アンリ・ベルクソン
時間と自由
白水社(ベルクソン全集1) 岩波文庫 2001
ISBN:4003364597
Henri Bergson
Essai sur les Donnees Immediates de la Conscience 1889
[訳]平井啓之(白水社版)・中村文郎(岩波文庫版)
物質は記憶か。時間は持続か。
自由は、エラン・ヴイタールか。
あえて形而上学に挑み続けたベルクソンを
いま、どう読むか。
ぼくをかつて揺動させたフランスの「生の哲人」は、
なお何を、語り告げようとしているのか。
それはまた、あの稲垣足穂の「機械学」の香りと、
どんなふうに交信していたのか。

 ベルクソンを読むということは、最も出来のよい二元論を堪能するという気分になっていくということだ。二元論だというのは、ベルクソンがデカルト以来の「心身問題」を、最高峰の矛盾と葛藤のなかで思索しつづけたということである。ベルクソンは最初から最後まで、精神と物質の二元論のなかで、この二つをつなごうとしつづけた。
 二元論に与(くみ)しないぼくがそんなふうに言うと、敵ならあっぱれと言いたくなるものを堪能するという不埒な印象のように聞こえるかもしれないが、いまのぼくなら、まあそういうふうに言ってもいいところもあるだろう。
 が、かつて最初にベルクソンを読んだときは、実はそんなことすら気付かないで、ちょいちょい没頭したものだ。小林秀雄(992夜)の読み方が気にいらなかったせいもある(小林の哲学の70パーセントはベルクソンである)。

 最初は、本書ではなかった。最初に読んだベルクソンは『笑い』だった。明治16年の執筆だ。ただし、これは感心しなかった。なぜなら、これはモリエール論だったからだ。
 ぼくは早稲田で3つのクラブ活動を遊んだのだが、そのひとつ「素描座」という劇団でアカリ(照明係)を希望したところ、それなら一度は役者もやりなさいというので、最初に舞台に出たのがモリエールの『いやいやながら医者にされ』だったのである。が、なぜこんな芝居がおもしろいのか、さっぱりわからなかった。
 次にベルクソンの卒業論文として有名な『アリストテレスの場所論』を読んで、コーラやトポスにめざめた(コーラもトポスもギリシア語の場所のこと)。ぼくの場所論の出発は、このベルクソンと、それに中村宏のタブロー『場所の兆』にあった(これが「遊」創刊号に『場所と屍体』の連載を始めるきっかけになった)。
 ただ、そのくらいに「場所」にめざめてしまったので、また、そのあとアリストテレス(291夜)ロレンス・ダレル(745夜)ルネ・デュボス(10夜)の場所論の書林叢苴のほうに入っていったため、しばらくはベルクソンを読むことがお留守になった(こういう読書の仕方はしょっちゅうだ)。
 そのうち何かの拍子でやっと戻ってきて(おそらく、まりの・るうにいとの日常会話がきっかけだったと憶う)、『物質と記憶』を(これはややコンを詰めて)、さらには『創造的進化』を(これはかなり急ぎ足で)読んだ。これらの主張には納得ばかりしたわけではなかったけれど、かなり愉快な揺籃というものがあった。「無」が存在に先行するのかどうかということを考えていたからだ。

 ベルクソンは「無」が当初からあるという見方には反対だった哲人である。ヨーロッパに伝統的な、「人はタブラ・ラサ(白紙)に何かを描くことで生き、何かを刺繍することで思考する」という強固な考え方を覆そうとしていた。
 これは端的にいえば、トマス・アクィナス以来の伝統(=トミスム)に文句をつけようというのだが、ベルクソンはこの方針にはかなり頑固で、そこはカントにもヘーゲルの言い分にも屈服しなかった。ベルクソンよりちょっとあとのハイデガー(916夜)ですら、その哲学の全貌に「無」の一滴が必要だったのに。
 しかし、「無」と「存在」の関係は、そう容易に片付くものじゃない。ハイデガーを請けたサルトル(860夜)はそれこそその半生を、この「存在と無」の問題に終始したのだし(サルトルはベルクソン批判に正面からとりくんだ)、そもそもは知性卓抜のライプニッツ(994夜)にしてからが、「なにゆえに無ではなく、むしろなにものかが存在するのか」を考えこんで、モナドに窓をあけるかどうかという究極の決断に迫られたのだ。
 だから、ベルクソンといえども「無」を打擲して、あたら「存在」のみに加担するわけにはいかなかったはずなのだが、『創造的進化』の最終章がそのことの論議にすべてあてられていたように、最後は生命の発生と進化を持ち出して、「無の先行」をまるきり否定した。つまりベルクソンはルイ・パスツールになったのだ(生命が無から発生しないと最初に言ったのがパスツールだった)。
 けれども、それは哲学というものではなくて、生物学なのである。ぼくは哲学と生物学はいくらでも一緒になってかまわないという立場ではあったものの、20世紀では評判の悪い抽象癖どしがたい形而上学というものを、ハイデガー、ホワイトヘッド(995夜)などとともに、まるで孤立者のごとく断乎として標榜していたベルクソンが、そんなに安直に生物学的発生論の軍門に下っていいのかという年来の疑問もあったので、ここはいささか眉に唾をつけたくなっていた。
 しかしながら、ベルクソンを読むということは、最初にも書いたとおり、「最も出来のよい二元論を堪能する」ということなのだから、これはぼくの読み方がまだヨーロッパの形而上学的反逆に慣れていないのだろうと思いなおして(たとえばジル・ドゥルーズのベルクソン論のように)、ここから先は、ちょっと腰を入れ直したのだった(ちなみにぼくの読書法は、相手の言い分を成立させている中身には、いったん必ず敬意を表して読むようになっている)。

 ごくごく端的にいうのなら、哲学というものは「真の実在」を知ろうとする作業のことをいう。
 前夜の三枝博音(1211夜)でもふれたように、この「真の実在」は、仏教にいう「真如」でも、プラトン(799夜)の「イデア」でも、プロティノスの「ヌース」でも、空海の「秘密曼陀羅十住心」でも、カントの「理性」でも、ハイデガーの「原存在」でも、かまわない。ようするに「真の実在」とか「知の真実」とかとでもいうような、そんなことがいったい世の中の何に役立つかというほどの、そういう他愛もない絶対知や普遍知に対しての探求に徹底することを、哲学という(なかで絶対知をもとめたのがヘーゲルである)。
 それゆえ、「真の実在」が何々だと言明されるということについては、哲学者によってはその言明の核心が何であってもかまわないのだが、しかしその「知の真実」とおぼしいものを知るには(言明するためのプロセスの説明では)、どんな方法をとるかということが決定されなければならない。
 ここに、少なくとも二つの方法が浮上する。ひとつ(A)は外から眺める方法、もうひとつ(B)は内側からつかまえる方法だ。科学はもっぱらAを、哲学はおおむねBをつかう。どちらも、演繹でも帰納でもかまわない(アブダクションなら、もっといい)。
 Aには、何をどこから眺めているかという立場が明確になる必要がある。むろん富士山をぐるぐる動きながら眺めたっていいけれど、それはそれで「ぐるぐる動いた」という立場(視点)が生じたのであって、その立場はいくらでも厳密に記述できる。これはニュートンが微分方程式によって対象世界(=システム)を設定してから「真の実在」に向かっていったという、あの古典力学以来の方法になる。
 このAの方法は、いいなおせば「存在」を相対的に記述しているという特色をもつ。ニュートンの相手も、せんじつめれば太陽系という「存在」(つまりシステム)だったのである。その存在をあらわす相対的な分量はいくら多くてもいいし、いくら複雑でもいいけれど、それはやっぱり「存在の相対性」にアプローチしたということなのだ。

 これに対してBの方法は、事態の内側にいて、真の実在を記述できるかどうかを試すという方法になる。
 内側にいたから成功するとはかぎらないわけで、また、その方法が誰にも検証できるともかぎらないわけだから、これは厳密には科学とは言いがたい。
 このBの試しにも、やはり立場がいる。ただし、この立場(視点)は内側に入るのだから、存在の動向と一緒くたになった立場にならざるをえない。したがって、Bの方法で得られる実在は、自分の立場と存在の本質とが一緒くたになっている可能性がある。いや、危険性がある。けれども、哲学はその危険な一緒くたにあえて介入する。それが哲学というものだ。だから、哲学の多くには、それはおまえの実感や推理にすぎなくて、「真の実在」なんてこれっぽっちも説明できていないじゃないかというような、そんなゴタクもたくさんまじっているということになるのだが、それでもそれはBによる哲学なのである。
 しかし、これではゴタクと真実とがあまりにごっちゃになりすぎる。そこで、この「ごっちゃ」そのものを、いったん哲学的思考の方法主体としてつかまえておくことがよさそうである。
 で、ベルクソンのことになるのだが、ベルクソンは、この「ごっちゃ」の方法主体を「直観」とみなしたのだった。

 直観(intutio)とは、Bの方法が動いているときの、“方法の親玉”のようなものをいう。少なくともベルクソンはそのように見た。
 だから、これを内観といってもいいし、内見といってもいい。またごく一般的には、意識といってもいいだろう。ただしこの意識はただっ広い意識のことではなく、真の実在に向かって動く焦点をもった、あるいは焦点をさがしている方法的意識のことだ。
 ところが、このような方法的意識をもつ直観は、いつも一定の様相をもっているとはいえない。焦点すら動くのだから。そのため、よく「ひらめいた!」とか「ユーレカ!」というように、直観は何かが刻々変化しているなかで、ヴィジョンのように見えてくるもの、あるいは到来するものとおぼしい。
 そういう「ひらめき」がはたして直観の正体かどうかはいまは措くとして、では、直観は直観だけが自立しているのかというと、そんなことはあるまい。そこにはおそらく「流れる時間」というものがある。直観は「流れる時間」に乗っていそうだ。直観は時間とは分けられない。しかも、直観が直観になるときは、そこは言ってみれば、「ずっと現在」なのである。
 そこでベルクソンは、その「流れる時間」とともに直観が一緒くたに動いていると見て、直観が関与する「ずっと現在」の状態のことを、あらためて「持続」(デュレ)とよぶことにした。「直観的に考えるとは持続において考えることである」「直観の理論の前に持続の理論がある。前者は後者から出る」というのは、このあたりのことを示している。また、そのような時速にある直観的意識には「強度がある」というふうに見た。
 こうしてベルクソンは、直観と持続という内的な立場から、真の実在を哲学するという方向をもったのである。これが『物質と記憶』の基本的な枠組というものだった。明治29年、ベルクソン37歳のときの執筆だ。

 いささか遠い街で見知らぬ少女と出会った思い出のようにはなっているのだが、『物質と記憶』はぼくに香ばしい想像力をかきたてた。ということは、当時のぼくが二元論とはまだ十分に訣別しきっていなかったことを突き付けてしまうのではあるけれど、それはそれ、なるほどベルクソンはうまいカマエとハコビを考えたものだと感心した。
 しかし、いくつかひっかかることがある。それは第1には、「時間」と「持続」を持ち出したことで、たくみに「無」の君臨を消してしまったということだ。あれっ、いつのまに「無」を消去してみせたのか、そこがわからない。
 第2には、「流れた時間」と「流れる時間」をはっきり分けていたことだ。「流れた時間」を過去や経験とみなし、「流れる時間」だけを相手にした。そんなふうに便利に時間を分けられるものなのか、どうか。そこがひっかかっていた。
 第3には、どうも「物質」と「記憶」の関係がわからない。ベルクソンは物質というとき、ニュートン力学が提供したシステム(系)のなかで記述される物質を、いつのまにか取り払っていて、むしろ生命や人間を構成している“内側の物質”ばかりを相手に選んでいるような思考をしていたからである。いわば「意識を構成している物質」が、ベルクソンの物質なのである。
 これは他方では、ぼくをして、いったい「意識が物質を帯びているのか」、それとも「物質が意識を帯びたのか」という、その後の何年・十何年をも悩ませるチョー難問を喚起させたのであるが、それはそれ、そのチョー難問をベルクソンは必ずしも解いてはくれていなかった(これについては最近、本になった茂木健一郎との文芸春秋社の対談集『脳と日本人』にもふれてある)。
 こうして、これらのひっかかりは、『物質と記憶』をいくら読んでも次の方向を暗示しているわけではなかったので、やっと、かの難解で鳴る『時間と自由』を読むことになったのである。たしか元麻布に引っ越したころだったから、1983年くらいのことだ。

 最初に断っておくが、『時間と自由』というタイトルはベルクソンのものではない。英訳のときにこうなった。
 以来、このタイトルが思想ギョーカイでも通り相場になっているけれど、原題は『意識に直接与えられたものについての試論』という面倒なものである。いや、『時間と自由』のほうが面倒か。どちらが面倒かはともかくも、本書は「自由とは何か」を考察したくて書いたものになっている。出来は、まあ65点といったところだ。
 もうひとつ断っておくと、本書は『物質と記憶』よりも前に書かれている。明治21年、ベルクソンが29歳のときに文学博士になるために提出した乾坤一擲の博士論文だった。つまり最初のデビュー大論文なのだ。したがってベルクソンは、「時間」については、「直観」や「持続」よりも前に考察し、その後、『物質と記憶』のなかでその時間論を哲学編集していったことになる。
 が、そういうデビュー作だったこともあって、『時間と自由』はかなり生硬だ。若書きの文章が生硬だったり、粗削りだったり、勢いにまかせたものであることはめずらしくない。和辻哲郎(835夜)のところにも、そのよしあしを書いておいた。けれども『時間と自由』は、それが生硬だから問題だということではなくて、その内容がほとんどその後の『物質と記憶』や『創造的進化』に吸収されていったということで、あえて単著として扱うよりも、ベルクソン哲学の変容のなかで見たほうがいい。
 ということで、ここから先は『時間と自由』を含めての、つまりはベルクソンの著作のあらかたを含めての、ベルクソン哲学のぼくなりの全般的な評釈というものにしておこう。
 次のような順で評釈してみれば、なんとかベルクソン哲学の、むろん全容ではないにしてもだが、その核心にふれられるのではないかと思うのだ。ただし、以下のように考えたところで、先にあげたいくつかの「ひっかかり」は氷解するとはかぎらない。また、今夜の一番あとで話すことにするが、このような核心とはべつに、ベルクソンにはとても痛快な見方があって、実はぼくは、そっちのほうのベルクソンのほうが好きだったのである。

 ざっと、以下のようになる。
 ベルクソンの最大の哲学上の課題は、「自由」とは何かというところから始まっていた。しかし、自由を考えるには、その自由をほしがる人間というものがどういう本質をもっているのか、あるいはどういう本質的な方向をもちたいと思ってきたのかということを、片付けなければならない。この「本質がまだわからない人間」のことを、哲学者たちは好んで「存在」と称んできた。プラトン以来のことだと思っていい。
 では、存在とは何か。哲学上の定義からいって、存在とはその本質が不分明なものをいう。中身がよくわからないから、人間は「存在」という思考様式そのものなのである。けれども何もかもが不分明では、話は始まらない。
 そこでベルクソンは直裁に、存在とはひとまず「精神」であろうとみなした(これはヘーゲル以来の哲学の課題だった)。ただし「存在は精神だ」という程度では、ほとんど同義反復になることもわかっていた。そのため、ただちに「存在=精神」のかなりの大半を、「意識」が占めているだろうと考えた。存在は精神であって、精神の大半は意識なのである。そう、仮定した。
 ちょっと気になったのは、「存在=精神」の大半が意識だとしても、そのほかに「物質」がどのように関与しているかが、当時の生物学や生理学ではなかなかわからなかったことなのだが、とりあえず、さらに先に進むことにした。
 しかしとはいえ、仮に「存在=精神」≒「意識」だとしても、その意識をどこから、どんなふうにとらえればいいのか。外から眺めているだけではさっぱりわからない。まさにBの方法で、内側に入ったまま哲学してみるしかない。
 もっとも、運よく内側に入れたにせよ、この意識は「本質がまだわからない人間」がもっている意識なのだから、「ごっちゃ」の感覚をなんとか整理しておく必要がある。それには意識をまるごと扱わないで、ややはっきりしているところと、まだよくわからないところとを分けておく必要がありそうだ。
 こうして、まずは「記憶」が重大な分水嶺になっているのではないかということになってきた。

 次にベルクソンがとりくんだのは、意識は、記憶の部分と、まだ記憶になっていない部分とに分けられるのではないかということだ。
 ベルクソンはこの分け方がそうとうおおざっぱなものだということは、よく知っていた。だいたい記憶にはやたらに詳しい部分とやたらに曖昧な部分とがあるし、おまけにそれらは複雑にまじっている。夢に出てくるのも記憶だろう。だから記憶を議論するには、記憶の広さや大きさというより、記憶の「強度」といったものを重視する必要がある(この「強度」はベルクソン得意の概念だ)。
 むろん意識が記憶やそのヴァージョンそのものかどうかは、わからない。けれども、もし記憶がなければ意識もないだろう、ということだけは前提になりそうだった。ベルクソンは当時の脳科学の成果も調べて、記憶喪失者たちが意識をも喪失している例をいくつもとりだしている(ブローカの症例など)。記憶が意識をコントロールしているらしいことは、どうやらまちがいがなさそうだった。
 一方、意識には記憶になっていない部分もある。こちらのほうの意識は何なのか。その多くは知覚や行動と結びついているわけだろうが、記憶になっていないということは、現在や未来にかかわっているとみなせる。とくに現在だ。ということは、意識というのはおそらく「時間」にディペンド(依存)しているということなのである。とくに記憶は過去に結びついている。では、どこからが意識にとっての過去で、どこからが現在で、どこからが未来なのか。

 記憶と過去をあまりにも堅く結びつけてしまうのはよくないだろう。なぜなら、記憶は貯蔵庫(アルシーヴ=アーカイブ)に入っているときよりも、それが思い出されるときが問題であるからだ。記憶は現在にもかかわってくると言わざるをえまい。
 そうだとすれば、意識を考えるとは、実は意識が「現在」に何をおこそうとしているものなのかを考えることなのである。いや、意識にとっては「ずっと現在」とでもいう状態があからさまなのだ。では、記憶は何のはたらきをしているのか。
 そういうことを考えているうちに、ベルクソンは、ひょっとするとこの問題のありかたにこそ「自由」とは何かということがかかわっているのではないかと、そんなふうに方向づけるようになっていた。そして、このように考えていくと、「存在=精神」≒「意識」という問題の解き方には、実は「時間・記憶→自由」という未知の問題の立て方があるのではないかと思うようになった。
 この二つのシェーマの「あいだ」は、おそらくはどこかで、何かがつながっているにちがいない。
 いったい「存在=精神」≒「意識」と「時間・記憶→自由」との「あいだ」をつなげているものとは何なのだろうか。これは当初はいささか難問だった。しかし、ベルクソンはここで転換をする。かなりの大転換だった。「あいだ」に何かがあるのではなく、その「あいだ」そのものこそ、かなり重要な何かなのではないか。そういうふうに考えを転換した。そして、この「あいだ」こそ「持続」というものだろうと結論づけたのである。
 この「持続」という概念はベルクソンをそうとう気にいらせたようで、のちには「純粋持続」という抽象度の高い概念にまで引き上げられていった。

 ともかくも、こうして、存在と時間とが、意識と記憶とが、それなりの関係をもつようになってきた。そしてその関係を支えているものが、「ずっと現在」を演じさせつづける「持続」という意識であろうということになってきたのだった。
 もっとも「持続」だけでは何も生まれない。純粋持続は純粋意識しかもたらさない。そこでベルクソンは、「存在が存在の本質にふと気がつく時」というものを想定して、ここに「直観」の関与があるというふうにした。直観は持続を破るものであり、また、持続の奥底に眠っていたかもしれない本質的な意識をめざめさせるものともなったのである。
 けれども、直観がどういうものかということは、ベルクソンの手に負える代物だった。へたすれば直観は「ごっちゃ」意識そのものなのだ。なぜなら、直観もまた時間の流れにディペンドしているのだし、そうだとすれば意識の流れとともにその前身があったはずなのだから、先に書いておいたように、直観といえども意識のゴタクとともに「一緒くたの現在」をもっていると言わざるをえないからだった。
 それでも、直観が持続を破り、持続が直観を支えているということ、そこには「あいだ」という領域があるだろうということは、ベルクソンを大いに弾ませた。

 さて、ここからがいよいよ、ベルクソンが「生の哲学」の創始者だと称ばれた独自の展開になっていく。ごく簡潔にまとめよう。
 ベルクソンは以上の推論を前提に、生命が進化という大きな時間をへるにしたがって、意識をもつ人間存在というものになったという構図をもったのである。そしてその大いなる進化のなかで、一個ずつの生命がそれぞれの意識をもち(言葉ももち)、それぞれの記憶を貯め、そこに過去と現在と未来の区分を感じ、さらにその先の自由に向かっていくというふうに考えるようになった。ベルクソンの時間は進化とも重なっていったのだ。
 この構想はすこぶる生気に満ちたものではあるが、特段にめずらしいものではない。すでにエルンスト・ヘッケルが19世紀末に「個体発生は系統発生をくりかえす」と言って、大胆ではあるが、しかしたいそう暗示力に富んだテーゼを発表していた。ただしそれは、まだたんなるシェーマにすぎず、そのシェーマを生命や意識が持続させている「あいだ」が説明されたわけではなかった。しかしベルクソンはその「あいだ」をこそ哲学し、そこについに「創造的進化」という、ダーウィンの進化論だけでは導き出せない構想をくっつけたのである。これが『創造的進化』という著作になった。
 もっとも、このこともベルクソン一人の独創というわけではない。すでにハーバート・スペンサーが「総合哲学体系」の名のもとに社会進化論を提唱していて、そこに「ハイパー・オーガニゼーション」(有機的社会意識)が創発されていることを縷々説いていた。やはり19世紀末のことである。ダーウィニズムは、すでに意識の進化にもあてはめられつつあったのだ(これがいわゆる「社会ダーウィニズム」のスタートにあたる)。
 ちなみにスペンサーについては、のちのちの社会生物学の仮説とともに(したがって社会ダーウィニズムの仮説とともに)、一度はじっくり検討しておいたほうがいいのだが、ごく最近、ぼくは『世界と日本のまちがい』(春秋社)という本のなかで、ごくかんたんな解説をしておいたので、とりあえず今夜はそれを読まれたい。ベルクソンはこのスペンサーからも大きな影響を受けていたのである(ベルクソンだけではなく、フェノロサ、岡倉天心、森有礼、西田幾多郎、パーソンズ、ルーマン‥‥いずれもスペンサーの申し子であった)。

 が、ベルクソンはスペンサーそのものでもなかった。意識が進化し、社会が進化するということだけを言いたかったのではなく(それが大前提にはなっているのだが)、そのなかで人間は(つまり存在は)、ある種の精神的飛躍をおこすということ、意識的飛躍をおこすということを強調したのである。ここにふたたび直観が関与した。
 これが有名な「エラン・ヴィタール」(elan vital)というもの、「生の飛躍」というもので、ベルクソン哲学の核心にあたるものになっていく。
 どういうものかというと、一方には、生命の悠久の進化の連続があるわけなのだ。これは大いなる持続ともいえるものだろう。そしてこの大いなる持続こそが人間を生み、意識を派生させ、精神を形成していった。ということは、他方では、これを精神や意識のほうから見ると、この大いなる持続を破って、精神や意識がエイリアンのごとく地上に出現したことになる。その破開をおこした意識の親分、あるいは方法の親分が直観である。その直観が「脳」に所属しているのか、「心」に遍在していたのか、それとも「体」のどこかに蹲っていたのか、そのへんはわからないのだが、ともかくも持続の打破は、人間の内側に爆薬の破裂のごとく出現したことになる。これがエラン・ヴィタールなのである。
 ベルクソンにとって、このエラン・ヴィタールは生物史の異様な起爆とも、さらには宇宙史の最も果敢な創発とも感じられた。ここだけを強調するなら、全き生命賛歌としてのエラン・ヴィタールなのである。
 こういうと、ベルクソンの「生の哲学」ってなんだかおめでたいほどの生命賛歌なのかと思われそうであるが、ここはベルクソンのために哲学史上の説明をちょっと加えておかなければならない。

 実はベルクソンは、若き学徒のころから一貫してカント哲学と対峙しつづけた哲学者だった。カント哲学というのは、一言でいえば「判断はどうあるべきか」ということを考えた哲学である。これはさかのぼればアリストテレスに発していた命題(判断命題という)を、カントが劇的に高めたものだった。
 カントはそのために、判断のよってきたる作動因のようなものを考えた。そして、そこには因果律のようなものが支配的に関与していて、それが科学的法則になったりしていると見た。
 ただカントは、われわれはそのような科学的な因果律を自分の判断のどこかに投影しすぎていて、そのため純粋な判断がにぶっているのではないか。それならもっと純粋で、理性的な判断がどういうものかをちゃんとつきとめるべきだろうと考えた。わかりやすくいえば、人間の理性や悟性(意識)は科学が発見するようなものとはべつのところにあるのではないか。だから哲学は(自然科学とはちがって)、人間の本性に属するとおぼしい「主体の意識の哲学」だけを考えたほうがいいのではないか。おおざっぱにいえば、そういう方針を立てたのだ。
 そのためカントは、空間や時間は、われわれの意識や判断とはべつのところにアプリオリにあるものだとみなした。
 これを、ベルクソンは崩そうとしてきたわけだった。いや、そうじゃないんじゃないか。時間も空間もわれわれの意識に関与しているし、そもそも人間が存在として宇宙的生命の歴史の只中に誕生して、このような意識をもったということは、そしてそれを物質の歴史とともに記憶の歴史としてもってきたということは、カントの言うように、純粋な判断とかかわりのない時空がどこかべつのところにあるのではなく、まさに意識を生み出す時空というものがあって、これからの哲学はそのことをこそ思索し、表現するべきなのではないか。そう、考えたのである。
 そして、このようなカント哲学との対峙が、エラン・ヴィタールという「生の哲学」になったのだった。だからベルクソンの哲学は、生命の力を過信したものであるとともに、哲学史から時空を奪い返したものでもあったといえるのである。

 おっ、いま容量を見たのだが、いささか長くなってきて、このあと書いておきたいことまで入れると、ひょっとしたら一枚のディスク・ファイルに入らなくなってくるかもしれないことが見えてきた(実は「千夜千冊」の一夜にはディスク上の上限があるのです!)。
 そういう惧れがあるので、ここからは「ぼくの好きなベルクソン」のほうに跳ぶことにしたいのだが、その前に一言、いや二言、付け加えておく。
 ひとつは、ベルクソンが「生の飛躍」を主唱したのち、そのような意識の生命力が「物語」(作話力)に向かっていったということを強調していたということだ。これはあまり知られていないベルクソンの世界解釈論ともいうべきもので、のちにレヴィ=ストロース(317夜)が自分の文化人類学とはなはだしく類似すると共感したものでもあった。ベルクソンは「人物を創出し、その歴史を自分自身に物語る能力」こそ、「存在=精神≒意識」にとって最もエラン・ヴィタールなことだと見たのだった。
 ちなみに、いまイシス編集学校では、有志が集まって木村久美子の音頭のもと、『物語編集力』(ダイヤモンド社)という本を準備しているのだが、なぜこのような本が編集学校の第1弾の出版物になるかというと、これは、ぼくにとっても編集と物語とはもともと切っても切れないもので、そこには作話能力こそが基本的編集能力の基本の基本になると思われてきたからだった。その成果の一端をお見せしたかったのだ。
 ついでながら、ベルクソンは「朗読」の重要性も指摘した。これもさすがのことである。文脈にひそむリズムを意識して文章や詩歌を声を出して読むことは、これまたベルクソンのエラン・ヴィタールだったのである。

 もうひとつ、これは余計なことだが、世の中に出回っているベルクソン論についてちょっと感想を加えておく。
 ごく正直に申し上げるが、世の中に出回っているベルクソン論というもの、まことにわけがわからない。ちゃんと目配りしたわけではないけれど、感心したのはジャック・シュヴァリエの『ベルクソンとの対話』とウラジミール・ジャンケレヴィッチの『アンリ・ベルクソン』とジル・ドゥルーズの『ベルクソンの哲学』、それに市川浩の『ベルクソン』くらいのもので、とくに日本のベルクソン論はどうにも解義しがたいものばかりだった。
 いずれもペダンティックすぎるし、そんなこと書くんだったら、ベルクソンを借りずに勝手に言えよ、おまえの哲学を書いてみろよというものばかりなのだ。

 以上が、付言。そのまたついでの話からつなげるが、というわけで、なかなかいい参考書にもめぐりあえないでいたのだが、ところが去年、岩波新書から出た篠原資明の『ベルクソン』は妙におもしろかった。
 分析の仕方や解説の仕方もいろいろ工夫してあるし(とくにトマス・アクィナスとドゥルーズとベルクソンの比較、「あいだ」の議論、ホワイトヘッドや大森荘蔵の持ち出し方など)、それよりなにより、ぼくとしては稲垣足穂(879夜)がふんだんに登場しているのが、なんといっても香ばしかったのだ。こんなベルクソン論、これまでまったくなかったのである。
 で、このあと書きたいと思っている「ぼくの好きなベルクソン」も、実のところは、この稲垣足穂に密かに連動するアンリ・ベルクソンなのである。
 それには、ベルクソンの最後の大作『道徳と宗教の二源泉』をほんとうは紹介しなくてはいけないのだが、それも字数オーバーになりそうなので、遠慮しておく。ベルクソンの二元論の究極の姿やベルグソンの神々を知りたい向きは、ぜひ読まれるといい。ただし、ここにはカトリシズムの香りも漂っている。

 稲垣足穂がベルクソンにたいそう依拠していた時期があることは、タルホ・ファンならば先刻周知のことであろうと思う。
 タルホは、ベルクソンが「物質を意識の回顧や延長でとらえよう」としていたこと、記憶が物質を保存しているのではなくて、「物質の記憶がすでに世界に波及している」のだともみなしていたことなどを、うんと拡大解釈して、そこにタルホ流の天界的転回のためのペパーミントなリキュール数滴を加えて、新たなタルホ・ベルクソン(ホタル・ベルクソン?)をつくりだしたのだった。
 それは、これまでのベルクソン論とはかなり異なるものであるが、だからこそタルホが言っておきたかったことなのだ。「小林秀雄のベルクソンと稲垣足穂のベルクソンとの違いを知って貰いたい」というタルホ自身の言いっぷりからも、その自信のほどがうかがえる。
 ぼくが『人間人形時代』(工作舎)に入れた『カフェが開く途端に月が昇った』には、こんな文章がある。

自分が小学上級だった頃、ベルグソンはオイケンと並び騒がれ、中学四年の春にはタゴールが加わった。オイケンやタゴールには、関心もなかった。彼らが人生派を出ていなかったからだ。
 人生派とは、ただおこなわれているべきもので、かれこれ言う必要のないものである。ニイチェもキェルケゴールにも自分は縁がなかったが、ベルグソンには、将来きっと好きになれるという予感があった。

『人間人形時代』より

 予感は当たった。タルホは『物質と記憶』を読んで、イソギンチャクのマークのついた黒い想像力のマントをベルクソンに覆い、そこに「六月の都会の夜のエグゾースト」を胸いっぱいに吸いこむことに夢中になった。それでそこに、何をタルホが読み取ったかといえば、こういうことだった。
 「何事であれ、重大なことは本当にあったかどうかなのではなくて、たったいま現在のことすらも、遥か遠方の物質の記憶として思い出されてよいということなのである」。
 このことを、タルホが「地上とは思い出ならずや」と名付けたこと、また「宇宙的郷愁」とも名付けたことは夙に知られていよう(ぼくはここから「遊星的郷愁」という言葉を編み出した)。
 しかし、この見方ほど痛快なベルクソンはないのではあるまいか。この見方にこそ、われわれはベルクソンの切っ先を揃えたほうが香ばしいのではないか。ぼくはそう思うのだ。
 そこには、タルホがしきりに「機械学」という言葉を好み、また「ヰタ・マキニカリス」という言葉を造語してまでして、自身の少年時代の一千一秒を綴っていたことがおおいに関係してくる。それはベルクソンが世界の記憶と表現を、大きく「機械系」と「神秘系」の二つに分けたことにヒントを得たものだったのである。
 機械系と神秘系で織り成された世界はデュアル・ワールドである。それはタルホの認知からすれば、雲母のようにたいそう薄いもので、ある角度から見れば察知可能なものの、ふだんはよほど注意深くしていないと見えないようになっている。だからタルホはそれを「薄板界」とも称んだ。
 しかしながら、ひとたびその薄板界にふれたとたん、事態は世界がフィルムを逆回しさせるがごとくに意識の俎上に巻き上がってくるはずのものなのでもあって、それゆえタルホ・ベルクソンは、「カフェが開いた途端」と「ボール紙のような月が昇った」という互いに遠い二つの出来事を、神秘的機械学として、また機械的神秘学として“同時了解”してみせたのだった。

 これで、字数の限界の直前にまでやってきた。なんだかベルクソンを褒めたのか、文句をつけたのかわからないものになってしまったけれど、まあ、いいだろう。だいたいのヒントは織りこんでおいたつもりだ。
 では、そろそろ冬の夜も更けてきて、この一年の時間が少なくなってきたこの刻限、越年にはやはりベルクソンの『時間と自由』にとりくむのがよろしかろうと思われる。もし、その第1ページが自分にあわないと思うなら、『道徳と宗教の二源泉』から入るのがよろしかろう。
 それでもベルクソンに近づけないというのなら、篠原資明の『ベルクソン』か、思い切っては稲垣足穂の『弥勒』など読まれるのが、行く年来る年にはふさわしい。でも、「千夜千冊」は、ぼくが自宅の大掃除で腰を痛めないようならば、もう一、二夜ほどをお届けしたい。
 ジングル・ベルクソン!

附記¶新宿抜弁天に近い富久町の横田アパートで、まりの・るうにいが毎日、ベルクソンを読んでいた。白水社の『ベルグソン全集』である。この全集では「ベルグソン」というふうに濁点になっている。たしか全集の1巻と4巻はぼくが買ったのだと思うが、あとはまりの・るうにいが入手しては、読んでいたのだ。
 ということでベルクソンは白水社の全集が上々。ほかに、岩波文庫には『時間と自由』『笑い』『思想と動くもの』『道徳と宗教の二源泉』があり、中央公論社に「世界の名著64」の『ベルクソン』、中公クラシックスの『哲学的直観』『道徳と宗教の二つの源泉』(I・II)がある。
 ベルクソン論としては、ウラジミール・ジャンケレヴィッチ『アンリ・ベルクソン』(新評論)、ジル・ドゥルーズ『ベルクソンの哲学』(法政大学出版局)、市川浩『ベルクソン』(講談社学術文庫)、ジャック・シュヴァリエ『ベルクソンとの対話』(みすず書房)、篠原資明『ベルクソン』(岩波新書)、同じく『漂流思考・ベルクソン哲学と現代芸術』(講談社学術文庫)、澤潟久敬『ベルクソンの科学論』(中公文庫)、金森修『ベルクソン』(NHK出版)、中田光雄『ベルクソン哲学』(東京大学出版会)、檜垣立也『ベルクソンの哲学・生成する実在の肯定』(勁草書房)、守永直幹『ベルクソン生命哲学・未知なるものへの生成』(春秋社)など。

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