前夜や前々夜にも少しだけ紹介した『自己言及性について』(国文社)とか、『ルーマン、学問と自分を語る』(新泉社)とかも参考になる。
というわけで、以下の案内はセイゴオ流編集によるルーマン的社会システム理論の、ちょいちょい案内だな。

 それをこそ待ってました。

 まあまあ、そう期待しなさんな。内容が多岐にわたるとわかりにくいだろうから、かなりぶっとばし気味に書くことにするけれど、それもルーマン的なシステム論の特徴のひとつだと思って、とりあえずついてきていただきたい。で、断り書きを、もうひとつ。せっかくだから、以下に綴った文章を「ですます」による講義調にしてみた。とくにそのことに狙いがあるわけじゃないけどね。そのほうが多少はわかりやすくなるだろうというくらいのことです。では、どうぞ。

◆◆◆

 システムを考えるにあたって最初に考慮しておかなければならないのは、そのシステムが閉鎖系か開放系かということです。
宇宙全体を相手にするようなシステム論では閉鎖系を考えなければならないのですが、そういう閉鎖系では情報とエントロピーとがつねに逆数の関係で争いつづけ、結局はエントロピーが勝(まさ)って宇宙の熱力学状態はだんだん“熱死”に向かいます。エントロピーは「無秩序さかげん」(でたらめさ)のことですから、エントロピーがふえれば情報は薄くなるわけです。
一方、生命や社会にまつわるシステムは開放系ですから、システムに入ってくる情報をできるだけ薄くしないように外部から情報をうまく取り込み、しかもそれを加工(編集)したり、動かしたり変形しています。そのため、シュレディンガー(1043夜)が「生命は負のエントロピーを食べている」と言ったように、開いたシステムとしての生物たちはエントロピーによってシステムが“熱死”してしまうことから辛くも免れているのです。
けれども個体としての生物は死ねば大地や空気中に還りますから、ここには小さな熱死は断続的におこっています。でも、それを含めて生命の長きにわたる歴史を考えると、そのしくみそれ自体はそれぞれ開放系になっているわけです。
ルーマンが対象にしたシステムは、このような二つのシステムのうちの開放系としての社会システムです。
社会を開放系システムと捉えることはいちがいに妥当とはいえないところもあるはずですが、ルーマンはあえてそうみなしました。そこがルーマンの「えい、やっ」の決断でした。その当否をべつにすると、このようにいったん社会をそのようなシステムとみなせば、当然、そこには生命システムが入りますし、意識や心のシステムも入ります。ルーマンの社会システム論はそこから出発したのです。
ついでに言っておくと、そのようなルーマン社会システムには「環境」は入りません。ルーマンの理論では、環境は社会システムの”外部”にあるのです。したがって、社会システムは環境との相互作用を解釈的にしているということになります。

 さて、開放系のシステムは、なんらかの情報がつねにそのシステムの内外を出入りしていることに特徴があるのですが、なかでも驚くべき特徴は、システムがそういう情報をつかって(自己編集して)、不断に自分自身を再生産しているということです。これを再帰的とか自己参照的とか自己言及的と言います。
ルーマンは、社会システムが自律的で自己産出的なシステムだろうとみなしたのです。システムがシステム自身の継続のために、さまざまなサブシステムの“分出”をしているだろうからです。そこでルーマンは、社会がこういう自律分出システムであることを、最初のうちは自己準拠的なものと解釈していました。自己準拠的というのは、システムが半ばつくりあげた“広がった自己”とでもいうものをシステムの中身とみなして、その変更登録をしつづけるシステムということです。
ところがそのうち、マトゥラナとヴァレラのオートポイエーシス理論を知るにいたって、社会システムもまたオートポイエーティク・システムになっているだろうと見通すことになります。このことを確信したのが、今夜とりあげている1987年の『社会システム理論』だったのです。
ちなみにオートポイエティックと自己準拠的というのは、だいたいは同義です。再帰的、自己参照的、自己言及的もほぼ同義です。総じては「セルフリファレンシャル・システム」と考えればいいでしょう。
ただし、ルーマンはこれらと似たような意味をもつ自己組織的という概念だけは注意深く避けている。ということは、ルーマンは複雑系一般を社会システムのモデルとして全面採用してはいないということですね。なぜそのように考えたかというと、ルーマンは「意味」と「コミュニケーション」をオートポエティック・システムとしての社会システムの最も重要な“要素”とみなしたからでしょう。現在の複雑系理論は必ずしも意味やコミュニケーションにまでは踏みこんでいません。

 ルーマンは「意味」こそが社会システムの自己参照的な特徴を支えている“糊とハサミ”だと考えていました。社会や人間におけるモノとコトを成り立たせているもの、それがルーマンにとっての意味なんです。
そのようなモノとコトの本質は不安定で不確実なことにあります。社会におけるモノやコトは、そもそもが不安定で不確実であるがゆえに、それをのりこえるために「意味」をつくりだしているのです。ということは、その意味創出には本来的なリスクが伴っているということです。逆にいえば、意味はその不安定性や不確実性を自分の背景にすることによって、みずからを突出させているのです。
どういうふうに突出させたのか。ここが大事なところですが、ここには、基本的には「区別」(distinction)と「表示」(indication)がおこっているんです。システムはなんらかの区別と表示の作用をもって自分自身を作動させているようなのです。
これはルーマンが着目したスペンサー・ブラウンの『形式の法則』があきらかにしたものですが、ぼくも「編集八段錦」(編集工学的認知表現プロセスのモデル)のなかの最初の2段階に、この「区別」と「表示」をあげています。
では、システムはどのようにしてその「区別」と「表示」をつかって次々に「意味」を生み出しているのかといえば、むろん「情報」をつかっているのです。システムが情報を区別し表示しているうちに「意味」が生まれてきたのです。情報と意味とはシステム状態のちがいなんです。このとき、システムは情報を自己準拠的に扱って、次々に意味という社会性を生み出しているんですね。

 ルーマンはこのような意味創出のプロセスには3つのきっかけがあるだろうと仮定しました。いわば3つの“意味次元”があると仮定した。事象的次元、時間的次元、社会的次元です。これらはシステムがなんとか自己成長をしようとするときのオプションなのです。
このことをここでは詳しくは説明しませんが、ルーマンはこの3つの意味次元が相互に関係しあって、オプションを選択しながら社会システムの意味世界をリスキーにつくりだしていると考えます。
こうしてここに、ルーマンの言う「コミュニケーション」がついに動きだします。情報が3つのオプション次元を通過するたびに、多様なコミュニケーションが動くのです。そこにはシンボル操作から会話までが、文脈生成からメディア化までが、また情報が意味に向かうにつれて負担するさまざまな心理的作用が含まれます。
つまりは、ここにおいて、社会システムはコミュニケーションを媒介に、社会的価値観にも心理的価値観にも結びつくのです。

 ルーマンは、先行した社会学者タルコット・パーソンズの影響を深く受けています。その影響のひとつに「ダブル・コンティンジェンシー」という考え方がありました。
前夜にも書いたように、コンティンジェンシーというのはとても訳しにくい概念ですが、偶発性とか偶有性といったことです。何かが先に進んでいくときに、まわりとの関係でちょっとしたきっかけを活用して事態が多様に前方投企するときの具合をさしています。
たとえば熱力学ではイリヤ・プリゴジン(909夜)が証したように、「ノイズから秩序が生成する」ということがおこります。これってコンティンジェントなんです。また「カオスの淵」では情報が創発することがあります。この具合もコンティンジェントです。タルコット・パーソンズは社会がなんらかの価値を生み出そうとするときは、こうしたコンティンジェントな具合が二重におこっていくのではないかと想定したのです。
二重というのは、たとえば個人におこったことが組織にも反映されるとか(その逆とか)、国際秩序の変化が国内秩序に変化を与えるとか(その逆とか)、ある概念が文脈のなかで反対の意味や二重の意味をもつとか、いろいろの場合におこります。これがダブル・コンティンジェンシーです。
ルーマンはこれを応用して、社会システムが価値をまさぐるときには、「相互作用」「鏡像作用」「相補作用」が組み合わさって、ダブル・コンティンジェンシーをおこしていると見た。
このことを理解するには、一個の個人をとりあげるとわかりやすくなります。この個人のことをルーマンは好んで「パーソン」と呼び、パーソナル・システムが社会システムとのあいだでダブル・コンティンジェントになっている例をいくつもあげていった。
たとえば、幼児が「自己」を獲得するプロセスを考えてみると、そこには相互作用・鏡像作用・相補作用が組み合わさっておこっているだろうことが想定されます。これは、変な用語ですが、いわば幼児や子供における“自己パーソナル化”なんです。
でも、いったんそうなってみると幼児や子供にとっても社会の見え方は変わります。というよりも自己パーソナル化にはすでに社会システムの何かの片割れが入ってきたわけでしょう。それが自己パーソナル化をおこしたんです。ということは、そこにはダブル・コンティンジェントなさまざまな作用があったということです。

 ざっとこのような考え方の準備をしたうえで、ルーマンは「コミュニケーションは相互に調整されたオプションである」ということを見抜きます。このあたりからがルーマンの独自の洞察が冴えてくるところです。
だいたいコミュニケーションというのはたいそう不確かなものです。何かを言えばその意図やメッセージが相手に伝わるかどうか、どこにも保証はない。こういうコミュニケーションの不安は、誰だって感じていることでしょう。つまりコミュニケーションは根本においては「不確実性」を前提にして成り立っているのです。しかしだからこそ、そこでの意図やメッセージはオプションなのです。
ルーマンは、①自己と他者のあいだの理解の不確実性、②コミュニケーションの到達範囲の不確実性、③コミュニケーションによる成果の不確実性、という3つのコミュニケーションにひそむ不確実性をあげています。とはいえ、不確実性だからコミュニケーションがうまくいかないというのでは、ないのです。
そうではなくて、そうした不確実なコミュニケーションがあれこれ社会のなかを行き来するがゆえに、そこに社会システムが多様なオプション構造をかかえうると見るのです。そして、そのオプション構造をそれなりに明示しているものが「メディア」というものだと捉えるのです。ルーマンは“メディア言語”という言い方もしています。
こういう考え方に立ったルーマンは、やがて電子メディアについてもその本質を指摘するにいたるのですが、それは『システム理論入門』や『社会の社会』のほうにやや暗示的に述べられています。電子メディアはもっと不確実性の意義や言語的ダブル・コンティンジェンシーを自覚したほうがいいというようなことです。もっともこのへんのことはルーマンはまだまだ暗示にとどまっていて、ぼくがそのうち『意味と市場』といった新著などでその内実をあきらかにするので、ここにどんな問題がひそんでいるかは、ここでは説明しません(思わせぶりで、ごめんね)。
それよりもここで注意を促しておきたいのは、そしてこのことも説明をあえて省いておきたいと思うのは、ルーマンが「コミュニケーションはコミュニケーションによっては観察しえない」と言っていることです。そうなんですね、コミュニケーションはそこから派生した次のコミュニケーション・メディアによってしか説明できないんです。
これってどういう意義があるのか、わかりますか。わからないんだったら電子書籍メディア「キンドル」などに驚かないことです。

 ところで、社会システムを理解するには、社会システム以外のものを比較したほうがよいのかもしれません。その代表は「環境」です。
環境システムは、そこに至ったすべての物理的生物的なプロセスを包含しているのですから、どんな社会システムよりずっと複雑で、ずっと非対称で複合的です。
環境と社会は非対称なんですね。しかし、ここで重要なのは環境が社会よりもずっと複雑だということではなくて、そうであるがゆえに社会システムは環境を参照できるということなのです。
社会が環境を参照してきて、ではどうなったのかというと、社会史は環境の複雑性を縮減する方向にむかって進んできたのです。ルーマンはそこに着目して、早くから環境問題やリスク問題に発言してきた社会学者だったのです。
そのような発言の核心点は一言でいえば、「環境は社会システムのなかでは分化されていく」ということです。太陽熱発電とか環境ホルモン問題とか、今日の環境問題や環境リスクをどのように今日の社会が感じているのかということに照らしてこのことを考えるとわかりやすいでしょうが、それだけでは足りません。ルーマンはもう少し深く考えていて、この環境システムと社会システムのあいだには必ずや「意味境界」が見えてくるはずだという“予言”をしているのです。
社会システムは環境に対して、境界自体を自己産出するシステムにならなければならない。そう、ルーマンは考えているのです。つまり、環境と社会のあいだに産出される境界が新たな社会的な「意味」をあらわすだろうというのです。それが「意味境界」という意味(!)です。で、これこそが、ぼくが思うにはリスクの正体のひとつなんですね(ふっふっふ)。

 さて、ルーマンはなぜにまたこのような一見、抽象的とも理屈っぽいともいえる「社会」を想定したのでしょうか。それについては、ガストン・バシュラールが指摘した「認識の障害」というものからの決定的離脱を試みたかったからでした。
バシュラールが「認識の障害」と名付けたのは、①社会は具体的な人間の生活から考えなくてはいけないと思いこむ障害、②社会は人間たちのコンセンサスによって成立しているはずだと思いこむ障害、③社会は領土的な空間の単位であって、そこには別々の社会があると思いこむ障害、④社会は外部から観察できると思いこむ障害、のことをさします。
ルーマンはこのような目では社会は語れないと見たのです。ということは、すでに述べたことですが、ルーマンの見る社会システムは行為ではなくてコミュニケーションによって成り立っているのです。
このような見方は必ずしも新しいものではありません。すでにマルクス(789夜)は上部構造と下部構造によって、パーソンズは制御と階層によって、アルチュセールは最終審級によって、社会システムの構造を特徴づけようとしました。
しかし、このような見方には、大きくひとつ欠けているものがあります。それは社会の部分どうしが対立しあったり、管理されていて、相互に自律的な関係をもちえないモデルになっているということです。ルーマンはここを突破したかったんですね。そういう点ではルーマンの社会システム理論は自律分出的統合モデルです。
この見方についても、むろん反論はありえます。たとえばフランス・ポストモダン派の旗手リオタール(159夜)は、「世界は統一的報告では語りえない」とか「社会はもはやメタ物語によっては語りえない」と指摘してきました。しかしこの点についても、ルーマンは別の見解をとるのです。「そもそも社会を外部から観察しよう思うことが不可能なのである」「社会は社会が分化した記述者によって記述しうるのである」と。
こうしてルーマンは次のようなことを相互的に自己記述していけば、社会システムは記述できると考えたのです。それは、①部分システムと社会システムの関係を記述する、②部分システムの相互の関係を記述する、③部分システムが自己自身に関して記述する。この3つをできるだけ相互的同時に進めるという方法でした。この記述の方法のために、ルーマンはオートポイエーシス理論を採用したわけです。

 これで、だいたいの枠組みの進行の仕方を、まことにおおまかに粗述したことになります。そこで、もう一度、ルーマンの方法にはどんな特徴があるのか、一言加えておきます。
社会学が社会システムに言及するには、社会システムが自分自身を相手に自己言及しているしくみや気配やノイズに気がつかなければなりません。これがルーマンが最終的に決断した方法でした。この方法は、ルーマンの方法自体がダブル・コンティンジェントであったことを示します。
しかしとはいえ、システムの自己言及に注目すれば、これを記述する内容だって自己言及のループに入ってしまって、理論そのものの自己矛盾やハウリングをおこしかねません。そういう理論的危険性はなかなか拭えませんし、そういう理論的破産に陥った学者は数かぎりなくいます。ルーマンはどのようにこの問題をブレイクスルーしたのでしょうか。
ぼくが思うには、ルーマンはこのブレイクスルーのためにこそ「意味」というものを、つねにシステムが自律的になろうとするたびごとのインターフェース上に出現させ、システムが自己再帰するたびに登場する意味の曖昧性や不確定性に注目して、そこに過剰や不安定や不確実性を入れてみることに気がついたのです。
ここには意味が発生すると、その意味がなんらかの席を占めようとするたびに、そこからはぐれていったり、そこに覆いかぶさってくるものがあることを示唆します。またしばらくすると、その席に入った意味とその席からはぐれた意味とが、新たなカップリングやネットワーキングをおこすだろうことが予想されます。あるいはちっとも意味が創発せずに空席だけになっていることも予想されます。
こういう見方は、ぼくの編集工学的な意味論からするとすこぶるわかりやすい捉え方なのですが、ここで最後に文句をつけておきますと、実はルーマンの大著をいくつも読んでいると、この最もわかりやすいところがしだいにボケてくるのです
なぜそういうふうになるのか、ちょっと不可解なのですが、これ以上のことをクリティックする気がぼくにはないので、ここでルーマンの社会システム理論案内を閉じたいと思います。ご退屈さま。

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【参考情報】
(1)ニクラス・ルーマンの主著は前夜を含めて、だいたい紹介した。ここではルーマンをめぐる批評や評論や解説をほどこしたものを紹介しておく。ギュンター・シュルテ『ルーマン・システム理論:何が問題なのか』(新泉社)、クニールとナセヒの『ルーマン:社会システム理論』(新泉社)、長岡克行『ルーマン/社会の理論の革命』(勁草書房)、馬場端雄『ルーマンの社会理論』(勁草書房)、村上淳一『システムと自己観察』(東京大学出版会)、村中知子『ルーマン理論の可能性』(弘文堂)、佐藤俊樹『意味とシステム』(勁草書房)などだ。
これらのなかでは、実はルーマン批判とルーマン擁護が相克しあっている。ぼくにはその対立点を明示する用意はないので、もっと詳しく調べたい諸君はこれらの本にジカに当たられたい。

(2)リスクを語るルーマンについては前夜にも述べたので省略するが、上記の語り口でも社会システムのどの場面にリスクが生じるかは、わかってもらえると思う。「意味」がダブル・コンティンジェントに出入りするところそのこと自体に、そもそもリスクが生起するわけなのだ。ちなみにルーマンには『リスクの社会学』という著作もあるのだが、まだ邦訳されていない。

(3)ルーマンの社会学の前提には、ひとつはタルコット・パーソンズがいて、ひとつはスペンサー・ブラウンがいて、ひとつはロス・アシュビーがいる。なかでロス・アシュビーの「最小多様性」がなかなかおもしろいのだが、日本ではほとんど取り沙汰されてこなかった。ぼくが知るかぎりは経営学の野中郁次郎がこの点については先駆的な評価をしていた。サイバネティクスやセカンド・サイバネティクスのこと、「キンドル」や「iパッド」の衝撃なんぞにおたおたする前に把握しておいたほうがよろしいのではないか。

(4)ルーマン社会学から派生する新たな概念として、ぼくが20年ほど前に設定したのは「ほか」と「ベつ」、「よそ」と「あて」という概念だった。これについてはその問題意識の導入部を『花鳥風月の科学』(中公文庫)の8章以降に書いておいたので、興味があるなら読まれたい。ここにはぼくの「空隙」論や「隙間」論が、言語活動の”奥”の問題として提示されていると、本人は思っている。