才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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日本語に探る古代信仰

土橋寛

中公新書 1990

初春の初子(はつね)の今日の玉箒(たまははき) 
手に取るからに揺らぐ玉の緒。
玉箒って何か。玉の緒って何か。
いや、そもそもお正月って何なのか。
正月、日本人は何を祝っているのだろうか。
そこにはミタマノフユが見え隠れする。
魂の振動や起動が暗示されている。
白川静の無二の親友だった土橋寛の古代歌謡研究から、
日本人の言霊の発動をかいま見る。

石黒 あけましておめでとうございます。

松岡 去年はいろいろありがとう。石黒君は大晦日に去年最後の「千夜千冊」の分をアップロードしてくれたね。一昨年もそうだった。ちゃんとお正月した? お雑煮、食べた?

石黒 はい、いただきました。松岡さんはどんな正月でしたか。

松岡 いつもの通りの寝正月。佐藤優の本を読んだり、心敬についてのメモをとったり、1月8日から収録が始まるNHK「白川静の世界」の準備をしたり。あとは何もしていない。

石黒 正月もふだんも変わらないじゃないですか(笑)。

松岡 いや、ちゃんと初詣もお雑煮も祝ったよ。

石黒 佐藤優というのはスズキムネオ事件で刑務所に入っていた人ですよね。『獄中記』とか『国家の罠』とか『自壊する帝国』とか。正月らしくないですね(笑)。お好きなんですか。

松岡 あの人の本はかなりいいね。凄い思想の持ち主だよ。とても外務官僚とは思えない。昔はこういう外交官はけっこういたはずだけどね。すでに6冊か7冊を読んだけれど、たいてい充実していた。最近の日本の著者で、これだけ読ませたのはいないね。いつも手ごたえがある。力量がホンモノなんだね。そのうち「千夜千冊」にも取り上げたい。

石黒 お正月には何を読まれたんですか。

松岡 年末年始は、新著の『国家論』(NHKブックス)と『国家の謀略』(小学館)を読んだけれど、『国家論』は最初の出だしと宇野弘蔵の編集までは圧倒的だったのに、世界共和国論の柄谷行人(955夜)や否定神学のカール・バルトを持ち出してからはやや不発だったかな。『国家の謀略』は4、5年前に「SAPIO」に連載してたお得意のインテリジェンス論なので、こっちはただただ教えを請うばかり。

石黒 それにしても、お正月も読書三昧ですか。

松岡 あのね、「その一冊」の本を読むか読まないかは、ぼくにとっては大きな岐路なんだよ。あとになって、ああ、あのときあの一冊を読んでいればよかったのにと思うことが、何度もあったしね。でも、白川さんのように人生の90パーセントを読書で埋めたいというには、まだ遠いね。

石黒 その白川さんについて、いよいよNHKの番組に出られるんですね。たのしみです。

松岡 それがなかなか決め手を欠くところでね、まだ悩ましい。この番組は『知るを楽しむ・こだわり人物伝』というもので、ぼくがぼく自身の勝手な考え方を喋る番組ではなく、あくまで白川さんの漢字世界観を案内したいという番組なので、そこをどうするかが難しいわけよ。すでにNHKの担当さんの丁寧な箱書の半分は届いているんだけれど、それに従うかどうかも悩ましいところでね。テレビというのは、決められた通りのことをやっても乗れないものなんだね。

石黒 ああ、そうなんですか。

松岡 ぼくはね。もっともドキュメンタリーはちがうけどね。まず撮っていくから。

石黒 お正月って、やっぱり何か気分があらたまりますよね。

松岡 そうね。ぼくは毎年、正月になると万葉古今が懐かしくなる。

石黒 百人一首とか、しないんですか。

松岡 以前はよくしたよ。数年前までは編集工学研究所と松岡正剛事務所でも、仕事始めに「百人一首」をしたんだけれど、そうか、石黒君が来てからはやってないか。

石黒 してもらってません(笑)。

松岡 じゃ、来年はやるか。源平に分かれてね。かつては渋谷恭子がいつもトップだった。

石黒 へえっ、渋谷さんて、そういうところもあるんですね。

松岡 とても不思議な人だよ。いつまでも一緒に仕事をしたいね。でも最近は家の仕事が忙しくなったから、ちょっと残念。

石黒 連志連衆會は渋谷さんがやってますよね。

松岡 うん、プロマネみたいなもんだ。

石黒 では、そろそろ本題ですが、今年の「千夜千冊」の最初の1冊は何ですか。

松岡 そうねえ、お正月っぽいのがいいよね。

石黒 以前、大林太良さんの『正月の来た道』(451夜)をとりあげられましたね。

松岡 あれは東アジアとの関係で正月行事のルーツを推理したものね。今日は、そうだなあ、万葉古今にちなんで、ずっと以前から親しんできた土橋寛(つちはし・ゆたか)さんの本をとりあげてみようかな。

石黒 土橋寛? どういう方ですか。

松岡 もう亡くなっているんだけど、京都大学出身の古代文学の研究者で、古代歌謡研究の第一人者だね。岩波の古典大系の『古代歌謡集』も編集された。最初の『古代歌謡論』をはじめ、『古代歌謡と儀礼の研究』とか『古代歌謡の世界』とか『古代歌謡の生態と構造』とか、いろいろ大著がある。
 でも、今日はそれはたいへんだから、中公新書の『日本語に探る古代信仰』というのがいいと思う。古代日本のキーワードやコンセプトをあらわす言葉に焦点をしぼっていて、気楽に書いたせいか、みんなが読んでもきっとおもしろいと思う。きっと参考になるよ。土橋さんは白川静さんの親友だったしね。ほぼ同い歳だし、お二人にはかなり重なるものがある。

石黒 では、お願いします。

松岡 正月にはいろいろ日本っぽいものが顔を出すよね。その年ごとの歳神(としがみ)がやってくるというのが一番の出来事なんだけれど、それにともなって松飾りをしたり恵方棚が設(しつら)えたり、粥を食べたりする。ようするに潔斎するわけだ。このとき、「あらたま」って何かということがある。

石黒 お正月って潔斎なんですか。

松岡 だって、「おせち」というのは年末までに火を通してつくっておくもので、正月には火をつかわないということだし、七草粥はそこで再スタートを切るということだよね。「松の内」というのは潔斎の期間なんだよ。斎(いつき)をしている。

石黒 あっ、そういうことですか。

松岡 そうね。正月は何かが「あらたまる」わけだ。では何があらたまるかといえば、アラタマが見えてくる。アラマタじゃないよ(笑)。新しい魂としてのアラタマ。けれども、この「新た」というのはたんに新しいということではないんだね。再生されて新しいわけだ。復活です。なぜ再生するかといえば、厳しい冬がいよいよ春を迎えるからだ。その境い目はもともとは冬至にあるわけだ。

石黒 去年の12月22日の「連塾」の「浮世の赤坂草紙」で、その冬至の話をされましたね。

松岡 そうそう、あれだ。その冬至をこえると、冬はしだいに草木が芽吹く春に向かっていく。これを古代日本では「ミタマノフユ」といっていたんだね。魂が再生して蘇っていくということです。「冬」という言葉もこの「フユ」から派生した。

石黒 ミタマノフユ?

松岡 正月の本当の意味を知るには、このミタマノフユを理解する必要があります。けれども、なかなかそのようには知られていない。だいたいミタマノフユが何を意味するかもわからなくなっている。

石黒 どういうものですか。

松岡 あのね、こういう、とても象徴的な歌があるんです。天平宝字2年(758)に孝謙天皇が正月初子(はつね)の3日、侍従王臣に「玉箒」(たまははき)を賜ったとき、それに応えて大伴家持が詠んだ歌です。ちょっと読むね。   初春の初子の今日の玉箒 手に取るからに揺らぐ玉の緒

石黒 新春の歌ですね。

松岡 そうだね。玉箒というのは正倉院の御物にもあるもので、目利掃(めとはき)とよばれている枝の先に瑪瑙などの玉がついている箒のようなものなんだけれど、これは実はたんなる箒(ほうき)ではなくて、タマフリのための呪具なんです。こうしたものは当時はいくつか種類があったので、総称して「玉の緒」(たまのお)というんだね。いくつもの玉を一本の紐(緒)でつなげているので、玉の緒。記紀神話ではしばしば「玉の御統(みすまる)」とも出てくる。

石黒 その玉の緒をもらったというんですね。で、どういう意味の歌ですか。

松岡 家持の歌は、「天皇に頂戴いたしました玉箒を手に取りますと、たちまち枝頭の玉が揺れ動き、それにつれて私の魂の緒も揺らぐが気がいたします」というものだね。玉の緒と魂の緒とゆらぐ魂を掛けた歌になっている。この「ゆらぐ」(=ゆらく)がミタマノフユの「ふゆ」と関係があるんだな。

石黒 フユが冬になるんですか。

松岡 なるようで、ならない。厳密にいうとね、フユは「殖ゆ」ではないんだね。フユというのはもともとは「振る」という言葉の古体でね、「振ゆ」という自動詞の終止形なんだね。そもそもは霊魂が振動する状態がフユで、そのフユが冬至の前後では寒くて振動の息をひそめている。その状態を特異なものだとみて、フユがいったん終止するから冬というふうになった。
 ところがやがて、この「振ゆ」が「振る」になっていく。それがタマフリのフリだね。このフリは「振る」という他動詞の連用形。「振ゆ」が「振る」によって次の振動の再起動になっていくわけだ。この起動状態が広まっているのがミタマノフユ。

石黒 フユやフリがミタマノフユと関係してくるんですか。

松岡 ミタマノフユというのは、霊魂のエネルギーが振れていることなんだね。こういうフユの感覚は古代文献ではいろんなところに出てくるんです。  たとえば記紀神話では、神代紀に出雲の話がいっぱい出てくるんだけど、そこでオオクニヌシ(大国主命)がスクナヒコナ(少彦名命)と協力して天下を治めたときのことを、「ことごとく恩頼を蒙る」と書いていて、この「恩頼」をミタマノフユと読ませている。それから垂仁紀には、田道間守(タジマノモリ)が常世に渡って「非時香菓」(ときじくのかぐのみ)を持ち帰ったという有名な話が出てるんだけれど、そこには「神霊のおかげだった」と、あって「神霊」をミタマノフユと読ませてるね。景行紀には、ヤマトタケルが熊襲を討つことができたのは「神祇の霊(ミタマノフユ)によるものだった」と書いている。

石黒 いろいろのミタマノフユがあるんですね。

松岡 そうではなくて、貴いものが関与したかとおぼしいほどに、ある種の威力がめざましくなってくることがフユであり、その総体がミタマノフユなんだね。その威力の正体は何かといえば、それがタマ、つまり魂というものだった。

石黒 タマ(魂)というのは英語でいえばソウルですか。

松岡 ソウルというより、スピリットだね。霊性のある魂。

石黒 魂というのは人間に宿っているんですか。

松岡 そうとはかぎらない。古代日本では、魂に基本的には2種類があったんだね。いまふうにいうと、遊離魂と身体霊です。中国ふうにいえば「魂魄」(こんぱく)というときの「魂」が遊離魂で、「魄」が身体霊になるんだけど、日本で「鎮魂」とか「鎮魂祭」というばあいは、この遊離した魂を身体に鎮めることをさしていた。ただし、ここでちょっと問題になるのは、この鎮魂というのにタマフリとタマシズメの両方があったということなんだ。

石黒 ふつうはタマシズメというのが鎮魂ですよね。

松岡 そう思うよね。ところが、実はもともとタマフリがあって、それがやがてタマシズメと一緒になったと考えたほうがいいんだな。
 たとえば平安朝このかた、宮中で毎年11月の寅の日におこなわれてきたオホムタマフリ(鎮魂祭)は、ミタマフリであってタマシズメではないんだけれど、それなのにこれらは、いまではみんな鎮魂祭だというふうになった。なぜこのようになっているかということを土橋さんは、物部氏の伝承との関連で見ておられる。

石黒 物部との関係ですか。あっ、松岡さんも1209夜に『物部氏の正体』を書かれましたよね。あれ、とてもおもしろかったです。

松岡 そうそう、あれだね。ぼくもあのとき書いたように、『先代旧事本紀』などでは、ニギハヤヒは天皇一族に先立ってヤマトに入り、長髄彦の妹を娶ってウマシマジノミコトを生んだ。そのウマシマジが天孫イワレヒコ(神武)がヤマトに入ってきたときに、ニギハヤヒ伝来の「十種の神宝」を献じて服従を誓い、それが縁で物部氏の祖となったというふうになっているわけだよね。
 このとき、ニギハヤヒからウマシマジに及んでいたタマフリの儀礼が天皇家に入ったのではないか。天皇家はそれを活用したのではないか。土橋さんは、そう、仮説しておられる。そうだとすると、この儀礼はタマシズメではなくて、物部氏が重視しているフルノミタマの儀礼でつまりはタマフリだったはずなんだね。これはいまも石上神宮に伝承されている儀礼だ。ということは、さっきの冬至の話とつながるんだけど、ミタマノフユやタマフリは初期においては王権交代を象徴する儀礼だったろうということになります。
 ぼくもこの仮説を採っていて、天皇家はどこかでタマフリをタマシズメの鎮魂祭に一般化したのだろうと思ってる。

石黒 12月22日の「連塾」の冒頭で、冬至の話に関連してオシリスとイシスの話をしてられましたよね。

松岡 冬至の王権交代の秘密だね。エジプトでいえばイシスによるオシリスの再生とホルスの王権着位がそれにあたるし、キリスト教でいえばイエスの復活がこの秘密をちゃっかり踏襲している。つまりは、「王権が交代するとき」と「一年で一番太陽の力が弱まる冬至」とが、意図的に重なっているということだね。この冬至を挟んだ儀礼の数々が、基本的には「あらたまる」ということなんだよね。その「あらたまる」を支えているのが、日本においてはミタマノフユというものだったということです。

石黒 魂というのは出たり入ったりするものですか。

松岡 そう、動いている。じっとしていない。それが霊性のある魂です。つまりスピリチュアル・エネルギーだね。

石黒 アニマというのと同じと見ていいんですか。

松岡 遍在するスピリチュアル・エネルギーが人に憑いて、何か外にはたらきかけているときがアニミズムのアニマだね。ただし、このアニマはユング(830夜)が言う「アニマとアニムス」のアニマじゃない。人類学的な意味でいえば「遍在するアニマ」というもので、そのアニマのはたらきのことを人類学では「マナ」という。ただ古代日本ではこれらをみんな含めて、「ヒ」とも言った。

石黒 ムスビ(産霊)のヒですか。

松岡 そう、それだ。ムスというのは生成とか産出ということだから、ヒが生成産出されることを象徴しているのがムスビ(産霊・結び)という言葉になる。

石黒 そうするとヒとタマは別ものなんですか。

松岡 そこは難問でね。土橋さんは、おそらく最初は「ヒ」とか「チ」とか「ニ」といった1音節の言葉がスピリチュアル・エネルギーのことをさしていたんだろうと言っておられる。「チ」というのはイノチとかミヅチとかイカヅチ(雷)とかチハヤフル(千早ふる)というときのチだね。「ニ」というのはニニギノミコトやニホフやニフ(丹生)のニだね。
 それがやがてタマという別種の2音節の言葉ができると、それぞれ習合していったんじゃないか。そのとき、タマに遊離霊と身体霊の区別がついたんじゃないかというんだね。

石黒 ということは、そういうこと全部をふくめてミタマノフユというわけですか。

松岡 そうなるね。だからミタマノフユを感じるには、たくさんの玉を連ねた玉の緒を振って、みんなが威力を実感するようにした。いろいろの玉というのは、たくさんのヒやチやタマということだ。

石黒 玉の緒って大事なんですね。

松岡 正月の神社では新しい標縄(注連縄)が有名だけれど、それくらい重要だね。標縄は霊性のある神域を示しているわけだけれど、玉の緒はそれを実際に振って霊力を実感するわけだから、アニミズムやシャーマニズムの流れからいうと、原始的な玉の緒のほうが先かもしれない。

石黒 巫女さんの鈴がついた玉串みたいな?

松岡 まあ、そういうものだ。もともとは天の岩戸にアマテラスが引っ込んだというのが太陽力の衰弱を暗示している話になっているわけだけれど、そのときアメノコヤネ(天児屋命)とフトタマ(太玉命)が天香具山からマサカキ=真栄木実(真の榊)をとってきて岩戸の前に立て、そこに玉の緒や木綿(ゆふ)をつけたというパフォーマンスが、最初の例にあたるかな。これって玉串のルーツのひとつ。
 でも、これはあくまでタマフリであってタマシズメではないわけだね。それをその後、何でもかんでも「鎮魂」という用語にしてしまった。さっきの話はそういうことになる。

出雲大社の大注連縄

石黒 これはもう一度、初詣をしなきゃいけないですね。

松岡 正月って日本の秘密を知るにはいろいろチャンスだからね。

石黒 松岡さんはどこに初詣されるんですか。

松岡 ぼくは東京に来て以来、ずっと赤坂の山王日枝神社と神田明神、それに、そのときどきに住んでたところの氏神さんだね。三宿、蕨、新宿抜弁天、麻布、代官山、いまは西麻布っていうふうに、いろいろ越してきたから。

石黒 明治神宮とかは?

松岡 初詣には行ったことがない。というわけで、正月はミタマノフユと深く結びついているのだけれど、石黒君はちゃんと正月を祝ってるの?

石黒 実家に戻ると、そうしてますね。

松岡 どこだっけ?

石黒 神奈川です。

松岡 寒川神社とか大山阿夫利か。そういえばね、みんなは正月を祝うのか祭る(祀る)のか、これがまた混乱してるね。

石黒 祝うと祭るはちがうんですか。

松岡 ちょっとちがうんだな。これ、意外に重要なことかもしれない。イハフ(祝)というのはね、与えられた霊力や生命力にかかわることなんだね。これに対して、マツル(祭)は神に奉仕することです。だから日本のお祭りは神への奉仕という意味では根本的なボランティアなんだね。一方、イハウ(祝)は神聖という事態そのものや、その神聖なことに神聖にかかわることです。だいたいイハウは「祝う」と綴るだけじゃなくて、「斎ふ」とも綴る。

石黒 イツキですか。

松岡 「イ」とか「ユ」というのがもともとイハウの語源なんだね。このへんは土橋さんの得意なところで、「イ」とか「ユ」という神聖な状態に、連体格のツとかツがついて、イツとかユツ(ユフ)というふうになった。これが「イ」とか「ユ」にかかわる力をあらわしている。それが転じてイム(斎む)というのも、イハウと同様の力にかかわった。そこで神聖なものを守ったり、それを実感するために潔斎することを「イム」という言葉があらわすようになっていくわけだ。それが斎部とか忌部(いむべ)という名にもなったんです。

石黒 以前、松岡さんから「息吹」のイはイノチのイだと教わったんですが、それもいまのイなんですね。

松岡 イブキ、イノチ、イノリ、イハイ、イカリ。みんな、その「イ」だね。ドレミの歌じゃないけれど、「イは威力の威」とおぼえればわかりやすい(笑)。

石黒 ぼくは日本の神さまって、よく知らないんですけれど、どういうふうに見ていくといいんでしょうか。

松岡 そうだなあ、いくつかのアプローチがあるだろうね。

石黒 たとえば?

松岡 ひとつは日本神話に親しんでみることだね。『古事記』と『日本書紀』と『風土記』。最初から原典にあたるとたいへんだから、現代語で読めばいいんです。そうすると、日本の神々には天津神(天神)と国津神(地祇)があることとか、基本的には4つのパンテオンがあることがわかってくる。天地創成パンテオン、高天が原パンテオン、出雲パンテオン、日向パンテオンだね。
 もうひとつは、神社の由来や祭神に親しむことかな。でも、これは八百万(やおよろず)というほどだから、やっぱり日本神話の基本を知っておくのが、親しむには必須のことになるよね。もうちょっと別のアプローチは民俗学の本を読むことでしょう。

石黒 柳田国男(1144夜)とか折口信夫(143夜)ですか。

松岡 折口だろうね。でも、谷川健一でもいいし、益田勝美でもいい。ふつうの民俗学入門の本でもいい。萩原秀三郎さん(1141夜)の写真付きの民俗学でもいいだろうね。そうすると日本の村落で何がおこっているかが見えてくる。民俗学というのは共同体とその境界とその外部のことを見る学問だからね。そうするとまさにイハフとマツルが見えてくる。もっといいのは契沖から本居宣長(992夜)におよんだ国学を読むことだけど、これはかなりたいへんだ。
 そしてもうひとつが、今夜の本のように、古代日本語の神さまにまつわるキーワードやコンセプトに注目してみることかな。それにはほんとうは万葉や古今も読むといい。

石黒 神さまになじむわけですね。

松岡 いやいや、なじむとはかぎらない。恐れてもいいし、畏怖をもってもいい。だいたいカミって、「祟る神」もあれば「去来する神」もあるし、「命ずる神」や「応える神」もあるわけだよ。そのへんは佐藤弘夫さんの『アマテラスの変貌』(668夜)でも紹介したよね。一言しかしゃべらない神さまだっている。一言主神とかね。神さまに親しむだけがいいわけじゃない。怖がったっていい。

石黒 鎌田東二さんの『神道とは何か』(65夜)では、神はセンス・オブ・ワンダーだって書かれてましたね。

松岡 あれは、いわゆる「神奈備」(かんなび)の感覚だね。なんだか清浄な「アカキ心」を感じるというものだ。アカキというのは「明き」です。

石黒 赤いのかと思ってました(笑)。

松岡 キヨキ(清浄)っていう意味での「アカキ」だね。そのアカキがなにかしらあらわれてくる。それを古代語でいうと「ミアレ」ともいうんだね。カミがあらわれる感覚のことです。「なんだかありがたい感じ」とか「かたじけない感じ」というものだ。でも、これはかなり微妙な感覚です。それに対してカミの威力が発揮されたとき、つまり「イ」が発動されているともっと強いものを感じるようになってくると、こういう状態は「ノリ」とか「ノル」というふうに言う。これも土橋さんが重視したことです。

石黒 ノルとかノリって、あの「乗り」のことですか。ノリがいいっていう。

松岡 そっちじゃなくて、ノリト(祝詞)のノリのほう。ミコトノリのノリのほう。漢字で綴れば「告る」のほうだ。何かが告げられるわけだね。それを感じる。それを感じるための行為がイノリ(祈り)だね。つまりイ・ノリ。「威を告げるようにする」ということね。

石黒 祈りって深いですね。

松岡 それは世界中どこでもそうなんだけれど、イノリがノリから来ているというのは、中国とか日本だろうね。だからこのノリの「告」という文字はとても大事なんです。これは土橋さんではなくて白川さんの説になるんだけれど、「告」の下の「口」という形は顔についている口のことではなくて、言霊や祝詞を書いて入れておく器のことなんだね。これをサイというんだけれど、そのサイという器にサカキのような木の枝を立てているのが「告」という文字なんです。つまり「口」は祝告の器のことで、そこに収められた言霊を感じることや受信することがノリなんだね。

【告】
白川静『字通』より

石黒 告って、すごい文字ですね。

松岡 うん。「告」だけじゃなくて、「口」が付いている文字には言霊関連のものが多い。「吉」は、言霊を入れた器を脅かすものを避けるために、器(口)の上に鉞(まさかり)のようなものを置いてある形。この牛みたいな形は鉞のアタマなんだね。それだけ重要な言霊がそこにあるということだね。だから吉兆をあらわす文字になった。福岡や大阪の吉兆はヘマをやらかしたけどね(笑)。それから、そういう大事な器を守る必要もあるので、頑丈な蓋をする。それが「吾」という字です。

石黒 吾(われ)ってそういう意味だったんですか。

松岡 「われ」ではなくて「吾」と綴って「まもる」と読む。そういうふうに言霊を守れる者が、やがて「吾」(われ)と名のれる者になりうるわけなんだね。

石黒 へえっ、そういうことですか。

松岡 こういうことは白川さんの本にいっぱい出てくるよ。ま、NHKの番組をきっかけに、いろいろ読むといい。

石黒 いまからわくわくしますね。もっと聞きたい(笑)。

松岡 今日はこのくらい。ついでにもうひとつ言っておくと、このノリとかノルは「宣る」とも「曰く」ともつながっていて、本来は神さまの言葉が「宣」や「曰」(えつ)というものだということだね。だから、この「曰」という字に「人」がかかわっていくと、「旨」という文字になり、そのようにして神の言葉を伺いにいくことが「詣」ということなんだよ。だから、初詣では、神さまの言葉を聞いてこなくちゃいけないんだけど、あんなに人が多くちゃムリだよな(笑)。別のときにゆっくり行ったほうがいい。

石黒 はい、そうします。

【詣】
白川静『字通』より

松岡 ところで、さっきも言ったように神さまはいろいろのあらわれ方をするから、祈っていれば万事がうまくいくとはかぎらない。逆のことだっておこる。それがノロフ(呪う)というものになる。ノリはイノリにもなるし、ノロヒにもなるわけだ。

石黒 えっ、そうなんですか。イノルとノロフはノリの両面だったんですか。

松岡 そう思うと、わかりやすいだろうね。今夜はもう説明しないけれど、日本の古代観念や古代語を実感するには、こういうふうに両面に分かれる根幹の言葉を見ていくと、すごくいいんだよ。デュアル・スタンダードを見るということね。“両価性”があるということ。これは日本の本質のひとつだからね。

石黒 デュアル・スタンダードのことは、『日本流』(朝日新聞社)でも『世界と日本のまちがい』(春秋社)でも重視されてました。

松岡 起源の発生を一対の現象や価値観で見るということね。実はね、そもそもカミという言葉だってデュアル・スタンダードなんだ。一対の片割れの相手があるんです。何だと思う?

石黒 カミという言葉の片割れの相手ですか。えっーと、何だろう。わかりません。

松岡 それがね、カゲなんだ。

石黒 蔭とか影のカゲですか。

松岡 そう、そのカゲ。あのね、もともと「カ」という言葉に生命力があるんだね。カはとくに植物や樹木の生命力が宿っている状態をあらわしている。ただし、さっきの「ヒ」とか「チ」にくらべると植物的であるぶん、やや静かなものなんだけれど、でも霊性の状態のひとつをあらわしている。カザシ(挿し)とかカヅラ(鬘)のカもそういうカだね。

石黒 そのカからカミとカゲが出てくるんですか。

松岡 もっと正確にいうと、実は、そもそもタマのもうひとつのはたらきがカゲなんだ。よく「おかげさまで」とか「何々のおかげです」というよね。そのように、カゲとかおカゲという言葉にはタマのはたらきを示すものが含まれているんだね。だから、幕末に大流行した「おかげまいり」というのは、そのカゲの力にさずかろうというムーブメントだったわけだ。

石黒 ああ、そういうことなんですか。

松岡 ミタマとミカゲは一対です。

石黒 なんだかすごく根本的なヒントを突然にいただいたような気がします。

松岡 以上、石黒君へのお年玉というところだね。

附記¶土橋寛は明治42年(1909)に長崎に生まれ、京都大学文学部を卒業後は、同志社大学で古代文学を研究、やがて古代歌謡の第一人者となった。『古代歌謡論』(三一書房)、『古代歌謡と儀礼の研究』(岩波書店)、『万葉開眼』(NHKブックス)、『古代歌謡の世界』『万葉集の文学と歴史』『古代歌謡の生態と構造』『日本古代の呪祷と説話』(いずれも塙書房)などの著書がある。